第七十四話 見られてる
私の話を二人は黙って聞いてくれた。
ある日いきなりの異世界召喚、そこで即還された翌日から、この世界にダンジョンが生まれたこと。
私の本当のステータス。
今日、池袋ダンジョンの最下層で私の右手の甲に刻まれた楔のような痕。
魔法陣や花から感じた視線。
「……おかしいとは思っていたんです」
雪城さんが書きだした私のステータスを見て言う。
「魔法スキルがないのに、日向さんのMPは高すぎだと」
「蒼樹さんにも同じこと言われました……」
「ですが、この聖魔法、という魔法スキルがあったのなら納得です」
「今まで黙っていてすみませんでした」
「いえ。日向さんに起こった出来事を考えれば仕方のないことです。……今日までよく頑張りましたね」
雪城さんの優しい声に泣きそうになる。
「では、もしもこの世界にダンジョンができたのが、日向さんが異世界召喚をされたことが引き金なのだとしたら、最下層の調査を皆さんに改めてお願いしたいのですが……」
鷹宮さんの言葉に私は頷いた。
「はい、行くつもりです」
「もちろんです」
「なんかあっても四人なら対応できますし」
「では、調査内容を改めてまとめて依頼させていただこうと思います。連絡は前川さんにでいいですか?」
「はい」
話はまとまり、採取してきた花については、
「詳しい分析は、こちらで行います」
それだけ言われて、私たちは解散となった。
外に出ると、もう空はすっかり夜だった。
ダンジョンの中の白い花の光とは違う、街灯のオレンジ色が目に沁みる。
「……さすがに腹減ったな」
凪が伸びをしながら言う。
「減ったね」
「うん、おなかぺこぺこ」
由衣と私が、ほぼ同時に頷いた。
蒼樹さんは少し考えてから、ふっと力を抜いた笑みを浮かべた。
「ほな、今日の夕飯はうちに来るってのはどうや?」
「え?」
「何か作るのも今からやったらめんどいやろ。今日は俺が奢るから、家で各々好きなもん取り寄せようや――打ち上げや」
一瞬、言葉を切る。
「今日は、全員体力的にも精神的にもかなり疲れとる。そんな時はのんびりするのがええ」
誰も反対しなかった。
蒼樹さんの家は、品川駅の近くのマンションだった。
車で池袋に来ていたので、そのまま乗せて行ってもらえたのはラッキーだった。電車乗りたくなかったし。
「お邪魔します……」
「楽にしてええで」
窓の向こうには東京の夜景が見える。
「いい部屋だなぁ」
「ここは自宅と事務所も兼ねてるから、多少は経費になるんや」
「なるほど。確かに経費にできる分はしたほうがいいですね」
「車もな。基本、仕事でしか使わんから」
出前画面であーだこーだ言いながら、みんな好きなものを選んで、届くまでに蒼樹さんが全員分コーヒーを淹れてくれた。
「……生きて帰ってきたなぁ」
由衣が、マグカップの湯気の向こうでぽつりと言う。
「ほんと」
凪が苦笑する。
「最下層であれは、正直想定外だ」
私は、湯気の中に右手を隠すようにして座っていた。
刻印は、今もそこにある。
痛みはないのに、消える気配もない。
ピンポーン
頼んでいた出前が届いて、蒼樹さんと凪が受け取りに出てくれる。
テーブルの上に並べられたいろんな料理はとても賑やかで食欲をつつく。
「さ、まずは食べようや」
それぞれ頼んだものを美味しくいただいて、しばらくは、何気ない話をした。
ダンジョンの飯はどうだとか、次の調査はどうなるとか。
誰も、核心には触れない。
でも。
「さくら」
蒼樹さんが、静かに言った。
「右手のやつ」
一瞬、部屋の空気が引き締まる。
「……俺は、向こう側が仕掛けてきた“楔”やと思う」
由衣が、箸を止めた。
「楔……?」
「ああ。向こうと、こっちを繋ぐための目印や。さくらの聖女のジョブとスキルを見つけたってことなんやろな」
視線が、私の右手に落ちる。
「逃がさへん、って宣言でもある」
「……やっぱり、私、見つかりましたよね」
「せやな」
現実は冷たい。でも、彼の声は不思議と柔らかかった。
「せやけど、独りやない」
凪が、はっきりと言う。
「次に行く時は、俺たちももっと準備していく」
由衣も、力強く頷いた。
「うん。遥さんにお願いして、使えそうなもの用意してもらうよ。ギルドと一緒に対策もできる。悪いことばっかりじゃない」
私は、少しだけ笑った。
「……じゃあ」
箸を取る。
「今は、あったかいもの食べよう」
今夜は、ただの打ち上げじゃない。
次へ進む前の――静かな、覚悟の時間なのだと。
ぼんやりした眠りから浮上する。
見えたのは知らない天井だった。
「……」
ああ、そうだ。昨夜は全員あのまま蒼樹さんの部屋に泊まったんだった。
私の隣には由衣がまだ寝息を立てていたので、起こさないようにそっと二人で並んで眠っていたベッドを出る。
そっと部屋を出ると、リビングのソファで蒼樹さんと凪が雑魚寝状態で眠っていた。
2人に毛布だけかけなおして洗面所を借りて顔を洗う。
昨日に比べて、鏡の中の私の顔はだいぶしっかりしてきていた。
冷たい水で顔を洗って、深く息を吐く。
胸の奥に残っていたざわつきが、少しだけ引いていく。
タオルで顔を拭き、何気なく右手の甲を見る。
――まだ、ある。
三日月の中心に打ち込まれた槍のような痕。
昨夜と変わらない。薄くもなっていないし、広がってもいない。
じっと見つめていると。
とくん。
心臓とは別の場所で、脈打つ感覚があった。
三日月がジワリと熱を持つ。
「……っ」
痛みはない。
でも、確かに感じた。
思わず手を握りしめた、その時。
「早いな」
低い声がして、肩がびくりと跳ねる。
振り返ると、蒼樹さんが洗面所の入り口に立っていた。
「す、すみません。起こしましたか?」
「いや。俺も今起きたとこや。顔洗いに来た」
「あ、はい」
場所を譲って洗面所を出ると凪と由衣も起きていた。
「おはよう、さくら」
「おはよう」
いつもの笑顔がそこにあって安心する。
そうしていると後ろから突然声をかけられた。
「……何かあったか」
蒼樹さんが私の後ろに立っていた。
「……なんだか、ここが少し熱くて」
右手の甲を差し出すと、彼の指がそこに触れた。
「魔力がまた集まっとる」
「……分かるんですか?」
「何となくな。ごく僅かやけど、魔力の流れが変わっとる」
静かな断定だった。
「これは、すこしあれに似とる。位置把握のスキルの流れや。だとしたら、向こうは確認しとるだけや」
「確認……?」
「さくらが生きとるか、目ぇ覚ましたか、今どこにおるか」
ぞっとするはずなのに、不思議とパニックにはならなかった。
昨日までとは違う。
「……監視、ですよね」
「まあ、そう言うた方が分かりやすいな」
蒼樹さんは立ち上がり、キッチンの方を見た。
「せやけど、今すぐどうこうはない」
「どうして分かるんですか?」
「ほんまに連れて行く気なら、昨日の時点で仕掛けとる」
その言葉に、背中が少し冷たくなる。
「……じゃあ」
「“準備中”や」
彼は振り返って、私を見る。
「向こうも、こっちもな」
凪と由衣が真顔になる。
由衣はスマホを取り出した。
「遥さんに連絡入れる。今ならもう起きてるはず」
「頼む」
由衣がキッチンカウンターに腰掛けてお兄ちゃんに連絡を始めた。
朝の光が、窓から差し込む。
東京の街は、昨日と何も変わらない顔をして動き出している。
でも、私たちは知ってしまった。
この世界は、もう“見られている”。
そして。
私の右手の楔は、次の扉が開くまでの――合図なのだと。




