第6話 : 異世界テンプレ、現地でやってみた
主人公がついに日本を離れ、異世界――ではなく、東南アジアの山岳地帯へと降り立ちます。
これは単なる旅行ではありません。「異世界転生テンプレ」を現実世界で再現するための、真剣な挑戦です。
誰も見ていない森の中で、あえて寝転んで異世界召喚テンプレを実行する彼の姿は、滑稽でありながらもどこか真っ直ぐで、胸を打つかもしれません。
ビザ申請を終えた帰り道、ふと足が止まった。
いや、正確に言うと、自分の浮かれ具合に引いてしまったのだ。
まるで今、神様に選ばれたかのような気分でいた。
「さあ行け、新たな世界で無双するのだ」みたいな。
いやいや、そんなことあるわけない。ここは日本だし、転生もしていない。
でも──
頭のどこかでは、もう冒険が始まった気になっていた。
それくらい、「異世界無双」の妄想がリアルだった。
神様はくれない。スキルも魔法もない。
それなら、作るしかない。
異世界転生もののテンプレートはだいたい決まっている。
神様から授かる“チート能力”の中には、戦闘スキルがほぼ必ず含まれている。
魔法、剣技、瞬間移動に空間操作。
要するに、「強さ」がすべてのはじまりだ。
でも現実の俺は?
喧嘩の経験、数回。筋トレは三日坊主。
間違っても“戦える”人間ではない。
……だけど。
だからこそ、始めたんだ。
異世界じゃないけど、この世界で俺は「強くなる」と決めた。
手に取ったのは一冊の本。
**『Prison Training』**──アメリカの刑務所で、囚人が命を守るために磨き上げた自重トレーニングのメソッド。
ジムも器具もなし。ただ自分の体と床があればいい。
それが、俺にとっての剣と魔法だった。
そこに合わせるのは、映画『Rocky IV』のトレーニングシーン。
文明から離れた極寒の大地で、己の肉体だけを武器に鍛え上げるあの姿。
あれはもう、修行というより儀式だった。
そして俺の“モンタージュ”が始まった。
イヤホンからは『Rocky IV』の「Training Montage」と「Hearts on Fire」。
懸垂。
上体ひねり腹筋。
指立て伏せ。
流れる汗が、俺の中の幻想を現実に変えていく。
そしてある日。
俺は、物干し台の前で立ち尽くしていた。
木人拳──そう呼ばれるトレーニング用の木製人形がある。
あれに似ていた。いや、似ていたというか、洗濯物を干していた物干し台が、
急に本来の使われ方を思い出したかのように見えた。
洗濯物を退け、スペースを確保する。
ここを、俺の特訓の場にする。
狙うはローキックと肘打ち。
素人でも短期間で身につけられ、いざというときに有効な“技”だ。
殴り方を学ぶ前に、逃げ方を知る。それが、俺の流儀だった。
地味な動作を何度も繰り返す。
蹴って、打って、フォームを確認して、また繰り返す。
筋肉痛が痛みじゃなく、成果の証に思えてくる。
ああ、俺はいま、「力」を手に入れてるんだなって。
そして、ビザ取得の最後の週。
俺の身体は、目に見えて変わっていた。
腹筋は“ドラゴンフライもどき”ができるようになっていたし、指立て伏せもついに二本指でこなせるようになっていた。
魔法じゃない。
でも、努力という名の“スキルポイント”は、ちゃんと結果になっていた。
異世界ではない。
だけど、これは俺の“冒険の始まり”だ。
ビザを握りしめ、もう一度、空を見上げる。
あの国へ行こう。
俺だけの“異世界”が、今、待っている。
―――――――――――――――――――――――――――灼けるような日差しが、空港の滑走路を白く照らしていた。
タラップを降りた瞬間、むわりとした湿気と土の匂いが鼻腔を突いた。俺は、ついに――“異世界”に降り立った。
もちろんここはファンタジーでも魔法世界でもない。日本から数千キロ離れた、某東南アジア圏の国。都市から数時間離れた山岳部、電気も水道も怪しいという“最果ての村”が、俺の目指す舞台だった。
バックパックには《無双スターティングパック(仮)》が詰まっている。Starlink端末を筆頭に、養生テープ、マルチツール、紙おむつ、サランラップ、100均グッズの数々――日本という文明が誇る“現代の魔法道具”たちだ。
都市部を抜け、村に向かう途中の舗装されていない赤土の道で、俺はふと運転手に「この辺で降ろして」と頼んだ。言葉は通じなかったが、翻訳アプリと身振りでなんとか通じた。
ドアを閉めると同時に、エンジン音が遠ざかる。
車が完全に見えなくなった森の中、俺はひとりになった。
――ここからは、儀式だ。
俺は深呼吸して、バックパックを木陰に置いた。そして、誰もいないジャングルの中、草の茂った土の上に、ゆっくりと仰向けに寝転んだ。
木々の隙間から、熱帯の太陽が差し込んでいる。青空はどこか薄く、雲がゆっくりと流れている。
心の中で思う。
(ここが、俺の異世界だ)
あのアニメたちのように、ある日突然光に包まれて、異世界に転移して――気が付けば最強の力を手に入れ、魔物をなぎ倒し、王女に感謝され、村人に慕われ、ハーレムまで築いていく。
何度も繰り返し観た。読み漁った。その“始まり”には、いつも何かしらの“特別な瞬間”があった。
だから俺もやる。ただしこれは現実。異世界召喚など起きないと分かっていても。
それでも俺は、あの憧れた“第一歩”だけは、真似たかったのだ。
森の中、土の匂い、葉擦れの音、どこかで鳴いている鳥の声。
目を閉じると、なぜか胸の奥がじんわりと温かくなった。
(俺の冒険が、始まるんだ)
たとえここがファンタジー世界ではなく、発展途上の現実世界だったとしても。
俺は本気で“異世界テンプレ”を、この地で実行するつもりだ。
数分間、仰向けに寝転がったあと、俺はゆっくりと体を起こした。
服の背中には草と土がついていたが、それすら誇らしかった。
俺はバックパックを背負い直すと、森を抜ける道を歩き始めた。
――いよいよ、“村”が待っている。
「ここが俺の異世界だ」――そのセリフに、彼の本気度が詰まっていたと思います。
ただの観光でも、ただの移住でもない。
彼は本気で、自分の好きな異世界転生テンプレを“現実”でやろうとしている。
次回からはいよいよ村での出会いが始まります。彼がどう受け入れられ、どんな無双(?)が始まるのか、お楽しみに!