第一話 リンドウ・アカツキという男-3
〝この世は神々が娯楽として作った箱庭の世界である。〟
〝神はいつでも身近にいる存在だ。〟
〝この世界の生き物がどのような喜劇を生み出すのかと。興味深く天から見下ろしている――〟。
この国に伝わる神話の始まり。そして史実である。
箱庭にしては大き過ぎるこの世界では地表から天を眺めているとたまに神が現れて微笑んでくる。
神話の文の通り、神は常日頃から人々の近くにいて観察している。
この世界が誕生してから今日まで。そしてその先も。
飽きることなく神々は生きとし生きる者の営みを興味深く観察し続けるだろう。
帝国は和洋折衷だ。特に首都にある貴族街は和風、洋風、まさかの中華風と入り乱れた豪華な建物が並び、その光景は観光スポットの一つとなっている。金額は高いが厳しいチェックさえクリアできれば平民でも貴族街観光ツアーに申し込みことができる。
そんな貴族街にある洋風屋敷の一つ――シノノメ家の庭園にてキキョウは天に祈りを捧げていた。
庭園にいくつかある東屋の一つは彼女の祈りの場だ。昔から信仰深いキキョウは体調が悪くない日以外は必ず朝昼晩と天の神々に祈りを捧げていて、いまは昼の祈りの時間である。
「どうかわたしの愛する人々を天から見守っていてください」
彼女の祈りはいつもその言葉で終わる。それをリンドウは知っている。彼女の祈りが終わるのをいまかと見えない尻尾を左右に振りながら忠実に待ち、祈りを終えて振り向いた彼女に背後に隠していた花束を差し出した。
「こんにちは、俺の愛しい人! 今日の祈りの姿も綺麗だった! その優しさに溢れた言葉は今日も神に届いているはずだ!」
「ふふ。いつも待ってくれてありがとう、リンドウ」
十一本のマーガレットをメインとした花束。腕一杯になりながらも受け取り、己の愛の言葉に微笑み返してくれるキキョウ。その姿に嬉しさが込みあがり、リンドウは花束ごと抱きしめてキキョウの頬や額に口付けを送る。
家を訪れるたびに行われるこの行為に周りは慣れたもので、微笑ましくみるものもいれば呆れたように視線を向ける者もいる。それほどまでにリンドウがキキョウに送る愛は深く、一歩間違えれば重いものだ。けれどキキョウの方もリンドウから送られる愛を全て受け止めてしまうのだから本当にお似合いの恋人同士である。
「それでキキョウ。身体は大丈夫か? 魂の一部を花に移したんだ。少しでも辛いと感じたら無理しないで言ってくれ」
「リンドウの術だもの、大丈夫よ。それにあの顕現の術——『移魂術』について、陛下からお褒めの言葉を賜ったと聞いたわ」
流石だわ、と称賛の言葉を送ってくれるキキョウ。失礼だと十分承知だがリンドウにとっては陛下より賜った言葉より彼女の言葉の方が嬉しかった。元々あの術を習得しようとした切掛けも夜会で彼女と一緒に踊るためだったのだ。その彼女から送られる称賛の言葉はどんな菓子よりも甘く自分の心を満たしてくれる。
「当然だ! 俺はキキョウが認めた『努力する人』だからな。どんな困難な課題でも必ず最後まで辿り付いて見せる!」
「では、そんな努力する人はちゃんとキノコも食べられるようになりましょうね」
「うっ!」
格好つけたばかり故に反論できない。言葉が詰まり目線を泳がせるリンドウにキキョウは笑い声を溢した。
「冗談よ? いいのよ、できないことがあっても。何度も努力したんだもの。わたしは知っているから大丈夫よ」
「そ、そうか……うん、そうだな! 俺が努力したことはキキョウを始め、皆が知っているんだ!」
困難でも努力して立ち向かえ、と言う者もいるだろう。でも、キキョウは困難で乗り越えられないものがあっても構わないと幼い頃からリンドウに言っていた。
『やってはいけないのは立ち向かう前に困難から逃げること。精一杯頑張って無理なら逃げていいのよ』
何事にも全力投球で生きてきた自分にとっては人生を変える救いの言葉であったとリンドウはいまでも思う。
「それでキキョウ。これから共に何をしようか! 前に貸してくれた本の感想会? それともボードゲーム? あ、弟君たちも交えたカードゲームも楽しそうだな!」
「落ち着いてリンドウ。今日は夜までいてくれるのでしょう?」
「勿論だ!」
楽しみで仕方がないと前面に出すリンドウを窘めるキキョウだが、彼女もまた一緒に長く過ごせるこの日を心待ちにしていた。リンドウが術を習得するためには時間を要したため、最近までゆっくり共に過ごすことがなかったのだ。故にお互いに心弾んでいる。
――しかし、二人の心の弾みは急遽止められた。
「ふふ。そうね、まずは――っ!」
「キキョウ⁉」
楽し気な声は突然苦痛の声に変わり、首を抑える様にようにしてキキョウは前に倒れ込んだ。幸い、リンドウの持ち前の反射神経が功をなして顔面が地面にぶつける前に抱きとめたことで回避できたが、先程とは違った苦痛の声に彼女の顔を覗き込む。愛らしい顔は真っ赤に染まっていた。突然の高熱によって再度苦しみ始めた彼女を抱きしめてリンドウは天に祈りの言葉を唱えた。
「払い給い、清め給え、神ながら守り給い、幸え給え……!」
彼女の命が天に持っていかれないように、天にいる神へと必死に祈りの言葉を捧げる。
(駄目だ! 連れて行かないでくれ!)
口内の水分を乾かすほどに必死に祈りの言葉を唱えて続けて数分。「リンドウ」と腕の中から聞こえた声に反応して跳ねる様に顔をあげた。汗はかいているがそれでも先程の高熱による赤い顔ではないことにリンドウはホッと安心したため息を吐いた。
「良かった……!」
「ごめんなさい、リンドウ……また迷惑をかけてしまって……」
いつも明るい彼女の顔が沈んでいくのを見て、リンドウは必死に頭を振った。
「迷惑なわけない! キキョウが無事ならいくらでも俺に迷惑を掛けろ!」
「キキョウ! 無事か!」
屋敷の方から義兄と眼鏡をかけた女が走ってこちらに向かってくる。周りにいた者が呼びに行ったのだろう。義兄はリンドウに抱きかかえられた妹に近づき、両手で包んで顔色を確認する。全力で屋敷から走ってきてくれたのであろう。心配でたまらないという顔の義兄を安心させるためにゆっくりと口を開いた。
「兄様、リンドウが助けてくれたの」
「あぁリンドウ君、本当にありがとう……!」
そう言って泣きそうな顔で妹を自分ごと抱きしめる義兄。
「ツクヨ様、失礼致します。お嬢様のお顔を自分にもお見せください」
「あぁ、そうだね。ナギサ嬢、お願いするよ」
そう言って義兄——ツクヨは見やすいように距離を開け、眼鏡の女——ナギサはキキョウを覗き込み触診を始める。
「初めて見る力の流れ……キキョウ様、もしや初めて起きた症状でありましたか?」
「えぇ……」
「短い時間で高熱になった。人の身体がここまで熱くなるなんて……」
「リンドウ様がいらっしゃったことが僥倖でした。もしいなければ……」
もし自分がいなければ――と、最悪な結果となっていた場合を想像してリンドウは背筋が凍った。
「リンドウ様、お嬢様をお部屋までお願い致します。自分は先に儀式の準備をして参ります」
それでは失礼します、と。ナギサは一礼後、すぐに駆け足で屋敷へ向かっていった。続いてキキョウを抱いたままリンドウは立ち上がり、ツクヨと一緒に彼女の部屋を目指して歩き始める。
「リンドウ……」
「お前が悪いわけではない。それよりもお礼の言葉が欲しい」
謝罪の言葉はいらない。そう優しく語り掛けるリンドウの目に彼女は気付き、やっとその顔から影を追い払い、目を細めて笑ってくれた。
「ありがとう、リンドウ……」
リンドウの婚約者、キキョウ・シノノメ。
彼女は一年前、突然呪われた。
※第一話のみ、2026/01/02の11:00 から10分おきに続きが更新されます。
※どうぞ続きをよろしくお願いします。




