下級劇団の薄汚れた宝石
「赤い糸で結ばれた企画」参加作品です。
外はぎらついた太陽が支配している。
汗にまみれた道行く者の顔は、どれも油を塗りたくったように照り輝いており、仕事や買い物などの成さなければいけないことのために、その足を少しも止めようとしない。
しかし、それだけが理由ではない。
害虫として人々から忌み嫌われる存在である特定の職も持てず、住む家もない浮浪者が数多く居着いているからだ。
この道には、石畳が続いている。
サイハテと呼ばれる街の端からミディアム城と呼ばれる街の中心まで。
ちなみに同等の道が後、七本あっていずれもミディアム城を支点として、サイハテへと真っ直ぐに伸びていっている。
中でも地獄の入り口(なんとも物騒な名前であるが)という二つ名が付いているサザン通りには、道の両側に出店が連なり、威勢のいい声が飛び交っていて、本能的に味覚を刺激するかのような香ばしい匂いがただよっている。
しかし、一度その道から外れた路地に入ってしまうと、思わず顔をしかめ、嘔吐しかねない腐乱臭が漂っている。
鼻が敏感なものにとっては、回れ右をしてその場を後にしてしまうだろう。
その腐乱臭は出店や家から出された生ゴミであったり、そこにいるバーマンから発せられたものであった。
彼らは、捨てられたゴミの中から食べられそうなものを漁ったり、出店から奪ったりして(この場合、大抵捕まってしまうが)日々を生き延びている。
しばしバーマン同士の食べ物の奪い合いが勃発するが、誰も止めようとしない。
皆見てみぬふりをしていく。
そこに、可哀想だから助けてやろうという気持ちは一切ない。
万が一、助けてやろうとするものなら、たちまちバーマンがその者に集まり揉みくちゃにされてしまう。
自分はそうなりたくない。──その心がバーマンとの溝を深める一つの要因となっている。
◇◇◇
そんなバーマンにもお金を稼ぐ方法はあった。
それは自分の身を売り出すことである。
例えば、娼婦が挙げられる。
無論これを出来るのは女だけなので、男は出来ない。
なら男には何があるか? それは裕福な家庭の下で召使いとなる、芸事をするか、である。
ただ召使いをやりたがるバーマンはあまりいない。
扱いがもはやゴミ同然だからである。
バーマンも置かれてる環境は別として一人の人。
自意識がないわけでない。
辛いといえば辛いし、やりたくないといえばやりたくない。
それにバーマンの召使いはバーマンというだけで、通常の召使いよりも重労働で、賃金も安い。
なので、どうにも生きるの困窮している場合の最終手段として召使いは考えられている。
また召使いになったバーマンは他のバーマンから|悪魔に魂を売り渡した人々《ゾンビ》というように言われている。
一方、芸事はというと、こちらは完全に才能がものを言う。
才能があるものは、その日を充分満足に生きられるだけの賃金が手に入る。
自らに才能があると思っているバーマン達はこの道を選ぶ。
だが、芸事はどこでやってもいいというわけではない。
サザン通りにある一際大きな広場、フィギュア広場でしか許可されていないのだ。
フィギュア広場は今日もバーマンとそれを見る物好き達でごった返していた。
巨漢の男と一回り体格が小さい男が互いに睨み合っている。
その表情はどちらも同じ、と思われたが、巨漢の男の息は上がってるのにもかかわらず、一回り体格が小さい男の息は全く乱れていない。
肩で息をする巨漢の男の身体が軽く右によろける。
一回り体格が小さい男はその隙を見逃すはずもなく、空いた巨漢の男の左腹に鋭い一撃を食らわせる。
勢いに乗った彼の一撃は巨漢の男の分厚い肉を伝わり、骨まで届いた。
あまりの激痛に巨漢の男は大きく顔を歪め、そのまま倒れていく──と思われたが、巨漢にも巨漢なりのプライドがあるのだろう。
右肘で支え、完全に伏してしまうことはなんとか逃れた。
憎しみのこもった巨漢の目が眼前に悠然と立つ一回り体格の小さい男を見上げた。
その光景を見た観衆は、歓声を上げ、地を踏み鳴らして、まるでそれは台風が押し寄せてきたかのようである。
「やれ! その意気だ! 殺しちまぇぇぇぇぇえええええ!!」
「ついにきたか新時代が!」
「何やってんだよ! お前それでもチャンピオンか!」
このようにある所では闘技が行われていて、またある所では手からいくつもの火の玉を発生させて意のままに操って、技を披露していた。
そしてそれらの主役となってる者達は皆、奇抜というか派手な格好をしている。
つまりここで見るからにみすぼらしい格好をしていれば、逆に目立つことになる。
……悪目立ちという意味でだが。
まさに今、それを実行している一人の少年がいた。
それを意図してやったかやっていないかは定かではないが、彼に近付こうとする者は誰もいなかった。
皆、場違いだと言わんばかりに眉間に皺をよせ、煙たがる。
しかし、少年は物乞いをするかのように目を潤ませ、自分には目もくれない彼等に向かって手を伸ばした。
「み……みずを……く、ください……」
すでにカラカラ乾ききったような声で必死にその言葉を絞り出す。
少年の周りだけが四、五度上がったと思わされるような切実な訴え。
少年は心底水を欲しているのだろう。
少年の名前はキラ。
名前の由来は恐らく、一度陽に当たると金色に輝く髪からきているのだろう。
しかし、埃をかぶって、尚且つもう何年も洗ってないせいか、その輝きは失われていた。
今では、錆び付いた銅のような色になっている。
「だれか、みずを……」
喉を限界まで絞り上げて出たような声。
救いを求めようと伸ばしていた手は少しずつ垂れ下がっていく。
一つの命が終わりを告げようとした時、キラは先ほどのことなどなかったかのごとく陽気な調子で声を上げた。
「あ〜ぁ。やっぱ、これはダメかよ。今にも命の灯火が消えようとしている少年! いけると思ったんだけどなぁ……」
ぐったりとうなだれて、キラは至る所が破れているズボンのポケットから安価な生地で出来た巾着を取り出した。
巾着の中身を空け、逆さまにすると、中から小銭が二枚、三枚と出てくる。
それを手で受け止めて、金額を数えるのか、人差し指で、小銭を一枚一枚指していく。
終わると、まだ巾着の中に何かが残ってないかと、目を皿にして見てみるが、何もない。
キラは大きく溜息をつき、腹をさすった。
「これじゃあパン一個しか買えねぇよ」
普通のバーマンからしたらそれだけでも手を上げて喜ぶのだが、キラはそうではなかった。
これは死活問題。
それぐらいのレベルなのである。
小銭を巾着にしまうと、キラはあることを思い出した。
「でもなぁ、おかしいな……。昨日似たようなのやったぞ。マッチ売りの少年? だったかそんなの」
腹が音を上げ、空腹を知らせる。
キラはさすってたしなめる。
「そうだよな、腹空いたよな。明日は腹一杯食わせてやるからな。だから今日はパン一個で我慢しろ。あーこんなことならもう少し……」
キラの頭によぎったのは昨日の反省だった。
予想以上にマッチ売りの少年が受けた結果、一番安い宿ではあるが、泊まれるほどの賃金を得たのだ。
キラはそれをいい機だと見て、泊まるのに使ってしまった。
「あれがなかったらなぁ」
キラは手の平で庇をつくって、空を仰ぎ見る。
いい気味だとせせら笑ってるかのように、陽を浴びせる太陽に、無性に苛立ちが湧いてきてキラは地面を蹴った。
「カッーー! お日様も敵かよ! やめだやめ!」
怒りに身を任せながらキラが片付けをしていると、顎に握り拳を当てて先ほどから彼のことをじっと見つめていた人物が向かっていこうとする。
が、どうやら先客がいるようだと思いその人物は足を止め、事態の行く先を見守った。
その人物が先客と思ったのは、キラと同じバーマン達である。キラよりも明らかに体格は上回っており、人数も一対三。圧倒的にキラが不利であった。
「へー中々金持ってんじゃん」
「じゃんじゃん」
「俺達に黙ってそれ渡してくれたらさぁ痛い目遭わずに済むぞ」
リーダー格であろう茶髪の青年が拳をキラの顔の前に突きつける。
キラは微塵たりとも憶することもなく、反抗の意を示した。
「やだね。せっかく自分で稼いだ金をどうしてお前らにやらないといけないんだ」
突きつけられた拳をはねのける。
茶髪の青年の顔はみるみるうちに赤くなり、キラへと殴りかかった。
「んだとこらぁ!」
それを合図に残りの二人もキラへと加勢する。
(……ったく腹が減ってるというのに)
舌打ちをし、キラは息を吸い込んで、吐き出す。
すると、寄ってかかってきた三人は数メートル吹き飛び、石壁に頭を打ちつけるとそのまま気絶してしまった。
「はぁ、魔法使っちまったから余計に腹が減ったなぁ」
キラは芸事する場となる藁の上に寝転がった。
後頭部にチクチクと藁が刺さって痛い。
「金あるやつは毎日、あんな気持ちいいものを使って寝てんのか」
昨日生まれて初めてベッドを使ったキラにとっては寝心地が天と地ぐらいの差に感じられるほど違った。
改めて自らが置かれている状況にうんざりしながらも、いつか抜け出してやるという野心に燃えていた。
ようやく話が終わったかというのが目で確認できると、キラを見ていた人物は、彼に近付いていく。
背の高さは意外とあり、影がすっぽりとキラを覆い尽くした。
キラは視界が暗くなったのを感じると、不快感を抱きながら顔を上げた。
「なんすか。もう終わりなんだけど」
「お前いくらだ」
「は?」
唖然。
キラが開きっぱなしになった口を閉じるのにはしばし時間がかかった。
キラの前に突如として現れた人物は、相手が自分の問いを理解してないのだと解釈すると、もう一度問いを投げかけた。
「聞き方が悪かったか、お前の身体はいくらで買える?」
「……もう少し分かりやすく言ってもらえないか?」
「これでも駄目なのか」
「オレのこと馬鹿にしてる?」
「いやそうじゃない! 単に私が言葉足らずなのが悪いんだ!」
「んーよく分からないけど、まぁいいや。で、何?」
「そう焦るなって説明ぐらいさせろよ」
「じゃあとっとと言えよ」
キラは益々不快感を表に出しながら相手の発言を待った。
「まず私の名前からだ。私の名前はダマ。サザン劇団の座長だ」
「サザン劇団? 座長? なんだそれおいしいのか?」
演劇について何も知らないキラにとって、ダマが言った言葉が理解できるはずもない。ましてや空腹の状態であるキラがそれらの言葉を食べ物だと思ってしまうのも無理はないだろう。
サザン劇団というのは、サザン通りで旗揚げされた劇団だ。そして座長というのは、会社でいう社長のような立場である。
そう説明してもキラの頭を混乱させるだけだと考えたダマはそれらを一旦脳内から取り除いた。
キラにでも分かる簡潔明瞭な言葉はないものだろうか。顎を拳でさするとヒゲと擦れてジョリジョリと音が鳴る。
数秒ほどその行為をした後、ダマは鷹揚は口を開いて、
「単刀直入に言おう──お前のことを雇いたい」
◇◇◇
それがキラと演劇との出会いであった。
実在しないはずの世界を身体を使ったりして表現する。
そしてキラは魔力とも言える演劇の魅力に取り付かれた。
キラをスカウトしたのは下級劇団と、劇団の中でも底辺であるが、彼を軸にして王国専属劇団へと至るのはまた別のお話。
なんていうんだろう……連載でやった方が良かったかもしれない。