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第五十六話 神田川ダンジョン 前編

 翌日。

 私は少し寝不足のまま、退社後、駅前の小さなカフェにいた。

 目の前には、由衣と凪。

 仕事終わりに由衣を誘ったのだ。

 東京駅ダンジョンでの一件から、まだ丸一日も経っていない。


「それで」

 凪がコーヒーを一口飲んでから言った。

「さくらの話って?」

「うん、あのね。由衣が探索者として戻ってきてくれたのはすごく嬉しいんだけど、すぐにみんなで池袋ダンジョンっていうのもあれかなって思うの」


 由衣は一瞬、言葉に詰まったあと、ゆっくり頷く。


「だから由衣さえよければ、三人でどこかのダンジョンで慣らすのはどうかなと思って」

「うん、私もそのほうがいいな。すぐに池袋はちょっと……」

「それでね、ちょっと行きやすそうなところ調べてみたの。そうしたら、神田川ダンジョンがスライム特化みたいだから、ここに1回三人で行ってみるのはどうかなって」

「神田川なら、俺の仕事帰りに行ける範囲だな」

「うん、池袋よりは凪も由衣も自宅から近いしいいかなと思ったんだけど……」


 由衣が少し考えた後で頷く。


「うん……行ってみる」

「いいの?由衣」

「さくらが私のために考えてくれたリハビリコースだもの。やるって決めた以上はやるよ、ううん、やりたい」

「……ありがとう」

 私は思わずそう言っていた。

「私ね、正直ちょっと怖かったんだ」

 由衣は、カップを両手で包んだまま続ける。

「戻ってきたのに、前と同じように動けなかったらどうしようって。でも、二人と一緒なら、確かめられる気がする」

「一人で抱え込むなよ」

 凪が、いつもの調子で言った。

「探索はパーティでするもんだろ。リハビリのつもりなら尚更だ。由衣は俺とさくらと頼ればいい」

「うん」

 由衣は小さく笑って頷いた。

「じゃあ決まりだね」

 私が言うと、凪はスマホを取り出す。

「神田川ダンジョン。階層は浅め、水流あり、スライムオンリー。初回はとにかく無理せず一階層だけ」

「凪、もう調べてる……」

「調べられる情報は調べてからアタックするのが当然だろ」

 三人で、くすっと笑う。

「じゃあ、潜るのはいつにする?」

「早いほうがいい。間が空くと、逆に由衣が緊張するだろ」

「それじゃ、明後日の定時後かな」

「……うん、大丈夫」

 由衣はそう答えてから、一瞬だけ視線を伏せた。

「ねえ、さくら」

「なに?」

「私、もし途中でダメだなって思ったら、ちゃんと言うね」

「うん。私も見るし、凪もいる。これは由衣のリハビリだから無理はさせないよ」

 凪は軽く手を上げた。

「ああ、任せとけ」


 その言葉に、由衣の表情が少しだけ柔らいだ。


 こうして、私たち三人は――神田川ダンジョンへのアタックを決めた。

 その“リハビリ”が、ただの肩慣らしでは終わらないことを、この時の私は、まだ知らなかった。



 神田川ダンジョンは、流れる水の上に口を開けている。

 池袋の一階層と同じ、割と初心者向けということで人もそこそこ多いのは、仕事帰りに寄るのにちょうどいい場所と言うのもあるのだろう。

 池袋は少し駅から離れてるから、ここまで平日でも混んでいない。

「よっし、行くか」

 凪が先頭に立って、三人で初めてのダンジョンへ潜る。

 最近、主要なダンジョンではマップが公開されていて、DLもできるし、紙ベースのものも売っていたりするので、マッピングスキルの需要は急激に減っているらしい。

 その分、探索者に求められるのは個々の戦闘力と判断力だ。パーティではさらに前衛後衛の立ち回りも要求される。

「一層目は水辺沿いを進む。分岐は少ないけど、足元だけ気をつけろ」

 凪が前を歩きながら言う。

 神田川ダンジョンの内部は、外から想像していたよりも明るかった。

 天井から淡く光る苔のようなものが広がっていて、水面に反射して揺れている。

「池袋と、やっぱり雰囲気違うね」

 由衣の言葉に合間に私の耳に届くのは流れる水の音だ。

「やっぱり川のダンジョンだから、ずっと水の音がするね」

 先頭に凪、真ん中に由衣、殿が私、という順番で進んでいく。時折ポップするスライム凪と私で倒しながら。

 斜め後ろから見る由衣の表情は落ち着いているけど、肩がほんの少しだけ強張っているのが分かった。

「無理そうなら、すぐ言えよ」

 凪が、振り返らずに言う。

「うん」

 由衣はそう答えて、深く一度息を吸った。


 少し進んだところで、足元の水面がぷくり、と膨らんだ。


「来るぞ」

 凪が立ち止まる。

 水の中から現れたのは、大きな漬物石サイズの青いスライムだった。

 一体、二体……全部で三体。

「いつものやつだね」

「由衣、やってみるか?」


 凪の言葉に、由衣は一瞬だけ迷って――それから、頷いた。


「……うん。やってみる」


 由衣が構えたリボルバーにはお兄ちゃんが由衣のためにくれたスキル特性の魔弾が装填されている。

 スライムが、じわじわとこちらに近づいてくる。

 凪が一体を引きつけ、私がもう一体に牽制を入れる。


「由衣、右!」

「分かってる!」


 由衣が一歩踏み出した。

 そして、リボルバーを構えて――。


 ぱんっ!


 軽い音を立てて、由衣が発射した弾がスライムに吸い込まれ、そして今までにない消え方をした。

 キラキラと消えていくのではなく、スライムの中に何かが浮かび上がった後、ドロドロと融けるように。

 そしてそのまま融けたスライムは流れる水に消えていった。


「今の……?」


 ドロップも何もない。ただ、泥のようにスライムが消えた。

 ただ、僅かに見えたものが記憶に残る。

 それは今までと違う何かを予感させた。

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