120 セニスとエヴリル
今から八ヶ月前のこと。
魔獣ギルドのタマゴ孵化所で生まれたあたし。卵が割れてやっと外の景色が見える。目の前いたのは肉付きの良い美人だった。ここはどこだろう。貴方はだあれ? これから、あたしをどうするつもりなの?
美女は名前をセニスと名乗った。ちぢれ毛の金髪に胸の谷間を強調するような服。形の良い大きなお尻。彼女から漂う爽やかなの香りが濃くて逆にきつい。腰には短剣を携えている。
セニスはあたしをエヴリルと呼んだ。それが名前のようだ。どうやらあたしは人間では無いらしい。二人は魔獣契約を書面で結び、晴れて運命共同体となった。
魔獣は主人を選べない。あたしは途方もないハズレクジを引いたのだろう。
セニスは自分のアパートを個人経営の娼館として使っていた。毎日のように違う男が訪ねてきて、彼女と性行為を始める。あたしはセニスの嬌声が大っ嫌いだった。セックスが始まると両手で耳をふさいでトイレに閉じこもったのを覚えている。それも毎日のように。
セニスは娼婦をする傍らで、あたしに剣を教えてくれた。ショートソードを買い与えて、とりあえず素振りをする。STR(腕力)がまだ低いせいか、真っ直ぐに剣を振れない。ちぢれ毛の金髪はあたしの頭を何度もぶっ叩いた。
「どうして分からないんだい! そうじゃないって言ってるんだろ!」
「そんなこと言ったって……」
「エヴリル、素振り3000回終えるまで、食事は抜きだ」
「……ど、どうして?」
セニスの教え方はひどく厳しくて乱暴だ。それでもあたしはご飯を食べるために、一生懸命素振りをしたのを覚えている。夜、素振りを終えて家に入ると大人同士の性行為がまた始まっていた。気色の悪い肉同士のぶつかる音。気持ちの悪い声。耳障りなベッドのきしむ響き。
ああ、あたしはこれを我慢するおかげでご飯を食べられるんだ。今のところ、収入源はセニスの娼婦業だけである。
悲しくて切ない。テーブルに料理は準備されていない。仕方無く、パンにジャムをつけてかじった。素っ気の無い夕食。それでも、食べるほどに両手のひらのタコや痣は回復する。
このアパートに来てから半年も経過した頃だったろうか。セニスが命令した。
「エヴリル、お前、ダンジョンに行ってモンスターから魔石を採っておいで」
「ま、魔石? 魔石って何?」
「モンスターの額についているのさ。お金に換えることができる。分かったらとっとと行きな」
「わ、分かった。だけど、ダンジョンってどこにあるの?」
「それぐらい自分で調べなさいよ!」
セニスが短剣を抜いて投げつける。あたしの頬をかすめて通過し、窓ガラスに当たった。ガラスが割れる音が鳴る。
「何してくれてんだよ、エヴリル!」
いやいや、ガラスを割ったのは貴方だよ。あたしは何も悪いことをしていない。
「エヴリル、今日中にガラスを修復できるほどの金を稼いでおいで。稼げなかったら、ただじゃあ置かないからね!」
「そんなっ!」
「分かったね!」
「……は、はい」
あたしはアパートを出て、ダンジョンに向かった。場所は通行人に聞いて知ることができた。だけど恐怖である。モンスターと戦うなんてやったことない。はっきり言って怖い。
ダンジョンの前まで何とか来たけれど、あたしは中に入れず立ち往生していた。通りすがる冒険者たちがいぶかしげな視線を向けている。
と、とりあえず入ってみよう。それで、強い敵が出たら逃げれば良い。その通りだ。
あたしは地下一階に降りる。出現するスライムを剣でやっつけることができた。だけど話が違う。セニスはモンスターの額に魔石がついているって言っていたけど、スライムのオデコには何もついていないのだ。これではお金が稼げない。
もしかしたら、いつか魔石のついた魔物が現われるのかもしれない。そう思い、夕方までスライムを狩り続けた。だけど成果は実らず。泣きそうな気分でアパートへと帰還する。
窓ガラスはすでに直っていた。セニスがガラス修理店に頼んだのだろうと思う。テーブルの上にはやはり食事が用意されていない。そして、隣の部屋から聞こえてくるセニスの喘ぎ声。知らない男の喘ぎ越え。もう耐えきれない。
もう嫌だ! こんなところにいたくない。あたしは切なくって、お腹が空いて、ボロボロと涙をこぼした。その日から、あたしはセニスに反抗的になった。窮鼠猫を噛むのだ。
性行為を終えた後、客の男がるんるんと鼻歌を歌って帰っていく。セニスは下着姿をそのままに、ダイニングの椅子に座っているあたしを睨み付けた。
「おい、エヴリル。ダンジョンから魔石はいくつ採れたんだい?」
「100個」嘘だ。
「は? 100個? で、その魔石はステータス画面にしまったのかい?」
「全部お金にして孤児院に寄付してきた」
「……ふ、ふざけるんじゃないよ!」
セニスが眉間にピクピクと血管を浮かべて怒った。短剣を持つ。あたしも立ち上がり、剣を抜いた。初めての反撃である。
あたしを殺すなら殺してやる!
だけどセニスは強い。戦うと、あたしは体を本気で切り裂かれた。何度も、何度も、容赦なく。魔獣だからすぐに治るとセニスは思っているのだろう。だけど痛いことに変わりは無い。最後は家から追い出されて、玄関の石段に座って夜を明かす。
そんな生活が二ヶ月も続いたろうか。ある日、一人で出かけていったセニスが巨大な熊を連れて帰って来た。すぐに分かった。主人は新たな魔獣を買ってきたのだ。あたしはお払い箱である。
セニスは熊を家に引き入れて、開口一番に言った。
「マジェスタ、そこの女と戦って、分からせてやりなさい」
意味が分からないとはこの事だ。だけど殺される訳にはいかない。あたしは剣を抜いた。
「ガウアアアッ!」
熊は忠実に言うことを聞いて襲いかかってくる。あたしは戦ったのだけど負けてしまった。体が傷だらけになる。
「エーヴーリール、あんたの戦闘ダメだ。明日からはあたいと同じ娼婦になりな。そして幼女趣味の男の相手をするんだ。いいね!」
「い、いい、意味が分からない!」
剣を手放して、脱兎のごとくアパートを逃げ出した。もうこんな家にはいられない。
夕方の町を、走って、走って、走り続ける。ボロボロと涙が頬をつたう。一体何だっていうの!? どうしてセニスはあたしに優しくしてくれないの? 人間なんて嫌い、嫌い、嫌い、大嫌いだ。憎悪すら覚えた。
だけど体力の限界は来るもので、あたしは道ばたで膝をついた。肩を上下させてぜいぜいと息をする。
すっかり夜のとばりが降りていた。
「おい、お前っ! 大丈夫か?」
救世主様に出会ったのは、そんな日のことである。
雨の匂いがしていた。




