第七十一話 最下層へ行きます
「どうする?」
凪の問いかけに、しばらく、誰も口を開かなかった。
応接室の静けさが、逆に耳に痛い。
「……まず、現状を整理して、全員で納得しよう」
最初に口を開いたのは、やっぱり凪だった。
腕を組み、天井を見るようにしながら続ける。
「今わかってるのは三つ。一つ、最下層の花は異常増殖し続けている。二つ、スライムが減ってて、何かに消費されてる可能性が高い。三つ、あの魔法陣は世界的に前例なしで、触ると危険かもしれない。まだ何かあるっぽいけど、それは今の段階では俺たちには分からない」
淡々とした言葉に、状況が輪郭を持つ。
「で、ギルドが求めてるのは――」
凪は私たちを順に見た。
「最下層で何かを討伐してくれ、じゃない。現状を調べて、戻ってきてほしい、だ」
「……つまり、深入りしすぎるなってことやな」
蒼樹さんが補足する。
「そう。無茶する前提じゃない。とにかく情報を求めてるってことだと俺は判断した」
「俺もそう思う。たとえば、花の現物の採取やあの魔法陣の詳細な写真。映像にない何かがあるのならそれを知りたいってことやろ」
凪は頷いた。
少しだけ、空気が緩んだ。
「でも……」
由衣が、小さく声を出す。
「怖いのは、正直、変わらない」
由衣は膝の上で手を握りしめていた。
「もし、あの魔法陣が何かを“起動”するものだったら?私たちが行くことで、余計に悪化したら……」
「それは、誰にも分からん」
蒼樹さんが、即座に言った。
「行かんでも、悪化する可能性はある」
由衣が顔を上げる。
「……うん。分かってる。でも」
由衣は一度、言葉を切ってから続けた。
「それでも、怖い」
その正直さに、誰も否定しなかった。
私は、その様子を見ながら、胸の奥が締めつけられるのを感じていた。
言わなきゃいけない気がした。
でも――。
「……私」
思わず、声が出た。
「これって……」
指先に力が入る。
「私が異世界に呼ばれたことと、関係してるかもしれなくて……それをギルドに言わないのはフェアじゃないかなって……やっぱり思っちゃう」
一瞬、空気が張りつめる。
「日向さん。……いや、さくら」
蒼樹さんが、はっきりと私の名前を呼んだ。
私は、言葉の続きを飲み込む。
「それは“今ここで背負う話”ちゃう。今は言わないてみんなで決めたはずや」
蒼樹さんは、静かに言った。
「少なくとも、さくら一人で背負う話やない」
凪も、頷いた。
「原因が何であれ、今の問題は“池袋ダンジョンがどうなってるか”だ。さくら一人の責任にする話じゃない」
「……うん」
由衣が、私の肩を抱き寄せてくれる。
「さくら。私たち、パーティだよ」
胸の奥で、張りつめていたものが、少しだけ緩む。
「だからさ」
凪が、少しだけ笑う。
「決めよう。行くか行かないか」
全員の視線が、自然と凪に集まる。
怖い。
でも、知らないまま目を逸らすのも、同じくらい怖い。
私は、深く息を吸った。
「……私は」
一拍置いて、言う。
「“調査だけ”なら、行きたい」
由衣が、私を見る。
少し考えてから、ゆっくりと頷いた。
「……私も。怖いけど、みんな一緒なら」
凪は肩をすくめる。
「最下層まで行ける作戦を考えた上で、予想外のことが起こっても対処する方法を持って情報収集だけ。それが一番現実的だと思う」
最後に、蒼樹さん。
「俺も凪と同じや。なんかありそうなら俺は止める。それでええか?」
短く、それだけ言った。
四人の答えが、揃った。
私は、はっきりと理解した。
これは、四人で選んだ、一歩目だ。
ドアの向こうで待つ二人に、どう伝えるか。
その言葉を、私は頭の中で探し始めていた。
ドアの外にいる鷹宮さんと雪城さんに声をかける。
「決めました。俺たちが池袋の最下層の調査をします」
凪の第一声に、2人が揃って頭を下げる。
「皆さん、本当にありがとうございます。では先程伝えなかったことをお伝えします。これはトップシークレットなので他言無用でお願いします」
再び私たちの前に座った二人が出してきたのは、一枚の写真だった。
「これは最下層から帰ってきた探索者から提供してもらって、私が念写した記録です」
そこには魔法陣の中に吸い込まれていく花があった。
「私のスキルは静止画しか写せないんですが、この時の探索者の証言では、魔法陣が花を食べていた、というのです」
「食べる?」
「はい。そう言うしかないと。魔法陣がふるふると動いて、花を吸い込んで咀嚼しているようだった、と」
花を食べる魔法陣……?
その言葉だけで、背筋に冷たいものが走った。
「……それ、ほんまに魔法陣なんか?」
蒼樹さんが、写真から目を離さずに言った。
「俺は魔法使いやから、少し魔法陣のことも勉強した。魔法陣は魔法を固定するためのもんや。自発的に動くもんやない」
「我々も、同じ認識です」
鷹宮さんは静かに頷く。
「魔法陣とは本来、固定された“術式”です。自律的に動き、何かを取り込む――そういった性質は考えられません」
「じゃあ、この魔法陣は……」
由衣の声が震える。
「生きてる、ってことですか?」
雪城さんが、即答を避けるように一拍置いた。
「“生きているように振る舞っている何か”、ではないかと。少なくとも、我々はそう判断しています」
応接室の空気が、さらに重く沈む。
「スライムが減ってる理由も」
凪が低く言った。
「花と同じように、あれに“食われてる”可能性がある、ってことか」
「可能性の話ではありますが」
雪城さんは肯定も否定もしなかった。
私は、無意識のうちに写真から目を逸らしていた。
見ていられなかった。
花が、溶けるように吸い込まれていく場所。
私はそんな魔法陣のど真ん中にいたのか。
「……さくら?」
由衣の声で、はっとする。
「ごめん」
私は首を振る。
「大丈夫」
「もう一つ、あります」
鷹宮さんが言った。
「この魔法陣が確認された位置ですが、毎回、微妙にズレています」
「移動してる……?」
凪が眉をひそめる。
「正確には“中心がずれている”」
雪城さんが補足する。
「花を取り込んだ量に応じて、陣の構成そのものが変化している可能性があります」
育つ。
食べて、変わる。
「……調査の条件を確認させてください」
蒼樹さんが、場を引き締めるように言った。
「最下層には入る。花の現物を採取、ただし、魔法陣には触れない。異変を感じたら即撤退。それでええんやな?」
「はい」
鷹宮さんは即答した。
「それ以上を求めるつもりはありません」
「もし」
凪が続ける。
「調査中に“これは手に負えない”と判断した場合、その場で中断します」
「構いません」
「その判断を、現場に委ねてくれるなら」
凪は一度だけ、仲間を見回した。
「俺たちで行きます」
鷹宮さんと雪城さんが、深く頭を下げる。
「本当に、ありがとうございます」
その言葉を聞きながら、私は思っていた。
――きっと、これは“見るだけ”では終わらない。
あの魔法陣は。
花を食べる、あれは。
まるで――何かを待っているように見えた。
それが、私なのかどうか。
その答えを知るのは、もう少し先だ。
私たちの池袋ダンジョン最下層調査は、こうして正式に決まった。




