第七十六話 最下層
一階層から最下層の入り口までは、転移キーでの移動で良いと言われたので、転移キーをありがたく使わせてもらった。帰りにも使えるというので、蒼樹さんがストレージボックスに放り込む。私のストレージボックスにはちょっと色々と危険物が入ってるので、万が一混じったら大変だからだ。
「よし、行くぞ」
最下層へ続く階段を全員で降りていく。
そこには以前来た時よりたくさんの花が咲いていて、一歩踏み出すごとに花に埋もれてしまうかのような気持ちになるくらいだった。
最奥まではそう遠くはないけど、地面を埋め尽くす花びらが、私たちの歩みを遅くしていた。
例えるなら、波の中を歩くような感じだ。
「すごいね……」
由衣の呟きに蒼樹さんが
「むせ返りそうやな」
と周りを見回して言う。
離れないように、四人で花びらを蹴散らしながら進んでいく。
奥へ行くほどに花は増えて、まるで海の先へ——深くなる水の底へ歩いて行ってるような気分になる。
いつか足がつかなくなるかもしれない、なんて埒もないことを考えてしまう。
「みんな止まれ」
最奥が見えてきたところで、凪の言葉に、全員歩みを止める。
「凪、どうかした……?」
「そこにいるやつ、出て来い。見えてるぞ」
凪が剣を構えて、切っ先を花の向こうへ向ける。
凪の声が、花の森に刺さった。
一瞬、何も起きない。
けれど次の瞬間――花の向こう、魔法陣がぬるりと揺れた。
周りの花びらが魔法陣に貼りついて、何か形を作っていく。
「……え?」
由衣の声と同時に、大量の花びらが舞い上がる。
いや、舞い上がっているのは花じゃない。
花びらになる前のスライムだ。
「下がれ!」
凪の声に反射的に一歩退いた、その直後だった。
最奥の魔法陣がゴゴゴ、と音を立てて、花の森がごそりと崩れる。
溢れた花びらを巻き込みながら、魔法陣から巨大な塊が姿を現した。
半透明。
うねうねと動く巨大なスライムなのに――はっきりと分かる。
これは。
ドラゴンの輪郭。
「……スライムがドラゴンに?」
誰かが呟いた。
胴体は脈打つゼリー状。
翼の名残のような突起。
その内部を、淡い光が流れている。
その光は、見覚えがあった。
「……あれは、花の光や」
蒼樹さんが、息を呑む。
スライムと一体化したような溶けた花びらが、身体の内側を漂っている。
光る巨大な巨体。
その巨体が、ゆっくりとこちらを向いた。
私を、見てる。
すくみそうになる足に力を込めて、スライムドラゴンを睨み返す。
私は負けるわけにはいかない。
私の前で、凪が剣を構え直す。
「……ああ」
一歩、前に出る。
「俺、こいつを倒すためにドラゴンスレイヤーのジョブが出たのかもしれない」
空気が、張り詰めた。
「さくらを守ってくれ、2人とも」
私はシールケースに手を伸ばす。
――瓦解。再構築不可。
準備はしてきた。念のため、予備のシールも持ってきている。
予定通り。
ここで貼って、終わらせる。
そう思って踏み出した瞬間、背筋が冷えた。
指先が凍ったように動かない。
「……待って」
自分の声が、少し震えている。
ドラゴンの向こうを見ると、そこには。
花はある。だけど、魔法陣が――存在しない。
「……そんな。なんで……」
代わりに、スライムドラゴンの中心部。
その奥で、歪な光が脈打っている。
それはさっきまで魔法陣だった「もの」
理解してしまった。
「魔法陣が……スライムドラゴンの中に、取り込まれてる……」
「なんやて!?」
「間違いないです。もうあれは魔法陣じゃない。スライムドラゴンになったんです……」
シールを握る指に、嫌な汗がにじむ。
貼れない。
貼る“対象”が、もう魔法陣じゃない。
じゃああのスライムドラゴンに貼る?
ううん、元の魔法陣を壊して再構築不可にしないと意味がない。それに、魔法陣が新しくできてしまったら?
詰みになってしまう。
スライムドラゴンが、低く濁った音を立てた。
それだけで、花の森がざわりと揺れる。
「……予定、崩れたな」
凪が前を見据えたまま言う。
「せやけど」
蒼樹さんが笑う。
「ここまで来て引き返す気も、みんなないやろ?」
誰も答えなかった。
でも、全員が同じ方向を見ていた。
そう。引き返すことはしない。凪がその判断を下さない限り。
ここから先は。
想定外の、最終局面。
――瓦解は使えない。
なら、別のやり方で終わらせるしかない。
凪が剣先を揺らしながらスライムドラゴンを誘う。
凪の誘いを見ながらも、ドラゴンは私を見てる。
なんだろう、ドラゴンの視線の向こうに違う気配を感じる。
誰かが私を見てる。
ごくりと息をのんだ時、スライムの向こうから人影が現れた。
子供のような小さな人影。
私はその人影に見覚えがあった。




