25、その人は狂おしく
ブロンテ邸、朝のダイニング。
「え、先に2人で領地に向かうの?」
リリアナの言葉にラファエルが答える。
「うん、旅行気分であちこち巡りながら帰るよ」
「一緒に帰ってから旅をすれば良いのに」
「あのまま父上が許してくれなかったら、駆け落ちするつもりで準備していたからな。必要なくなったけど、せっかくだから乗合馬車使う旅をするよ」
ラファエルがイヤミをこめた言葉をいうとアルマンが軽くむせた。
「まぁ駆け落ちですって?」
リリアナが目を見開いた。リリアナは想像もしていなかっただろう。何せ一人息子だからそんな事を思いもしなかったであろう。
「…そんなに反対していたの?あなた」
リリアナはどうやらアルマンから二人の事を反対していると、それほど知らされていなかったようだ。アルマンが秘密裏に別れさせたいと思っていたという事だろう。
「…まぁな」
アルマンはさらりとリリアナに暴露したラファエルをジロリ見ると、軽く返事だけをした。
この朝は、ルナもステファニーもルシアンナも疲れたのか遅く、レオノーラとキースは部屋で食事をするということで、アルマンとリリアナとのみ、だからラファエルはその事を話題にしたのだ。
「あなたは良くても、ティファニーは大丈夫なの?」
「あ、大丈夫です」
ティファニー自身、駆け落ちは嫌だったけれど旅となれば楽しみだ。
「心配だわ、何かあったらと思うと…」
「日程を書いておくよ。それならいいだろ?心配しなくても、いいルートで向かうから」
「好きにしろ、きちんと守れる自信があるならな」
アルマンが言う。
「わかってるよ」
「今日の舞踏会は行けるのでしょう?」
「アボット邸のだったらその予定です」
「エドワードにはキースを通して紹介してもらえ」
「わかりました」
「結婚して周囲も落ち着くだろう。これまで以上に顔をしっかりつないでおけ、友人達とばかり一緒にいずにな」
「わかってるよ」
「ティファニー」
突然名を呼ばれてティファニーは動揺を必死で抑えた。アルマンに話しかけられるのは、あの晩餐以来かも知れなかった。
「はい」
「バクスター子爵には婚約者はいるのか?」
「いえ、聞いた事はありません」
貴族には幼くして婚約を約束している相手がいたりする。正式な婚約ではないものの、簡単になかったことには出来ない。
「そうか…この間の式の時子爵を見初めて私に話がきた。ブラッドフィールド公爵の姪にあたる令嬢とはどうかと」
「公爵閣下の、姪でいらっしゃるのですか…」
「年は、12歳で一つ下になるか?母のリリィはウェルズ侯爵の次女であるし、繋がりが出来るのはバクスター家にとっては悪くない話だと思うが、どう思う?」
「私には何とも申し上げられません。当主は若くてもルロイです。ですから、子爵と決めて下さればと思います」
ティファニーの返答にアルマンはうなずきを返した
「そうか、話をまず聞かせておこうと思っただけだ。こちらで進めさせてもらう」
ティファニーははいとだけ返事をする。
他の家族はともかく、アルマンだけはやはりティファニーに不服なのじゃないかと感じてしまう。
この夜の舞踏会、エドワード・アボット伯爵はアデリンとエーリアル姉妹の姉、シャーロットの嫁いだ相手で、そして従兄弟でもある。王子妃クリスタの弟でもあり、貴族の中でも注目される存在である。
淡いグリーンのドレスにピンクのリボンの装飾が可憐なドレスと、ゴールドの首飾りと耳飾りを身に付ける。
これらはラファエルからの贈り物である。
アボット邸につくと、伯爵夫妻が出迎えてくれる。冴え冴えとした銀髪は、月を思わせ月光の貴公子との呼び名も納得だ。シャーロットはアデリンたちと似て、金髪と金の瞳のレディらしい立ち居振舞いで、彼女たちよりも美しく感じられた。
「キース、無事に男の子が産まれたとか」
エドワードの言葉にキースがうなずく。
「おめでとう。さぞかしどちらに似ても将来が楽しみだ」
「落ち着いたら是非会いに行きたいわ」
「名前は決まったのか?」
「ヴィクターにしようかと話しているよ」
「いい名前ね」
「大きくなったらルーファスとカインと遊ばせてやって」
もちろんとにっこりとシャーロットが微笑む。
キースとアボット伯爵夫妻はとても親しい様子だった。
「エドワードは私の1つ下だからね。スクール時代から親しくしている。ラファエルとマクシミリアンたちのように」
ティファニーの考えを読んだかのようにキースが言った。
「そうなんですね」
ティファニーは彼らにお辞儀をして挨拶をする
「ティファニーね、アデリンとエーリアルからいつも聞いているわ。仲良くしてくれてありがとう。それから結婚おめでとう」
華やかな雰囲気のシャーロットが微笑むと、キラキラとして見える。
「ありがとうございます、私も仲良くしてもらえてとても嬉しいです」
会場内は人でかなり混雑をしていた。その会場内では、先日の舞踏会にきた人からも、来なかった人からも次々と祝いを述べられて顔が笑顔を作りすぎてひきつってきてしまった。
「すでにそんなに疲れて」
くすくすと隣のラファエルが笑う。
「もうしばらく頑張って」
アルマンから社交に精を出すように言われていたからティファニーも首肯して意思を示した。妻としてやり遂げなければアルマンに何と言われるか…。せめて家系の事以外では心から認めてもらいたいものだ。
「ラファエル、おめでとう」
「カートライト侯爵閣下、ありがとうございます」
カートライト侯爵は、落ち着いた容貌で男らしく精悍な容貌である。しかし、貴族的な彼はちらりとティファニーを一瞥すると後は存在すら気にしていないようだった。
隣に立つロレインは穏やかに微笑みを浮かべていた。
舞踏会は華やかな曲で、どこか浮き立つような雰囲気がある。そろそろ早くも領地に帰っていく貴族もいる。最後のシーズンを楽しもう、という事である。
気にしすぎかも知れないが、踊っている時に鋭い視線を感じるのはやはりラファエルと結婚したからか…。
ロレインもまたティファニーを厳しい目で見ている気がしてならない。
好かれることが出来ないとしも、出来れば嫌われたくないものだ。
「どうかした?」
「…視線が、まだまだ痛いっていうか、なんてゆぅかそのね…」
ティファニーがもごもごと言いづらそうに言うと、
「うちのあの怖い父に立ちふさがった子が怖がる?」
呆れたようにラファエルが言った。
「あのね、それはどっちも怖いものなの」
「うん、怖いのに向かっていけて凄いよねティファニーって」
微笑みを向けて、なだめるように背をポンポンと叩く。
「そういうところ、本当にいいと思ってる」
「本当に?」
「本当」
「ラファエルがそう言ってくれるなら、いいかな」
ティファニーは笑みを向けた。
「ブロンテ夫人、是非踊ってください」
「よろこんで」
人妻にもなると踊る相手は既婚者も増えてくる。
「じゃぁラファエル卿はわたくしと。…本当にレオノーラ様と似ていらっしゃるのね」
「私は、姉の代わりになりますか?」
「ま、ラファエル卿はそれは素敵ですわ。でも…レオノーラ様の騎士姿はそれはそれは格別でしたもの。悪く思わないで下さいませ」
「そうでしょうね」
夫人の遠慮のない発言にラファエルは苦笑している。
「レディ レオノーラは無事に出産されたそうで、男の子と聞きましたが?」
「ええ、そうです。キースにそっくりの元気な赤ちゃんです」
ティファニーは新しい彼の事を思うと、笑みが自然とこぼれる。
「そうでしたか、アークウェイン家も跡継ぎの誕生に喜んでいることでしょうね」
「ええ、それはもちろん」
「レディ ティファニーもまだお若いですから、これからたくさんお産みになられて、是非社交界を盛り上げる人材をお願いしたいですね」
にこにこと言われて、ティファニーは、はぁ、とだけ返事をする。
まだ現実として、考えられない…というか…まだ考えたくない…特に、派閥間の争いの事を知ってからはその事に巻き込まれたくないと本能が回避しようとしている。
しかし、結婚したとなると、会う人ごとにこの話になるので辟易としてしまう。
「ラファエル、私ちょっとパウダールームに行ってる」
声だけをかけてティファニーは会場から出てリフレッシュしに向かった。
「はぁ…」
喧騒を離れて、身なりを整えているとすこしは落ち着いてくる。
「あ…」
2度あることは3度ある…
「どうして…貴女は幸せそうで…。私はそうじゃないのかしら」
ロレインだった。
コツコツと近づいてくる目が、尋常でない光を宿していて、思わず後ずさる。
「私は、終わりましたから…どうぞ」
去ろうとしたティファニーのドレスの裾をロレインの靴がガツっと踏みつける。強引に行けば破けるかも知れない。
「レディ ロレイン…足を上げてください」
「嫌よ」
「私にどうしろと?」
「わかってるわよ。貴女が悪くないことくらい…でも…貴女とジョルダンが良い仲だと思ったから…」
「レディ ロレイン。その名を言ってはいけません、私はかの人から貴女の名は聞いたこともありませんし、詳しい事情も聞いたことがありません。それは貴女の名誉の為と、私を巻き込まない為…だったと思ってます。他ならぬ貴女がそれを暗黙のルールを破ってはいけません」
「…いっそバレてしまえばよかった…」
「ではなぜそうしなかったの?したいようにすれば良かったのでは?」
「出来るわけがないでしょう?」
「そうでしょうね…そうして、出来るわけがない。とすべて諦めてばかりいたんでしょうね」
生意気な口を利いているのはわかる。けれど…腹が立つ…。
「彼は、私に彼の愛する人を重ねて見ていました。境遇が似ているからと…。別れの手紙に涙していた事も知っています。別れを選んだのは彼の相手です。だから彼は外国に行って、身を引いたのでしょ」
「私が悪いというの?好きでもない相手と結婚して…好きな人とは別れたのは…私が悪いの…?」
「そうです…だってすべて貴女が選んだのだもの…」
ティファニーがそう言うと、ロレインは近くにあった水差しをティファニーに向かって浴びせた。
「貴女みたいな、すべて順調に生きている子嫌いだわ」
「私が順調ですって?貴女と同じで親を亡くしてる私が?」
ティファニーがちょうど言ったところで…
「いい加減になさいね、レディ ロレイン。カートライト侯爵夫人」
コツコツと近づいてくるのはシャーロットだった。
「逆恨みもここまでくるとみっともないのひとことね」
ロレインとティファニーの間に敢然と立ちはだかる。
「レディ シャーロット…」
「わたくしも、すべて貴女が選択した事だと思うわ。本当に変えたいなら足掻くだけ足掻けば良かったのよ。今からでも追いかける?彼を」
「…出来るわけがないわ」
「そうよね、貴女ならそう言うでしょうね…だから大人しく侯爵夫人をしていなさい。これ以上わたくしの家で問題を起こすなら、アボットをはじめとして中立派を敵に回すと思って?」
「たかだか伯爵夫人の貴女にそんな権限があるかしら」
ギラリと睨み付けるロレインにシャーロットは艶然と微笑んでみせた。
「あのね、このレディ ティファニーはブロンテ家の花嫁よ。その意味も分からないの?その彼女にわたくしのこの屋敷で攻撃した」
「………」
「ブロンテ家も伯爵という地位だけれど…。武門派ではグレイ家に継ぐ家だわ。中立派と武門派と敵に回して無事にすむと思う方が間違いよ。もちろんこの屋敷で貴女がティファニーにしたことをエドワードが知ったら、わたくしの意見に同意するはずよ?」
「よく…わかったわ…」
「2度と彼女に関わらないこと、それから彼の名を口にしない事を誓いなさい」
「誓うわ」
茫然自失という風にロレインは呟いた
「わたくしは貴女はもっと賢明だと思っていたわ…」
「私もよ…。どうにも…収まらなかった…愚かだわ」
ロレインははらはらと涙を流した。
「さっさと出ていきなさい」
ロレインはそのまま、よろよろと出ていった。
「あの…あのままでは…」
「同情することはないわ。きっと気分が悪いからとかいって帰るでしょう。わたくしはね、悲劇ぶって他人に攻撃するなんて一番大嫌いだわ」
きっぱりというシャーロットは気位の高さと、気の強さを感じさせた。
「わたくしも…こういう、敵を作りやすい自分の態度もいけないと思ったるのだけれどね」
ふふっとシャーロットは笑うと、
「とりあえず、ティファニーは着替えをしましょ」
ドローイングルームに案内されるとアボット邸のメイドたちがたくさんのドレスを持ってきた。
「この水色で良いかしら?瞳の色と合いそうだし…」
「あ、はい」
「古着だからもう、返す必要もないわよ。うちもたくさんあるから」
「あの、レディシャーロットはどうしてあそこに…」
「ラファエルにね、『ティファニーの後を追うようにロレインがパウダールームに行ったから、見てきてもらえないか』と頼まれたの」
「あ、じゃあ…今ごろ心配していますね」
「ええ、そうね」
「本当はね…ロレインの気持ちもわからなくはない。でもね、同情することは本当にないわよ。貴女は努力して、彼女はすべて流されるままに…。潔く侯爵の妻になることも、ずる賢く愛人を持つことも、愛する人を得ようと手を取り合って逃げることも、奪って欲しいと言うことも…しなかった」
「はい…知っているのですね」
「さっきの話でね…何となくわかったわ」
シャーロットと話ながらも、ティファニーの髪はほどかれて、メイドがきれいに結い直しをしてくれている。
「もし、また彼女が何かしてきたらわたくしに連絡をしてね、必ずよ。あれだけ釘をさしてるのにね」
「は、はい…。レディ シャーロット…少し、怖いです…」
「何言ってるの、貴女だって未来のブロンテ伯爵夫人よ。しっかりと頑張って!わたくしで良ければなんでも相談にのるわよ」
ふふふっとシャーロットは笑って言った。
まだ若い彼女だが、恐ろしく頼もしい。
大広間の前で、ラファエルはティファニーを待っていた。
「大丈夫?…じゃなかったみたいだね…」
ドレスが変わった事にラファエルは気づいている。
「ラファエル、知っていたの?彼女と、そのあの人の事」
「うん。出立前に…普通なら何もするような人じゃない。だけど、何がどうなるかわからない、もしかしたら誤解して何かしてくるかも知れないから気を付けるようにと言われていた」
「そう…だから、近づかないようにって言ったのね?」
「…そうだ」
「ラファエル…ありがとう。守ろうとしてくれたんだ?」
「当たり前だろ?」
「ありがとう、嬉しい…」
ラファエルは素早く額にキスを落とすと
「戻る?」
「…戻る…。この世界で…やっていかなくちゃいけないんだものね…。今シーズン最後、頑張るわ」
「頼もしい奥さんで俺は嬉しいよ」
ラファエルは笑った。
舞踏会はまだ続いている。
視線くらいなんだ!と気合いをこめて姿勢を正す。
隣には守ってくれるラファエルもいる。そして、頼りにしていいと言ってくれた先輩のレディたちもいる。
一人じゃない…今は…。




