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118 エヴリルの元主人

 セニスが右腕を振り上げた。



 叩くぞ、というようなポーズ。エヴリルが「ひいっ」と小さな悲鳴を上げている。俺は眉間にしわを寄せてちぢれ毛の金髪を睨み付けた。てめえ、俺の従者を怖がらせるんじゃねえ。()ね。そして二度と姿を現すな。しっし。



 俺は右手で鼻をつまんだ。



「セニスさん、あんた香水の匂いが臭いんで、困ります。近づかないでくれますか?」


「は? 何て言った?」



 眉を寄せる美女。ちょっと困ったような表情。臭いと言われて弱らない女はいない。



「だから、臭いんです。刺激臭が漂っています。家に帰って風呂に入ることをお勧めします」


「あんた、喧嘩売ってんのかい?」



 セニスが顔を赤くして歪めた。耳まで真っ赤になる。ははっ、こいつの顔、茹でダコみてえ。こういう奴には嫌われておくに限る。俺は鼻をつまんだまま変な声を出した。



「くせーよ、消えろ」



 翡翠髪の巨乳っ娘と銀狼が俺のすぐ後ろに立った。愉快な声色で援護射撃を飛ばす。



「ちょっと臭いですぅ」


「ぐるるぅ、鼻が曲がるような匂いだ」


「あ、あ、あんたらねえ!」



 セニスは憤慨し、戸惑ったように身じろぎする。その時、彼女の後ろにいた黒い熊が動いた。前に出て、威嚇するように吠える。



「ガウゥゥ! お前たち、セニス様を侮辱するのは許さないぞ」


「マジェスタ!」



 ちぢれ毛の金髪美女が熊の名前を呼んでその喉を撫でた。



 ボロックが好戦的に瞳を鋭利に細める。挑発のセリフをつぶやく。



「ぐるぅ、どうしたデカブツ、やるか?」


「ガアウゥゥ、犬っころよ、口を慎め。俺の怒りが弾ける前に」



 シノが加勢するようにロッドを掲げる。



「今日の夕食は熊鍋ですぅ」


「いいなそれ」



 俺は愉快に腹をひくつかせた。熊を料理したことは無いが、さぞかし良い出汁が取れるだろう。マジェスタの体格はまるまるっとしているからな。油がのっていると思う。



「ぐるぅ、シノ。こいつの肉は臭くてダメだ」


「あ、やっぱりそうですか?」


「うむ、食えたもんじゃない。鼻が曲がるぞ」


「じゃ、じゃあ、いいですぅ」


「あ、あんたらねぇぇぇぇ!」



 セニスの怒りが頂点に達しようとした頃。



 不動産屋の若社長がはらはらとした顔つきで見守っていた。両手のひらを胸の前に掲げて平和的な助け船を出す。



「あ、あのー、みなさん、荒事は困ります。もうちょっと穏便に話あってくれませんか?」


「いいよ! デナートさん、あたいらは別の家を買うさ。また紹介してくれるかい?」


「は、はい分かりましたー。では参りますか。バステットさん、私たちはこれで」


「あ、はい」



 悪びれもせずに俺は返事をする。



 黒スーツの若社長は俺たちとセニスたちを引き剥がしたいようだった。これ以上口げんかを続けていれば荒事になりかねないからな。ちぢれ毛の金髪がマジェスタを引き連れて、デナートと共に坂道を下っていく。



 俺たちは顔を向け合って笑い合ったのだった。よっしゃー勝ったぜ。清々しい気分とはこのことであり。ふはは、この家は俺たちのものだ。エヴリルの顔にも笑みがあった。スカッとしたような表情である。目尻には涙も浮かんでいた。



 俺はにやにやと微笑む。



「勝ったな」


「大勝利です!」とシノ。


「臭い連中だったな」とボロック。


「ありがとう、みんな」とエヴリル。



 それから、俺たちも坂を下って歩いた。馴染みのベアビリーズ食堂へと向かう。昼食後はダンジョンに行くつもりだ。高額な買い物をするのだから、バリバリ働いて金を貯めなければいけないよな。やっぱり。



 隣に並ぶエヴリルがしんみりとした表情でこぼすように語った。



「セニスはね、あたしの前の主人なの」


「ああ、そうみたいだな」


「うん。すごく厳しい人で、剣術もあの人から習った」


「ふーん、そうか」


「だけど、少し前にお金に困って、セニスはあたしに娼婦の仕事をさせようとしたの。本人もしているからね。それが嫌で、私は反抗したの。そしたらセニスは、従者である、あたしに、剣を、向けて、攻撃、してきて……」



 辛そうな口調である。おいおい、エヴリル。言いたくないことは言わなくて良いんだからな。思い出したく無い過去なんて誰にだってあるだろうからさ。というか魔獣を娼婦にするって発想が理解しがたい、あの女、馬鹿じゃねーの。



 エヴリルは薄く笑った。タンポポのような微笑み。



「短剣で傷だらけにされて、あたしはあいつのアパートから逃げ出したの。そしたら、スティフに出会った!」


「あの夜のことか」


「うんっ。あたしにご飯を食べさせてくれて、従者にしてくれた」


「そういう事だったのか」


「うん、感謝してるよ、あたしのご主人様っ」



 エヴリルが両手をお尻の後ろに組む。ぴょこんと軽く跳ねた。おいおい可愛いな。照れるってえの。



「ははっ、金づるという目的でお前は俺の生涯の従者だ」


「どうして茶化すの?」


「ん? 茶化していないが?」


「生涯の従者なの?」


「当たり前だろ、お前は逃がさねーぞ」


「そ、そっか。あたしはもう逃げられないんだっ。あははっ」



 赤黒のロリータ服が嬉しそうに微笑する。何だよお前、今日はやけに素直なんだな。いつものツンデレはどこへ行った? 調子が狂うけどかわゆいから許す。俺は黒い尻尾の尻を軽くはたいた。ぺちっ。



「痛っ、なにするの~?」


「これからもよろしくな」


「う、うん。こちらこそっ」



 顔を赤らめて微笑むエヴリルであった。



 やがてベアビリーズ食堂へと到着し、昼食にする。看板娘のウェイトレス、ヘミリー先生に魔獣たちが挨拶をした。ちなみにみんなは毎晩のように歌の練習をしている。楽器はまだ弾けてないけど。



 俺は厨房に顔を出して食堂の主人に声をかけた。「どうも、今日もお世話になりにきたっす」タオルをハチマキにしているおとっつぁんが粋の良い返事をくれた。「おうっ」



 ミートドリアを注文する。みんなもそれぞれが食べたいものを頼んだ。ジュースがすぐに運ばれてくる。さて、午後からはお仕事様である。魔石モンスターガチャが当たることを願って乾杯といこう。俺たちはグラスをぶつけあった。コンと音が鳴る。



 この時、俺たちはすっかり油断していた。だってそりゃあそうだろう、みんなこんなに良い雰囲気だ。怖いことなんてもう起こらないものだと、安心していたんだ。それが悪かった。



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