婚約破棄3 第二王子
第三話は第二王子です。
「リリノア・フォルスターゼ! お前との婚約は破棄させてもらう!」
そう宣言した時は、これまでにないほど心が軽く、爽快な気分であったのに……。
俺はぼんやりと謹慎を命じられた自室の寝台に腰をかけたまま、どうしてこうなってしまったのかを考えていた。
王である父からは事が落ち着くまではここに籠っているように指示された。
リリノアとの婚約が破棄された今となっては俺を次期王の座につけるわけにはいかないと。
リリノアが兄上を望んだからには、その座は兄上のものなのだと。
母上からは何も言葉はなかったが、その瞳には明らかな失望の色があった。
すべては、俺が発した婚約破棄から始まった。
あの舞踏会の場、俺の断罪を受けたリリノアは彼女らしい理路整然とした抗弁で俺を論破した。
そう諭されれば、そもそもどうしてリリノアがしたのだと思い込んだのかが不思議なほどに。
あの男爵令嬢、アイナがそう言ったのか?
いいや、彼女はリリノアがしたのだとは一言だって言わなかった。
俺が、そう思いたかったのだ。
そうであってほしいと、俺が、そう願ったから――――――――。
俺は、正妃である母上の息子としてこの国の第二王子として生を受けた。
二歳年長の第一王子のアルフォンス兄上は身分の低い側妃の息子だった為、次代の王はほぼ俺にというのが暗黙の了解であった。
そんな中未来の王妃、俺の婚約者として現れたのが、公爵令嬢リリノア・フォルスターゼであった。
初めてあった彼女は凛として高位貴族の令嬢に申し分のない気品と美しさを持ち合わせていた。
俺は彼女が婚約者になったことを嬉しく思った。
その後、リリノアは王族としての礼節や政務を覚える為、定期的に城へ通うことになった。
そしてすぐにわかった。
その立ち居振る舞いも、勉学も、社交技術も、政治経済もすべて俺よりリリノアの方が上だと。
婚約者の方がすべて俺よりも優れている。
正直、恥ずかしかった。
そしてそんな思いから、顔をあわせた時につい、「よかったな。俺と結婚できるおかげで、お前はこの国王妃だ。せいぜい俺に感謝するんだな」と口にしてしまった。
負け惜しみのような俺の言葉に、リリノアは何も反応しなかった。
それがかえって見下げられているように感じ、俺は腹が立った。
俺には相手にするほどの価値もないのだと、暗に言われているような気になったからだ。
それからの俺とリリノアの関係は表面上だけの冷たいものとなった。
俺とリリノアのそんな関係はそのままに時は過ぎ、俺は男爵令嬢アイナ・トレスンに出会ったのだ。
アイナは少しドジでそそっかしい少女だった。
初めての出会いも、すれ違った時によろけて俺にぶつかってきたことがきっかけだった。
容姿もキツイ感じのする美女のリリノアと異なり、小動物的な可愛らしさで好ましかった。
完璧過ぎるほど完璧なリリノアを見慣れていた俺は、逆にそんなアイナに親しみを感じた。
その親しみが恋情に変わるのには、そう時間はかからなかった。
「大切なブローチを失くしてしまって」
そうアイナから聞いた時には、誰に盗まれたのか、と憤慨した。
確かアイナはその言葉の後「わたしよくうっかり物失くしちゃうんです」と言っていたのに。
「せっかく新調したばかりのドレスも破けてしまって」
そう聞いた時には、誰の仕業なのか、と憤慨した。
アイナはその言葉の後、「子供の頃からよくやらかすので繕いはすっかり上手になりましたけど」と言っていたのに。
「先日階段から落ちかけてしまって」
そう聞いた時には、誰に落とされたのか、と憤慨した。
アイナはその言葉の後、「でも私昔からよく転んだり滑ったりで怪我するんですけど丈夫なので大怪我はしたことないんですよね」と言っていたのに。
アイナは一言も言っていない。
誰かにそうされた、とは。
ましてやリリノアに、などとは。
俺が、そう思いたかった。
リリノアがやったのだと思いたかったのだ。
そうであれば、俺に非がなくリリノアとの婚約を破棄できると思ったから。
リリノアとの婚約を破棄さえできれば、アイナにこの想いを打ち明けることができると、そう願ってしまったから……。
その結果がこれか。
心配していたアイナは、俺の暴挙に巻き込まれただけだと兄上やリリノアが主張し無罪放免になっているとは教えてもらえた。
そして俺は、こうして謹慎させられている。
次期王の座を失ったことだけはわかっているが、今後どういう扱いになるかまではわからない。
俺はふっと自嘲気味にため息をついた。
その時、突然扉がバンッと開いた。
驚いて顔を上げると、そこにはアルフォンス兄上が立っていた。
「やほー、ガルス。気持ちはわかるけどそんな暗い顔してご飯も食べてないんだって? 駄目だよ、しっかり食べないと。お兄ちゃんが持ってきてあげたからね。一緒に食べよ?」
地味顔で口調も王子らしからぬ兄上は、そう言って俺にサンドイッチを乗せた皿と水差しを差し出してみせた。
「……いらない」
「まーまーそー言わずに。おなかへってるとロクな考え出てこないし余計に気落ちしちゃうから」
断っているのにも関わらず、兄上は俺の隣に腰をかけると口元にサンドイッチを差し出してきた。
仕方ないのでむくれたままそれを口に入れると、兄上は満足そうにうんうんと頷いた。
「……兄上はこんなことしてる時間などないのではないですか」
「えー? 落ち込んでる弟を励ますことより先にしなきゃいけないことなんてないと思うけどなー」
「……次期王位継承の準備とか。リリノアとの婚約とか」
呑気にそう返す兄上に、俺がそう問うと、兄上は腕を組んで首を傾げた。
「って言っても父上はまだまだご健在だし、婚約のことはリリノアが張り切って取り仕切ってるみたいだから特に僕がすることは……ってそのことで確認したかったんだった! ガルス!」
「……何ですか」
「王位の件はいいの? リリノアとの結婚も!」
ぐいっと詰め寄ってくる兄上に俺は逆にのけ反りながら答えた。
「いいも何も、もう決まったことでしょう」
「や、ガルスが望むなら僕が何とかするよ。頑張っちゃう。だから正直に答えてくれていいよ」
「……何でそこまで」
父上や母上にだってとっくに見限られているというのに。
「だって僕ガルスのお兄ちゃんだから!」
なのに……。
どうしてこの人はこう……。
思えば、この兄上は昔からそうだった。
普段は周りに同化しすぎていてどこにいるかわからなくなることも多々あったが、何かあれば必ず味方になってくれた。
またリリノアに対してもまた、同様に。
リリノアが兄上に対し、想いを寄せた理由がわかる気がする。
自分を肯定し、すべてを受け入れてくれ、守ろうとしてくれる人。
そんな存在がそばにいてくれることの心強さ。
完璧だと評されるリリノアでも、心もとなく感じることもあったのだろうか。
俺が劣等感に苛まれる原因となった、あのパーフェスト・リリノアでさえも。
そう、思えることがリリノアと出会った当初にできたのなら、何かが変わっていたのだろうか……。
しかし……。
「王位のことは、もうどうでもいいのです。リリノアのことは、兄上にお任せ致します」
リリノアに張り合う意味以外で本当に王の座に固執したことはなかったと思う。
なるのが当然だと思っていたこともあるが……。
自分でも不思議なほど、もうそれにこだわりはなかった。
「そっか」
兄上は笑顔を浮かべて頷いた。
「じゃ、後はガルスが幸せになる道を探すだけだね」
そう言って、俺の頭をぽんぽんと撫でてくれた。
不意に、涙が出そうになった。
そうだ。
この謹慎が解けたら今度こそ周囲に対し真摯に接しよう。
リリノアにも謝罪し、わかりあえる努力をしよう。
また許されるならこの優しい兄の助けとなる道を探そう。
そして。
脳裏に浮かぶ、明るい笑顔の少女。
幸せになってもかまわないというのなら。
アイナに迷惑をかけたことを謝り、この想いを告げることをどうか…………。
許して欲しい。
次回は男爵令嬢です。今しばらくお待ちください。