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第一話 罰ゲーム

あらすじ

 灰色の誘惑こと芦毛の牝馬テンプテーションが真っ先にゴールを駆け抜ける。

 それは瑞希に勝利を、そして伸一に敗北を告げた。

 勝負に敗れた伸一には恒例の罰ゲームが執行される。

 そんな敗者の境遇に打ちひしがれる伸一の知らぬところで、

 勝者瑞希の計画は着々と実行されていくのだった。


 "罰ゲーム"

 それは伸一と瑞希の間で取り交わされた勝負事の敗者が受けるペナルティ。


 敗者、長谷川伸一は五月六日の二十四時間、勝者である藤田瑞希の言いなりとなる。

 それは前日のとある競馬レースが発端であった。


    * * *


 五月五日。

 日曜と重なったこどもの日。

 十二万人の大観衆が集う京都競馬場。

 長距離王者を決める伝統の一戦"春の天皇賞"は、今まさに佳境を迎えようとしていた。

 そして関西のとある学生アパート。

 その一室。

 困惑する部屋主に目もくれず上がりこみ、三十分前からテレビの競馬中継を真剣な面持ちで見つめていた一組の男女。


『スプリングノベルが頭一つ抜け出したーっ! ハネダクラウン苦しそう!』

「まだや! まだ終わっとらへん!」

 そう息を荒げながらテレビに叫ぶ男こそ、新聞の刺さったボックスを蹴り飛ばそうとしてやめたあの長谷川伸一だ。

 そんな彼は背格好も体格もこれといって特徴のない、ごく普通の男子大学生。強いて言えばやや癖のある関西弁が目立つ位だろうか。顔立ちも極めて普通、取り立てて褒めるべき箇所はない。

 そんな平凡の塊である伸一の右手に握られた単勝たんしょう馬券には、今まさにスプリングノベルにかわされた"ハネダクラウン"の文字がしっかりと印刷されていた。

 単勝馬券とは一着の馬を予想する馬券。賭けた金額は五百円とさして大きな額を注ぎ込んだわけでないその馬券は、的中してもたかが4.7倍、二千三百五十円の価値しかない。

 だが彼にとってそれは、額面以上に重要な"とある事情"を内包していた。

『宿敵ハネダクラウンを捻じ伏せて、スプリングノベルが遂に先頭!』

「スプリングノベルに負けるのは構わへんねん!」

 そして馬券の的中はならずとも、伸一の勝負はまだ終わっていなかった。何故ならその勝負の相手はスプリングノベルではなく、声も発さずに目を輝かせモニタを見つめる女性だったから。


 女性の名は藤田瑞希。

 切迫感を溢れさせながら伸一以上に真剣な目をし、競馬中継を食い入るように見つめる瑞希の姿は、傍から見れば場違いですらあった。

 伸一の平凡さとは対照的な彼女は、女性にしてはやや高めの背にメリハリのついた身体つき、少し冷たげながらも異性を惹き付ける顔立ち。大きな胸の下で両手で肘を抱えるように腕を組み、元々大きな胸が更に強く主張する。

 そんな主張する胸を下から支える彼女の腕の先にも、やはりそれはある。伸一と同じく一着を当てる単勝馬券が、瑞希の左手にも握り締められていた。しかしそこに書かれた名前はハネダクラウンでもスプリングノベルでもなく、ここから先頭まで届くのかと言うほどの最後方に位置を取り、脚を溜めていつものように直線で勝負する"テンプテーション"。

 瑞希の馬券に投じられた金額は一万円。伸一が持つ馬券の二十倍。仮に的中すればその配当はおよそ十四万円という価値に膨れ上がるその馬券。

 けれどやはり瑞希も伸一と同じように、額面以上に大切な"想い"をその馬券へ込めていた。


 伸一と瑞希の勝負は即ち、ハネダクラウンとテンプテーションの勝負でもあった。


『しかし大外! カメラ、大外を映してくれ!』

「来た……」

 絶叫に近い声で異変を告げる実況放送とアパートの本来の部屋主が漏らす一言が重なった。

 そして勝負は大きく、かつあっという間に動き出す。

 カメラが一気にズームアウトし、伸一が恐れ瑞希が渇望した「彼女達」を右端に映し出した。

 思わず息を呑む伸一と、口元に笑みを湛え始める瑞希。

『一番外から青い帽子が飛んできているぞ!』

 馬の群れの一番外側を灰色の競走馬が、その背中に青い勝負服に青いヘルメットを被った女性騎手を乗せて疾駆する姿が映し出された。

 粘るハネダクラウンの相手が、遂にやってきた。

 怒涛の勢いで前に迫る青い帽子と灰色の馬体。

 直線勝負に賭けた末脚がテレビモニタに映らない位置で爆発していた。

『これは凄い! 物凄い勢いで芦毛の馬体、テンプテーション突っ込んでくる!』

 伸一の顔が見る見る青ざめ、瑞希のかすかな微笑が徐々に破顔に変わっていく。

『テンプテーションが前の二頭をかわす勢いだ!』

 伸一にはそれらが自分を死地へと誘う灰色の死神に、瑞希にはそれが自身の背中を後押しする女神に見えた。

 そして二人にはそれらが酷くスローモーションに感じられた。


『テンプテーションとカトリーヌ=ヴェイユ! 今、いま纏めて……かわしたーっ!』

「嘘やっ! こんなん嘘やーっ!」

「長谷川、現実を受け入れなさい!」

『更にグングンと差を広げていく、これは強い!』

 そして瑞希が喜びのあまり目の前にあった何かを無意識の内に抱きしめたその時。

『春の天皇賞を制したのは何と五歳牝馬、テンプテーションです!』

 テンプテーションがゴール板を先頭で通過した。

 それは藤田瑞希の七連勝が決定した瞬間だった。

 と同時に、長谷川伸一の連敗記録が7へと更新された瞬間でもあった。

『女王杯に続きまたしても、京都競馬場にヴェイユマジック炸裂ーっ!』


 いきなり自宅アパートを訪れた迷惑極まりない伸一と瑞希。二人がテレビに夢中になっている間、部屋の主である匠もまた、同じようにレースを観戦していた。

 当然のことながら彼にとっては、どの馬が勝とうが何ら損得の無い話。完全な傍観者。

 だが、目の前のモニタ越しに繰り広げられる名勝負と、不純な動機ながらも固唾を呑んでテレビに食いつく二人に、いつの間にか彼も引きこまれていた。

 毎度毎度迷惑も顧みず友人の家で熱く燃え、毎回意地を張り合う馬鹿二人。

 そしてテレビに移る名馬達の白熱した好レース。

 名馬達、馬鹿二人。

 二箇所で同時に繰り広げられた熱戦に、部屋主弓削匠ゆげたくみもようやく口を開く。

「藤田マジックも炸裂したな」

 匠が実況をもじりながら伸一に掛けた言葉。

 けれどそれは、瑞希の胸の中で全身を真っ白くして燃え尽きる伸一はおろか、それを抱きしめつつも興奮しテレビ画面に釘付けとなり自分のしている大胆な行動に全く気付かない瑞希にも、届いていなかった。


 テレビ中継を前に絶句する伸一と感極まる瑞希。

 ついさっき終わったレースのリプレイがテレビで何度か流されるたびに、抱きしめる瑞希と燃え尽きる伸一。同じような行動を取る二人を十分近く呆れながら見守った匠からようやく掛けられた一言。

『おめでとさん藤田。んで伸一、罰ゲームご愁傷様』

 これを切欠に伸一と瑞希の勝負は終わりを告げ、罰ゲームの執行予定が組まれた。


    * * *


 そして翌五月六日、つまり今日。

 伸一の罰ゲームはここ"タナカ噴水前"で開始されることとなったわけだ。


 噴水前から離れエスカレーターで目的の階までやってきた瑞希と、その後ろを離れずに追う伸一。

 瑞希がまず連れてきたのは、ショッピングモール・タナカの五階だった。

 少し奥まった場所にあるブライダルコーナーへ、迷わず足を向けて歩く瑞希。他の衣類コーナーと比べハンガーに掛かった洋服は非常に少ないが、いくつかはマネキンに着せられ商品であることを知らせる。

 黒やグレーのモーニング、イブニングスーツ。そして純白のウエディングドレス。

 間近で見る機会の少ないそれらの衣装が並ぶ光景は、普段行き慣れたはずのタナカの一角とは思えないほどの高級感を漂わせる。その場違いさに伸一が思わず財布の中身を確認したくなったほどに、二人とは縁のなさそうな場所だ。

 通りがかりに伸一がチラッと見たモーニングスーツの足元には、八千五百円のプレートが置かれてい。

 ――んなわけないやん! 八万五千円やわ……こっちは九万二千円やん!

 値段を見間違えたモーニングスーツの隣には、更に上行くイブニングスーツ。

「お、俺みたいな貧乏大学生にこのコーナーの服は買われへんで!」

 身の危険、いや財布の中身の危険を感じた伸一は、ドレスを眺める瑞希に所持金の限界を悟らせようと必死に貧乏を悲しくアピールするのだが、

「誰も買って欲しいとは言ってないでしょ。見たかっただけよ」

 しかし伸一のアピールなど全く無関心な様子で、瑞希はドレスの物色を続けていた。


 やがてマネキンに着せられた一着のウエディングドレスの前で瑞希は立ち止まった。少し遅れて伸一もそのドレスの前に立ち、まずは価格をチェックする。

 ――四万九千円か、ギリギリ……って、一桁ちゃうがな

「こんな値段じゃ、触るのも躊躇うわね」

 四十九万円という値段には不慣れだったのか、流石の瑞希も扱いに困ったらしい。

「そう思うならこんなとこ来んなや」

「だから言ってるでしょ。見たかっただけ」

 こんな場違いな高級品エリアからは一刻も早く立ち去りたい。そう思った伸一だったが、なおもドレスを物色する瑞希を見て考えが少し変わっていく。

 ――見たかっただけ、か。藤田もこういう服、見たいって思うねんなぁ

 あれだこれだとドレスを選び姿見の前でそれを身体に重ねていく瑞希は、普段の藤田瑞希があまり見せない女性の姿。

 ――藤田もこうやって見ると、年頃の女の子やなぁ……

 一日遅れで友人と同じ考えに辿りついた伸一は、見知った友人の見慣れない部分にボーっと見とれながらしばし物思いに耽った。


 少し離れた場所で瑞希を眺めていた伸一の前に再び財布の危機が訪れたのは、それから五分後。

「ねぇ長谷川。このドレスなら買える?」

 そう言った瑞希が手にしたドレスは、豪華なレースの飾りを極力抑えた格安の一品。けれど例え値段の安いそれであっても、シンプルが似合う瑞希なら値段の安さを感じさせず鮮やかに着こなすのではないだろうか。

 しかし……、

「アホ言うなや。お前かて三万でええって言うたやん。七万八千円は無理やで」

 軍資金の二倍を越える値段では、流石に手が出せるはずもない。

「……そう、これが一番安いドレスだったんだけど、やっぱり無理よね」

 少しガッカリした様子の瑞希に、何故か申し訳ない気持ちを抱き始めた伸一。

「あ、すまん藤田。俺ホンマに三万しか持ってこーへんかってん……」

「良いのよ長谷川。気にしないで、ね?」

 謝る伸一と、その姿に気遣いを見せる瑞希。伸一はこのシチュエーションにデジャヴを感じた。

「それじゃ次に行きましょ」

 だが、すぐさま何も無かったかのように罰ゲームを続行する瑞希に、

「へいへい」

 伸一もそのデジャヴを一先ず横において、瑞希を追いブライダルコーナーを後にした。


 次に瑞希が足を運んだのは二階。

 一切迷いの無い瑞希の足取りに"何らかの思惑"を感じ取ることは出来る。

「お前、何考えとんの?」

「罰ゲーム」

 だが、ウエディングドレスの次はこんな場所。そのチョイスに共通点がまるで見当たない。

 ――さっきまで"年頃の女の子"しとったやん……ここは女の"子"しすぎやで?

 家族連れならばならばともかく、一人暮らしの大学生には縁が無い場所。ましてや表面上カップルに見えるだろう男女がやってくるべき場所ではないと言っていいほどだ。

 ここは、子供服売り場の一角にある小学生用の運動着を取り扱ったコーナー。二人の場違いさはブライダルコーナーに匹敵していた。

 でありながら、瑞希はそこらの体操服を手にとってはサイズを確認し始めている。

 ――大体藤田の場合、入らへんやろ。特に胸とか尻とか

 普段から露出を好まず着飾らない瑞希だが、それでいて中々の身体つきをしていると伸一は感じていた。

 キャンパス内であからさまに露出した服を着ている"頭のあまりよろしくなさそうな女子学生"と比べても、互角の勝負が出来るか或いは余裕で上を行くだろう身体の持ち主、藤田瑞希。

 ――そいやさっき思い出したのって、これやったんか

 ブライダルコーナーで一瞬思い出した去年の夏の記憶。



 去年の夏に一度、瑞希は腹が見えるほど丈の短いキャミソールに際どいミニスカートでキャンパスに現れた。その日の二コマ目が終わり匠と共に学食へと歩いていた伸一は、瑞希とばったり遭遇しそのまま午後の講義をサボタージュして、いや、させられて、駅前でのウインドウショッピングに付き合わされた。腕をつかまれ連れ去られる伸一は、目撃した匠が"強制連行"と称するほどの哀れさだったと言う。ただしキャンパス内の男子学生からは羨望の眼差しが送られた事も事実だが。

 指を咥えて羨ましがる男子学生とも、可哀想な奴と哀れむ友人とも違うその日の伸一の感想は、ただただ「調子狂う」の一言。

 妙に色っぽい瑞希に落ち着かず、普段の彼は鳴りを潜めた。それが逆に瑞希を不安にさせたのか、言葉少なになった伸一に瑞希は申し訳なさそうな顔をして謝り、

『やっぱり似合わないわよね』

『いや、そういうことやあらへん! けどちょっと刺激が強いねん』

 伸一は伸一で、彼女が誤解していることを必死で解こうとし、

『そう……付き合わせて悪かったわ。ごめんなさい』

『あ、いやいや、ごっつええ役やねんけど……俺には大役すぎただけやって。そんな、俺こそすまん』

 いつになくお互い遠慮しあいながら、非は自分にあると言い張り謝った。

 翌日、彼女はいつも通りの藤田瑞希で、それを見た伸一もいつも通りの伸一を取り戻した。

 そしてそれ以来藤田瑞希が女性を感じさせるようなこともなく、今日に至る。



 ――思い返せば、あの時も藤田は女の子しとったんかもなぁ

「ねぇ長谷川」

 一年前に思いを馳せていた伸一を現実に引き戻した瑞希は、あの日と違いいつもの瑞希だ。

 だから彼は自然と、瑞希にだから許される普段と同じような返事を返す。

「ドレスの次は体操服を買え、とか言うんとちゃうやろうな。堪忍してーな」

 けれど真顔で返事を返す瑞希は、想像をはるかに上回る衝撃を伸一に与えた。

 その一言に伸一は凍りつく事となる。


「ねぇ、長谷川って……ブルマ好き?」


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