凱旋
翌日、ヒルデは講和に対して同意を示したことで正式に帝国との講和手続きに入った。
そこから一週間にも満たない短さで講和が成立すると、カマラに立て籠っていた帝国は撤退し、連合軍はリンド地方の土地を取り戻し凱旋することとなった。
その凱旋軍がウバルド城付近に到達した際、ヒルデはスピネッリ大司教に戦死した兵士の埋葬を頼んだ。
聖戦に臨み、殉教した彼らの身体を野ざらしにするのは忍びない。また彼らの魂が迷わぬようどうか大司教の祈りで祝福してくれないだろうか。
「私からの希望はこれだけです。他は何も望みません。どうかお願いしてもよろしいでしょうか?」
「なんと……!もちろんです!ぜひ行いましょう」
胸を打たれたスピネッリ大司教は二つ返事で引き受けた。
王や貴族たちに対する教会の影響力が低下してきているのが最近の情勢である。その根本の原因に、信仰心が薄れてきていると思っていたスピネッリ大司教からすればヒルデの申し出はまさに信心から出たものとして感動したのである。先の戦いでヒルデが誰よりも最前線で戦ってきたこともあって、ヒルデへの評価がこれ以上ないほど上がっていたことも大きかった。
奮い立ったスピネッリ大司教は手際よく精力的に準備を進め、数日後には葬儀を執り行うことができたのだった。
ウバルド城での敗戦における死者の数はその敗戦の規模に反してさほど多くはなかった。ガラック王国軍が撤退戦をうまくまとめたこと、それと初戦で壊滅したドールト軍は逃げ去っただけで死人がほとんど出なかったためである。
しかし、その中で最も大きな被害を出したのはラーザイル連邦の軍である。その数約三千弱。内ヒルデの軍からは三百余りの死者が出た。これまでの戦いを振り返れば、この程度の犠牲でよく済んだといえるかもしれない。が、一万三千いた全体から二割も失った事実は厳然としてあり、やはり決して小さくない被害だった。
ウバルド城近郊の墓場に集まった連合軍は晴天の下、葬儀を行った。人数分の墓石を用意することもできなかったため、彼らの使用していた武器を墓石に見立て地面に突き刺していた。そこに五万人を超す人々が一堂に集えば、壮観だった。
その光景にスピネッリ大司教はこの聖戦における集大成を見たような思いで言いようのない感激に襲われた。発奮した大司教は時として声を昂らせ、感情の抑制が効かなくなることもあったが、式では空回りすることなく自らの職務を全うした。
スピネッリ大司教は聖戦における勝利を宣言し、殉教した兵士を讃え、そして彼らへの祝福と安らかな眠りを祈った。参列する貴族をはじめ、兵士たちも皆それに倣う。
ヒルデもまた祈った。葬儀の間一言も口を開かなかった彼女は終わった後一言漏らす。
「あの世でまた会おう」
葬儀を終えた連合軍はアレッシアに向かった。道中、行く先々の都市で歓待を受け、その度に大いに盛り上がった。実のところ住民の多くは内心連合軍の負けを予想していただけに、その勝利は大きな衝撃をもたらしたのである。
そして、その凱旋はスピネッリ大司教が聖杖と聖剣を大聖堂に納めることで終わりとなった。
アルネスタ歴一二四三年の十月。季節は黄金に染まった麦畑が少し冷たい秋風に吹かれて揺れる時分となっていた。実質はともかく、対外的には連合軍の大勝利となったこの戦は第四次リンド・アルネスタの聖戦と呼ばれる。
三か月ぶりに居城ゲールバラに戻ったヒルデたちを歓呼の嵐が出迎えた。ラーザイルには何の関係もない異国の地の戦いであったが、民の多くは自らの主の活躍に話が持ちきりで、一目その英雄を見ようと行く先々で長い人垣ができていた。
その間を颯爽とヒルデは進み、人々の声に笑顔で答える。在りし日の英雄の姿を見た老人は涙を流し、子供はその眩しさに惹かれたように手を伸ばした。付き従う兵士たちは誇らしげに胸を張り、凱歌を唱和する。
「今、戻ったぞ!お前たち!」
ヒルデの一声に割れんばかりの歓声が応えた。
「聖戦に勝利を捧げてきた!――皆の者、共に戦った戦友を讃えよ!敵の刃から身を挺して私を守り、助け、打ち払った勇者たちに!万雷の喝采をくれてやれ!」
大声援と鳴りやまぬ拍手が湧き上がる。人々の興奮は最高潮に達していた。
はしゃぐクララに、戸惑いつつも照れた顔のエミール。ボリスも困惑しつつ、ぎこちなく手を挙げて返した。
「お待ちしておりました、ヒルデ様」
涙を浮かべたペトラが屋敷前でヒルデを出迎えた。留守を預かっていた官僚や兵士、使用人の皆が感極まった顔でヒルデの帰りを待っていた。
馬から降りてヒルデは笑いかけた。
「うむ。お前たちも元気そうでなによりだ」
「ずっと、ずっとご無事であることをお祈りしておりました……!」
感涙にむせぶペトラをヒルデは優しく抱擁する。
「心配かけたな、ペトラ」
「ヒルデ様……!」
ペトラの髪を優しく撫で、屋敷に向かう。ふとヒルデは一人の男の姿を捉えた。
「ラルフ」
「その反応、今気づいたと見た。全く、悲しい扱いと来たものだ」
皮肉屋の騎士――ラルフがにっと頬を歪める。その後、恭しく膝を付き、
「お帰りをお待ちしておりました、我が主。そして勝利のご帰還、心よりお慶び申し上げる」
「……ああ」
その瞬間、ヒルデはようやく戦いが終わったのだと心の底から思えたのだった。