表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/13

第八話 Kiss tempts you.

前話あらすじ

 突然現れた宝塚記念の勝者が、二人のわだかまりを吹き飛ばす。

「曖昧な関係を楽しんでみろよ」

 そう言い残し友人、弓削匠は去っていった。

 勝者の部屋に残された敗者二人は、そして再び対面する。


 自分達の、自分達だけの関係を見つけるために。

 まずはキスから。


 勝者が残した『曖昧な関係を楽しんでみろよ』という言葉。


「なぁ藤田」

 それを実行に移すべく伸一はまず一歩、瑞希の望みに歩み寄った。

「男とか女とか抜きにして、藤田瑞希って人はかけがえのない存在やと思ってる」

 そして瑞希も、伸一の葛藤へ歩み寄る。

「せやから」

「安心しなさい。私、長谷川の前でもう”女”しないから」

 少し驚いた伸一に向けて、瑞希が寂しそうに笑った。

 けれど歩み寄ったはずの瑞希を予想外の一言が待ち受けていた。

「いや。俺、藤田の女の部分、嫌いやないかもしれへん」

 そしてその一言が瑞希の鼓動を一気に速める。

 けれど目の前の男が望む自分はきっとこうだから、と瑞希は平然を装い聞いた。

「それって胸?」

「あ、ああアホか!」

 予想通りのリアクションに、二ヶ月間恋焦がれたその反応に、瑞希の心が満たされていく。

 一方の伸一もまた二ヶ月前の藤田瑞希が帰ってきたように感じて、頭の中がすっきりしていくのを感じ取った。

 そしてすっきりし過ぎて……つい漏らしてしまうのだ。

「……まぁせやけど、否定はせえへんわ……身体が覚えとるもん」

 徐々に過激さを増す伸一の言葉に動悸が上がりっぱなしの瑞希。

 そして上がる動機とは裏腹に、言葉はどんどんと挑発的なものになる。

「長谷川も随分『えろい』男になったわね」

 自分でも動悸の理由が分からないまま、けれど瑞希は今までの自分を取り戻し始めていた。

「お前のせいやっちゅーねん」

 懐かしい自分、そして懐かしい彼。

 瑞希はそれに形容しがたい愛しさを感じていた。

 そんな瑞希へ伸一は確実に歩み寄っていた。

「せやけどまぁ、服選んだり顔真っ赤にしとる藤田っちゅーのも、可愛いとこあるねんなぁて思たで?」

 自分の中にまだ残っている女性としての藤田瑞希。

 それを認識し始めた伸一に驚かされ、

「な、なな何言うのよいきなり!」

 やっぱり素直になれない瑞希。


 しばし無言を挟み、何度目か分からない苦笑の交換。


 伸一は大きく息を吐いた後、瑞希に言った。

「なぁ藤田。春の天皇賞んとき、結局俺って二千二百円しか払ろてへんやろ?」

 首を傾げながら瑞希は伸一に聞き返す。

「それがどうしたの?」

「なんか、しっくりこーへんねん」

 もしかしたらこれは、素直になれない瑞希に与えられた伸一からのチャンスだったのかもしれない。

「何か欲しいもんない? 今なら買ったるで。あ、ドレスは無理やけど」

 今なら欲しい物が貰えるかもしれない。

 ドレスじゃなく、あの時あえて避けたから唯一触れる事の無かったそれが、それに。

「だったら……」

 けれど肝心の一言が頭を過ぎった瞬間、瑞希の体温は一気に上昇してしまい、口に出すのを躊躇わせてしまった。


 チャンスを与えた伸一だって無策ではない。

 ある程度のことは予測していたし、そして覚悟もしていた。

 だから瑞希が求める過激な要求など笑って受け入れるつもりだった。。

 むしろここで抱けと言われても反論しない、それだけの覚悟を持っていたつもりだった。

「キスが欲しい」

 だが身体まで許した藤田瑞希が、まさかキス程度の要求に止まるなど予想もしていなかった。

 それ以上にキス一つで瑞希が赤くなるなど、伸一は思ってもみなかった。

 顔を真っ赤に染めて俯く瑞希に驚かされ、そしてそれがたまらなく可愛く見えて、

「ええよ」

 伸一は躊躇いもなく答えた。


 伸一の返事を聞き両手で音を立てるほど強く両手でテーブルを叩いた瑞希は、相変わらず真っ赤な顔。

 叩いた反動でも利用するかのように瑞希が膝立ちになり、真向かいにいる伸一を上目遣いに見る。

 けれど赤い顔は相変わらず俯いたまま。

 その顔がテーブルの向かい側からゆっくりと、伸一へ近づく。

 それを出迎えるように、彼女より幾分余裕を見せながら、伸一は顔を近づけた。


 そして唇が触れる。


 と同時に離れる。


 触れたかどうかも分からないような、瞬間的なキス。


 ――うっわ! やっば、何これ……麻薬やん

 けれどあの五時間で唯一しなかったキスが、まず伸一を魅了した。

 時間にして一秒もないだろう軽く触れた唇の感触が、伸一の頭の中で時間に比例するように広がっていく。

 伸一の理性がこれ以上は危険だと警告する。

 けれど身体は勝手に二度目に向かってしまう。


 そして今度は伸一から、瑞希が驚くほど強引に、二度目の接触。

 再び重なった唇から、葛藤の中に混じる伸一の欲望が伝わってきたようで、

 ――欲しかった物が何か、分かったような気がする……

 ごく近くの距離で合った伸一の目の奥に見える動揺が、瑞希の心を突き動かす。

 一度目より長い二度目。

 どちらかが折れなければ永遠とも思えるほどの二度目。


 伸一は無理やり身体を反らして口を離し、至近距離で目を虚ろにする瑞希に言った。

「ちょ! ちょっと離れへん? な? これ危ないわ」

 だが焦る伸一に、既に魅了されきった瑞希の慈悲なんてない。

「ダメ」

 伸一の後頭部に両手を回し固定する瑞希。

 支えを失った瑞希が今度は伸一を支えにし、伸一の身体を強引に自分へと寄せる。

 そして瑞希の両手で固定され逃げ場を失った伸一の口に、彼女のそれが勢いをつけて近づいていく。

「ふ、ふじ」

 伸一が”た”まで言い切らないうちに三度目が訪れる。


 歯のぶつかる鈍い衝撃が二人の脳を軽く揺さぶり、そして最後の理性を奪った。

 三度目のそれは気が遠くなるほど長く、蕩けるほど濃く、どちらがどちらの舌なのか分からなくなるほど深かった。



 そしてもう止まらない二人。


 二ヶ月前のそれとは比べ物にならない快楽に、二人は我を忘れ酔いしれる。

 更に先を求める身体が二人を加速させ、更に強く求める心が時間を忘れさせた。


    * * *


 いつの間にか日が落ち、すっかり暗くなった部屋。

 二人の服が無造作に散らばり、テーブルはいつそうしたのか部屋の隅に押し込まれている。

「んで、これどうすんねん……」

 ベッドにもたれながら、何時ぞやのように瑞希を背中から抱きしめる伸一は、後悔していた。

 けれどこの後悔は二ヶ月前と明らかに違う。

「謝ったら許してくれる……かしら」

 ベッドから剥ぎ取ったシーツに背中の伸一ごと包まり部屋を見渡す瑞希も、後悔している。

 制御できない、やってしまった。そんな後悔。

 確認しておくがこの部屋の主は伸一でも瑞希でもない。

 本来の部屋主である弓削匠は、話し合いの場を設けてくれただけだ。

 情交の場を提供してくれたわけでは、断じてない。


 手探りで携帯電話を見つけ、時刻を確認すれば既に午後九時を大きく過ぎている。

「どないしよ……」

「片付けだけでも……するわよ」

 先に立ち上がった瑞希の後ろ姿が伸一の目に飛び込んでくる。

「うおっ! みみみ瑞希、服着ろ!」

「あれだけ触っておいて今更何言うのよ」

 気にすらしない瑞希の顔には、少しずつ悪魔の微笑が浮かび上がっていた。

「あかんねんって。お前かてこのまま延々と人の部屋でいかがわしい事し続けとうないやろ?」

 あれほど頑なに自身の女性を拒んできた伸一が、今、瑞希の後ろ姿に欲情している。

 瑞希にはその事実がただただ嬉しかった。

 そしてその喜びは、伸一をからかい遊んでいたときのそれと全く一緒だった。

 だから結局言ってしまうのだ。

「場所を変更しての続行、と捉えていいわけね?」

 いつもの口調で。

「いや……それもどないやろ」

 からかわれた伸一の答えまでがいつものそれだから、瑞希は心身ともに満たされていくのがわ分かる。

「いいわ、いつでも出来るものね。弓削くんに怒られないうちに片付けましょ」


 これからを沢山貰った、だから今は伸一に譲ってあげよう、今この瞬間だけは。

 瑞希はそう思い、いつぞやの黒い下着を拾いはじめた。

 けれど彼女が頭の中に思い描いた”今”は、ものの一分足らずだったのだ。

 いや、その原因は彼女ではなく彼なのだが。


 下着を身に着けた瑞希と違い、一向に立ち上がる気配のない伸一へ彼女は問いかける。

「どうしたのよ伸一」

「いや、未だに信じられへんなぁと……」

「貴方、まだそんなこと言ってるわけ?」

「ちゃうって。俺が俺を信じられへんだけ。俺、こんなに性欲強かったんやなぁって」

 そしてあの夜二人が感じた後悔以外の何か、その正体にようやく辿りついた。

「分かったわ。俺、もっと欲しいって思ったんやな……」

 友人関係から切り離された身体の関係は満たされなくて、それと共存する身体の交わりは更にその先を求めていた自分に、伸一は狼狽していたのだった。

「私は求められたがってた」

 割り切った体の交わりに充足感など無かったのに、快楽を伴わなかった曖昧な交わりに酷く満たされたあの夜の瑞希もまた、同じように違和感が何だったのか気付いた。


「ほな、今のこれって……何の不都合もあらへんやん」

 そして伸一が漏らした一言を聞いた瑞希は、理性や慈悲という言葉を失った。

「ところで伸一は気付いてる?」

「なんに?」

「前回の二回と今回の四回、合計六回。あと前回に中途半端が二度ほどあったわよね」

 手に入れたかったそれを、瑞希はようやく手に入れたから。

 自分の一言に毎回真面目な答えをくれて毎回焦って慌てる伸一が、瑞希にはとてもおかしく見えて、

「その間、一度もしてないんだけど」

「なにをや?」

 藤田瑞希は目一杯遊ぶのだと決めたのだ。


「避妊」


 誰でもない長谷川伸一で。

「お、おお、おおお前! そそそういうことは、もっとはよぉ言うとかんと!」

 目の前で焦り慌てふためく平凡な男が、どうしようもなく好きだから、

「大丈夫よ。安心しなさい」

「あ、焦るわ……なんちゅーことを言うてくれんねん。心臓止まるかと思たで」

「ちゃんと責任とってもらうから」

 もう二度と離さないと瑞希は心に決めた。



 ただ、やっぱりちょっと不安だった。

「もし、出来たら、どうする?」

 でも彼はやっぱり長谷川伸一。

「うーん、せやなぁ……せや、あのウエディングドレス、買ったるわ」

 その一言に瑞希の顔が真っ赤に染まる。

 身体までもがあっという間に赤く色づく。

「せやけど、もっとええもん買ってやらんと、怒られそうやなぁ……」

 殊勝な言葉の裏には明らかな揶揄が混じっていることは言うまでもない。

 それらしい言葉で彼女が動揺し、照れ、赤くなっていく事に彼はようやく気付いたのだ。

 けれどそんな女性らしい瑞希を、伸一は心底可愛らしいと思った。

 白い肌を薄っすら赤く染める、黒い下着を身に着けた女性。

 藤田瑞希。

 瑞希という女性を受け入れはじめている自分に気付き、彼もまた満たされたことを知った。


 そして立場の入れ替わった二人は、再び時間を忘れる。

「どっちも誘惑されとったんやで。んで、どっちもしとったんやな」

 テーブルの上に置いてあるだろう三枚の馬券の内、同じ記載がなされている二枚を頭に思い浮かべながら瑞希は言う。

「今日は二人とも灰色の競走馬にメロメロだったもの。似てるのよ私達」

 モノトーンで統一された女性らしくない部屋にあった、あの灰色のぬいぐるみ。

 やっぱり彼女は自分の思い悩む姿を見ていたのではないだろうか。

「真に恐るべしはテンプテーションやで……」

 伸一はそれを思い出し、溜息と共に搾り出した。

 そんな二ヶ月ぶりに交わす一言一言が嬉しくて楽しくて。

 交わり絡まりながら、互いが互いに浸っていく。

 時間も場所も忘れて。


 そんな二人に現状を教えてくれたのは、時計ではなく、玄関から聞こえるチャイム。

 恐らくおかんむりであろう部屋主の帰還で、二人はようやく我に返るのだった。


    * * *


 自宅のチャイムを鳴らす。

 そんな奇妙な感覚に若干戸惑いながら、彼は見慣れたようで見慣れないボタンを押した。

 中であれやこれやと騒ぎ声が聞こえ、何かがひっくり返るような音が響く。

 ほどなくして扉が開き、平凡で繊細な友人が顔を覗かせた。

 汗だくで。服はヨレヨレだ。


「五時間ってお前らどれだけ”話”してたんだよ……もう十時だぜ?」

 後ろであたふたしながら上着の裾を弄る女性にも聞こえるだろう声の大きさで、彼は友人に問いかけた。

「え、あ、いや。こういう話はやな、長ぉなるねんって」

 目を合わせようとしない友人は、言葉に詰まりながら試みる反論は、いつも通りのそれだった。

 それが滑稽に思えて、彼は口元を歪ませながら意地の悪い質問を投げかける。

「で、伸一。俺は我が家に足を踏み入れて良いのか?」

 ようやく目が合った友人は、不思議そうな顔をしながら彼に聞き返してきた。

「なんやねん、ここ、お前んちやで?」

 目の前の『キャンパスで噂の妖艶女子学生を彼女的な位置に納めたであろう』友人は、全く気付いていない。

 しかし、その後ろにいる『平凡な彼の恋人的な位置に納まったであろう』女性は明らかな動揺を示し始めていた。

 匠の推測は確証に変わる。

「本当に良いんだな? 後悔しないな?」

 念を押す彼に二人の対照的な返事。

「せやから、ええって。なぁ?」

「ダメよ! 絶対ダメよ!」

 それが予想通りだったから、彼は笑いながら素直にタネを明かした。

「なぁ伸一、この部屋、”乱れた残り香”が漂ってるんだろ?」

 そして玄関先が凍りつく。

 あっという間に二人とも口を閉ざす。

「おっおおお、お前っ! なな何で知っとるねん!」

「馬鹿っ! 貴方、自分で暴露してどうするのよ!」

 つい六時間前までは目も合わせなかった二人がいつもの彼らに戻っている。

 そんな事実が彼を心から安心させた。

 だから彼も普段のそれを取り戻すのだ。

「で、藤田。俺の部屋の何を使った?」

「え……えっと、バスタオル二枚……ベッドシーツ。あと……これからシャワー使いたいんだけど」

 自分達の情交の事実を認めた女性の潔さに免じて彼は言う。

「もう少し時間潰した方が良さそうだな」

「ごめんなさい」

「タオルとシーツは洗って返してくれりゃ文句ねぇよ。気になるなら処分して新しいのくれりゃいい。クローゼットにタオルやらシーツがあるはずだから、足りなきゃそれ使ってくれ」

「すまん匠」


 ただしこれだけは譲らない。

「秋の天皇賞の罰ゲームは俺が決めていいよな?」

 上気させていた顔を真剣なそれに変える二人に、匠はポケットから二枚の紙を取り出し、彼らの眼前へと突きつけた。

「負けた奴が勝った奴に買ってやれ」

 それは五時間前、彼が伸一と瑞希に書かせた罰ゲームの紙。

 答えなんて出てる、と言ってポケットにしまいこんだそれには、本当に答えが書いてあった。

 ”今度こそドレス”

 ”ドレス姿を俺に見せろ、とーぜん自腹”

「お前ら、これ以上無く馬が合ってんだよ」

「……弓削くん。ありがとう」

「俺、今日は伸一の家で寝るわ。鍵くれよ」

「匠、すまん、感謝しとる」

 鍵を受け取った匠は、うな垂れる二人にしっかり釘を刺す。

 そもそも彼はシャワーを浴びたいと希望した瑞希に、タオルだけではなく予備のシーツの場所まで教えたのだ。

 この先の二人がどうなるのか、大方の検討はついている。

「俺の部屋をいかがわしいホテル代わりに使うのは、これっきりにしてくれよ?」

 勝者の悪戯な一言を聞き言葉を失った伸一の分まで、瑞希は精一杯否定した。

「今回限りよ!」

 大声で否定しつつも、”今回限り”という発言で”今回の情交”を完全に肯定した瑞希は、しかしそれに気付かない。

「おおお、お前アホか!」

 そして今度は伸一が気付き慌てて彼女の口を塞ぐ。

「ま、ほどほどにな」

 そんな相性の良い二人へ、背中越しに手を振りながら勝者は再び去っていった。


    * * *


 けれど勝者の諌めも虚しく、いや予想通り、彼らの宴は夜通し続き結局シャワーは都合三回使われた。

 使用されたタオル類とシーツはやはり報告の倍程度に増え、翌日昼に近くのコインランドリーで洗浄された。

 しかし藤田瑞希たっての願いで彼女監修の元、それら使用済みのタオル類やシーツは全て廃棄処分となる予定。

 いくら洗濯したからと言っても、”それ”に使ったものを他人の部屋に残す事に、酷く抵抗を覚えたらしい。

 そんな瑞希に伸一からデリカシーの欠片もない一言が飛ぶ。

「せやけど……どんな頑張ったかて、ここでやることやってもうたんやで?」

 伸一を突き飛ばして批難する瑞希の顔は、いつになく真っ赤で、それでいて少しばかり青ざめていた。


 そして翌日の夕方、本来の主へ部屋の返却と相成ったわけだが……。

 その際立ち会った瑞希が、「ま、待って!」と部屋主の腕を取り彼の進入を妨げる。

 部屋主を玄関に留め、何の躊躇いもなく匠の部屋に入った瑞希は、片っ端から窓を開けていった。

 十五分後、再び進入する匠をまたもや瑞希が妨げ、今度は部屋中に消臭芳香剤をこれでもかと振りかけていく。

 三度目は掃除機を掛けなおし、四度目は浴室を入念にチェックした瑞希。

 五度目にもう理由など存在していなかった、けれど彼女は抵抗に抵抗を重ねた。

 伸一に取り押さえられ妨害し切れなかった六回目、ついに瑞希は泣きながら折れた。

 結局一時間半に渡り六回の妨害行為に及んだ瑞希。

 その顔は終始、伸一が苦笑いし匠が呆れるほど赤かった。


 一日振りに帰ってきた部屋主を出迎えたのは、テーブルの上に捨て置かれたテンプテーションの馬券。

 宝塚記念の敗者二人が残した二枚の馬券だった。

 ――カトリーヌとテンプテーションの関係は、お前ら二人のそれなんだぜ?

 ヴェイユを失い実力を発揮出来なかったテンプテーションに、それぞれ単独で行動して気落ちしていたウマ馬鹿二人が重なる。

 ――そこまでは気付いてねぇんだろうな……面倒な奴らだぜ

 むせ返るような消臭芳香剤の臭いに包まれながら、勝者は馬券をゴミ箱へ破り捨てた。

 けれど彼は気付かなかった。

 自身の的中馬券がテーブルから消え去っていた事に。



 後日、弓削匠宅にとある物が届く。

 ハネダクラウン号とテンプテーション号、二頭の手のひらサイズのぬいぐるみ。

 宝塚記念の的中馬券は恐らく彼自身のものだろう。

 便箋三枚に渡る宝塚記念当日の振る舞いに対する謝罪文らしき手紙。

 そして高級タオルセット二箱と真っ白なベッドシーツ二枚。

 受け取った彼が苦笑いするそれらは、長谷川伸一と藤田瑞希の名で届けられたお中元。

 ――まぁ、馬券は400円にもならねぇからいいけど、ぬいぐるみは何なんだよ……


 携帯電話でそれを問い詰める匠と、のらりくらり交わす競馬馬鹿二人のそれからは、また別の話……。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ