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第七十八話 交渉

「……馬鹿な」


 ウルスが、初めて苛立ちを滲ませた。

 彼は、私を睨みつける。


「聖女のジョブは、すでに成熟段階に入っているはずだ。なのに――」


 言葉が、途中で止まった。

 ウルスの目が、見開かれる。


「……初期値?」


 呟きが、風に落ちる。


「……聖女ジョブとスキルが……初期値のままだと?」


 その場の空気が、一瞬、凍りついた。


「そんなはずはない」


 ウルスは、自分に言い聞かせるように首を振る。


「召喚され、ジョブとスキルを付与され、これだけの時間が経っている。ダンジョンにも入っていたはずだ。成長していないなど――」


 再び、私を見る。

 今度は、観察する目で。

 ああ、鑑定されているのか。


「……お前」


 低く、吐き捨てるように。


「なぜ、使っていない」


 私は、ウルスを睨みつけながら、息を吸った。


「使ってないんじゃない」


 視線を、真っ直ぐに返す。


「使う必要がなかった。私のステータスをきちんと見てみなさいよ。私のメインジョブはガンナーでスナイパーなの」

 ウルスの眉が、僅かに動く。

「だから私は聖女である必要がなかったの」

「……バカな」

「それにね。まったくレベルアップしてなかったわけじゃない。でもレベルアップした端から、貯金として使っていたのよ」


 功徳変換。


 そのスキルは自分の他のジョブだけでなく、仲間たちのジョブレベルを上げるのにも使えることに気づき、私は聖女ジョブが少しでも上がったらそれをすぐに自分とパーティメンバーに使っていたのだ。すると聖女ジョブはレベル1に戻る。スキルのほうはレベルを上げなくても最低限は使えることは分かっていたから特に気にしてもいなかった。そう使うこともなかったし。

 凪も、由衣も、蒼樹さんも、今では功徳変換を使ったおかげでレベル50を超えている。私のスナイパースキルもだ。

 ――私一人が強くなるより、その方がずっとよかった。

 

 ドラゴンの顎が、きし、と鳴った。

 私の腕に噛みついたまま、動けずにいる。


「……功徳変換、だと?あれは幻のスキルだ。聖女のスキルの中でも特に発現率の厳しいものだ。レベル上げもまともにやっていなかった者に何故……!」

「出ちゃったものはしょうがないでしょう?実際、私のステータスにはちゃんとあるんだから」

「……ちょっと待て。このシール貼り、というスキルはなんだ?」


 私のステータスを凝視していたウルスが問いかける。


「なんだも何もこれも聖女のスキルなんでしょう?」

「違う。聖女のスキルにこんなものはない。初めて見るスキルだ。そしてこのスキルだけレベルが突出している」


 なんですと?

 ウルスが、低く言う。


「新しく発現したユニークスキルなのか……。この世界は本当に素晴らしいな。まさか新スキルを構築するなんて。予定変更だ。聖女ジョブとスキルと一緒にこのスキルも喰え、ドラゴン。まとめて持って帰って使えるかどうか研究する」


 シール貼りのスキルに、ドラゴンの牙がかかるのが分かった。

 でも、これは奪わせない。頑張って私が育ててきたモノなんだから!


 空いているほうの手で、腰のポーチからシールを出す。

 そこには「脱出」と書かれていた。

 何枚か使えそうなものを用意していたのだ。

 効くかどうかは分からないけど、試す!


 無理やり爪先で台紙をはがすとたたきつける勢いで、投網の亀裂の間からスライムドラゴンにシールを貼る。

 ぶよん、とした感触のあと、シールがスライムドラゴンの中に吸い込まれるように消えて青白く体が光り、私の体はスライムドラゴンから脱出できた。

 落ちる!と思ったけど、地面に落ちる前に、私の体は蒼樹さんに受け止められていた。

「無茶すんなや……」

「ありがとう……」

 地面に優しく下ろされ、私は改めてウルスを睨みつけた。

 凪が私の前に立って、剣をかざす。

 その剣先は、投網の中から脱出しようとするドラゴンに向けられていた。


「ウルス、とか言ったな。お前らの世界を脅かしてるものは一体何なんだ?」

「言っただろう、世界の果てからの波だ」

「津波みたいなもんか?」

「ツナミ、が何だか分からないが我らの世界の海は魔力でできている。それがある一定期間で溢れ、陸を覆うのだ。それを止めることができるのは聖女のみ。聖女の加護の力が世界を覆い守り、波をつぶす。そうやって我らの世界は幾度も守られてきたのだ」

「……何も知らない女の子を誘拐して、でしょ?歴代の聖女の女の子たちが本当にかわいそうだわ」

「聖女の加護の力が世界を覆い、波をつぶす他、守る方法がないのだ。私も幾度も他の方法がないか考え試した。だがどうにもならなかった」


 ウルスは、淡々とそう言った。


「周期は不規則だが、必ず来る。世界の海が膨張し、陸を呑む。国も、街も、命もだ」

「……それで、聖女を呼び出して、力を使わせる、と」

「そうだ」


 迷いなく、頷く。


「それが唯一の方法だった」


 凪が、眉をひそめる。


「……それ、毎回か?」

「当然だ。波が来るたびに、聖女は必要になる」

 その言葉に、胸の奥が、ひやりと冷えた。

「……聖女は、世界を守った後、どうなるの」

 私が問うと、ウルスは一瞬、視線を逸らした。

「……世界を覆うほどの加護を行使すれば、魂は摩耗する。力は削れ、やがて――」


 そこで、言葉を切る。

 十分だった。


「使い捨て、ってことね」


 私の声は、自分でも驚くほど冷たかった。


「使い捨てではない。元の世界に戻ることはできないが、我々の世界で手厚く保護して過ごしてもらってきた。聖女召喚は、世界を守るには必要だった」

「必要だった、で済ませるんだ。元の世界に還れる、なんてだましてきたの?」

「だますなど…!!実際、おまえを還すための術式は発動しただろう!?私が作り上げた術式だ!」

「でも、それは私だけじゃないの?私より前に召喚された聖女たちがどれくらい前で何人いたかは知らないけど、彼女たちは還れなかったんでしょう?」

「……」

 沈黙は肯定だ。

 私の前に召喚された女の子たちは、みんな異世界で生きるしかなかった……。大事なものを全部突然なくしたまま。


 由衣が、ぎゅっと拳を握る。

 蒼樹さんの表情も、硬い。


「……だから、聖女のジョブとスキルを回収する必要があった」


 ウルスが、スライムドラゴンを見る。

 投網の中で、なお蠢く、歪な存在。


「聖女の力は、一度使えば終わりではない。回収し、再構築し、次に備える。それが我々の世界を守るためのやり方だ」

「……最低」


 ぽつりと、由衣が言った。

 ウルスは、それにも反応しない。

 ただ、私を見る。


「だから、その力が必要だった。お前の聖女の力が。使っていないのは完全に想定外だったが、連れて帰れば、加護の発動のための引き金くらいにはなるやもしれん。あとは私が増幅の術式を組めば……」

「――でも」


 私は、一歩、前に出た。

 ウルスの目が、細くなる。


「……何が言いたい」

「その波は何度も来てるのよね?聖女の加護で潰してるなら、世界は安定してるはずでしょ?でもしていない。常に一時しのぎでしかない」


 指先で、空を示す。


「それ、止めきれてない証拠じゃない」


 沈黙。

 ウルスは、否定しなかった。


「……回数を重ねるごとに、波は強くなっている。今回は特に強い波がすでに観測されている。時間が、ないのだ」


 低い声。


「それ、潰してるんじゃない。無理やり押さえつけてるだけなんだから、何度でも復活して当然じゃない」

「……ならば、どうすれば……!どうすれば、我らの世界の命を守れる……!?」


 ああ、彼は彼なりに苦悩してきたんだと分かった。

 還すことのできなかった歴代の聖女のために、還す術式を作り、そして今また自分たちの世界を守るためこちらの世界に来た。


「方法は、あるかもしれないわ」


 私の言葉に、ウルスがピクリと反応した。

 ウルスの視線が、私の手元に落ちる。


「なんだと……?魔術師でもないおまえが何を……」

「魔術師って不便ね。難しく考えすぎなんじゃない?」


 私は腰のポーチから何も書かれていないシールを数枚取り出した。


「……また、その“シール”か」

「そう」


 まだ、何も書かれていない、白いシール。


「私の持つ聖女のジョブとスキルのすべてをここに移す。それを使ってみるの。例えば、このスライムドラゴン。これに貼りつけて世界を覆い、波を霧散させる」

「……」

「やるなら協力するわ。だた、一つだけお願いがあるの」

「……なんだ?」


 これは私が決めることじゃないかもしれない。でも。


「そちらが良ければ、私たちの世界と国交を始めるのはどう?」

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