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11、恋の妙薬

「ティファニー様おはようございます!」

エマがいつものように、ティファニーの部屋のカーテンを開けて、朝の支度を始めようとしている。


いつもならぼんやりしつつも起き上がるティファニーだが、この日はシーツにくるまったまま、起きる気配がない。


主人に対しては相応しからぬ行動だが、そっとシーツをめくってみる。

「ティファニー様、失礼致します」


薄い茶色の髪が、白いリネンに広がって細い華奢な背中が丸まっている。

「具合が悪いの」

掠れた声がエマに届く。

「まぁ!それは大変ですわ、お熱でしょうか…」

そっと触れてみるが熱は無さそうだ。

「寝ていれば治ると思うからそっとしておいて」

微かな声で言うなり、シーツを頭からかぶってしまう。


エマはそのまま若い主を刺激しないようにそっと出ていった。


「ティファニー?どこが具合が悪いの?」

クロエが朝食を摂ってからティファニーの事を聞き、珍しく部屋を訪ねてきた。

「ティファニー?」

返事のないのを気にしてクロエはベッドに近づく。

「…答えたくないのね…」

ふぅと息を吐くと、


「ラファエル卿が来たそうだけれど、具合が悪いからと今朝はお断りしたそうよ。少し具合が良くなったらお手紙でも差し上げたら?」


クロエはそう言うと、部屋を出ていった。


何日かに一度は習慣となっていた朝の乗馬に誘いに来たようだった。けれど、ティファニーは今はとても会う気にはなれない…。


「ティファニー様、少しでもお召し上がりになりませんと治るものも治りませんから」

エマが温かいスープをベッド横に運んできた。


「食欲がないの」

「一口でもお召し上がりになりませんと、皆心配しております。さぁ、起き上がって下さい」

しぶしぶ起き上がって、スプーンを手にする。


エマが少しホッとした顔をしている。

心配をかけてしまっている…。でも、とても今はいつものように過ごせる気がしない。


「残してごめんなさい、そう伝えておいて」

美味しくなかった訳じゃない。


ティファニーはそのまま何日も過ごしていた。クロエがその間に医師を呼んだが、当然ながらはっきりとした診断は下せず、滋養の薬湯を処方したのだった。


「ティファニー様、ジョルダン卿がお越しですがどういたしますか?」

「ジョルダンが…」

ジョルダンと会うのは、あの舞踏会以来だった。

「お会いするわ…支度をお願い」

エマがてきぱきとドレスを着せていく。もともとの繊細な容姿に加えて青白い肌が病的にみせていた。


「こんにちはジョルダン」

応接室にいたジョルダンにティファニーは声をかけた。

「久しぶりだね、ティファニー。…元気…ではなさそうだね」

「具合が良くないだけ、病気なわけではないの」


「いや…君は今、病気なんだよ…原因は彼、かな?」

部屋の外に控えている使用人を気にしてか、そっと小さな声だった。ティファニーの体がピクリと揺れる。

「…わかるよティファニー。私には、ね」

「ジョルダンはわかるのね」

「がんばれ、と言った事を後悔してるよ。今は頑張らなくていい、壊れてしまうよ?自分で自分を追いつめてはいけない」

「弱すぎて嫌い…壊れてなくなればいい」

「何も考えるんじゃない」

ジョルダンだって、むしろ彼のほうが辛かったはずだ。


「明日、また来るよ。今日はもう疲れただろう?」

ジョルダンは立ち上がると、

「帰るよ、デューイ」

扉外に控えていたデューイに声をかけた。


そしてしばらく後にジョルダンからはお見舞いと、甘いお菓子が届いていた。


「…甘い…」

見た目も美しいチョコレート。口の中で溶ける感触が少しガサガサの気持ちをほんのりと慰める。

頑張らなくていいとジョルダンは言ったけれど、ティファニーは何も頑張ってなどいなかった。


いつまでもこうして駄々っ子のように引きこもっていられるわけでもない、ジョルダンもそしてラファエルもいつものように平静でいるのだと思うと、情けなさに泣けてくる。

わかっていたはずなのに。優しく、前のように構われていい気になって馬鹿みたいだ。


諦める事には慣れているじゃないか…幼い頃からずっと。みんなが当たり前に手に入る物が、ティファニーが手に入れていた事など無かった。


ジョルダンには同じ気持ちがわかるだろうか?


頬を涙が伝う。

お菓子の箱にはカードが入っていた。

《君を癒す薬を贈る》

その言葉が少し可笑しい。チョコレートがティファニーの薬になるなんて…。


チョコレートをもう一粒、食べる。

甘く滑らかに口の中で溶けていく。それと共に悲嘆にくれていた気持ちも溶けたら良いのに…。



翌日、再び訪ねてきたジョルダンはそっと聞いてきた。

「何があったのか、聞いても?」

「…ジョルダンに言いたくない訳じゃない…けれど、今はごめんなさい」

「仕方ないね…まぁ、いいよ」

「…ジョルダンは、あれから元気にしていたの?」

ジョルダンは笑みを浮かべると、

「これでも、仕事があるからね」

「そうよね…」

ジョルダンはじっとティファニーの方を見つめた。

「…ティファニーにその気がなくても外に出かけてみようか」

「え、でもまだそんな気分には…」

「なれなくてもって言ったよ?」

ジョルダンはデューイに目配せすると、

「エマに出掛ける準備を、と伝えて。ここで待ってるから」

「…わかった…」

ティファニーは立ち上がって、自室に戻る。


エマはティファニーに昼のドレスを着せる。


ジョルダンがティファニーを連れていった所は、街中だった。

「今は社交シーズンだからね、とても活気があるだろう?」

馬車から降りてジョルダンと連れだって歩く。

「何でも買っていいよ」

ジョルダンは、そう言うとティファニーが買い物をするのをついてきた。

ティファニーは活気ある街中を歩いて、ぶらぶらと歩いた。

引きこもっていたから、外はまぶしい。


だけどどこか心は虚ろで、欲しいものすら見つからなかった。

ジョルダンは仕方がない、とティファニーの為にまた綺麗なお菓子を買った。


「なぜお菓子なの?」

「甘いものはキライ?」

「…ううん…」

これまで食べる機会は無かった。

「甘いものは、生きていく上では必要ないかも知れないけれど、綺麗なお菓子は楽しい気持ちにさせたり、甘い味は心を慰めもする、と勝手に思ってるんだよ」

ふふっとジョルダンは笑いながら言った。

「特に、恋愛でつまづいている女の子には少しは効果があるかと」

「…そう、ね…」

食事は生きるために必要だけれど、お菓子は食べなくても死にはしない。だけどあれば嬉しい。

恋に似てる…。

「ありがとう、ジョルダン」


ラファエルといると、ドキドキしたりあれこれと考えて、浮き沈みする心も、ジョルダンとなら穏やかな気持ちでいられる。


お互いに想う人がいると知っているからか…同じように苦しい恋をしているからか…。


活気ある街に圧倒されたけれど、ティファニーが恋に苦しもうと、楽しもうと世の中は関係ないのだ。だれも気にしない、ティファニーの存在すら知らない。それだけの事…


「ティファニー、私の元に来ない?」

「え?」

「私なら、わかってあげられるよ?君の事を…それに、楽だと思ったでしょ?彼といるよりも」

「そんな事…出来ない」

「ゆっくり考えてみて?私は君が一番じゃないけれど、大切にするよ」

にっこりとジョルダンが微笑む。


穏やかな優しい空気。弱った時だから、うっかりとうなずいてしまいそうになる。


「冗談で言ったんじゃないよ?悪くないなと思ったんだ。ティファニーはとても、繊細で可憐で…守ってあげたくなる…そんな存在だからね」

「…考えて、みてもいいのかな…そんな風に…狡くない?」

「狡い?どっちが?」

くっとジョルダンが笑う。

ティファニーもつられて少し笑った。笑えたことに少し戸惑う。

こんな時でも笑えた事に…。

「私が…狡くなってしまう気がする…」


でも…まだそんな風に狡くはなれない。

「まだまだ少女なんだな、ティファニーは。そうだね、まだそんな風に狡い大人にならなくてもいい」

ジョルダンは微笑んだ。


「泣いても苦しんでも、いい時なんだな…」


「ジョルダンにも…そんな時があった?」

「…あったかも知れないな…」


帰宅したティファニーの自室には、綺麗な箱に入った宝石みたいなチョコレートと、カラフルなお菓子。


今日は、ようやく外に出れたのだ。

こうして少しずつ、辛かった気持ちも、好きな気持ちもいつかは想い出になる時が来るのかな、とティファニーはお菓子を一粒食べて考えた。


「にゃー」

甘えた声を出しながら、体を擦り寄せてくる。

「あ、これはソックスには食べられないの。ゴメンね」

「なー」

ペシッと尻尾で叩くと、そのままお気に入りのソファの上の読みかけのままだった本の上にのしっ寝そべる。


「ソックスがいる限り…思い出すに決まってる…」


また、潤んできて慌てて紅茶を飲んで見る。


「バカなティファニー」


なんで狡く、彼の責任感に乗らなかったのか…。本当にバカじゃないの?

好きなんだから…それでも構わなかったじゃないか…。



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