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第五十七話 神田川ダンジョン 後編

「ほーん、それで俺の意見を聞きたい、と?」

 私は蒼樹さんと東京駅ダンジョンのセーフティエリアにいた。

 

 蒼樹さんには「もうこっちには来んと思っとったわ」って言われたけど、別に自分だけでレベルを上げることを諦めたわけでもやめたわけでもない。

 寧ろ、凪や由衣に置いていかれないように一人でも頑張らないとって気持ちのほうが強い。凪もまだ一人でやるって言ってたし、由衣は、お兄ちゃんに連れて行ってもらう約束してるって言ってたし。

 

 だったら私も。

 できることを全力で挑む。


「スライムに何か見たんか?」

「本当に、一瞬だったんですけど……」


 スライムが融けるとき、そこにまるで黒い落書きのようなものが見えた。


「黒い落書き?」

「スライムの核、とも違う何かもっと禍々しいものを感じて……。あれが融けた神田川ダンジョン大丈夫かな……」

 

 墨が溶けた水がもう真水には戻らないように。

 あれが何か悪いものの引き金になるんじゃないかと言う不安を吐露する。


「今のとこ、特に何かギルドから警告めいたもんは出てないみたいやな……」

 蒼樹さんが、SNSを検索して神田川ダンジョンの現状を確認してくれた。

「今度俺が一緒に行こか?」

「神田川ダンジョンにですか?」

「せや。水の流れがあるから、俺の魔法とは相性悪そうやけど、それならそれで俺は偵察に専念すればええし」

「……蒼樹さんが良ければ一緒に行きたいです」

「で、神田川ダンジョンのドロップ品って?」

「スライムですから、魔石メインですよ」

「何や、初心者用ちりつもダンジョンか」



 数日後。

 夕方、私は蒼樹さんと二人で、神田川ダンジョンの入口に立っていた。

 蒼樹さんが会社まで私を迎えに来たので、何やら騒がれていたのだがなんでだ。


 川の上に開いたそれは、相変わらず何事もない顔をしている。

 水面は穏やかで、外から見ればただのいつものダンジョンだ。


「人、そこそこおるな」

「はい。平日は、仕事帰りの人が多いみたいです」

「まあ場所も悪くないし、スライムしか湧かんのやったら初心者向けではあるから、さくっと寄るには向いてるわな」

「ですね」


 由衣や凪と来たときと、変わらない神田川ダンジョンの光景。

 それが、逆に胸の奥をざわつかせる。


「今日は様子見や。無理は一切せぇへん」

「分かってます」


 蒼樹さんはそう言ってから、私を入場ゲートへ促した。


「異変がもしあったら、俺が前に出るで」

「いいんですか?」

「異変を偵察すんのが、今日の俺の役割やろ?」


 私は頷いて、彼を後ろに先にダンジョンに足を踏み入れる。

 水が流れる音がする。

 だけど。


「……なんか、前来た時よりも水の音が静かな気がする」


 水はちゃんと流れてる音がする。

 でも、その音がどこか鈍い。

 まるでガラス越しの流れの音のような鈍さを感じる。


 少し進んだところで、スライムがポップした。

 小型の青いやつ。

 一番多い、初心者向けの個体。


「倒してみぃや」


 蒼樹さんが指示を出し、私はリボルバーを構えた。

 撃った弾はしっかり命中し――その瞬間。


 スライムは、弾けなかった。


 ぐにゃり、と形を崩し、そして由衣のときと同じように、融ける。


「……同じだ」


 私は思わず声を漏らした。

 水に溶けるスライムの体の奥に、一瞬だけ、黒い線のようなものが見えた。

 見間違いじゃない。

 あとに見慣れた魔石が一つ転がって、蒼樹さんが拾い上げる。


「うん、おかしいもんはないな」

「蒼樹さんさっきの見えました?」

「ああ。なんか消える前に黒い模様みたいなのが浮かんでたな。一瞬やったけど」


 蒼樹さんは、しばらく水面を見つめていた。


「今日は、ここまでや」

「え?」

「様子見は成功や。これ以上今日はここにいる意味はないわ」


 蒼樹さんは、入口の方へ向き直る。


「……なんやここに入った時から視線みたいなもん感じるんや、ねっとりしたの。嫌な感じや。今日はもう帰ったほうがええ。準備が全然足りてへんわ」

「分かりました……」

「また来るんやったら誘うてや。あんさんら、パーティに魔法使いはおらんのやろ?」

「はい、いません」

「せやったら、俺の火力が使える場面もあるかもしれんしな。今さらやけど、連絡先交換しとこか」

「あはは、私たち、まだお互いの連絡先も知らなかったんですね」


 ダンジョンの出口に近づくにつれて、水音は、少しずつ元に戻っていった。


 ――まるで、何事もなかったかのように。


「日向さん」

「はい」

「あんさんの感覚は、正しい」


 蒼樹さんは、珍しくはっきりと言った。


「これはな、“スライムの異変”やない」

「じゃあ……」

「“ダンジョンの罠”や」

「罠……」

「うまく言えんが、今までのダンジョンにはない悪意というか敵意を感じるんや」


 その言葉が、胸に沈む。


 ダンジョンに潜む悪意。


 盗賊たちだけではない悪意と敵って何だろう。


 私はグローブの上から右手の甲をぎゅう、と握る。

 何だか最近、ここに刻まれた紋様が熱を持つことが増えて来た気がするのだ。


 怖い。

 それでも私には凪も、由衣も、お兄ちゃんも、蒼樹さんもいる。一人じゃない。


「ところで、この魔石、どないする?ギルドに持ってって今日の夕飯の資金にするっていうのはどうや?」

「賛成です。この辺りなら、とんかつの美味しい店がありますよ!」

「せやったらとんかつ行こか」


 蒼樹さんがぽーんと魔石を放り投げて。


「え?」


 それは空中で消えた。


「え?え?あれ、魔石は?」

「ああ言うてなかったな。俺、ストレージボックススキル持ちやねん」

「えええええ!?」


 聞いてないんですけどーーー!!!???

 

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