第七十二話 最下層へのアタック開始
アタックの日が来た。
準備をした私たちを池袋ダンジョンの入り口で待っていたのは、宮野さんと杉下さんだった。
今日は、ギルドの権限で、私たちと宮野さん杉下さん以外の探索者は池袋ダンジョンには立ち入り禁止になっているのだという。
「宮野、杉下、悪いな、案内役頼んで」
凪の言葉に二人が笑う。
「俺ら、最下層まで行ったことあるし、顔見知りだし、案内役としては最適だろ」
「そうだよ。気にしないで」
それから二人に蒼樹さんを紹介して、ルートの確認をする。
最下層までは一直線に。
最下層の入り口まで二人は露払いを兼ねて一緒に行ってくれるとのこと。心強いな。
「よし、行こう」
踏み込んだ久しぶりの池袋ダンジョン。
少し懐かしさすら感じる一階層の岩場のフィールド。
「ここが池袋ダンジョンか。俺初めてやからいろいろ頼むな」
「はい」
蒼樹さんの言葉に頷くと、まずは一階層を走って抜けていく。
そのまま二階層も突っ走ると、三階層。森のフィールドだ。
ちらりと由衣を見ると、顔色は悪いけどまっすぐにダンジョンを見る目には光がちゃんとある。リボルバーを持つ手も震えてはいない。
「よし、行こうか。頼む、杉下」
「任せて。よし、上を飛ぶスライムにだけ気を付けて走るよ」
「上の警戒なら俺がやるわ」
蒼樹さんが頭上を見上げて、何やらグローブから光を放つ。
「簡単やけど、攻撃に反応する結界や。完全防御とはいかんが、それなりに機能するはずや」
「そんな魔法使えたんですね……」
「最近覚えたんや。攻撃一辺倒ばっかりじゃさすがにこの先はあかんと思ってな」
そう言って、蒼樹さんは私のすぐ前に出る。
「……前、行きます?」
「ああ。森は視界悪いからな。さくらは俺の後ろでええ」
返事をするより先に、身体が自然と動いていた。
一歩、距離を詰める。
その瞬間、頭上で何かが弾けた。
「っ!」
パチン、と乾いた音。
見上げると、木の枝の間から落ちてきた小型スライムが、結界に弾かれて地面に転がっていた。
「上、二体!」
杉下さんの声。
「了解」
一番前にいる凪が即座に一体を斬り伏せる。
「もう一体、左!」
「由衣!」
「分かってる!」
乾いた銃声。
スライムが霧散する。
「……結界、ちゃんと仕事してますね」
私が言うと、蒼樹さんは少しだけ肩をすくめた。
「当たってから止める魔法や。完璧やない」
「でも、十分です。スライムの攻撃が当たらない」
その言葉に、蒼樹さんがちらりとこちらを見る。
「……そう言われると、悪ないな」
森を抜ける頃には、全員の呼吸が揃ってきていた。
そのまま初めて降りる四階層。そこは一面の砂漠だった。
足が取られる。
風がどこからか吹いてきて、砂が舞い上がるので、用意していたマスクとゴーグルを全員に配る。
事前に調べておいてよかった。
「ここはとにかくまっすぐだ。まっすぐ行ったところに最下層への入り口がある」
宮野さんが先頭に立って私たちを連れて行ってくれる。
たまに現れる砂に埋もれたスライムたちを討伐しながら、たどり着いたのは砂漠の中にぽつんとある小さな岩山だった。
そこにあったのは、岩壁に口を開けたような、暗い縦穴。
「ここから先が最下層よ」
「俺らはここまでだ」
宮野さんと杉下さんが一枚の地図をくれる。
「これ、私が作った最下層の地図。使って。由衣ちゃんが作ったものほどの精密さはないけど……」
「ありがとうございます」
由衣が杉下さんから地図を受け取る。
由衣なら正確に地図を読んでくれるだろう。
「それからこれ、ギルドから預かってたやつ」
宮野さんが凪に何か手渡す。
「これ、転移キーじゃねえか。こんなバカ高いアイテム……」
「最下層へ行く前に、おまえらに渡しといてくれって預かってたんだ。……無事に戻って来いよ、凪」
宮野さんの言葉に、凪が転移キーを受け取って頷く。
「最奥まではそんなに遠くはない」
杉下さんが真剣な顔で言う。
「何かあったら、すぐ引き返すか、転移キー使って脱出しろよ」
「分かってる。二人ともありがとな。気を付けて帰れよ」
「ああ」
「また外でね」
私は、無意識に一歩、蒼樹さんの近くに寄っていた。
「……大丈夫か」
小さな声。
「はい。行きましょう」
蒼樹さんは、それ以上何も言わず、先に降りていく。
私は、その背中を見ながら思った。
――もう、戻れない。
でも。
この人が前にいるなら。
凪と由衣がいてくれるなら。
私はこの先に、行ける。
階段を降りると、そこには花が咲いていた。
最下層は岩場のフィールドで、一階層と似ていた。
ほんのりと光る花は足元を照らしてくれる。
地図を見る限り、最奥までは2キロ弱だ。
「よし、行くぞ」
凪の声で、全員固まって進んでいく。
スライムが時折岩場の陰から現れるのを討伐しながら、次第に増えていく花の森の中を進んでいく。
白く光る花の灯りがどんどん増えていくほどに、胸の奥の動悸が激しくなっていく。
「……静かすぎへんか」
蒼樹さんが、低い声で言った。
言われて、はっとする。
確かに、音がない。
スライムが這う、ぬめり気のある音くらい聞こえても不思議じゃないのに。
その直後、岩陰から現れたスライムは、こちらに向かってこなかった。
まるで怯えるように、花の影へと逃げていく。
「逃げた……?」
凪が眉をひそめる。
「スライムって、こんなやったか?」
「いや、普通は寄ってくるよ」
由衣が首を振る。
その時だった。
――あ。
胸の奥が、きゅっと引っ張られる。
足元の花が、わずかに揺れた気がした。
気のせい。
そう思おうとしたのに、視線が勝手に奥へ向く。
「さくら?」
蒼樹さんの声。
「……大丈夫です」
反射的に答えた。
本当に、そう言い切れるかは分からなかったけど。
でも。
嫌じゃない。
怖いはずなのに、足が止まらない。
「……花、ギルドで見せてもらったのより増えてるな」
凪が呟く。
進むほどに、白い光は密度を増していく。花びらの形すら分からなくなりそうな光の密集。
足元を照らす灯りは、もはや道標のようだった。
最奥までもう少し。まだ少し距離があるのに、すでにここは一面の花の森だった。
そして、地図に記された“最奥”のポイント。
その少し手前で。
「……止まって」
私の声が、思ったよりはっきり響いた。
全員が足を止める。
「どうした?」
凪が振り返る。
私は、喉が渇くのを感じながら、前を指差した。
「……ここから先に……何か、いる」
白い花の向こう。
光が、歪んでいる。
魔法陣が目視できる。
そこに――
何かが、いる。
花を食べて、育って。
待っている、何かが。
蒼樹さんが、私の隣に並ぶ。
「……無理そうか」
「……分かりません」
正直な答えだった。
「でも」
「多分、あの魔法陣の奥に……何かが、います」
蒼樹さんは、前を見据えたまま、短く言った。
「なら、ここからは一歩ずつや」
白い花の海の奥で。
魔法陣が、脈打つように揺れていた。
まるで――
心臓の鼓動みたいに。
私の鼓動に重なるように。




