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僕の会社の姉さんは、裏では守護神と呼ばれている。

僕の会社の姉さんは、返事に時間がかかる

作者: はらぺこ姫
掲載日:2026/02/28

3話目作成のため、改変しました

【姉さんの独り言】

『最近、増えたわね』

受け取ったデータを指で弾きながら姉さんはつぶやく。

『異常なし。問題なし。変わりありません』

小さくため息を吐いた後。

『そろそろ誰か気づきなさいよ。

相手が同じ言葉を繰り返すことこそが異常だということに』

そして、マグカップに入った緑茶を飲む。

『さて、誰が一番に気づくか予測するのも楽しそうね』

ふふっ。と笑いながら“姉さんへの貢ぎ物”の続きを読み出した。


【子会社】

蒼の前で、電話が鳴った。

伸びかけた手が一瞬止まる。

机の上には、新しく作り直されたマニュアルがある。

「深呼吸してから」

蒼の手が受話器を取る。

「お待たせいたしました。担当の蒼です。」

相手は、やはり困惑し、焦っていた。

「動かないんだ! どうやっても動かないんだよ」

蒼は、マニュアルを指先でなぞる。

「動かないんですね。

詳しく状況を知りたいので、

いくつか質問してもよろしいでしょうか?」

受話器の向こうで、安堵のため息が聞こえた。

なら。

「型番はおわかりですか?

わからなければ、こちらで照合しますが」

蒼は、同時に姉さんに問いかける。

相手は沈黙で答えている。

「大丈夫です。今確認させていただきました。

この機械の話でしょうか?」

姉さんからの情報をもとに、相手の状況から迷いなく一つの候補に絞って問いかける。

「そう、それそれ。なんか動かそうとしてもうんともすんとも言わないんだよ」

視線を落とす。

姉さんとマニュアルの答えは同じ。

「もしかして、エンジンをつけたままの状況では無いですか?」

相手が息を呑んだ。

「え?付けないと動かないんじゃ?」

画面の姉さんに向かって頷く。

「エンジンをつけたままだと、安全装置が働くんです。

おそらく始動ボタンの上にそのことを書いているはずですが」

相手があっと声をあげた。

「わかりきってると思って、そんなところまで見なかった」

すまなかった。ありがとうと電話は切れる。

蒼は、大きく息を吐いた。

蒼の手は、じんわりと汗が滲んでいる。

でも。

「やった。姉さんへの貢ぎ物ができた」

小さくガッツポーズをする蒼。

電話の内容を打ち込む蒼の横で、颯がつぶやく。

「おかしいな。現場からのフィードバック。

今月も異常なし。そんなはずはないと思うけどなあ」

それを聞いた多坂が、手帳を取り出す。

「それはおかしいな。ああ、あった。この日、確か−」

2人でPCの前で、顔を突き合わせ現場からの情報と照合していく。

「そもそも、こんなに毎日、テンプレのように同じ文面が続くか?」

多坂のこの一言に、蒼が、ふと思い出したことを口にした。

「そういえば、前の職場では、自動で書類を代わりに書かせていた先輩がいたんです。

まさか?」

冗談めかして、終わらせようとした蒼に対して、颯が頭をかきむしる。

「あ。だからか。気づかなかった。

じゃあ、あれもそうじゃないかな。

姉さん全部出して。照合し直すから」

PCを前にぶつぶつ言いだした颯。

多坂が、そんなことできるのか?と蒼に聞く。

「ええ。僕は聞いただけなんで。颯先輩の方が詳しそうですけど」

忙しそうですよね、という言葉を蒼は飲み込んだ。

代わりに社長が、2人を手招きする。

「多坂、そのメモの中で、問題の起きた現場に行ってきてもらえないか?

見落としがあるかもしれない。

あと、蒼、多坂のフォロー頼む」

多坂と蒼は、顔を見合わせる。


【現場にて】

「ここも、報告と同じでしたね」

平和な現場。

どの現場も問題はなさそうだった。

二人が何件目かを終え、最後の現場に到着したときだった。

静寂が支配している。

蒼が車を降りて、首を捻りながら車のドアを閉めた時だった。

「バカっ。死にたいのかっ。

何度言ったらわかるんだ」

聞き覚えのある怒鳴り声に、蒼の体が思わず竦む。

目の前の新人らしき律も同じように体をこわばらせている。

「また、あの人か」

多坂が小さく息を吐く。

そして、穏やかな声で告げた。

「沖さん、ダメですよ。

いくら命に関わるといっても、怒鳴るのは。

パワハラと言われますよ」

一瞬、多坂の顔をみた沖だったが、

変わらず機械動かそうとする律を見て、再び怒鳴る。

「だから、それを飛ばすから危ないって言ってるんだよ」

現場の空気はまだ緊張感に包まれたままだ。

多坂が、蒼の耳元で小さく。

「いいか。自分が合図を送ったら、

あの機械を動かしている子、律と

事務所の前にある自販機へ行くんだ。

今はお互い興奮してるから話にならない」

蒼が頷くのを確認した多坂が、沖さんに向かって歩いていく。

手の動きは「今すぐ行け」のサインだ。

多坂の後ろ手での合図を受け取った蒼は、

律らしき人物の元へ歩み寄る。

蒼の顔を見た律が、ようやく機械の動きを止めた。

「怒鳴ってばっかで、わかんねーよ」

少し離れた場所で、膝を抱えた、律が吐き捨てる。

蒼は、一瞬迷ってから、隣にしゃがんだ。

「あの人、確かに怒ると怖いんだけど。でも」

ちょっと考えて。

少し首を傾げて律の顔を見る。

「理不尽な事で怒ったことはないと思うけど」

沖の怒った時を思い出しながら律に説明する。

「んなわけない。今日のは、手順飛ばしてたって言うけどさ。」

律の言葉を聞きながら、

蒼の頭の中で、何かがつながりかける。

沖さんがなぜ怒ったのか。

なぜ怒られても続けたのか。

それってヒヤリじゃないかなと口に出しかけたものの。

何をどう説明すればいいのか、自分でも判らない。

初対面同士で会話が続くはずもなく、沈黙が落ちる。

その静けさを割るように、多坂の声が響いた。

「じゃあこうしませんか?」

その言葉に救いを求めるように皆が、多坂の方を見る。

「弊社では、新人研修も行なっております。

数日間、彼を研修に出してみませんか?」

律と蒼が顔を見合わせる。

沖が、律の方をちらりと見る。

「で、何が変わるんだ?」

そんな沖に、すかさず多坂が資料を差し出しながら言う。

「変わるかどうかは本人次第です」

多坂も、律の方を見る。

そして、ゆっくりと二人の方に歩み寄る。

「ただ、“気付き”はあるはずです。

うちの新人を見てください。

たった数ヶ月でここまで成長しています」

「え?あの…」

戸惑った蒼の声だけが辺りにこだまする。

沖が渡された資料をざっとめくり、顔を上げる。

「確かに。最初の電話の時は、大丈夫かこいつと思った。

それが、今じゃ頼もしくなって、任せようと思える」

沖は、律の方を見てニヤリと笑った。

「よし、律行ってこい。

バカな俺が言うより、賢い蒼の言うことなら理解できるかもしれん」

突然のことに、思わず立ち上がる律。

「は?」

不満なのは、沖に対してか、それとも蒼に対してか。

再び固まる蒼。

多坂と沖だけが、視線を交わし、小さく頷いた。


【子会社】

仕事場は、今までの喧騒が嘘のように静かだった。

「じゃあ、蒼。任せたぞ」

社長の声は、いつも通りあっさりしている。

「え?」

ピシリ、と固まりかけて、慌てて周りを見回す。

多坂さんは、教えてもらうには、たまに説教くさくなるから無理。

あとは

「それは、颯先輩の方が」

初めての研修を思い出す。

あの引き込まれるような会話術なら、律とも相性良さそう。

「颯は、今本社からの監査の書類チェックをお願いしている」

社長の言葉通り、監査書類の山と格闘する颯の背中に。

話しかけるなオーラがヒシヒシと感じられる。

「監査、近いんですね」

蒼は、がっくりと項垂れる。

逃げ道は最初からなかったようだ。

「大丈夫」

多坂の声に、別の期待を込めて見上げる。

「同じ“困った”を経験した同士だ。蒼ならできる」

アドバイスになってない多坂を恨めしげに睨む。

それって、丸投げと言いますよね。

何をしていいか、よくわからない。

姉さんに聞いても、一般的な資料しか貰えなかった。

それでも一通りの資料はあったので、それを広げる。

でも、蒼にはしっくりこなかった。

そして迎えた当日。

律の愚痴は、止まらなかった。

「沖さんさ、あのいい方はきつすぎないか?」

「書類多すぎなんだよ。あれ全部書かなきゃいけないか?」

「だからさ、全部前のを見て、丸写ししてるんだよ」

「ちっとも仕事が進まないで、残業ばっかり増えて。

昨日も彼女と喧嘩したよ。もー終わりかも」

蒼は、ひたすら相槌を返す。

突破口が、見えない。

「蒼のとこはいいよな」

折り目すらついていない資料を軽く投げて、律が言う。

「困ったら、姉さんとやらに聞けるんだから」

―その瞬間。

蒼の中で、何かが、ぷつりと切れた。

僕が楽をしている?

便利?

うちの姉さんはそんなに甘くない。

「わかった。じゃあ」

蒼の気迫に、律の動きが一瞬止まる。

「せっかくここまで来たんだから、姉さんに聞いてみよう」

ごくり…律の喉が鳴る。

そのまま、律を引きずるように研修室を出た。

律がPCの前に座る。

キーボードに指を置いたまま、固まる。

数秒。

「なに打っていいか、わかんねえよ」

情けない声。

蒼は小さくため息をつく。

「音声入力もできるけど。

やってみる?」

律の為に音声入力に切り替える。

最初は戸惑っていた律。

話しているうちに、だんだん調子が出たようだ。

怒鳴られること。

書類が多いこと。

出来高なので、残業しても、給料にはならないこと。

彼女とうまくいかないこと。

言いたいだけ言うと。

最後にエンターキーを押す。

一瞬、赤い文字。

『情報不足』

続いて表示される文。

『本当に自分が欲しいモノを伝えなさい。

じゃないと一般論しか教えられない』

律が顔をしかめる。

「最新のシステムって言っても大したことないな」

「違う」

蒼は画面を見つめたまま、首を振る。

「これ、姉さんの本音だよ。

情報が足りないから判断できないって」

律が眉をひそめる。

「一般論のどこが悪いんだよ」

投げやりの態度な律に、蒼は確認するように聞いた。

「本当に、それでいいの?

律、沖さんのこと、尊敬してるって言ってなかった?」

その瞬間。

律の脳裏に、沖の見惚れるほどの操作を思い出す。

あの動きを真似しようとして、焦って怒られて。

その繰り返し。

「沖さんと同じようになりたい」

小さく呟く。

「でも、どうやって再現するんだよ。沖さんの動き」

自分がつまずいているのもそれだ。

蒼も腕を組んで考える。

多坂さんがいつもメモを姉さんに渡しているのを見て。

一回姉さんに聞いたことがある。

たしか、動画でも良いって言ってたような。

「動画なら、いけるかも」

2人の視線が交わる。

「「それだ」」

そして、同時に頭を抱える。

「でも、沖さんに撮らせてもらえるか?」

ちょうどそこへ、多坂が通りかかる。

目の前には、床で頭を抱える2人。

講習で何かあったことだけは間違いない。

「どうした?」

視界に、先程までのログが見えた。

何も言わずにそれを読む。

「ああ、なるほど」

動画のくだりでこの状況か。

多坂は少し顔を見上げ、考える。

「沖さんなら、心配ないと思うぞ?」

疑うような視線を多坂に向ける2人。

多坂は肩をすくめる。

「わかった。俺がついていってやる」

軽く笑いながら、二人を現場へと促した。

蒼は慌てて、姉さんに動画の撮り方の手順を聞いた。


【現場にて】

「あ、俺の動きを動画に?」

律が言い出すまで、2人で何度も小突き合った。

やるか。

やめるか。

言うか。

やっぱやめるか。

覚悟を決めた律が声を張る。

沖は露骨に顔をしかめた。

「はあ? なんで俺が」

沖さんのボヤキにも近い声。

そこに多坂が割って入る。

「沖さん、いいじゃないですか。

二人に“かっこいいお手本”見せてやってくださいよ」

多坂が、ニヤリと笑う。

「昔のあの話してもいいんですか?

2人がビックリすると思いますよ」

多坂の言葉に沖の顔が、露骨に歪む。

「わかった。あの話はするな」

低い声にも、多坂は笑ったままだ。

「2人に手本を見せりゃいいんだろ」

渋々、という言葉とは裏腹に、

沖の操作台へ向かう足取りはウキウキしている。

操作台の椅子に腰を下ろした瞬間、空気が変わる。

「2人とも。撮影はいいが、安全な場所に避難しろ」

もう現場の圧だ。

多坂が小さく頷く。

「危なくない距離、保てよ」

蒼と律はそれぞれ位置を取る。

多坂の合図に。

エンジン音が響く。

沖の動きは、無駄がない。

確認。

操作。

視線の移動。

全てが滑らかで、律が動かしていた時よりも、

音すら静かな気がする。

2人は無言で撮り続ける。

やがて、エンジン音が止む。

静寂。

沖がヘルメットを外し、笑う。

「久々に緊張したぜ」

ヘルメットを外した顔は、どこか少年のようだった。

「沖さん、カッコイイです」

一番に声をあげたのは、蒼だ。

横で、律が自分が褒められたわけでもないのに、

なぜか自慢げな顔になる。

「マニュアルにない動きありましたよね。

あれって何でですか?」

蒼の質問は止まらない。

「お? わかるか?」

沖の口元が緩む。

「それはな、あの位置からだと、後ろのあの部分が死角になるんだよ。

だから目視で確認してから、動かす」

沖が笑いながら答えている。

今まで見たことのない、柔らかい笑顔。

律は、その横で、ぎゅっと拳を握る。

胸の奥が、ざわつく。

すごい、とは思った。

でも、それより先に浮かんだのは。

「なんで?」

先に口からこぼれた。

「沖さん、なんで言ってくれなかったんですか?」

沖は本気で首をかしげている。

何を言われているのかわかってない表情だ。

「何でって聞かれなかったから?」

その答えは、あまりにも自然だった。

律の中で、何かがひっくり返る。

聞いていなかったからだって?

沖は、本気で不思議そうだ。

微妙な空気感に、多坂が笑いながら間に入る。

「蒼。質問タイムは終わりだ」

視線を律へ向ける。

「じゃあ、律が沖さんに聞いてみるといい」

律は一瞬、言葉に詰まる。

何から聞いていいか頭が真っ白になる。

姉さんの時と同じ状況。

でも、蒼はなんて言ってたっけ。

とりあえず話すだけ話したら、

必要なら相手が聞いてくるだった。

ならば。

「あの動きだしの合図、どこを見てわかったんですか」

主語すらない言葉。頭の動きに合わせて自然に手が動く。

見ている沖の表情も少し硬い。

今までにない律の様子に緊張しているようだ。

「音だ」

でも、律の手の動きだけで言いたいことが分かったのだろう。

ちゃんと答える。

「音?どの?」

律の手が空を切りながら首を傾げる。

「機械の音が変わるんだよ。少し高くなる」

沖も手の動きで伝えている。

ぽつり、ぽつり。

でも、少しずつ。

沖の説明が長くなり、

律の質問が具体的になり、

会話の速度が上がっていく。

「なあ、これなんて言うんだ?」

時折、律がジェスチャーをしながら蒼に助けを求める声に。

笑いが混じり。

いつの間にか、皆の距離が縮まっていた。

しばらくして。

多坂が気を利かせて買ってくれたお茶を飲みながら、

律がぼそりとつぶやく。

「マニュアルだけじゃなかったんだ」

視線の先には、自分が撮った動画がある。

沖の動きを、質問した答えと合わせて何度も再生する。

「そうだね。聞かないとわからないこともあるよね」

空になったペットボトルを、

ぽんと軽く投げながら蒼も答える。

「忘れないうちに、書いとけよー」

遠くから律に呼びかける沖の声も、今までになく柔らかい。

「わかってますって」

反射的に返した律が、蒼の耳元で囁く。

「この動画、そのまま出しちゃダメかな」

蒼は呆れた目で律を見る。

「また、姉さんに怒られるよ?」

一瞬の沈黙。

2人で顔を見合わせる。

律の口元が、わずかに上がる。

「だよな」

蒼の目にも、もう迷いはない。

動画だけでは、報告書にならない。

2人で同時に、画面を見つめる。

「なあ、書き方教えてくれよ」

律の言葉に。

「一緒に報告書作ろうか」

蒼は、律にもう一度自身の用意した書類を差し出した。


【子会社】

現場から戻った一行を迎えたのは、

書類を片手にコーヒーを飲む颯だった。

「沖さん、かっこよかっただろ?」

まるで現場を見てきたような口ぶり。

颯の言葉に律が眉をひそめる。

律の見る限り、颯はあまり現場に来ていない。

「なんで知ってるんですか?」

颯は肩をすくめる。

「子供の頃、膝に乗せて運転教えてくれたの、沖さんだし」

なんてことない調子で告げる颯に2人が固まる。

「…は?」

「え?」

そう言えば、この人社長の息子だった。

律は、沖のその姿が容易に想像できた。

蒼は思わず壁に寄りかかる。

多坂が皆にコーヒーを差し出しながら笑う。

「だから言ったろ?沖さんなら心配ないって」

颯は静かに書類をめくる。

「怒鳴るのは、あの人なりの焦りだよ。

危ない時の癖みたいなもん」

その言葉は軽い。

「怒鳴った後、沖さん陰で。

またやっちまった。どう言えばよかったんだ。

と一人反省会してるところも動画に残せばよかったか」

と言い出した多坂を、蒼が慌てて止めている。

律は何も言えない。

沖は“怒鳴るだけの上司”じゃなかった。

颯の話を聞く限り、ただのお節介なおじさんだった。

そんな二人を尻目に、コーヒーを飲み終えた颯が立ち上がる。

「そーいや、蒼。面白そうなことやってたね」

蒼が首を傾げる。

颯は持っていた書類をひらりと差し出す。

「これって」

出かける前、2人が姉さんと話したことの要約版。

蒼が思い出したように、颯を見る。

「颯先輩に聞こうと思って机に置いたんです。

どうすればよかったのかなと。

暇なときで良いんで教えて貰おうと」

そのまま、“姉さんへ貢物ボックス”と書かれた

書類置きに入れようとした颯の手が止まる。

「あ、そうか。そうだな」

颯の声が真剣な物に変わる。

赤ペンを取り出し、軽く修正を加え。

颯は赤ペンで囲んだ部分を指す。

「着眼点は面白い。でもさ、ほら、ここ」

蒼が覗き込む。

「この聞き方の何処が?」

興味を持った律も身を乗り出す。

最新のシステムの使い方なんて聞く機会はそうそうない。

颯は少しだけ目を細める。

「これだけだと、相手には通じない」

トントンとペンの音が響く。

「僕も昔やったミスだけどね。

蒼が一番知ってるんじゃないかな」

颯の言葉に、蒼も自分が来たばかりのころを思い出した。

颯はペンを走らせる。

おそらく律が抱えていただろう問題の部分に線を引く。

そして最後に追記される一文。

『相手にわかりやすい言葉で伝えること』

蒼と律が顔を見合わせる。

報告書を書くなんて簡単と思っていた蒼。

律にとっては、それが大きな障害だった。

唖然とする蒼に颯は書類を返す。

「やってみたらいい」

そして、少しだけ口角を上げる。

「姉さんならやり方を教えてくれるよ」

自分の問題が目に見える形になった律が、

情けなさそうな顔で蒼を見る。

蒼も覚悟を決めた。

「わかったよ。僕も、最後まで付き合うよ」

2人で机に向かう。

現場での報告書には、

質問とその答えを書いただけで良かった。

でも、今は。

律がこれから迷わないための地図を作る。

蒼は考える。

律は知識がない訳じゃない。

沖さんとの会話。

手の動き。

多分問題はそこじゃないはず。

「律。教えて。

自分がミスする瞬間、何があったか教えてくれる?」

律の話を元に。

言葉を削る。

足す。

入れ替える。

姉さんに伝わる文章。

それが律に理解できる言葉に。

何度も話をするうちに。

「できた」

颯が書いた後に足した紙はほぼ字で埋め尽くされた。

用意していた資料も律の手によって何重にも書き込みがされている。

「こんなに字書いたの初めてだよ」

律が笑う。

蒼は、その資料を読み込ませる。

「ひらがなばかりだけど読めるかな」

律が変な心配をする。

「多分大丈夫。読めなかったら確認がくる」

蒼はゆっくり深呼吸する。

隣で律が興味津々といった顔で見ている。

『自分は、現場の新人作業員です』

律が頷く。

『現場でミスが多くて困っています。

そのため何度も書類を作らないとダメなのでそれが嫌です』

律が変な顔をした。

堂々と言葉にされるのは複雑な心境だろう。

でも、事実だから仕方がない。

『まず、2人の動きの動画を元に差異を導き出してください』

蒼は少し考える。

『次に、2人のやり取りと、律の身に起こったことから

原因の候補をあげてください』

そして、律と2人で頷く。

『そこから考えられる対策をお願いします』

全てを打ち終わったあと。

「さて、蒼。休憩だよ」

椅子から立ち上がる蒼。

律の視線が何度も蒼と画面を行き来する。

「え?答え」

蒼は笑う。

「この状態の姉さん時間がかかるんだ」

すでにドアを開ける蒼。

慌てて追いかける律。

画面が小さく瞬く。

『あら、やっと本当に聞きたいことが言えたのね。ふふっ』


【姉さんの独り言】

『さて、と』

姉さんの手には。

既に多坂から送られてきた資料が握られている。

『あなたの大好きな上司の意見は判ったわ』

次にとばかりに視線を巡らせる姉さん。

もう、それは恋愛小説を読み漁る手つきだ。

『なるほど、この動画はじっくり見たいわね』

ソファに座りながら動画を眺める姉さん。

『2人の動きを比較すると、なるほどねえ』

差異の個所を次々と指ではじいていく。

『ふむふむ。動きの滑らかさが消えた時、

必ずその後に怒られているようね』

並べられた二人の資料。

起きた現象。

『でも、何故なのかしら。それが起きるのは。

そう言えば、本社にデモ動画があったわよね。

観てこようっと』

やはり、姉さんの分析は時間がかかる。


【子会社】

休憩の間も2人が話していたのは、

沖の凄さと姉さんの凄さについてだった。

途中で、多坂が。

「結果、出ているみたいだぞ」

と呼びにこなければ、

もう少しヒートアップしていたかもしれない。

ドキドキしながら2人で画面の前に立つ。

『結論から言うわね。

律、あなたは沖さんの動きを完璧にトレースは無理よ』

律がショックを受けたものになる。

『理由は、身長、体格、経験。

全てが違い過ぎる』

蒼が息を呑む。

律は動けない。

『具体例を見せるわね。

まずこの動き、沖さんは手を伸ばせば届く。

でも、あなたは立ち上がって一歩前に出ないと届かない』

映し出される動画に律は唇を噛む。

『それをカバーしようと無理に引っ張るから

繊細な調整ができない。考えられる対策は二つ』

映し出される本社のデモ動画。

蒼の目が見開く。

「そんなのあったんだ」

『最初の確認の時、立ち上がる方法』

デモ動画では、確かに立ち上がって確認している。

マニュアルにはそこまで書かれていない。

『これは、沖さんがやると天井に頭をぶつけそうね』

これには、思わず律も想像して笑ってしまった。

『次に、その動作の時、周囲の音が聞こえない

律、そう言ったわね』

律が、画面に向かって頷く。

蒼と原因を考えていた時に気づいたこと。

焦ると周囲の音が聞こえない。

だから、沖が怒鳴るのではないか。

蒼からの指摘に納得したのも事実だ。

『一つ気づいたのだけど。

律、あなたその状態になる前、耳が赤くなっているわよ』

映し出される動画。

動きが雑になる直前、確かに耳が赤くなっている。

思わず耳を押える。

『その後、舌打ちしてるわね。その時に動きを止めれば

周りの音も聞こえるのじゃないかしら』

ウィーン。

冷却ファンの音が響く。

画面が静かに止まる。

部屋が、やけに静かだ。

律は気づいた。

今、耳が熱い。

次の瞬間舌打ちが出そうになった。

これか。これのことなのか。

「そんなクセあったんだ」

律の乾いた笑いが、静寂の中に落ちる。

「すごいでしょ?うちの姉さん」

隣で自慢気な蒼。

再び出そうになる舌打ち。

それがやけに悔しいのは、

誰に対してなのか判らない。

その時、コピー機の音が鳴る。

ウイーン。

カシャン。

出てきた書類を取りに行く蒼。

無言で読み進めた後、律に渡す。

「沖さんの日報?」

首をひねりながら読み進める律。

「律が舌打ちをすると必ず動きが雑になる。

何度言っても止めない。なんとかならないか」

「今日は律に助けられた。マニュアルの細かいところは

老眼で読む気にもなれない。情けないけど律を頼りにしている」

最初は声を出して読んでいた律も。

だんだん無言になる。

「これ?」

蒼に確認するも、蒼も首を傾げている。

「お、終わったか?」

そこに現れる多坂。

「あれ?これ姉さんへの貢物じゃないか」

犯人がここにいた。

どこか、ふわふわとした2人が帰った後。

静かな事務所。

颯は、PCの前に座ったまま動かない。

画面には、全ての照合結果が出ている。

これまでずっと颯がやっていた作業。

現場の意思を本社に届けるための翻訳。

姉さんには足りない情報。

姉さんへの貢物ボックスと書かれた未分類の山。

それをひたすら分類し、時には注釈を加え。

姉さんが読み取りやすい形に整える。

その集大成が先ほどのログとして追加される。

颯は小さく息を吐く。

「これでやっと最後のピースが埋まる」

キーボードの音が、静かな部屋に響く。

「監査用に整えるなら、こうだよな」

一つずつ、言葉を精査する。

画面が静かに応答する。

『監査用書類分類完了』

颯は背もたれに体を預ける。

「これで、本社の兄貴を見返せる」

そうつぶやいたあと、颯も事務所を出る。

その時。

画面の端が、わずかに明滅する。

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