婚約破棄4 男爵令嬢
お待たせ致しました。男爵令嬢の回です。
「リリノア・フォルスターゼ! お前との婚約は破棄させてもらう!」
その宣言を耳にしながら、私はいったい何でこんなことに、と混乱の極致に陥っていたのでした。
わたしの名はアイナ・トレスンと申します。
トレスン家は男爵家とは言っても貴族の格としては下の下もいいとこですし、資産についてはちょっと裕福な平民レベル、なのではないでしょうか。
お友達も貴族の子女よりも近所の平民の子達の方が多いくらいです。
小さい頃から泥だらけになって走り回っても何とも言われませんでした。
自分で繕い可なスカートであればお転婆が過ぎて破いたとしても不問にされます。
……それって貴族とかより女の子としてどうか、の気もしなくはありませんが……。
基本お母様もお父様もその辺は大らかな人達なのです。
そんなお母様から幼い頃より口を酸っぱくして言いきかせられてきたのはただ一つ。
駄目な男にはひっかからないように注意する、ということだけでした。
小さな子供に何を言うんだと眉を顰める方もいるかもしれませんが、それほどにトレスン家の血筋の女は男運が悪くて仕方がない、とのことなのです。
いわゆる駄目男ホイホイなのです。
これでもかってくらいホイホイホイホイよってくるんだそうです。
何それ怖い。
まず母ですが、母はトレスン家の跡取り娘で父は入婿です。
父は人は良いのですが、騙されやすくて、なタイプの駄目な男なのです。
騙されて他人の借金押しつけられたり、騙されて変な物高額で買わされたり。
父を家に迎えてからトレスン家の資産は十分の一になったとのこと。
……マイナスにならなければよしとしましょう。
それでも二人が別れていないのは、父の人柄のその一点のみ。
本当に、いい人なんです、お父様。
後は、母の妹である叔母様。
嫁いだ旦那様が大の女好きであちらにも女性、こちらにも女性、そちらにも女性……。
別宅何軒作るつもりなんですか、という勢いで新しい女性と関係を持っていくそうなのです。
また、母の父である前トレスン男爵のお姉様は旅芸人に惹かれ、貴族の地位を捨て旅芸人の一座に加わってしまったとか。
後は暴力的な旦那様に嫁いだ方、嘘を並べ立てる為一体何が真実なのかわからないような男性の妻になった方、気が弱くてすぐこの世を儚み目を離すとうっかり本当に儚くなってしまいかねない生命力の弱い方の奥様になった方……。
あ、駄目男ホイホイとは多勢の駄目な男性が寄ってくるのではなくて、トレスン家の女性が婚姻する相手は致命的に駄目な何かがあって苦労することになる、というそれなのです。
もう、例外ないほど皆様方きっちりと。
何それ怖い。
それってもう何かの呪いなのではないでしょうか。
と、いうわけで幼い頃から散々それを言い聞かせられていたわたしは、きっと将来はほどほど健康で、ほどほど稼ぎが良く、ほどほど社会的地位を持っていて、ほどほど優しく、暴力は振るわない、正気を疑うほどの女遊びをしない、やたらと借金をこさえない、顔はついていれば別にいいですが、そんな平凡で安穏とした生活を送れそうな男性と結婚することを夢見ていたのです。
え、え、え、これ高望みではないですよね、ええと、……ね?
そんなわたしが第二王子殿下のガルス様と出会ったのは本当に些細なことがきっかけでした。
わたしは行儀見習いと結婚資金稼ぎを兼ねて王城に侍女として勤めていました。
え、貴族の子女が働くなんてあるか、ですか?
そりゃもちろんありますよ。
わたしの家男爵家で地位も低いですし、お金も父のおかげで本当にないですし。
他にもそんな子はたくさんいます。
まあ公爵令嬢のリリノア・フォルスターゼ様くらいになればまずあり得ませんが。
後、身分の高い方の傍に控えるのは、やはり貴族の席に身を置いている方がほとんどだと思いますし。
他にも女官という選択肢もあるのですが、わたしには無理でした。
頭が足りません。
……そんな悲しい現実は置いておきまして、ガルス様はわたしの何に興味を惹かれたのか、度々姿を現してはいくようになられました。
きっと生まれ育ちの違いがガルス様には新鮮でしたのでしょう。
わたしとお話されているその様子は、普段遠目でお見かけするお姿よりもだいぶ寛いでいらっしゃるようでした。
一方、わたしは緊張の連続でした。
万が一機嫌でも損ねてしまえば、しがない男爵令嬢でしかないわたしの首など、吹けば飛ぶような軽いものでしかありません。
しかしわたしにはお母様より教わった、万能スキルがあります。
その名は……、受け流し!
「そうですね」
「そうなんですか」
「はい」
「いいえ」
「大変ですね」
「おっしゃるとおりです」
……こんな感じのセリフをその状況にあわせて相槌と一緒に返せばまず気分を害する方はいない! はず。
しかし相槌だけでも本当にこちらの話を聞いてるのか、と思われかねません。
なのでわたしはごくたまに自分の失敗談を挟みながら、うまく受け流していた、と油断していたのですが……。
本日ばかりは侍女の仕事もお役御免と大舞踏会に参加し、煌びやかに着飾った方達を眺めては目を楽しませて頂き、華麗にダンスをされる方達を眺めては一緒に踊っているような気分にさせて頂き、豪華なご馳走にお腹を満たせて頂いておりました。
誰もそんな不躾なことを仰る方はいませんが、わたしのドレスはこの場には少々貧相すぎ、ダンスは酔っているの? と真剣に問われるレベルの為、目立たぬよう隅の方でひっそりとさせて頂いていたのです。
そんな中、息を切らせたガルス様がいきなり現れ、理由も告げられずいきなり手を引かれ場の中心へと連れていかれたかと思うと、どこの女神様が降臨なされたかと思うほどの眩い輝きを発していらっしゃるリリノア様へ突然の婚約破棄宣言。
意味がわからず混乱していると、何やらその理由というのがわたしに関係しているとのこと。
ええ! なぜわたしのドジがリリノア様のせいに!?
ブローチを失くしてしまったのも、新調したばかりのドレスを破いたのも、階段から落ちたのも全部自分のうっかりが原因なんですが!?
それを何でリリノア様のせいってことにしちゃってるんですか!?
わたしは、ガルス様がリリノア様をわけのわからない罪で弾劾するのを目の前にしてはいても、実際には何も口を挟むこともできずに、「い――――――――――や――――――――――――!」と心のうちで叫びながらひたすらぶんぶんと首を横に振るしかできなかったのでした。
結果、リリノア様は完璧にガルス様の言を論破して下さり、何故かその後婚約破棄は受けたリリノア様がそのまま第一王子のアルフォンス殿下に求婚する事態にまでなり、よくわからないうちに舞踏会は終了となったのでした。
その後、求められたわけではありませんが、好奇な人目に耐えうる神経は持っていなかった為、侍女の職を辞し、男爵家に戻ったのです。
お母様はため息を吐かれただけで何も仰いませんでした。
ただ一言、「呪いがやはり……」との言葉以外は。
いややめてそれ怖い。
お父様は優しく労わって下さいました。人が、いいので。
わたし自身どうしてこんなことになったのか、さっぱりわかりませんでしたが、過ぎたことは仕方ありません。
しばらくは、大人しく内職でもして過ごしましょうと思ったのでした。
思っていたのですが、どうしてこうなったのでしょう。
わたしの前には花束を持ったガルス様。
ある朝部屋に飾る花を庭に摘みに出た所、ガルス様が門前に立っていたのです。
え、いつから立っていたのですか。
怖。
というか王子様がこんな市井に近い場所に建ってる貴族とは名ばかりの家に、お供の方もつけずにいらっしゃってもいいものなのですか。
混乱するわたしに、ガルス様は持っていた花束を差し出しました。
「アイナ、今回は大変な迷惑をかけた。まずはこれを受け取ってはくれないか」
え。
あ、もしかして直々にお詫びに来てくれたということですか。
そんな迷わ……、お気にされなくてもかまわないですのに。
そもそも今回の騒動で一番損害を受けたのって、自業自得とはいえガルス様自身ですし。
噂ではリリノア様と婚約破棄をされた結果、次期王位の座から降ろされることになったということですし。
しかし、せっかく謝罪に来てくださったのに、無下に扱うのも申し訳ありません。
「あ、ありがとうございます……」
お礼を口にしつつ、差し出された花束を受けと……、あの、手を放してくれないと受け取れないのですが……。
困惑しつつガルス様を見ると、ガルス様はしっかりと花束をつかんだままわたしを見ています。
な、何でしょうか……。
「アイナ・トレスン」
「は、はい」
「どうか、この俺と結婚して欲しい」
「は、は……?」
「君を、愛している。どうか、この気持ちを受け入れて欲しい」
「は………………?」
「すまない。突然のことで驚かせたと思う。しかし俺はどうしても諦めたくない。今日はこれで失礼するが、俺との今後のことを真剣に考えて欲しい」
ガルス様はそう仰られると花束から手を放し、さっと踵を反してさっと去っていかれました。
残されたわたしはというと…………。
「へ…………………………………………?」
しばらく花束を抱えたまま、硬直していたのでした。
ガルス様が駄目男かはさておき、わたしの平凡な相手と平凡な結婚をする夢は……。
「だ、駄目男ホイホイの呪い、恐るべき…………」
わたしはこの先確実に訪れるであろう困難な道行きに眩暈がしつつも、そう呟くことしかできないのでした。
あと一話、後日談の回をおまけで追加します。今しばらくお待ち下さい。