第六十八話 鍋を食べよう!
ギルドを出ると、外はすっかり夕方の色になっていた。
池袋の街は相変わらず人が多く、さっきまでの応接間の張りつめた空気が、少しずつ遠ざかっていく。
「……鍋、やめる?」
由衣が小さく聞いてきた。
「ううん」
私は首を振る。
「むしろ、今日はちゃんと食べよう。皆で」
由衣は一瞬迷ったあと、ふっと力を抜いたように笑った。
「そうだね。さっきの話も詰めなきゃだし」
「あ、ちょっと買いたいものあるからパル〇寄っていい?」
「いいけど、何買うの?」
「座布団代わりのクッション」
「クッション?」
「うん。今、うちにあるクッションの数じゃ今日いる人数分に足りないなって気づいたの」
「あー、確かに。じゃあパ〇コ寄ろうか」
「うん」
そして由衣とお店に寄って、新しいクッションを買うとちょっとだけカフェによってお茶にして私はグループチャットを開いた。
〈二人とも池袋駅で合流できるなら教えて。今、由衣と駅のカフェでお茶してるから〉
〈池袋ギルドで、聞いた話があるから共有します〉
〈詳しくは集合してから〉
すぐにスタンプや短い返事が返ってきた。
どうやら今二人は渋谷にいるらしく、2人で合流してから池袋に向かう、と返事があった。
この人たちがいる、という事実だけで、胸の奥が少し温かくなる。
私は一人じゃない。
それがとても嬉しいのだ。
駅で二人と合流して、帰り道は自然と四人並びになった。
スーパーに寄って、鍋の具材を追加で買う。
「今日は寄せ鍋?」
「それともキムチ?」
「今日は二種類用意してる。寄せ鍋とトマト鍋」
「トマト!?俺初めて食べる!」
凪はトマト鍋は初めてらしい。
トマト鍋なら〆はチーズリゾットかパスタがいいかも、という話になり、寄せ鍋は雑炊でトマト鍋はトマトパスタにしようと決まり、パスタは家にあるのでチーズを買った。
そんな他愛ない会話が、少しだけ現実に引き戻してくれる。
部屋に着くと、由衣が手早くクッションを並べた。
テーブルの周りに円を描くように置かれたそれを見て、凪が感心したように言う。
「お、気が利くな」
「今日は長くなりそうだしね。ほらほら、2人ともさくらを手伝って!」
いや、この狭いキッチンに背の高い男二人来られると返って邪魔だよ。
鍋と具材を渡してさっさとキッチンから追い出すと、炊飯器にご飯が残っているか確認してから私もリビングに行く。
リビングではもう鍋の匂いが部屋に漂っていた。
湯気が立ちのぼり、昼間の冷えたお茶とは違う温度が、鼻腔の奥まで伝わってくる。
「そろそろいいかな?」
蓋を開けると、しっかり煮立った鍋の良い香りが部屋いっぱいに広がった。
「おー、トマト鍋ってこんなのか」
「ソーセージがうまそうやなぁ」
「……じゃあ、食べながらでいいから」
私は箸を置いて、皆を見る。
「今日、ギルドで聞いてきた話をするね」
そのとき、蒼樹さんが私の前に小鉢を一つ、そっと置いた。
「先に取っとき。火、強いし」
「……ありがとう」
それだけのやり取りなのに、なぜか胸の奥が少しだけ高鳴った。
「じゃあ、話すね。今日、由衣と二人で池袋ギルドに行ってきたんだけど……」
空気が、静かに切り替わった。
全員、「探索者」の顔になる。
池袋最下層の花の森のこと。
一階層と同じ花が最下層に増え続けていること。
そして、花の向こうに見えた魔法陣と、スライムが減っているという事実。
誰も、途中で口を挟まなかった。
鍋が小さく煮える音だけが、部屋にある。
「……なるほどな」
最初に口を開いたのは凪だった。
「だから、最下層に行けるパーティを探してる、ってわけか」
「“お願い”って形だったけどね」
「でも、実質そうやな」
蒼樹さんが苦笑する。
由衣が、膝の上で手を握りしめているのが分かった。
「私は……」
由衣が顔を上げる。
「正直、怖い。でも、行かないって選択をして後悔するのも、たぶん同じくらい怖い」
「それとね。これはまだギルドには共有してない話だから、みんなに相談したいんだけど……」
私が話したのは、私の聖女のジョブとスキルをギルドに明かしていいものかどうかということだった。
ダンジョンが、もし私が異世界に召喚されたことで発現したものなら、その責任は私にあるんじゃないかってことも。
凪が、鍋に豆腐を入れながら言った。
「まだダンジョンに行くのもさくらのことを話すのも決めなくていいだろ。今の段階じゃ情報も足りない」
「いいのかな……」
「かまへんやろ。実際、日向さんのジョブとスキルは外からじゃ見えへんのやし、むしろ先に最下層行ってから決めることな気がするわ」
「私もそう思う。さくらのジョブとスキルが狙われてる可能性があるのなら、今は隠しておくほうがいいよ」
みんなの言葉にホッとする。
うん、できれば今の段階ではこの仲間以外には言いたくない。
「今日はギルドの要望の共有だけ。ギルドからも、無理にとは言われてない」
少し、空気が緩んだ。
「とりあえず」
凪が箸を持ち上げる。
「鍋が冷める前に食おう」
「そうだね」
また、日常の会話が戻ってくる。
けれど、さっきまでとは違う。
皆、同じものを見て、同じ重さを共有した上で、ここにいる。
私の秘密も知ったうえで一緒にいてくれている。
私は、湯気の向こうの仲間たちを見つめながら思った。
――この鍋の時間が、きっと境目になる。
池袋に踏み込むかどうか、その前の、最後の「普通の夜」。
だから今は、ちゃんと食べよう。
皆で。仲間で。




