第二話 ダンジョンって何!?
翌朝。
寝不足でふらふらしながら会社へ向かう途中、私はスマホのニュース速報を見て足を止めた。
『都内地下で“未知の空洞”が複数確認。専門家「自然の侵食ではない」』
「……未知の空洞?」
画面のサムネイルには、黒くぽっかりと開いた洞窟への入り口らしきものが映っている。
しかも一つじゃない。都内含めた全国の各所で同じ現象が起きているらしい。
その現象について、これから政府の公式会見があるらしい。
(いや……まさかね……あれから一晩だし……)
絶対違う。違うと思いたい。違ってくれ。
でも。
右手の甲に残っていた、あの薄青い紋様は散々洗ったけどまだ消えない。
「……皮膚はがすわけにはいかないしなぁ……」
念のため、手袋をつけて電車に乗る。冬で良かった。
電車の中でも未知の空洞の話でもちきりだったし、スマホを見る人たちもそろそろ始まる政府の公式会見に挿画のチャンネルを合わせていた。
なので私もイヤホンを耳に突っ込んで、会見の動画のチャンネルに繋ぐ。
官房長官、という役職の人がちょうど壇上に立ったところだった。
「皆様、朝早くからお集まりいただき、ありがとうございます。そして今、この会見を見ている国民の皆様、まずは今回の事態の説明をお聞きくださった上でお願いがございます」
動画を見ている人の人数が一気に膨れ上がっていく。
「それでは、緊急会見を行います。都内含め、全国各地に出現した未知の空洞に関してですが、あの空洞は数か月前より確認されておりました。発見後は厳重な政府管理の元、探索を行っておりました」
ふんふん。
「内部の調査に時間がかかり、今日の発表になってしまったことをまずはお詫びいたします」
深々と頭を下げる政府のお偉いさんに、記者席から質問が飛ぶ。
「それで、あの空洞は一体何なんですか!?」
「有毒ガスなどの恐れはないんですか!?」
記者の口々の質問の雨が止んだ後、厳かに真実が告げられた。
「有毒ガス等は確認できませんでした。そして調査して分かったことは、あの空洞は自己増殖をしていることです」
え、勝手に穴が広がってるってこと?
「内部で確認されていることは現在、急遽専用のサイトを作っている最中です。ですが、まず、国民の皆様にお願いしたいのは、あの穴には決して近づかないでほしいということです。内部には危険な生物が確認されております。どうか中に入ろうなどとはしないでください。調査結果は随時サイトで公表いたしますし、大きなことに関しては今後も会見を開きます。重ねてお願い申し上げます」
危険な生物……?熊とかいるの……?え、怖いんだけど。
そこで会見は終わった。
記者の人たちはまだあれこれ質問を飛ばしていたが、強制的に中継は終わり、電車の中にいつもの喧騒が戻ってくる。さっきまではみんな静かにスマホ見ててちょっと怖かった。
それから会社に着いたけど、やっぱり話題はそのことばかり。
「ねえ聞いた?あの謎の空洞“ダンジョン”って名称が有力なんだって」
「今朝の会見で言ってたよ。なんか“空洞が自己増殖してる”とか」
「ゲームかよ。もうやだこの国」
みんなが口々に騒ぎつつも、どこか呑気だ。
だって現実味がないのだ。もちろん、私にだってない……と言えればよかった。
昨日の夜の出来事が現実だったのなら、これは何か連動した現象なんだろうか。
(……昨日の召喚、夢じゃなかったよね……)
昨夜、帰宅したあと、何度も手の甲を見た。
そこにある青い三日月みたいな模様は、軽く押すと、じんわりと温かい。
洗っても取れないし、薄くもならない。
手袋をとっても模様は確かにあるけど、どうやら私以外には見えないらしく、パソコンのキーを叩いていても誰にも何も言われない。「ねえ、これ見て」と右手の甲を見せても「ネイル、今日もいいね」と言われるだけだ。
昼休みになっても、社内の空気は落ち着かなかった。
ニュースサイトはどこも「未知の空洞」特集、ネット民は早速“ダンジョン確定w”“やっぱり来た現代ダンジョン時代”などと騒いでいる。
(いやいや、現代ダンジョンって。ないでしょ……)
否定したい気持ちはあるのに、胸の奥がざわざわする。
昨日の出来事がなかったら、私も笑い飛ばして終わってただろうなって思う。
右手の甲をそっと撫でると、昨日より少し温度が高い気がした。
会議資料をまとめながらも落ち着かず、そんな気配を敏感に察したのか、同僚の佐伯さんがコーヒーを持ってきてくれた。私より一つ年上の先輩で、きれいで気配り上手な素敵な人だ。
「はい、コーヒー。休憩しなよ」
「ありがとう、佐伯さん」
「日向さん、大丈夫?朝からずっとソワソワしてるよ」
「えっ、してます?」
「してる。彼氏と喧嘩したのかと思った」
喧嘩する彼氏いないです、と心の中だけで全力否定した。悲しいけどね……。
「ちょっと寝不足で……」
「今日は早く帰りなよ。顔色悪いよ。昨日も残業だった?」
「うん。だいぶ遅くなった」
「日向さん、仕事できるからね……。でも今みたいな状況だと早く帰ったほうがいいよ。ほら、例の謎の空洞。うちの区にもできてるってよ?」
「えっ……?」
私は反射的に佐伯さんのスマホ画面を覗き込む。
そこには、見慣れた地名が表示されていた。
しかも、会社からそう遠くない場所だ。
胸がぎゅっと強く締めつけられた。
(……こんな近くに……?)
午後の仕事は、ほとんど身が入らなかった。
そして定時。
黙って帰宅する雰囲気でもなく、かといって残業する気力もない。
私は「今日は帰ります!」と珍しく宣言し、まだざわつくオフィスをあとにした。
外に出ると、冬だというのに風が妙に生ぬるい。
朝よりもさらに“右手”が熱を帯びている気がして、私は無意識に手袋の上から押さえた。
(……行かなきゃいけない気がする)
それは直感に近い。
呼ばれているような、警告されているような、不思議な感覚。
こういうのが第六感て言うのかな?
「行きたくないんだけど……」
小声で愚痴りながらも、足は自然と最寄りの駅ではなく、ニュースで見た“空洞の位置”へ向かっていた。
普段帰る方向とは逆だ。
橋を渡り、川の先へ続く道を進んでいると、人が多く集まっているのが見えた。
あそこだ。
道沿いには立入禁止の黄色いテープ。
何百人と言う野次馬の塊の向こうにはバリケードも見えた。
警備員が数人配置され、バリケードの前に立っている。
けれど、バリケードの少し先——。
黒い穴があった。




