伍
また、人が死にましたか――
そうですか。三人も。
大変に痛ましいことで御座います。
この度の不祥事は、私どもの忌まわしき因果が引き起こしたもの。
祖父に成り代わりまして、私がお詫び申し上げます。
申し遅れました。
私は鵙神社が当代神職を仕ります実相寺祥子と申します。
生前、祖父が申しておりました。
遠からぬ未来、誰かが鵙神社にかかる因果を解き明かしにくるだろうと。
そして、その際には、
語られぬ歴史を、
呪われし真実を、
私の口より
全て、
お話するようにと。
岳羽様、鍋島様。
今が。
その時で御座います――
* * *
お察しの通り、私はかつて神社に居りました神主や鵙の巫女とは直接的な関係は御座いません。
寧ろ逆。
私は彼らの信仰の残滓を封じるために此処に居るので御座います。
そうですね。
まずはその辺りからご説明致しましょう。
この神社を鎮魂の社として再建しましたのは、愚職の前任、つまり私の祖父にあたる人物で御座います。
左様。
貴方がたがお持ちのその本を著した郷土史家が、私の祖父で御座います。
彼は、彼の村の長であり、
そして、
娘子を鍬で打ち殺した狂人の父親に他なりません。
祖父は後悔しておりました。
狂った信仰に支配され、殺意に弄ばれるがまま土中に没した自らの村の最期を。
救うことの出来なかった、己が息子の死を。
ずっと、後悔しておりました。
後悔と悔悟と懺悔の中、祖父は神社に残された殺意そのものというべき忌まわしい品を発見しました。
それが、岳羽様がお持ちのその護符です。
歪に盛り上がった土塊の上に以前と何ら変わらぬ異形を保つ神社に祖父は何を思ったのでしょう?
開け放たれた扉から溢れ出る無数の護符を目の当たりにして祖父は何を思ったのでしょう?
私には想像することも出来ません。
以来、祖父は研究に没頭しました。
研究に没頭し、その生涯のほぼ全てを費やしました。
その結実が、貴方がたがお持ちの稀覯本で御座います。
そうですね、鍋島様。
確かに、自分たちの忌まわしい信仰体系を詳らかにし、剰え其れを世間に発表するという行為に意味など無い。
私もそう思っておりました。
祖父から神職を受け継ぐ際、それとなく尋ねたことがあります。
何故、埋もれた恥辱を掘り返すような真似をするのかと。
祖父は一言。
鎮魂のためだ、と言いました。
思うに祖父はあの土の下に眠る叔父様の生きた証を残したかったのでは無いでしょうか。それがたとえ、血と狂気と汚辱に塗れていたとしても。
一人ぼっちで土の中に残すのは、可愛そうだと思ったので御座いましょう。
そうした祖父の研究成果に基いて、この神社の信仰は再構成されております。
鍋島様。
貴方は既にご存知なのでしょう?
岳羽様。
護符を今一度、本殿に封じ込めて下さい。
恐らくそれで全てが終わります。
* * *
鍋島様。
私の様なものが申し上げることではありませんが、
見事な、洞察で御座いました。
かつて貴方と同じような学者様がこの神社を訪れたことが御座いました。
何十年も昔の事です。
禁忌の忌々しさに逃げ散った彼らには、その護符に挑み、岳羽様のお命を救うことなど到底出来なかったでしょう。
きっと良き師をお持ちなのですね。
祖父が、生涯を賭けてその本に著した思いを、よく汲み取って下さいました。
本当にありがとうございました。
ですから、貴方には本当のことをお伝え致します。
貴方の洞察は概ね正しい。
しかしながら、完全ではない。
意図的に潜ませた真実があるように、意図的に隠滅された真実が御座います。
それを、お話させて頂きます。
貴方が"謎"と表現した、語りえぬ物語を――
* * *
何故、村は人死を隠蔽したのか。
有り体に言えば、これがこの村に隠された最後の真実で御座います。
全ての由縁は、鵙の巫女に御座います。
そして。
あの男。
あの狂った神主が。
五体満足で生まれた自分の娘の――
耳と、
目と、
鼻を、
削ぎ落とした事が全ての発端に他なりません。
鍋島様。貴方は言いました。
そういう障害をもって生まれる者も居ると。
数ある生命の誕生の中、そういった手違いが不幸にも生じることは一面事実で御座います。
それが真実なら良かった。
縋りたくなるほどに、それが真実なら良かった。
でも、事実は違うのです。
神主は祝福されて生まれい出た己が娘の顔に、残酷な刃を突き立てたのです。
そして、
村人は皆、そのことを知っていました。
百年前のある日。
村の皆が寝静まったころ、火の付いた様な赤子の泣き声が村中に響き渡りました。
その辺りの痛々しさに、村々の者は飛び起き、松明を片手にその声の主を探したそうです。
村長であった祖父を中心とした村の若衆たちが、赤子の居る家を一軒一軒回りました。
どの家の赤子も安らかな顔で、すやすやと眠るばかりで御座いました。
しかしながら、村に響き渡る赤子の泣き声は止みません。
それどこか次第に激しさを増していきます。
誰かがふと言いました。
"あの神社にも最近子供が生まれたんだったな"
その声に、
皆がふと神社を見遣ると、
闇夜の中に、石灯籠の灯りがぼうっと浮かび上がったそうです。
誰もが嫌な予感を胸に抱きつつ、松明を掲げた一団は、葬列のように押し黙って参道を登ります。
幽かな石灯籠の灯りだけが照らし出す本殿は、幽鬼の様な異様さに包まれておりました。
どう声を掛けたものかと皆が思案していると、
ぎぃぃぃぃぃという嫌な音を立てて、
本殿の扉が、開きました。
神主は、ニタニタと笑っていたそうです。
狂ってしまっていたんでしょうね。
鍋島様。
殺意に晒された人間の心は、壊れてしまうんですよ。
その神社には殺意が凝っておりました。名もなき殺意が一人の人間の心を殺したんので御座います。
祖父は申しておりました。
自分は未だに夢に見る。
貼り付けられたような笑みを浮かべていた神主が、突然ケラケラと声を上げて笑い始めたことを。
その手に握られた、恐らく祭具であろう刀からずるりと赤黒い何かがこぼれ落ちたことを。
そして。
神主の足下に転がった血まみれの赤子が蚕のように、痙攣したかと思うと、
だらりと、
舌を伸ばしたことを。
呆気に取られる者。
叫び声を上げる者。
嘔吐する者。
気絶する者。
失禁する者。
阿鼻叫喚の地獄絵図の中、唯一人、神主を殴り飛ばしたのが、
私の叔父だった、そうです。
彼は蹲り震えていた村唯一の医者を叩き起こすと、娘の治療をさせたそうです。
当時の縫合技術など拙いものでしたし、そもそも、
耳も、目も、鼻も、酷く潰れて床になすりつけてあったような状態でしたので、
どうしようもありませんでした。
いつの間にか本殿の隅に座り込んだ神主はその様子をじぃっと眺めていたそうです。
相変わらず、ニヤニヤと笑いながら。
当時は維新間もない混迷期で御座いましました。
廃藩置県に代表されるような村落の統廃合が隆盛の折、仮にも神職である人間によって猟奇的な殺人が引き起こされたとあれば、村は間違いなく廃村の憂き目にあったことでしょう。
だから、村の人間は取り計らったので御座います。
この一件を闇に葬ることを。
弛緩したように動かぬ神主を打ち捨てて、村人は協力して娘を穴に埋めたそうです。
火葬にするべきだとの声も上がりました。
しかしながら、既にボロ布の様に成り果てた娘をそれ以上傷めつけるようなことはどうしても出来なかったと祖父は申しておりました。
娘を土中に埋め固めた後、祖父の号令で寄合が開かれ、この件については一切他言無用との申し送りがなされました。
かくして、村は一つ目の死を隠匿したので御座います。
それから十年余りの月日が流れました。
蚕が死に始め、そして村人が次々と命を落としました。
突如として訪れた災厄で御座いますが、
村人は皆、口に出さぬうちに、その因果を諒解しておりました。
自分たちが土に埋めた娘が村を祟っているに違いないと。
だから、村人は鵙神社で祭礼を行い、娘の魂を鎮めようとしたので御座いましょう。
それゆえに、
それだからこそ、
あの神主が、
娘を、
鵙の巫女を抱きかかえて現れた際の村人の恐怖は想像するに余りありましょう。
娘は、生きていたのです。
神主は、村人の目を盗んで、娘を掘り起こし、以来十数年に渡って、人知れず養育していたので御座います。
そのおぞましさ。
その忌々しさ。
死んでくれていたほうが良かった。
自分たちが穴に埋めて隠した娘が生きて再び常世に舞い戻ってきた。
それは、祟りや呪いより遥かに恐ろしいものだったで御座いましょう。
かくして彼の村は殺意と狂気に飲み込まれたので御座います。
そこからは、坂道を転がり落ちる石に等しゅう御座いました。
狂気に囚われた村人は殺し、殺され、自ら死を選び取っていきました。
死の狂乱の只中、彼らはどれだけ外の助けを求めたかったことでしょう。
しかし。
巫女の舌が怪しく蠢く度、村人は声ならぬ声を聞くのです。
"お前は妾を助けてくれなかったくせに"
"どうして、助かろうと思っているんだ?”
"次は――"
お前にしてやろうか?
モズ。
鵙。
そして。
――"百舌鳥"
恐怖は、畏怖に。
畏怖は、畏敬に。
畏敬は、狂信へと摩り替わり――
村人は、呪われた神社に傅いたので御座います。
* * *
はい、岳羽様。なんで御座いましょう?
ああ。
あの神主を松の木に括ったの誰か?
それは、
結局、
分からず終いだったそうです。
祖父も方々手を尽くして探し回ったそうですが、村は土中に沈み、人々は悉く行方知れずとなりました。当時の事情を知る村人とは終ぞ出会うことがなかったそうです。
きっと、暗がりに潜んで、耳と目を閉じひっそりと暮らしているのでしょう。
恐らく未来永劫、名乗り出ることはありますまい。
語りえぬ最後の罪が未だ彼らを責め苛続けているので御座います。
これが、最後の物語です。
巫女の最後の託宣。
地滑りによる、村の滅びの予告。
巫女は、失った感覚と引き換えに手に入れた異常触覚を以って、地滑りの兆候を鋭敏に感じ取ったのではないかと祖父は申しておりました。
それが、託宣の正体であると。
もはや正気を失いつつあった村人にとって、巫女の予言は絶対であり彼らは早々に逃散致しました。
事実、地滑りが村を浚った訳ですから、正しいと言えば正しい判断で御座いましょう。
彼らが――
巫女を置き去りにしたことを除いて――
村人は、今一度娘を暗い土の底に沈めたのです。
村そのものが消滅したわけですから、それ以上人死も御座いません。
私の祖父がそうであったように、村人たちは皆畳の上で死ねたのかもしれません。
しかしながら。
何も解決していない。
神社には全てがあの時のまま残されております。
さて。
岳羽様。
そういった具合で、神主を亡き者にした者は分からず終いで御座います。
しかし。
祖父はこうも言っておりました。
鵙神社が生まれで手以来、村には数え切れないほどの死人が出たが、
あの松の木に突き刺さって死んでいたのは、
よくよく考えると、
たった二人しかいない。
悪党某と、
あの神主。
神の仕業と言うのであれば、それなのかもしれないな。
そう言っていたので御座います。
* * *
私の話は以上で御座います。
とはいえ、小社の老婆の独り言に過ぎませぬ。
信じるも、信じないもお二人次第で御座います。
私ですか?
私は命尽きるその日まで、神職として神に仕え生きて、そして死んでいきましょう。
祈りを捧げる事しかできぬ身で御座いますが、
いつか、この神社に纏わる禁忌が、
山に溶け、神の元に還る日が来る事を、願ってやみません。