19、絡み合う思惑
「載ってる…」
新聞にラファエルとティファニーの婚約が告知されている。
「本当に、婚約したのね?」
相手はソックスだ。
「にゃ」
部屋で何度も確かめたので、その新聞はすでにシワが出来ている。新聞が来てからというもの、何回も確認しているのでエマはすでにそばに寄って来ない。
貴族の結婚はまず国王に婚約の許可を得ると、正式となり新聞に掲載される。そして、婚礼の日は聖堂に告知される事になっている。
「ティファニー様。ラファエル卿がお見えです」
デューイが呼びに来る。
「わかったわ」
この日はラファエルと共にウェルズ侯爵家の舞踏会に向かう。婚約の後初めてなのでなんだかとても緊張している。ジェニファーやミュリエルのような令嬢は他にもいるであろう。しかし、国王の名の下に許可された婚約は簡単に破棄できるものではなく、誰かに覆される事はまずない。ラファエルが言ったように、決闘でもしない限りは…。
この日のドレス一式はラファエルからの贈り物である。淡い水色のドレスとお揃いの靴。それにお揃いの生地とレースでの髪飾りだった。
「エマ、どう似合ってる?」
「よーくお似合いです。素敵ですわ」
「本当ね?」
「早くお行き下さいませ」
エマはニッコリと微笑んで囁く
「本当にとても綺麗ですわ、ティファニー様。嘘じゃありません」
そっと背を押される。
ラファエルの待つ玄関ホールへとティファニーは向かう。
「お待たせ」
「うん、待ったよ」
くすっとラファエルが笑う。
「どう?」
ティファニーはクルリと回って見せた。
「とても似合ってる。かわいいよ」
さらりと言ったラファエルだけど、意外とシャイな彼は耳が赤くなっている。
「ありがとう、嬉しい」
ラファエルは今日は黒のテールコート、チーフがティファニーのとお揃いで水色が使われている。
いつ見ても、綺麗な容姿のラファエルだけど婚約した今は、より愛しくてキラキラして見える。
馬車に乗り込んで少しすると、ラファエルがそう言っていた。
「なんでそんなに照れてるわけ?」
「だって…ラファエルって格好いいんだもの…照れちゃうよ」
「ばーか、今ごろ?」
「だって最初はそんな風に見てなかったから」
はじめは、ひねくれてまじまじと見てもいなかったし、春に再会してからは、罪の意識からラファエルに対して真っ直ぐに見れなかった。晴れて婚約したら、改めてラファエルの優れた容貌に気づかされたと言うわけだと思う。もちろん綺麗な容姿である事はわかってはいた。しかしこのドキドキ具合は日に日に高まっていっている。
「それ、なかなかすごいかもな。自分で言うのも何だけど、まず見た目でみんな寄って来るのわかってるし。道理で最初は遠慮なく言い合いしてたよな」
確かに、そうだったと思う。
「なんとか言えよ」
顎を指でくいっと上向きにされてティファニーはドキドキさせられる
「…今、キスされると思っただろ?」
「…っ!思ってないから!」
「本当に?」
「自惚れないでよ、ばか!」
ラファエルはニヤリと笑うと
「やっぱりそういう方が、ティファニーらしくていいな」
と言うと、唇を合わせてきた。そして少しだけ離れると、そっと囁くように言う
「…するに決まってるだろ…」
再び、キスがおとされてティファニーは恍惚とした顔を向けた。
「この馬車、屋根ないってわかってる?」
「…っラファエルったら、見られたら恥ずかしいでしょ」
「良いよ、婚約したんだし」
「…本当に本当に、出来たんだよね…」
「ティファニーが空かずの扉を開けたようなものだろ?そんな強いのに、何でそんな信じられない顔をしてるのかな」
くすくすとラファエルが笑う。
「だって…もう、駆け落ちするしかないのかなって覚悟を決めてたのに、なかなか信じられないの」
「駆け落ち、か。俺も、覚悟はしてたな…それもティファニーとなら楽しめるかなと思ってたけど」
駆け落ちを楽しもうとしていたラファエルの口ぶりに、ティファニーは思わず言った。
「…変な事、言ってもいい?」
「ん?」
「私もね、もし駆け落ちしてたら…どんな風に過ごしたかなって考えてた」
何せ、ティファニーもいつそうしても良いように準備万端のつもりでいた。
「してみる?」
いたずらっ子のような表情で、ラファエルが覗きこんでくる。
「ええっ!?」
「旅行」
「りょこう、ね。びっくりした」
「母上の言うように、夏に式を挙げて、その後にブロンテの領地までゆっくり旅をしながら行こうか?」
「いいの?してみたい」
「そうしよう、と、その前に今日はこれから挨拶回りだな」
ニッとラファエルが笑みを見せて、ティファニーを馬車から下ろす。
ウェルズ侯爵家の舞踏会はいつもとても賑わっている。
社交界随一の人脈をもつと言われているウェルズ侯爵家は上流社会においてはやはり重要な社交場である。
「おめでとう、ラファエル、ティファニー」
招き入れる侯爵夫妻がにこやかに二人に告げた。
「ありがとうございます侯爵閣下、侯爵夫人」
ラファエルが答え、ティファニーもお辞儀をして礼を述べた。
ラファエルに連れられて、普段ならなかなか近づけない高位の貴族達に挨拶に向かう。何人かに挨拶をしていると、
「ラファエル、おめでとう」
と声がかかる。
「公爵閣下」
声をかけてきたのはジュリアン・ブラッドフィールド公爵である。
「ティファニー、良かったね」
「その節はありがとうございました」
「いや、あのアルマンにあれだけ言えるなんて大したものだよ」
「あの…本当に必死で…お見苦しい所をお見せしてしまいました」
「いや、なかなか良かったよ。ラファエル、いい女性を選んだね、ブロンテ家の花嫁にはこれくらいの強さがないとね。見た目じゃ全く分からないけど」
くすくすとジュリアンは笑った。
「コーヴィンは色気のある男で、度胸もあった。君はその血を受け継いだのかもしれないね」
「そうですか…、父の事はあまり分からないので」
「そう?まぁあまり家庭的な男ではなかったかもしれないな」
コーヴィンの記憶は、病に臥してからの方が新しくそして強烈だ。
「ああ、すまないね。まだ、懐かしく思えるほど、遠い過去では無いよね、君にとっては」
「すみません…」
「いや、私が無神経だった。申し訳ない」
「すみません、公爵閣下それでは」
ラファエルがティファニーを連れて、その場から離れされた。
「大丈夫?」
「…ごめんね、やっぱり父の事を思い出すとまだ駄目みたい」
「休みに行こうか?」
「少しだけ…」
会場から出ると、ラファエルが水をもらってきてくれた。
冷たくて少しだけホッとする。
「辛いことは、何でも言えよ俺に」
「うん…ありがとう」
少しすると、舞踏会が始まる気配がする。
「そろそろ平気、戻れる」
ラファエルのエスコートで会場内に戻ると、1つ目の曲が始まる。
「踊ろう」
華やかな楽曲に合わせて、踊る人々の中に入っていく。
踊り終えると、ティファニーを誘いに来たのはマクシミリアンだった。
「ティファニー、おめでとう」
笑みを浮かべたその表情を向けられて、
「ありがとうマクシミリアン」
にっこりと笑みを向ける。
「…幸せそうだね」
「そう見える?」
「見えるよ」
マクシミリアンはふっと微笑む。
「ラファエルの奴、絶対に近づけようとしなかったからな…。私の完敗さ」
「え?」
「前に言ったことがあるだろう、私を選んでほしいと」
「…そう?」
「覚えてないんだ…」
「だって、マクシミリアンは私の事を好きではなかったでしょう?」
「そうなる前に牽制されて、さっさと婚約まで持っていったわけさラファエルは。他の男たちも同様だろうけどね」
「何言ってるのマクシミリアンたら」
くすくすとティファニーは笑った。
「本当だよ。ティファニーはどんどんきれいになっていくから狙ってる男はかなりいたんだよ?」
「…またそんな事を言って。私なんて…って言ったらラファエルに怒られるけれど、発育不良で病弱だから花嫁には向かないって言われるのに」
「確かにそういう話はあったけど。噂はあくまで噂だから気にしないけどな」
「そうなの?マクシミリアンだって、嫡男でしょう?」
ラファエルとマクシミリアンは立場的には同じ次期伯爵である。
「私はね、ラファエルとは違って武門でも無い、それにブロンテ家ほど有力な家でもないから」
「…どういうこと?同じ伯爵家でしょう?」
マクシミリアンは声を潜めて言ってくる。
「…こんなことをティファニーに言うべきじゃないかも知れないけどね…次の王太子妃だよ」
「それと、私がどう関係するの?」
「…エリアルド殿下は7歳、まだ婚約はされていない。有力な令嬢がまだいないからだ」
「…だから?」
「うちの家はそれほど社交界で力があるわけではない。けれどブロンテ家は違う、ラファエルの娘が生まれたら候補になるだろうね」
ティファニーは思わず目を見開いた。
「だから、私じゃない方が良かったの…?」
「ごめん、気にしないで。あくまで憶測だから」
自分の婚約がこんな風に影響してるなんて思いもしなかった…。ラファエルの娘…つまり…このままティファニーが結婚してもし、マクシミリアンの言うように娘が生まれたら…?
せっかくウキウキしていた気持ちが、得体の知れない不安が押し寄せてくる。
「ちょっと、パウダールームに…ラファエルが捜してたらそうつたえてくれる?」
「ごめん、つい変な事を言ってしまったね」
ううん、とティファニーは首を振ってパウダールームに向かっていった。
鏡をみると、淡い栗色の髪を結い上げて、エマに化粧を施されて着飾った自分の顔が映る。
「気に…しても仕方ないよね…」
ラファエルはそんな事を気にしてるとは思えない。きっとマクシミリアンは憶測で言っただけだ。
しゃんとしようと身だしなみを整える。
「貴女がティファニー・プリスフォードなの?」
ふっと振り向くと、華やかさはないもののしっとりとした優しげな女性だった。
ジェニファーたちのように複数でないのに、少しホッとした。
またかと一瞬は思ってしまった。
「はい、そうですが」
「…ラファエル・ブロンテ卿と婚約したのですって?」
「…そうです」
誰だろう…この人は…
面識のない女性だけど、ラファエル関連の令嬢にしてはすこし年上なように思える。
「ジョルダンとは…いえ、ごめんなさい。婚約おめでとう、レディ ティファニー」
そっとお辞儀をすると、その女性は足早に立ち去っていった。
訝しく思いながら、会場に戻るとリリアナに話しかけられた。
「ティファニー、レディ マリアンナ・ウェルズに紹介するからいらっしゃい」
「貴女も名前くらいはわかるでしょう?」
「はい。もちろんです」
マリアンナはこの社交界においては今一番華やかな夫人の一人である。社交界の様々な事で彼女の知らない事はないと言われているほどで、また流行の発信源だとも噂されている。
マリアンナは黒い髪に茶色の瞳の美女で、包み込むようなどこか人を安心させる雰囲気がある。だからこそ、この人のサロンは人気があるのだろうなとティファニーは思った。
「レディ マリアンナ、ティファニーを紹介させてね」
「こんばんは、ティファニー。わたくしはマリアンナ・ウェルズですわ」
微笑むその顔はとても人を惹き付ける。
「ラファエル卿と婚約おめでとう。人気者の彼だから何かと大変だと思うけれど、何かあればわたくしに相談してね。きっと力になれることがあると思うわ」
「ありがとうございます。侯爵夫人」
「まぁー、レディ リリアナ。本当に可愛いお嫁さんよね、ティファニーは」
「そうでしょう?」
「またうちに遊びに来て、それから、ミスター.サイモンの曲を是非聞かせてね」
うふふとマリアンナは笑った。
「ええっと…はい」
「楽しみにしてるわね」
にこにことマリアンナは笑っている。
…知ってるの?サイモンを?
「あのね、サイモンはもともと貴族だったのよ?知ってたかしら?」
こそっと扇越しに告げてくる。
「大丈夫よ絶対に、秘密は漏れないから」
「うう、なんだか怖いんですけれど…」
「心配性ね、わたくしは貴女の幸せを心から祈ってるの」
その瞳には本当にそう思っているように見えた。
「ありがとうございます…」
「わたくしは、貴女みたいに頑張ってる人が好きよ」
にっこりと微笑まれて、ティファニーははにかんで笑みを返した。
素敵な人だと思った。
その時に、ティファニーの視線の先にパウダールームの女性が目に入った。
「あ、レディ マリアンナ…失礼ですが、あちらのレディをご存じでしょうか?」
「若草色のドレスの?彼女はレディ ロレイン。カートライト侯爵夫人よ。彼女がどうかして?」
「いえ、先程パウダールームでお祝いを言って頂けたのですけれど、どなたかわからなくて」
「そう…。気にすることないわ」
マリアンナがそう呟いた。
ロレインを見ているうちにふと、気づいた。
彼女は、ジョルダンの想い人だったのじゃないかと…
以前にジョルダンと踊っていたのを、確かに見た。その事事態はおかしな事でも何でもない。単なる舞踏会のワンシーンだ。
けれど、彼女はジョルダンの名を口にしたのだ。ティファニーの前で…。悶々と悩んでしまいそうだ…。
「あのね、ティファニー。他の人の事まで構ってる余裕はないでしょう?気にしないの、ね?」
にっこりとマリアンナが微笑む。
「あの…ご存知なのですか?」
「何のこと?」
その瞳は謎めいていて計り知れない。
やめよう、敵うわけがない。
「いえ、気にしないように頑張ります」
「気になって仕方なくなったら、わたくしの所にいらっしゃいね」
にこっとマリアンナは微笑むと、話しかけられたマリアンナはティファニーに会釈をするとそちらに向き直った。
「素敵なレディでしょ?ティファニー」
近くで様子を見ていたリリアナがそう言った。
「ええ、とても」
リリアナが別の夫人と話はじめて、一人所在なげに見えたのかティファニーは男性からダンスの誘いを受けた。
「お名前をお伺いしても?」
「ティファニー・プリスフォードと申します」
「ああ…では、ラファエルの婚約者ですか」
「はい」
「女性は結婚してからが花開くかのように、思うままに振る舞えるそうですよ。楽しみではありませんか?」
「そうなのですか?」
あ、何となく苦手なタイプだなとティファニーは思った。
「私は貴女のように可憐なレディが結婚してどのように花開くのか楽しみですね」
(…なんだかこの人気持ち悪いな…)
「はぁ…」
ティファニーは気のない返事を返した。
その男性と踊りおえると、今度はオスカーが申し込んできた。
「この間は、ミュリエルが申し訳なかったね」
「大丈夫です。オスカーが悪い訳じゃないのだから、謝ることはないと思うの」
「いや、ミュリエルがラファエルに好意を抱いてるのは知っていたのに、気が回らず本当に悪いと思ってるんだ」
「…じゃあ、もし無事に結婚したらなにかお祝いをくださいね」
くすっとティファニーは笑いながら言った。
「分かったよ。何か良いものを今から探すとしよう」
オスカーも笑みを返してくる。
オスカーとも踊りおえると、ラファエルを探してみる。少しして難なく見つけ出せたラファエルの元へ向かうと、ラファエルの方もティファニーの方へ歩んでくる。
「どうした?疲れた顔をしてる」
「…なんだか、色々とありすぎて…」
ボソッとティファニーは言った。
「色々?」
「うん、まぁ色々とね」
「そうか、少し休む?それとも帰ろうか?」
「帰るって言いたいところだけど、少し休んで頑張る」
「ふうん?無理しなくていいのに」
「…やっぱり、病弱だとか思われたくないもの」
ボソッと言うと、
「そうなんだ」
ラファエルはしょうがないなと笑うと、ティファニーを連れて軽食を用意している一画に連れていく。
「ケーキとかチョコレートは?」
「…チョコレート…」
「じゃ、そこに座ってて、持ってくるよ」
ラファエルは皿に、綺麗なチョコレート菓子をとって持ってくると、ティファニーに手渡した。
手袋を外して、ひとつ摘まんで口にいれると、やはり甘くて美味しい。
そして、ジョルダンの受け売りだけれど少し心が慰められる。
「美味しい?」
「うん」
にっこりと微笑むと
「…じゃ、一個くれる?」
1つをとって渡そうとすると、ラファエルはティファニーの指から食べた。その一瞬に指と唇が触れて、その感触に思わず赤くなる。
「え…!」
「…甘すぎるな…」
近くに人がいないとはいえ、恥ずかしすぎる!
「ティファニーは好きだよな?甘いの」
「う、うん、そうね」
「俺のことも?」
「う、うん。そうね…って」
勢いでそうねっていってしまい、ティファニーは目を剥いた。
コツンと、ラファエルがおでこを軽く拳で当てる。
「色々と…あると思うけど、何かあったら絶対に俺を頼れよ」
「…言われなくも、がっつり頼っちゃうから覚悟してね」
ラファエルがティファニーの答えに微笑む。
その顔で、何よりも力が湧いてくるから本当に恋って凄い力だとティファニーは思った。