壱
娘を鍬で打ち殺した時のことはよく覚えていません。
土を耕すような気楽さで、歌でも歌いたくなるような爽快さで、私は娘の頭を叩き割りました。
叩き割って、叩き切りました。結局何等分にしたんでしたっけ?
娘のことですか?
ええ。懸想しておりました。私のような半端者に好かれたところで嬉しくも何ともないでしょうが。
だから、他の男に抱かれたのでしょう。
あの神社で。あの松の下で。
だから殺したのか?だから憎かったのか?
そうですね。それは非常に分かりやすい。
じゃあ、それで良いです。
私が狂っている?
そりゃあそうでしょう。懸想していた娘を細切れにしたんですから、私は狂っていますとも。
でも、狂ってるのは本当に私だけでしょうか?
貴方も見たじゃないですか。
どうして平気なんですか。どうして無視するんですか。
あの神社は明らかに異常じゃないですか。
貴方達はあれに何を祈っているのですか?
ああ、気に触ったのなら謝ります。すいませんでした。
そうだ。
どうせ最期だ。ちょっと教えて下さいよ。
あの神主を木に吊るしたの、誰かご存じですか?
* * *
まだ時間はあるようですね。もう少しお話をしましょうか。
ええと、あの神社、なんていう名前でしたっけ。
ああ、そうそう。鵙神社だ。
昔の人も気の利いた名前を付けたものですね。
あの昔話はちょっと気に入っているんです。
確か、昔この村にはどうしようもない悪党の某が居て、そいつが蚕を殺すわ女子供を拐かすわやりたい放題だった。でも神様ってのは見ているもので、ある日姿が見えなくなったと思ったら、その悪党の死体があの松の木に突き刺さっていたんでしたっけ?
まるでモズの早贄みたいに。
だから、鵙神社。
爺さん連中は山の神様のお陰だなんて本気で信じているようでしたけど、貴方もそう思います?
そうですか。
私はね。
村の人間で、よってたかって、その某を殺して木に吊るしたと思っています。
だって可笑しいでしょう?山の神様がわざわざ人間を木に吊るしたりしますかね。
神隠しって言うんですか?
そういうのでパッと消してしまえば良かったのに。
他の村の山の神様はそうしてますよ。そんなお話が残っている。
この村の伝説だけが、どうにも人間臭いんですよ。
まあ、昔々のお話ですから。
信じるも信じないも、貴方の自由です。
でも、人一人死なせておいて、奇跡だ祟りだと祭り上げたのは間違いないわけで。
そもそもの起こりから狂ってるんですよ、この村の信仰は。
今は悪党の代わりに神主の死体がぶら下がっているんですよね。
結局誰も降ろしてやらなかったのか。
あれも悪党だから仕方がないのかな。
この村の養蚕っていつから始まったんですか?
へえ、室町時代から。ご苦労様です。
それにしても沢山死にましたね。あれは見ものだった。
卵が孵らず死んだ。
幼虫が飯を喰わず死んだ。
飯を喰ったら突然苦しんで死んだ。
繭を作らぬまま死んだ。
繭を作ったがその中で死んだ。
繭から出てきたが死んだ。
繭から出てきたものは、凡そ蚕とは言い難い奇形の蟲で――
それも、すぐ死んだ。
あっという間でした。もう目も当てられない。
正直あの時は僕も駄目だと思いました。一応これでもこの村で生まれ育った人間ですから、やっぱり養蚕が立ち行かなくなるのは悲しかったなあ。
その頃でしたっけ。
あの巫女が湧いて出たのは。
あれを始めて見た時は正直驚きました。あんなもの人間じゃありません。
そういう風に生まれるものもいる?
それはそうでしょうが――
貴方がそれを言ってはいけないでしょう?
まあ、いいです。どうせもうお仕舞いですから。
確かあの頃からだったと思いますよ、村が本格的に可笑しくなったのは。
蚕が尽きて、絹が尽きて、金が尽きて、飯が尽きた。
餓鬼畜生の地獄でした。
何人死んだんでしたっけ?
四人。
ええと、それに私のは含みますか?
一人目と二人目は無理心中だったから。
そうだ三人目。
確か嘉兵衛さんの所の旦那が奥さんを喰い殺した時でしたか?
一番貧乏な家でしたからね、喰うに困るのも一番最初だった。
奥さん、なんて名前でしたっけ?
童だった時分、風車を作ってくれたことがありました。
嬉しかったなあ。
山から下りてくる風で羽がくるくると回るんです。
くるくると。
くるくると。
最初に見つかったのはどっちでしたっけ?
ああ、首のほうか。
蚕の小屋に放り投げてあったんですよね。確か、目玉をくり抜かれてた。
それからすぐ溜池に浮かんでいる体のほうが見つかった、あれは酷かった。全身歯型だらけ。
池の畔に旦那がぼうっと座っていました。
何かをくちゃくちゃ噛んでましたね。
何を食べていたんでしょう。
美味しかったのかな。
四人目は、ええと。
そうか、旦那の方か。
座敷牢で首を括ったんですよね。
丁度、この隣の部屋ですね。
* * *
あの神主のことは昔から嫌いでした。
だって気持ち悪いでしょう。
あの平安貴族みたいな喋り方、何とかならなかったんでしょうか?
神社の隅に座って日がな松の木をぼうっと見つめてニタニタ笑っていました。
石を投げてやったことがありました。
当たらなかったけど。
狙いが逸れて、てんてんと転がっていく石を面白そうに見ていました。
あの時、殺してやれば良かった。
短期間で四人の死体が挙がりました。
村の一大事です。
寄合で決めましたね。村に良くないものが湧いているから鵙神社で儀式をしようって。
私は反対しましたよ。
だって、あんなことをした神主がニタニタ笑っているだけの場所で、何が出来るのかって。
そもそも、あの神主こそが、良くないものだった。
私はずうっと、そう思っていますよ。
"鵙の巫女の託宣じゃ"
そう言って、神主が座敷に放り出した娘の顔を見て、何人逃げ出したか覚えていますか?
もぞもぞと蚕みたいに蠢く娘の姿を見て、何人嘔吐したか覚えていますか?
だらりと伸びた舌から唾液が糸を引くのを見て、何人念仏を唱えたか覚えていますか?
忘れたなんて言うなよ。
貴方の村のことじゃないか。
貴方の村が、しでかしたことじゃないか。
神主は言いました。
"巫女が怖いか"
誰も何も言いませんでしたね。
"巫女が怖いか"
誰も何も言えませんでしたね。
自分たちが生み出した化物でしたから。
生み出でるのを、見届けた化物でしたから。
記憶の底にどけておいて、見なかったことに、居なかったことにした、
化物ですから。
"恐れるでない"
"この娘は、鵙の巫女じゃ"
"耳も"
"目も"
"鼻も"
"みぃぃぃぃぃんな山の神にくれてやったのじゃ"
娘には耳も、目も、鼻もありませんでした。
耳は引き千切られ、目は抉り出され、鼻はそぎ落とされ。
だらりと伸びた舌から唾液を垂れ流し、時折痙攣するようにじたばたと這い回る。
鵙の巫女、だそうです。
神主はそんな化物をそれはそれは愛おしそうに眺めていましたね。
愛おしそうに眺めて、どうしたんでしたっけ?
言ってくださいよ。
貴方の口から聞きたいんです。
そう、
娘の口元に顔を寄せて、
自分の顔を舐めさせたんですよね。
良く出来ました。
"託宣じゃ"
唾液に塗れてニタニタ笑う神主の顔は今でも忘れられません。
"祭礼を取り行い、この地に蔓延る荒御霊鎮め給うべし"
やっぱり、誰も何も言いませんでした。
* * *
あの巫女に何をみたかは知りませんが、祭礼はすぐに執り行われました。
篝火を焚いて、酒を振舞って、神楽を舞った。
神主は楽しそうに眺めていましたよ。あの化物を大事そうに抱えながら。
そんな顔しないでください。
別に責めているわけではありませんから。
五人目は誰でしたっけ?
ほら、祭りの最中に松から飛び降りた人。
清兵衛さん?
いたかなあ、そんな人。
篳篥に混じって聞こえた蛙の破裂するような音は傑作でした。
人間の八割は水というのは本当なんだなあ。
臭いさえなければ、もっと綺麗だったのに。
"おお、また死んだ"
"巫女よ巫女よ"
"おう、なんじゃ"
"そうか、次は――"
僕は見ましたよ。
あの時、
あの巫女がげひげひという空気の漏れるような音をさせながら、
あの神主と同じ表情で、
楽しそうに、
嗤うのを。
* * *
祭りが終わってからでしたね
蚕が増え始めたのは。
人死はちっとも納まらないのに。
蚕ばっかり増えていった。
桑を喰い尽くし、蟲箱を突き破り、蚕はどんどん増え続けた。
まるで人の魂を養分にしているように、人が死ぬたびに、蚕は目に見えて増えました。
障子の向こうに、蚕の影が見えますね。
一匹、二匹、三匹。
飛べもしないくせに、家の中まで這入って来る。
華奢な足で、体を精一杯に引き摺って、健気なものですね。
牢に入って暫く経ちますが、
家々の壁には、蚕がまだびっしり張り付いたままなんでしょうね。
私には分かります。
知っていますか?
あの祭りのあと、夜な夜な村人が鵙神社を詣でる様になったそうです。
何をお祈りしたんでしょうねえ。
貴方も行きましたか?
* * *
私が殺した娘は何人目でしたか?
十人目?
はあ、そうですか。
案外しつこいんですね。
何故殺したかはやっぱりわかりません。
気がついたら血まみれの鍬を握っていて、娘の体は土塊と区別が付かない位小さくなっていました。
あの後、私は鵙神社に行きました。
何となくあの巫女に会ってみたくなってのです。会って「殺してきたよ」と言ってみたくなったのです。巫女がどんな顔をするか見てみたくなったのです。
顔なんかありゃあしませんが。
まあ、例えですよ。
あの急な石段を登りながら、童の頃を思い出しました。
村の子供たちと一緒になって、蝉を取ったこと。
境内に寝そべって、流れる雲を見ていたこと。
鞠を付いて歌を歌うあの娘に、恋したこと。
気がついたら、涙が流れていました。
松の木に神主がぶら下がっているの気が付いたのは、その時のことです。
立派な枝に喉を刺し貫かれて、じたばたと足を動かしていました。
生きていたんですね。
まだ。
私は境内に腰掛けて、その様子をずっと眺めていました。
びちゃりと言う音がして、赤黒い血の塊が落ちました。
松の枝を見上げると、神主は白目を剥いて動かなくなっていました。
首に掻き毟ったような生々しい傷跡が何本も走っていました。
大層苦しんだのでしょう。
興味の失せた僕は本殿に目をやると、
少しだけ扉が開いていました。
その隙間から巫女が顔を覗かせていました。
私は夢遊病患者のように巫女の許に歩み寄ると、血に塗れた両手でその顔を包み込みました。
まだ乾き切らない娘の血が、
巫女の内耳を、眼窩を、鼻腔を赤く彩っていきます。
ちらりと本堂を覗き見ると、一面にお札のようなものが貼り付けてあるのが見えました。
あれがこの村の信仰の深奥なんだと確信しました。
あの時。
私は神の姿を見たのです。
巫女は全身を痙攣させるようにしてにたにた笑うと、私の手に付いた血を舐めとりました。
その舌を生き物のようにくねらせて。
"地面が滑って――
村が無くなるよ"
私は巫女の託宣を確かに聞いたのです。
* * *
村の皆はどうしましたか?
そうですか、皆。それは何より。
こんな狂人の話を信じてくださってありがとうございました。
どうして泣いているのですか?
私は思うんです。
私たちは最初からどこかで間違っていた。
人と神を混同して、見るべきものを見なかった。
これは最初から決まっていたことなんだと。
悲しいことなんて、何もありません。
地面の震える音が聞こえます。
そろそろのですね。
願わくば、流れくる土がこの村のすべての記憶を埋め潰し、洗い清めてくれることを望みます。
ありがとう。
さようなら。
お父さん。