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3、ピアノの音色

ティファニーは日が暮れる頃、そっと邸を抜け出した。


まるで下働きの少女のような簡素なドレスなので、門衛たちも咎めることなく送り出すし、戻ってきたときもすでに顔見知りなので咎められない。

社交界では毎夜どこかの屋敷で舞踏会が開かれていたが、ティファニーはその合間をぬって一人、出掛けていた。


少し歩いたところで、《クロイス》の腕のたつ従業員がティファニーを待っている。

「いつもありがとう」

ティファニーはにこやかに声をかける。

クロイスのオーナーのサイモンは、ティファニーが貴族であるということ、そして父を亡くし、義理の母と暮らしている、という家庭環境も知っていた。その上で、店に出入りする演奏者として許してくれている。


クロイスの簡素な馬車に乗ると、ティファニーは店に着いてからオーナー夫人のエリカが用意してくれている、ドレスとそしてウィッグ、そして化粧をしてまるで別人のようになる。


今年から社交界デビューすると聞いたエリカが、変装することを勧めてくれたのだ。

栗色の髪をすっぽりと覆いつくす、カールのかかった赤みがかった金髪。そしておとなっぽく化粧を施すと、いつものティファニーはクロイスの演奏者の〈アリアナ〉になるのだ。

ドレスも大人っぽいデザインの濃紺のドレス。


「アリアナ、新曲はどうかな?今日できそう?」

作曲と作詞を手掛けるサイモンは、ティファニーからすると天才の一言だ。

彼は、演奏者にぴったりの曲を作る。ティファニーの声と、そして……心情に寄り添うような詞を書いてくる。


「ミスター サイモン、大丈夫です。出来ます」

「そう?それなら、よかったよ」


満足そうにサイモンは言うと

「演奏、楽しみにしてる」

「……いつも、どうして私の事があんなに分かるのか、不思議です」

サイモンの詞は本当に、ティファニー自身が気づかないような、心を言葉にしたようだ……歌いながら、自らも引き込まれる。

「そう?君をイメージして書いてるからかな?」

うんうん、とサイモンはうなずいている。


「アリアナ、出番です。お願いしますー」


従業員の声がかかり、ティファニーは舞台へと上がり、ピアノの前に座る。

ティファニーはいつも、視界の端で客席を見ている。今日も、席はまずまず埋まっている。


夜のまだ早いこの時間には、ロマンティックな音色のピアノ曲から、弾き始める。

そして、次からは弾き語り……。

お忍びの貴族や、上流階級の客層のこの店では演奏する曲も静かで、会話を邪魔しない物が選ばれている。


〈アリアナ〉が演奏するのは、繊細な音色の恋の曲。この日は、サイモンの新曲もはじめて披露する。

最後に呼吸を整えて、前奏を奏でる……まるで、ティファニーの想いを、知っているかのような……片想いの歌詞…切々とうたいあげて最後の旋律を弾き終える。


次の演奏者である小楽団が変わって上がるので、ティファニーはピアノの前から立ち上がった。

その時に、客席が見えた…そして、目に飛び込むラファエルの姿……。

この日はラファエル一人では無かった、先日の舞踏会でも会ったマクシミリアンとそれから、ルシアンとオスカー

彼らにティファニーだとバレてはいないか……。どきりとしながら袖にはける。


そこから、ちらりと見ると、仲が良さそうな彼らは和やかに談笑している。


ラファエルは来ると言っていたけれど、本当に来るなんて……この社交シーズンにこんな社交とまったく関係のない所に来ているのかと思う。


背後からは、楽団の息のあった演奏が聞こえてくる。


「アリアナ新しい曲、すごく良かった!声にぴったりだった」

サイモンがにこにこと言う。

「そう言ってもらえると、安心します」

ティファニーは心からそう言った。


「せっかくなのに……本当に辞めるの?」

サイモンがぽそっという。

いい大人なのに、少し子供みたいな口調である。

「元から、ローゼさんの代理でしたから」

ティファニーはサイモンに言った。

「そうだね……でも、君が来たくなったらいつでも、来て!歓迎するから」

「はい、ありがとうございます」


近日、妊娠、出産を経て育児も落ち着いたローゼが復帰する事が決まっていた。ティファニーは彼女の休業中に、ということで始めに話をしていた。そして、ティファニー自身もそこで区切りにしようと自分なりに決めていた。


リースグリーン・ハウスで一人で暮らしていたそこから、キースとレオノーラの住むアークウェイン邸へ移り居候生活をして、そこからバクスター家に帰ったティファニー。

1度、絶対に帰りたくないと思ったその家だったけれど、やはりそこを捨てていけない自分を見つけた。

父はすでになく、クロエとも当たり障りなく接するだけだというのに……。

父が……そして、弟のルロイが……守ろうとしているその家を、簡単に捨てることが出来ない。そう、感じたのだ。

バクスター子爵の姉としてティファニーを護ろうとしてくれたルロイ。まだ、少年なのに家長として頑張る彼を支えたいと、だから…貴族として生きる、そう決心をした。


歌うことは、好きで…クロイスで弾き語りをすることは、ティファニーに、嫌な現実を少しの間忘れさせてくれた。けれども……いつまでも、逃げてもいられないのだ。


来るときと同じ様に、従業員がティファニーを馬車で送っていく。そして、夜の寝静まった邸内をそっと足音を忍ばせて自室に戻った。


「にぁー」

主人の帰宅に、ベッドで寝ていた猫のソックスがスタン、と軽い足音をさせて歩いてくる。ふわふわの毛並みの体をティファニーに擦り付ける。

「ただいま……ソックス。………今日、ラファエルを見たよ…」

「にゃ」

ソックスの毛並みをゆっくりと撫でる。何度も何度も

「……後悔、してる?だって……」

ソックスの顔を両手で包み込んでティファニーは呟いた。

新年にひさしぶりに再会した、王宮の舞踏会で、ラファエルはそう聞いてきた。


「そう聞いてくる、そっちが後悔してるんじゃないの?ねぇ?」

「にゃん」

「……そう、思うって?」

ティファニーはソックスを抱き上げると、ソファに座った。


白とグレーの混じったふわふわの毛並み。大きくなる種類なので、まだ子猫の範疇だけれどすでにずいぶんと大きくなっている。小さな子猫だったソックスをティファニー贈った時に、模様からそう名付けるとラファエルは大笑いしたのだった。


明るくて、綺麗でやんちゃでそれから面倒見が良くって。


ああ、ダメだ


まだこんなにも……忘れられずにいる。会ってしまった今では尚更。


ティファニーはネグリジェに着替えると、ベッドにボスン!と入った。


  〝 雨に濡れた二人。

  ラファエルにすがりついたティファニー、

  『ラファエル…ねぇ…ラファエル。私ってなんなの?

  ……追い出されて……迎えに来たと思ったら……知らないオジさんと、結婚させられちゃうの……?私って……生きてる、価値ある……?』

  息を飲むラファエル。

  その緑の瞳と水色の瞳がかっちりと絡み合った。

  『ティファニー……少し、離れろよ……』

  掠れたラファエルの声

  気がつけば、ほとんど抱きつくかの様に近くに迫っていた

  『俺だって、男だ』

  『……わかってる……』

  冷えて、固まったかの様にきつくすがりつくティファニーの手、震える指先…

  人気のないリースグリーン・ハウスにたたきつけられる激しい雨 〟


ティファニーは、両手で顔を覆った。

あの日に、今帰ることが出来たなら……どうするだろう……。


あの日の雨が、すべてを流してくれたなら……この記憶も流してくれていれば。

あれから、まだ半年もたっていない。記憶の底に沈めるには時がまだ足りない。


バカだ、自分は本当にバカだ。

好きじゃないと言われたのに……。自分も強がって好きじゃないなんて、そう言った。

想いをそれまで自覚していなくて……その時に知ったから……とっさに、そういってしまった……。子供だったのだ。


ベッドに入ったのに……眠れそうになかった。

次にもし会っても、平気な顔をしなければならない。おかしいのはティファニーだけ。ラファエルは、なんの変化もない。


「キライ……あんな人、大嫌い……」


そう、呪文のように呟いた。


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