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第三話 シール貼りって何!?

 川の護岸が丸く抉れ、その中は真っ暗で。

 照明が数本立てられ、光に照らされた内部はまるで“人工的な洞窟”のようだった。

 冬の夕暮れは陽が落ちるのが早いから、もうかなり辺りも暗くて、そこにある煌々とした灯りだけが何だか怖く感じた。


 これはただの陥没じゃない。自然現象じゃない。

 直に見て、息が詰まるような圧迫感をあの穴から感じる。


「……なにこれ……」


 その瞬間だった。


 ──右手の甲が、熱い。 


 焼けるような温度ではないのに、脈打つみたいに内側からじん、と反応する。

 手袋の下で暴れ出すような熱をとっさに抑えた。

 すると、私の目の前にタブレットくらいの大きさの透明なウィンドウが開いた。


「え……?」


 スキルを習得しました――。


 チカチカと瞬く文字を見て、混乱が加速する。


 ごくりと息をのんで周りを見回しても、誰も私の前にある透明なウインドウには気づいていない。

 私はそっと野次馬から離れると駅方向へ歩き始めた。


 胸が早鐘のように鳴っている。

 駅へ向かう足は速歩きなのに、頭の中は妙にふわふわしていた。


(……私、見たよね? 透明のウィンドウ……。夢じゃなくて……本当に……?)


 手袋の内側では、さっきから右手の紋様が脈打つように熱を帯びている。

 あの模様が、存在を主張してくる感じだ。


 道端のコンビニの明かりが滲んで見える。

 気づけば息が浅くなっていて、胸の奥がぎゅっとなる。


「……落ち着け私……大丈夫……たぶん大丈夫……」


 誰に聞かれるでもない小声で言い聞かせながら、

 とりあえず駅前のベンチに腰を下ろした。


 深呼吸をひとつ。

 その瞬間、ウィンドウが再び目の前に浮かび上がる。


 ――スキル《シール貼り》が発動可能です。


「……いや、だから、何?」


 反射的に突っ込んだ声が少し震えていた。


 ウィンドウにはさらに文字が増える。


――タップして、スキルを確認してください。


(タップ?)


 そう思った刹那——右手が、ひゅっと冷たくなった。

 風が吹いたわけでもないのに、皮膚の下にスッと熱が引き、代わりに薄い痺れが広がる。

 そして導かれるように指先でウインドウに触れる。感触は何もなかった。


 ――スキル、シール貼り、ストレージボックス、聖魔法を確認しました。以下、ステータスを表示します。


 ――

 日向さくら 32歳

 聖女(?)+

 スキル

 シール貼り+

 ストレージボックス

 聖魔法+ ヒール / 小回復魔法・ライト / 光魔法・プロテクト / 防護魔法・ディテクト / 感知魔法


 HP10/10

 MP100/100

 ATK50

 ――


「……なにこれ……」


 思わず右手を振ると、ウィンドウは霧のように消えた。

 その直後、駅前の雑踏が一気に現実味を取り戻す。

 聖女(?)の?って何よ。年増だから聖女じゃないってこういうこと?


 学生たちの笑い声。

 スーパーのビニール袋のくしゃくしゃいう音。

 車のクラクション。


(……世界は普通に動いてるんだよなぁ……)


 それが逆に怖かった。

 私だけが、異世界と現実の中間に片足を突っ込んでいるみたいで。


 右手の熱は完全に引いたが、紋様はまだそこにある。

 手袋を取って触ると、今度はほんのり冷たい。


「……今日はもう帰ろう。無理。キャパオーバー」


 ふらつく足で立ち上がり、電車に乗り込む。

 窓に映る自分の顔は、正直ひどい。

 寝不足のクマに、青ざめた頬。

 まるでホラー映画のモブだ。

 そうだよ、私はモブでいいんだよ。平穏でささやかな幸せ、コンビニスイーツとかネイルとか、そういう日常の幸せがいいんだよ。聖女とかそういうのはいらないんだよ。


 それでも、家に帰り着くころには少しだけ呼吸が整っていた。


 玄関の鍵を閉め、コートを脱ぐと、ようやく肩の力が抜ける。

 けれど緊張が解けた反動で膝ががくんと笑った。


「……怖かった……」


 ぽつりと声にすると、不思議と涙がにじんだ。

 怖いに決まっている。

 異世界召喚されたと思ったらチェンジされ、戻ってきたら今度は現代ダンジョンでスキル発動って何?


「普通の人生送らせてくれよ……ほんと……」


 ソファに倒れ込んだまま天井を見つめる。

 巨大な穴の黒さが、瞼の裏にこびりついていた。


 あの圧迫感。

 あの脈動。

 そして謎のウィンドウ。


(……どう考えても、昨夜の召喚と関係あるよね……)


 ソファに寝ころんだまま、右手の甲を見つめる。


 異世界からの“お土産”。

 勝手に渡された忌々しいもの。

 ていうかこれは何?

 まずそれを知らなければいけないだろう。


「……うん。明日……もう1回、ちゃんと考えよう」


 そう呟いて目を閉じると、右手の紋様がふっと静かに脈打った。

 まるで——返事をするみたいに。

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