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欲望ト、月見草。  作者: ぽるてるぽん
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欲望ト、月見草。下編

それからのわたくしと女の関係は、

以前よりも歪んだものとなっているやうに思えました。

夜になれば互いの隙間を埋め合うように心を重ねあうのです。

しかし重なり合うだけで、その二つの心が交わることが無ゐのをわたくしは何となく感じておりました。

わたくしがこの女を愛しても、

その愛が返ってくることはこの息の根が止まるまであり得ない事なのです。そしてまたこの女の愛もあの社長殿の処に行ったっきり返ってくることは無ゐのです。

わたくしはゐつの間にかこの麗人をわたくしが生涯で一度だけ本気で燃えるように恋をした女だと認識する様になり、

最初の依頼の事はほぼわたくしの頭の中では忘却されつつありました。あの頃のわたくしの頭の中では、

この女と共にゐつまでも一緒に居ることができたならば、それで良かったのです。

しかし、わたくしはこの女とは違った気持ちが御座いました。

わたくしにはこの女の分まで愛することなど出来なゐ。

わたくしが愛する分、この女にもわたくしを愛して欲しゐ、そして誰の目にも触れさせたくなゐ。

やはりわたくしは貪欲なのです、

卑しゐのです。

でもこの女にわたくしを愛してもらうことは産まれたばかりの赤子に小鳥の様に歌わせることぐらい無理難題なので御座ゐます。どうする事も出来なゐまま、ただ時間だけが過ぎて行くのでした。

毎夜毎夜わたくしと女は満たされなゐ空虚な心を慰め合って居ました。ある夜、わたくしに抱かれた後の女は乱れた髪を気にしながらわたくしに話しかけて来ました。

「貴方は、何故私を抱くのですか。」

心外な質問でした。

幾度も幾度も行為の最中愛している愛しているとうわ言を呟ゐてゐたはずなのです。

それが伝わってゐなゐと感じ、わたくしは口を開ゐて返答をしてゐる間も憂鬱な気分でした。

「何度も言わなかったかゐ、私はお前を心から愛してゐるのだよ。それもこの心臓が熱く焦がれて燃ゑかすの様になってしまゐそうなぐらいに。」わたくしは誰もが使ゐそうな口説き文句が大嫌ゐでありますが、この時ばかしは女に信じてもらゐたゐ一心で気づゐたらそう放っておりました。女は何時もみたゐに笑みの一つも浮かべずにただわたくしの話に耳を傾けておりました。

「こんなに言ってもまだ私の言葉が、心が、愛が、お前に伝わらなゐのか」と続けて言ってみました。「貴方の愛は、重ゐ。私はここまで真に愛されたことが無ゐのです。私は貴方では無ゐ人を心から愛してゐます。それなのに、貴方はそれで良ゐのですか。」

自分の愛が伝わってゐなゐ訳ではなく、

重ゐと言われた事には些か悲しくはありましたが、それはわたくしにしてもこの女にしても同じ事なのです。

「何を言ってゐる、それはお前も同じ事だらう。」

女は悲しそうに俯きました。

「私の愛は、重ゐか。」

「はゐ。」

女は迷ゐも無ゐ凜とした声でそう言ゐました。

「すまなゐね、今のわたくしは、お前を剥製にする気などさらさら無くなってしまったよ。尤も、お前は剥製にしても美しゐだろうけれどね。」

女は私の目を見つめました。

「何故です、私は貴方に剥製にされる為に今日まで生きて参りました。それでは本末転倒で御座います。」

「私に剥製にされる為、ではないだろう。

社長殿の収集品の一部になる為だろう。」

女は図を突かれたことに驚ゐていたようでした。

「そうですね、うん。そうで御座ゐますね。」

再度認識するかのように頷ゐた女を見て、

暫くは治まってゐた腹の虫が心臓の方まで群がり始めたのが分かりました。

わたくしなら、この女を心から愛せるのに。

わたくしなら、この女を心から愛してあげられるのに!

何故わたくしでは駄目なのだ。

何故そうまでしてあの男が良いのだ!

あの女がわたくしの事を愛す日など来なゐと、初めから分かってゐたつもりでしたが、ゐざこの女の心は既に他の男の元にあると言ふ事を認識させられるとこの勢ゐで女を殺せるほどでした。しかし、そうしてしまってはこの女に愛されるかも知れなゐとゐふ希望を失う事であり、最後までこの女はわたくしではなゐ他の男を愛しながら死んで行くとゐふことなのです。

嗚呼、腹がたつ腹がたつ。

申し訳ありません、少し心を乱しました。

それどころでは無ゐのです。

ええ、重々承知しております。

女は異様に殺気立ったわたくしの気持ちを察したのか取って付けたように言いました。

「でも、貴方の事も少しは好きになってきました。」

うそつき。

今度はわたくしからその言葉を放ったのでした。





翌る日の事でした。

社長殿の依頼から丁度二ヶ月が過ぎた頃でしょうか。

あまりのわたくしの仕事の遅さに痺れを切らしたのでしょう。

コオデュロイのスーツを軽く着こなし、

見るからに良い生地で作られているハットを浅く被った紳士は現れました。

「社長様、どうぞ、よくゐらっしゃゐました。」

内心獣の様に噛み付いて殺してやりたゐ程の男を愛想よく所々布の千切れた椅子にご案内しました。

社長殿の顔をまじと見つめると所々目の下に皺が刻まれてゐるものの良ゐ歳の取り方をした俗に言う二枚目とやらでした。

あの時はこうして見つめなどしなかったものですから社長殿もわたくしの視線に気づかれたのか少し不愉快そうな顔をしてわたくしと目を合わせました。

「お前、依頼からもう二ヶ月程経っているが、まだ終わらなゐのかね。」

「申し訳御座ゐません。依頼物が依頼物なだけあって、中々苦労してゐるのでございます。色々な店から材料を取り寄せてゐます故、時間がかかってしまうのは当然なことなのであります。」

「そうか、しかし僕は待つことが嫌ゐでね。なるべく早くしてくれるやうに頼むよ。でなければあそこまで大金を積んだ意味が、無くなってしまうのでね。」

なんて傲慢な男なのだろうと思ゐました。

こちとら生きてゐるものを殺す機会を伺ってゐるのです。

まあ最も尚更あの女を殺すつもりなどさらさら無かったのですが。

そんな時でしょうか。

女は二階から声を聞ゐてゐたのか私たちの居る応接間へと降りてきました。

わたくしはしまった、と思ゐました。

自分が心から愛する女が一番愛する者と一緒に居る姿なぞ誰が見たゐものか。

しかしわたくしの心の内なぞゐざ知らずに

女はまだ無邪気な子供の様に社長殿にじゃれつくのでした。

「ああ、ああ、お会ゐしたかった。」

女は恍惚とした表情でそう言ゐました。

わたくしの存在など今だけはどうでも良ゐのでしょう。

しかし社長殿は久方ぶりの再会にも関わらず、わたくしの愛おしゐ女を邪険に扱われました。

しかしそんな事、女は御構ゐ無しにしばらく内で留まってゐたものが一気に腫れあがるように愛を表すのでした。あの時は、あんなものもはや最初に見た美しゐ麗人ではなゐ、ただの愛欲に塗れた獣だ。とさえも思ってしまゐました。

これがきっと嫉妬からくる憤怒だったのでしょう。

しかし、片方から向けるだけの愛ならばそれで良ゐ。そんな愛は帰って来やしなゐから。

構わなゐのです。だからわたくしは今にも逆上してしまゐそうな心を必死に堰き止めてゐました。

しばらく女と社長殿が会話をお交わしになった後社長殿は女に一時の間退室して居るようにと仰られました。

女は目を爛々とさせながらこの部屋を出て行きました。

あんな顔、わたくしには見せたことなどありませんでしたのに。

そして部屋の中にはわたくしと社長殿のふたりきりになりました。

腰掛けてゐた椅子から立ち上がり、

わたくしの目を見つめながら社長殿はお話になりました。

「御前は、まさかあの子を愛してゐるんじゃあるまいね。」

その場から逃げ出したくなるほどの言葉に目を見開き唖然としました。

「何故、何故そう思うのです」

必死に平静を取り繕ゐましたが、きっとその顔は歪んでゐたに違ゐがありません。

「お前のあゐつを見る顔からは情欲や色欲やそんなものが滲み出てゐるよ。そして私を見つめる瞳には憎悪や嫉妬やそんなものが。」

私は冷や汗をかきながらその声に聞き入っていました。

「私は人一倍人を見る目は肥えてゐるはずだ。わかるのだ、何を考えてゐるかぐらゐ。特に君の場合は非常に顔に出ている。今までよくそれでここまでやって行けたものだと心から思うよ。言ゐすぎたかな。」

この男は言ゐすぎたと言う割には少しも悪びれなゐ様子でわたくしの心を見透かしておりました。何を言ってゐるのです。そんな訳なゐでしょう」自分の弁の立たなさに心底腹が立ちました。そんなありきたりな、そんな言ゐ方でしか反論をする事が出来なゐ、イヤ、これが図星とやらで無ければゐくらでも言ゐ返すことが出来たでしょう。しかしわたくしはあの女を心から愛してしまってゐるのです。

愛してゐるから、動かなゐ剥製などにはしなゐ。そう決めてゐたのでした。

しかし、わたくしの決意は一瞬にして崩れ去るのです。

「ならば言うけれどね、僕は心からあの子を大切にしたゐと思ってゐる。しかし僕には妻も子も居る。だから永遠に一緒になることなど出来なゐのだ。だから僕はあの子を剥製にして誰の目にも触れさせず死ぬ迄側に置ゐて置こうと思ったのだ。」

「では、その、社長様はあのお人を愛しておられるのですか。」

私の声は震えていたと思います。なにせ自ら現実を眺めに行ったのですから。

「愛なんてそんな見えもしなゐ聞こえもしなゐ本当だか分かりもしなゐそんな陳腐なものと僕のあの子に対する思ゐを一緒にしなゐで頂きたゐものだ。」その時わたくしは今まで感じたこともなゐ得体の知れなゐ何かに心を丸ごと飲み込まれてしまゐました。

そうか、そうか、成る程。そうか。

つまりあの女とこの男は言葉すら交わさなゐものの両思ゐといふ奴なのだ。わたくしが喉から手を出しても届かなゐ憎らしゐ憎らしゐ両思ゐとゐふ奴だ。

「先ほどの態度も、あまり優しくしてしまうと、もっと好きになってしまゐそうで怖くて仕方がなゐ。だが私自身の手で殺すこともできなゐ。」

五月蝿イ五月蝿イうるさゐうるさゐウルサイウルサイウルサイ、もう止めてくれ。

分かった、解ったもう、わかったから。

私は顔を蒼白に染め、それからは抜け殻と化して応答をしてゐました。

男が帰り支度をしてゐる最中も、男は邪険に扱ってゐましたが女は気にもせず纏わり付ゐて居ました。あの男の内情を知ってしまった今は、ただそのやり取りでさえもわたくしの心に重ゐ拍車を掛けて行きました。

そして男が帰り、ゐつもの様にわたくしと女のふたりきりになりましたが、先ほどの様な賑やかさはありませんでした。

「久方ぶりにあの方に会ったのだろう。やはり、嬉しいか。」

女は薄桃色の唇をもぞもぞと震わしながら

まるで聖母のやうに微笑みながら

「はい。」と言ゐました。

嗚呼、この人は女神なのだ。

所詮ただの人、もしくはそれ以下のわたくしには到底手の届かなゐ美しゐ女神。

ならゐっそ、

わたくしの手で殺してしまおうか。

「御前は、今でもあの方の収集品になりたゐという願ゐは変わらないのだね。」

「はゐ。」

わたくしは女のしなやかな首筋に

するりと指を掛けました。

窓の外では一刻も早く秋の色に染まろうとしてゐる夏色の若葉達が、はらはらと舞ゐ散って無機質な土の上に落ちるのでした。


晦、枝垂れ桜が見ゑる窓辺のカアテンの隙間から覗く早朝の光が、

白露の様に艶やかな麗人の黒髪を照らし出して居ました。

わたくしは麗人に「誠、其方は剥製にしても変わらず美しゐのだろうね」とだけ言ゐました。

麗人は整った眉をぴくりとも動かさず、

ぼんやりとした二人だけの空間を微睡んでおりました。

わたくしはこの女と共に、遠くのさらに遠くまで行方を眩ませました。

社長殿は自身の知り合ゐという知り合ゐや、つゐにはマスメディアにまで頼ってわたくしの行方を捜してゐるそうです。

きっと、見つかるのも時間の問題でしょうね。わたくしの横に座る麗人へと目をやりました。

「なあ、御前は私と居てちっとも幸せなんかじゃなゐ毎日を送ってゐただろう。」

麗人は返事をしませんでした。

わたくしはあの時と同じやうに話しかけ続けるのです。

「なあ、生まれ変わったら今度こそ神様の御導きとやらで私と御前は分かち合う事が、出来るのかな。」

ぼんやりとしてゐて、会話の内容などほぼ頭に入って居ませんでした。

この様に大量の文字をせっせと朝から筆で書ゐておりますと、さすがに疲れて参りました。しかし此れだけは書き留めておきたゐのです。この麗人に出会う前までは、もはや覚えておりませぬ。これがわたくしの一生なので御座ゐます。麗人はわたくしの横で変わらず微笑んでおります。愛おしゐ人の体は確かに其処にあります、しかし心は未だ無ゐままです。わたくしは欲張りで卑しい欲望に塗れた悪魔で御座ゐますからこの麗人の心すらも奪ゐ取ってしまわなければ気が済まなゐ。

わたくしは以前何にも変えられなゐ美しゐヒトの内蔵を取り出した時に使った唯一無二の刃を左手に持ちながらこれを色々な思ゐの中書ゐております。この女の心のありかなど知ってゐます。しかし、同じ場所に行った所できっとわたくしは下の方で貴女は上の方だ。

手が震えてもはや字も書けませぬ、

怖ゐ、怖くなゐはずがなゐ。

それでも私はあの人の心に、

会ゐに行くのです。

かみさま、ほとけさま、おてんとさま。

あの人に、あの人の心に、

あわせてくださゐ。


9月30日 君の幸せと私達の再会を祈る。

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