18、砦に挑む
「それほど私が目障りでしたから、ここですぐに殺してしまえばよろしいでしょう?」
ティファニーは去ろうとするブロンテ伯爵にそう言葉を投げつけていた。
こういう情況になった訳は…
ティファニーは何度か、アルマン・ブロンテ伯爵に宛てて手紙を出していた。
それは、自分の世間の評判は心得ているが病弱という訳でもなく普通の女性並みに健康であるということ。だから、会って話をさせてほしい、という内容である。
しかし伯爵からの返事は『会うに及ばず』これはラファエルの言った通りだった。
しかし、返事という反応があった事からティファニーは再び手紙を書いた。
人としての評価を噂ではなく、会って確かめて欲しい。と…しかし、これは手紙ではなく伝言で返って来た。
『今後一切、手紙は受け取りたくないとのことです』
直接バクスター邸を訪れたブロンテ家の従僕がそう手紙を突き返してきた。
そしてその攻防は数日間続いたが、ティファニーの手紙は封を開けられる事なく返される。
従僕たちもピリピリしてきたそんな頃
「ティファニー…何か私に相談することはない?」
クロエがティファニーの部屋にやって来た。
「え?」
「お父様がいれば…すんなり婚約出来たでしょうに…」
ドキリとした。
「お義母さま…知ってるの?」
「あれだけデューイを使って手紙を出していれば気づきます」
クロエはキリッと引き締めて言った。
「…手紙は、もう出しません…」
使いをする下男が渋り出したのか、最近はデューイが使いをしている。しかし、ティファニーの意に添えないその心労からかその顔色が冴えない。
ティファニーが頼めば、無駄と分かっていてもせずにはいられまい。辛い役割をさせている。
「そう…。なんとかしてあげたいのだけれど、相手がブロンテ伯爵では…」
その口ぶりではクロエの伝を使っても、ブロンテ伯爵を攻略するのはなかなかの難問な様である。
「綺麗な指環ね、ティファニー」
そっとクロエが指をとった。
「もうしばらく待ちなさい。なんとか、話が出来るようにしてみるから」
「ううん。いいの、伯爵が反対をしてるって噂が広まるのはもっと嫌なの」
「ティファニー、貴女そんなことを言っていては…」
「いいの。ラファエルが説得するって言ってるから」
そう?とクロエは部屋を去っていった。
相変わらずよそよそしいが、お互い険悪な言葉のやり取りはさすがになくなってきている。
ラファエルの方も、やはりなかなか話をする事も難しくなってきたようで、いよいよ計画を実行するべきかという話になってきていて、
ティファニーの方も、こっそりと質素なドレスに宝石類を縫い付けたり、少額の硬貨を集めては巾着につめたり、こっそりと夜中にキッチン料理のレシピを書き写したり、考え付く事を準備してきていた。
けれど…。
駆け落ちが上手く行くことは稀だ。まず、ティファニーにしても、ラファエルにしても貴族であり庶民がする家事やら仕事やらをこなしていない。ティファニーはそれをリースグリーン・ハウスでの生活で思い知っていた。ただし、今度はラファエルと一緒であって、一人でない。
夏が終われば、社交シーズンが終わる、ラファエルはその前に実行するつもりだという。
そして、ラファエルの姉のルシアンナがこの春に結婚したので次は、秋のルナの結婚に向けてブロンテ家はちょうど大忙しになるのだという。
けれど駆け落ち、という手段を選んで友人でもあるルナの結婚に水を差したいわけではない…。
打つ手が見つからず、ジョルダンから貰った手紙の束を眺めていた。そこには、伯爵の日頃の行動が書かれてあった。
「待ち伏せ…」
それは、畏れ多い行動ではあるしレディとしてはあり得ない行動ではあるが、なりふり構ってもいられない。
余計な事をしたとラファエルに怒られるだろうか…。
しかし、夏がもう来ている…
「ソックス…上手く、いくかな?」
「なーぅ」
ソックスがジョルダンの手紙の上に遠慮なく寝そべる。
「やだ、どいて読めないよ…」
大きくなったソックスはふてぶてしく尻尾をパタンと動かすだけであった。
覚悟を決め、余所行きのクリーム色の昼ドレスと帽子を身につけて、ティファニーは歩いて王宮へ向かった。
昼過ぎまでブロンテ伯爵は貴族議会に出席している。
そこにはラファエルもいるかもしれないけれど、爵位をもつ貴族達とそうでない貴族達とは出る扉が違うのだ。
ざわざわと話し声がして、扉から立派な風采の紳士達がでてくる。皆一様に、フロックコート姿なのでその中から探すのは大変だ。
一際目をひく、ライアン・ウィンスレット公爵とその取り巻く一団にラファエルににたブロンテ伯爵を見つけることが出来て、ティファニーは駆け出した。
「ブロンテ伯爵閣下、こちらから声をお掛けする無礼をお許しください」
ティファニーは息を切らしつつ、そうそのきらびやかな男性たちの前に飛び出た。
その地位も財もある立派な男性たちの目線が集まり、ティファニーは激しく後悔したけれど、しかし逃げてはいけないと踏ん張った。
「わたくしは、ティファニー・プリスフォードです。どうか、私と話をしてはいただけませんか?」
必死に告げたがしかし…
「手紙でも伝えたはずだ、会う気はないと。こんな所で呼び止めるなんてどういうつもりか?帰りなさい」
予想どうりの返答である。
「それでは到底納得できません。ですからここまで来ました」
ギロリと睨まれて、膝はガクガク震えている。
「何度でも言う。話はない、帰りなさい」
「私もお伝えします。諦めません絶対に」
ティファニーがそう言うと、ブロンテ伯爵はそのまま立ち去ろうとしている。慌ててティファニーは行動を起こした。
その、自分より倍にも感じるブロンテ伯爵の前に立ちふさがった
「それほど私が目障りでしたから、ここですぐに殺してしまえばよろしいでしょう」
と言葉を投げつけたのだ。
「…なんだと?」
見下ろすその眼差しで殺せそうである。
「閣下なら、こんな小娘一人くらい簡単でしょう?」
怖いけれど、とりあえず足は止まった。
「逃げるのですか?話もせずに」
ティファニーは一気に攻める言葉を言った。
「逃げるだと?」
眼光が鋭く、恐ろしいほどにティファニーを射ぬいている。
「そうです。話もしないということは、逃げていることと同じではありませんか?」
「なんだと?私が逃げていると、そう言うのか?」
「そうです」
「いいじゃないか、アルマン。話くらいしてあげたら?こんなに若い女の子が必死に頼んでいるのに」
「ジュリアン」
ブロンテ伯爵に言ってきたのは、金髪に青い瞳のジュリアン・ブラッドフィールド公爵である。
「頼んでいる態度か?これはまるで脅迫に近いじゃないか。こんな所でまるで悪者にしようとしてるとしか思えないな」
ため息混じりにブロンテ伯爵が言う。
「まぁそう言わずに」
「ティファニー・プリスフォード、後日連絡をする。今日はひとまず帰りなさい」
ブロンテ伯爵は硬い声音を崩さずにそう告げた。連絡をする、という事は会うという事だと思っていいだろうか。
「ありがとうございます伯爵閣下。公爵閣下」
ティファニーはお辞儀をして、二人から立ち去った。
見えないところまで離れてから立ち止まると、震えてしばらく歩けそうにもなかった。
「…こわいよ~…話なんて…まともに出来るかな…」
ジョルダンの手紙を読んでいると、逃げるのは嫌いそうだという一文を見て、その言葉を言ってみたのだ。
「これで駄目なら…」
残る手は駆け落ちだけになってしまう。
それはやはり出来るだけ避けたい。普通に祝福されたい
***
「ね、何したわけ?」
数日後の朝に、乗馬の誘いに来たラファエルがそう聞きながら手紙を渡してきた。
「これ…伯爵閣下から?」
「そう。驚いたよ『お前の恋人に渡しておけ』だって」
緑の瞳がティファニーを話すように促している。
「えっと、怒らないで聞いてくれる?」
「…わかった…約束する」
ティファニーは手紙出した事から、待ち伏せした事まで包み隠さず話した。
「無茶な事をしたな」
ラファエルは、はぁっと息を吐いた。
「怖くなかった?」
「滅茶苦茶怖かったよ、皆立派な方たちばっかりで膝がガクガクしてたもの」
「ごめん、不甲斐なくて」
「そんな事ない。でも…これで駄目ならもう…」
その言葉の先は言わずともラファエルも分かっている。
「せっかくティファニーが頑張って作ってくれた機会だ。必ず許可をもらおう」
「うん」
今や普通にこなせるようになった乗馬はラファエルと並走して話すことも出来る。
公園の奥まで入り、馬から降りて手紙を開いた。
内容はとてもシンプルで、ティファニーを晩餐に招待するという事であった。
「ラファエル…私、緊張してる…」
「え、もう?」
ラファエルが笑う。
「といいつつ、俺も緊張しそうだ…」
今度はティファニーも笑った。
ラファエルがティファニーの手を握る。
「絶対、大丈夫だ」
ティファニーは頷いた。
***
そうしていよいよ、ブロンテ家の晩餐の日。
エマが選んだドレスは、上品な淡いピンクのドレス。
「ティファニー様、行ってらっしゃいませ」
エマは気合を込めて言った。
「いってきます」
馬車に揺られて緊張を抑えようとしていると、あっという間にブロンテ邸に着いた。
「いらっしゃいティファニー」
にこやかにリリアナが出迎える。
「ようこそ」
ブロンテ伯爵が形ばかりの笑みと挨拶を口にする。
「ティファニー、いらっしゃい」
ラファエルが微笑んで出迎えてくれ、エスコートしてくれる。
これまでルナの招待では訪問したものの、こうして正式な晩餐は初めてである。
リリアナの態度が友好的なのが救いである。
ラファエルの隣にティファニーが座り晩餐が始まる。
ティファニーの皿はどうやらラファエルが言ってくれたのか、とても少量に盛り付けてくれてある。
気づいたティファニーはそっとラファエルにありがとうと告げた。
「それにしてもティファニー、一年前よね初めて会ったのは」
「はい、レディ リリアナ。その節は申し訳ありませんでした」
ティファニーは恥ずかしくうつむいた。
かつて、リリアナがアークウェイン邸にラファエル達と来たときに、初めて会ったがその時は反抗期真っ盛りで、だんまりを決め込んでいた。
「良いのよ、その時よりとても綺麗になったわ」
「皆さまのお陰です」
ティファニーはそう答えた。
晩餐は和やかに進むが、ブロンテ伯爵とティファニーは言葉を交わしてはいない。
リリアナと、ティファニーとラファエルが喋るばかりである。
最後のデザートが終わり、
「父上、会って分かる通り、ティファニーは別に病弱でもない健康な子だよ」
ラファエルが口火を切った。
「今そうだからと言って、彼女の親が揃って短命だという事実は替えようがないだろう」
「閣下、確かに私の両親はすでに亡くなっています。でもだからと言って私も早く死ぬと分かるんですか?」
「可能性の問題だ。君を貶すつもりはない。ただ親としてはより安心出来る相手と結婚して欲しい。それが本音だ」
「アルマン、失礼だわ」
リリアナがブロンテ伯爵にいう。
「では、閣下は私がいつ死ぬか分かりますか?閣下ご自身はどうでしょうか?」
「だから、可能性の話だと言っている」
「閣下がご心配されているのは、後継者が得られるかどうか、ですか?」
「端的に言えばそうだ。それも、この家に相応しい…」
「誰と結婚しようと、そんな事は予測不可能だ、現にこの相手だと決めた政略結婚で上手くいっていない事もあるだろう」
ラファエルが落ち着いて言う。
「そうだな」
「だったら…」
「私が、反対するのは…もっと、別な問題があるんだ」
ブロンテ伯爵はラファエルの言葉を遮った。
「この話をするか…私自身、とても迷いがある」
ティファニーは居ずまいを正した。
「閣下…どうぞご遠慮なく…」
「…だから、会う前に諦めてほしかったのだがな…」
「はっきりとおっしゃってください。うやむやにされるより、言ってくださる方を望みます」
ブロンテ伯爵は、両手を組んでテーブルに置いた。そして、ひたと視線をティファニーに向ける。
「君は、去年の夏にアークウェイン邸にいる時に、夜にしょっ中抜け出していたりそして、一晩家出をした事があったな?」
「それは…」
「抜け出していた先は知っている」
「はい…」
「私が問題だと思っているのは、家出の方だ、君が誰か男性の馬車に乗って行ったらしい、という証言もあった…。私は、息子にはそういう瑕疵の疑いのある女性とは一緒になって欲しくない」
ブロンテ伯爵がその事を知っていたなんて…ティファニーは息を飲んだ。
「その時の事を偽りなく、ラファエルの前で言えるのか?」
「言わなくていい。俺が言うから」
反応したのは、ラファエルの方が早かった。ラファエルは歩いて、ブロンテ伯爵の前に立った。
「その日、馬車に乗せたのも、夜を過ごしたのも俺だ」
ラファエルは一言一句はっきりとブロンテ伯爵に向かって言った。
「なんだと!!」
「言わなかったのは、ティファニーがその責任をとってという形で一緒になるというのは嫌がったからだ」
「その事は一年も前だろう、これまで放っておくなどお前は一体どういうつもりだ!」
「それは…ティファニーがまだ、デビューもしてなかったからで、せめてデビューしてからの方がいいと考えて」
「もういい!」
ブロンテ伯爵は叫ぶなりラファエルの腹部に拳を繰り出した。
呻き声を上げるラファエルにティファニーは駆け寄った。
「閣下!ラファエルは…悪くありません」
「や、いいよティファニー。殴られて当然だから」
「ラファエルのいう通り男が悪い!」
「顔はだめよ」
リリアナがおっとりと言うなり、もう一発拳が入る。
「亡きバクスター子爵の分だ!」
「ティファニー、ラファエルはこれくらいなんでもないから心配しないで」
そっとリリアナがティファニーを抱き寄せた。
「もうこれはむしろこちらから申し込むべきしょう?」
「…知らなかったとはいえ、失礼をしてしまった。申し訳ない」
「いえ、良いんです…」
ブロンテ伯爵に頭を下げられて、ティファニーは居心地がとても悪くなる。
「ごめん、話していたらこんなに不安にさせる事なかったのに」
ラファエルも謝ってくる。
「いいえ、本当に謝らないで」
「とりあえず…お茶にしましょうね」
リリアナが言い、
「ごめんなさいね、息子と夫が本当に申し訳ないわ」
「レディ リリアナ、本当にやめて下さい」
「最短で夏の終わりまでにはお式が出来るかしら?」
「え…」
「ちょうど、ルナの式の前にしちゃえば兄弟順で良いわね」
「忙しくなるが、大丈夫なのか?」
ブロンテ伯爵が言う
「任せて、もう5人目の準備だもの。それに、今度は迎える側だから嬉しいじゃないの」
にっこりと笑う。
つまり…お許しが出た、という事か。
ティファニーは思わずラファエルに掴まった。
はぁ〜と安堵の息を出す。
「良かった…」
「うちは、もう娘達皆、結婚しちゃうから、本当に嬉しいわ。よろしくね、ティファニー」
「はい、宜しくお願いします」
リリアナはにこやかにいいながらお茶を淹れる。
「私ねレオノーラに、貴女の事をうちの娘として預かるって言ってたの。それがこんな風に実現するなんてね」
「そうだったのですか…?」
リリアナは機嫌よく話し始める。
この家の人はパワーがとてもある。
「明日、子爵夫人に挨拶に行こう。ラファエル、いいな?」
ブロンテ伯爵が言い、ラファエルは笑みを浮かべて言った。
「もちろん、お願いします」
本当に対して殴られたダメージは無さそうである。
翌日、ラファエルはブロンテ伯爵とリリアナと共にバクスター邸にやってきて正式に婚約をする事のなったのだ。