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第五十一話 貴女の答えを待つことに決めた

 翌日、午前中の出荷作業が一段落した頃だった。

 デスクでコーヒーを飲んでいると声をかけられた。


「日向さん、これ……」


 由衣が、少し遠慮がちに声をかけてくる。

 伝票の確認だった。


「ありがとう。あとで確認に行こうと思ってた」

「待ってたほうが良かった?」

「ううん、助かる」


 それだけのやり取りなのに、少しだけ胸が軽くなる。

 前なら、ここで会話は終わっていた。


 由衣が伝票を片付けながら、ふと視線を落とす。

 何か言いたげな空気を察して、由衣を見る。

 きっと由衣になら伝わる。


「……最近、日向さん忙しそうですね。残業が多いみたいだし」

「うん。繁忙期はこんなものだよ。でも、ダンジョンも、仕事も忙しいのは性に合ってるって最近思うの」


 言ってから、しまったと思った。

 でも、由衣は意外にも顔をしかめなかった。


「……そうなんだ」

 

 少し沈黙が落ちる。


 私は、蒼樹さんの言葉を思い出していた。

 

 ――迷ってるってこと、伝えられたらそれで一歩や。


「佐伯さん……ううん、由衣」

「……何?」

「無理に戻らなくていいからね」


 自分でも驚くほど、落ち着いた声だった。


「ダンジョンのこと。由衣がどうしたいか、分からないうちは、私は、待つよ」


 由衣が、ほんの一瞬だけ目を見開いた。

 大きな瞳に惑いが揺れている。

 

「……怖くないって言ったら、嘘になります」


 ぽつりと、由衣が言う。


「でも、私の中で……全部、終わったとも思ってなくて……」


 握った指先が、少し震えている。


「だから、日向さんがそう言ってくれて……ちょっと、助かりました」

「そっか」


 それ以上、踏み込まない。

 踏み込まないことを、選ぶ。

 

「仕事、戻りますね」

「うん。ありがとう」


 由衣は小さく会釈して、その場を離れた。

 背中を見送りながら、私は何も言わなかった。


 それでいい。

 今日の私は、線を越えなかった。

 超えることを選ばなかった。

 自分の意志で。

 


 【Side 由衣】


 その日の帰り道。


 由衣は、スマホを握りしめたまま、しばらく立ち止まっていた。

 電話が鳴っている。

 画面に表示されている名前は――日向遥。


「……遥さん」


 ボタンを押すまで、少し時間がかかった。

 それでも、最後には親指が動いた。


「……もしもし」

『由衣ちゃん?元気?』

「元気、ではないですけど。何か御用ですか、遥さん」

『ちょっと、話したいことがあって』

「はい」

『近いうちに会える?』

「……はい」

 

 胸の奥で、何かが静かに動き出すのを感じながら、由衣はゆっくりと歩き出した。




 ここは東京駅ダンジョンの入り口だ。


 私は入り口の前で、今日のレートを確認していた。

 ダンジョンの入口に貼りだされるドロップ品買い取りのレートは日々変わる。

「おー、今日は短剣がちょっと高いな」

 いつの間にか私の隣に立っていた蒼樹さんがレート表を一緒にのぞき込む。

「まあでもダンジョン金貨以外は基本しょぼいなぁ」

「それでもちりつも、でやってる探索者も多いですし、私もそうですよ。あんまり大きなお金は怖いです」

「怖い、か」

 蒼樹さんはレート表から視線を外さず、短くそう言った。

「日向さんがそれ言うの、ちょっと意外やな」

「そうですか?」

「もっとこう……一発ドンと稼ぐタイプかと思ってた」

 苦笑しながら肩をすくめる。

「私は向いてないです。大きい額が自分の手で一気に動くの」

「分かるで。金額そのものより、その先の責任が重いし怖いんよな」

 その言い方が、妙に現実的だった。

 社長、という立場で前線にも立っている人の言葉だ。

「会社やってると、そういう怖さを毎日感じるわ」

「……蒼樹さんでも、怖いことあるんですね」

「そらある」


 あっさり言われて、少し驚いた。


「でもな」

 蒼樹さんはレート表を指で叩く。

「怖いから見んふりするのと、怖いままでも一歩踏み出すのは、全然ちゃう」

「……」

 私は黙って頷いた。

「日向さんは今、ちゃんと見てる側やと思うで」

「……見てる、ですか?」

「自分も、相手も。両方や」

 少し間が空く。

「この前より、顔つきが軽い」

「……そうですか」

「相方さんと、何か話したんやろ」


 否定しなかった。

 肯定もしなかったけれど。


「無理に聞かんよ」

 蒼樹さんは、少しだけ視線をずらした。

「言いたなったらでええ」


 その距離感が、ありがたかった。


「蒼樹さん」

「ん?」

「……私、ちゃんと待ててますかね」

「待ててるやろ」


 即答だった。


「引っ張らん。押しつけん。でも背ぇ向けてもない。それ、一番しんどいやつちゃうか」

「……はい」


 自覚はある。

 だからこそ、不安になる。


「それでも選んだんやろ」

「……はい」

「なら、それでええ」


 蒼樹さんはそう言って、軽く笑った。


「日向さんはな、ちゃんと“見て、待つこと”ができる人や」

「……蒼樹さんに言われると、ちょっと救われます」

「せやろ。年下やけどな」

「そこは関係ないです」


 自然に、そう言えた自分に少し驚いた。


「ほな、今日も行こか」

「はい」

「無理そうやったら、すぐ引き返すで」

「……ありがとうございます」


 ダンジョンの入口へ向かいながら、思う。


 私は一人じゃない。

 まだ答えは出ていないけれど、

 隣で同じ速度で歩いてくれる人がいる。


 それだけで、今日は十分だった。

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