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第四十三話 私の兄がやはり神だった

 がっつりラーメンを食べて少し夜遅くなったけれど、帰宅してから、私はスマホを手に取った。

 時刻は22時を少し回ったところ。


(……この時間なら、まだ起きてるよね)


 コール音が三回鳴ってから、少し間を置いて出た。


『おー、さくら?珍しいな、この時間に』


 兄の声は、いつも通りの調子だった。

 少しだけ雑音が混じっているのは、たぶんまだ仕事中か、帰り道だ。


「今、大丈夫?」

『ああ、さっき家に着いたとこだ』

「……ちょっと、相談があって」


 そう言うと、兄は少しだけ声のトーンを落とした。


『珍しいな。仕事?』

「うん……仕事、かな」


 嘘ではない。

 でも、全部でもない。


『何?人間関係?それともまた何かしら無理してないか系?』

「後者寄り、かも」


 少し笑ってごまかすと、兄も軽く笑った。


『あー、それは要注意案件だな。で?』

「最近ね、業務の幅が広がってて……想定してなかった役割を振られそうになってるの」

『想定外?』

「うん。私としては、今の担当だけで十分だと思ってたんだけど」


 電話の向こうで、兄が息を吐く音がした。


『それで?』

「その役割を受けると、たぶん責任も増えるし、リスクも上がる。でも、やらないと周りに迷惑がかかる気もして……」

『なるほどな』


 兄は、すぐには答えなかった。

 その沈黙が、私には少しだけ救いだった。


『さくら、それって、「できるかどうか」じゃなくて、「やりたいかどうか」だろ?』

「……たぶん、そう」

『やりたい?』


 一瞬、言葉に詰まる。


「……正直、怖い」

『うん』


 否定されなかった。

 お兄ちゃんはこういう人だ。

 ……突き放してるわけじゃなくて、私からこぼれるものを冷静にすくおうとしてくれてる。


『怖いなら、今は無理に踏み込まなくてもいいんじゃないか?』

「でも……」

『でも、責任感があるから悩んでるんだろ?』

「……うん」

『それは悪いことじゃない。でもな』


 少し間があってから、お兄ちゃんは言った。


『生きて帰れる範囲でやれ』


 胸の奥が、少しだけきゅっとなる。


『さくら。最近、いろんなダンジョンで盗賊が出てるって知ってるか?』

「うん、知ってるよ。だって私、遭遇したもん」

『……なんだって?どういうことだ、さくら』


 そこで私はお兄ちゃんに池袋のダンジョンであったことを話した。それはつまり由衣のことも話すことになるから少し躊躇ったけど、でも由衣を助ける何かのきっかけが欲しかった。


「池袋の三階層で、盗賊に襲われたの。由衣が……由衣が被害に遭って……」

『由衣ちゃんが?』

「私、一緒にいたのに……っ助けられなかった……!」


 いつの間にか私は泣いていた。由衣が被害に遭ってから初めて泣いた。

 そうだ、私泣きたかったんだ。

 一番泣きたいのは由衣だって分かってたから泣けなかった。


 泣きじゃくる私が落ち着くのを待ってくれていたお兄ちゃんが優しく私の名前を呼ぶ。

『……さくら』

 呼ばれて、鼻をすする。

『それ、怖かっただろ』


 その一言で、また少しだけ涙が出た。


「……うん」


『そりゃそうだ。スキルもジョブも盗む盗賊だぞ。ニュースで聞くだけでも胃が痛くなる』

 お兄ちゃんは、淡々としていたけれど、声の奥に怒りと心配が滲んでいた。

『でも、さくらは生きて帰ってきた。由衣ちゃんも……怪我は?』

「私は大丈夫。由衣も命に別状はない。ケガも今は、回復してる。ただメンタルのほうが……」

『そうか』


 短く答えてから、お兄ちゃんは深く息を吐いた。


『……それならな、さくら』


 少しだけ、声が柔らかくなる。


『「助けられなかった」って言うのは違うと思うぞ。前川くんも一緒にいたんだろ?』

「……う、うん」

『さくらたちが一緒に撤退しなかったら、被害はもっと増えてたかもしれない。下手したら、パーティ全員帰ってこれなかった』


 私は言葉を失ったまま、スマホを握りしめる。


『探索でも仕事でもそうだけどな。最悪を避けた判断ってのは、後から自分で評価しづらいんだ』

「……」

『派手な成功じゃないから。でも、それは生き残るたもの最適解の判断だ』


 お兄ちゃんは、私を責めなかった。

 誰かを責めることもしなかった。

 それが正しかったのだと肯定してくれた。

 ……やっぱり神かな、私の兄。


『それで?さくらはこれから、どうしたい』

「……由衣を、守りたい」


 即答だった。

 そうだ、私は由衣を守りたいんだ。

 

『そうか。だったらな』


 お兄ちゃんは少しだけ、冗談めかした声を出す。


『自分が壊れるやり方は、やめとけ』

「……」

『さくらが倒れたら、由衣ちゃんを守れる人間が一人減る。それは一番ダメだ』


 胸の奥に、すとんと落ちる。


『責任感があるのはいい。でもな、「欲がない」って言われるくらいでちょうどいいんだ』

「……魔法使いさんにも、似たようなこと言われた」

『魔法使いさん?』

「うん、東京駅ダンジョンで会った探索者さん。あ、そうだ。それで私、お兄ちゃんに一つ相談があったの」

『ん?』

「ガンナースキルのレベルが4から上がらないの。もう十日以上東京駅ダンジョンに潜ってるのに」

『それはちょっとおかしいな』


 理由は分かってるけど言えないから、あくまで分からないを通す。


『分かった、ちょっと調べてみるわ』

「ありがとう」

『さくら。ダンジョン絡みのことで、危ないことがあったら、俺にも言え。守りたい相手がいるなら、相談先は多い方がいい』

「……うん」

『生きて帰ることが最優先だ。な』


またその言葉だ。


「ありがとう、お兄ちゃん」

『当たり前だろ。妹だぞ』

 少し照れたように言って、兄は付け加えた。

『今日は、ちゃんと寝ろ。睡眠不足は悪手だ』

「……だね。ありがとう、おやすみ」

『ああ、おやすみ』

 

 お兄ちゃんとの通話が切れたあと、部屋は静かだった。でも、胸の奥にあった重たいものが、ほんの少しだけ軽くなっていた。

 私はスマホを置いて、深く息を吸う。


(……大丈夫)


 由衣のためにも。

 そして、自分が生き残るためにも。


 私は、明日も無理のない頑張りで前に進もうと思った。

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