表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
75/78

講和に対する考え方

 そして、包囲から二週間のことだった。

 包囲を続ける連合軍の下にドールト公やスピネッリ大司教、ラッセル中将が到着した。同時に連合軍は兵力にして五万五千を超す大軍となった。

 主要な面々が揃った連合軍は早速軍議を開いた。

 ゼーゲブレヒト公は負傷のため欠席だった。繰り上がりでラーザイルの代表として出席したヒルデは早速状況の報告に入った。

 報告をしながら、おや、とヒルデは眉を顰めた。

 報告を受けるドールト公たちの反応がいまいちよくない。気のない反応や落ち着きのないよそ見ばかりで、思考は別の方向に向かっているようだった。

 全ての報告が終わった後、ドールト公がおずおずと手を上げた。その行為は彼なりにかなりの勇気を要しているのか、額には汗が浮かんでいた。

「なんですか?」

 警戒しつつヒルデが問うとドールト公が観念したように息を吐き、そろりと申し訳なさそうに言った。

「……実は、ギストーヴ帝国から講和の申し入れが来ております」

 その一言でヒルデは腑に落ちた。しかし、何を今更という気持ちが湧き上がって、その返事には若干の険が滲み出ていた。

「そうですか。この有利な状況で応じる必要はないかもしれませんが……ひとまず内容を伺いましょうか」

 「それが……」とドールト公は身を縮こまらせながら消え入るような声で言った。

「すでに講和については応じると返答いたしました……」

「……」

 信じられない言葉にヒルデは無表情になった。この勝利の最大の貢献者であるヒルデたちを差し置いて勝手もいいところだった。

 異様な空気に包まれる中、功労者の一人であるエリックが手を上げた。

 意外なことに彼はこの状況下にあって平静であった。

「ドールト公。正直なところを言えば、私たちは初めて知りました。事情をお伺いしても?」

「も、もちろんです!」

 その言葉に救われたようにドールト公は事情を話し始めた。

 ヒルデたちが帝国軍を打ち破って一週間後、ギストーヴ帝国の方から講和の申し入れがあった。

 内容については、いたって分かりやすいものだった。

 帝国軍はリンド地方から完全に撤退する。向こう二年、帝国軍はリンド地方の国境を侵犯しないこと。帝国軍が保有するアルネスタ教の聖遺物の二点を返還すること。

「――条件は以上です」

 ドールト公の言葉にエリックは意外そうに確認した。

「領土の割譲や賠償金は?」

 何も不思議な問いではない。勝者であればまず間違いなく要求する権利であった。

 しかし、ドールト公は苦渋そのもの顔で俯きがちに、

「共に認められない、と……」

 と答えた。

「どういうつもりだ!」

 怒声を放ったのはヒルデである。怒りのあまり敬語すら忘れて、彼女は声を荒げる。

「我々は勝利したのだぞ!この条件では荒らすだけ荒らした帝国軍をむざむざ帰らせて終わりではないか!それを――」

「帝国軍の理屈ではまだ負けてはいない、とそういうことでしょう」

 エリックの冷静な言葉が間に入った。

「言われずともあなたなら分かるはずです。ひとまず落ち着いてください、シューマッハ公。当然、まだ続きがあるはずですから」

 エリックの制止にヒルデは幾分か怒気を抑えることに成功した。ヒルデが席に座ったのを見て、エリックは小さくなっているドールト公に一つ追加で尋ねた。

「ドールト公、もしこの条件を認めなければ、どうなりますか?」

「帝国軍は総力を挙げて戦う。皇帝自ら親征し、断固として戦いを継続する、とのことです……」

 緊張した顔で答えるドールト公に対し、エリックは面白そうに笑みを浮かべた。

「そうですか。そうだとしたら厄介ですね」

 緊張感もなく他人事めいた感想を言って、エリックは質問を終わらせたようだった。ゆったりと椅子に腰かけ、聞くべきことは聞いたと言わんばかりに目を瞑る。

「はったりです」

 ヒルデは一言そのように断じた。沸騰した怒りはエリックによって少しは収まりを見せたが、それでもなお彼女の胸底には熱い炎が燃えていた。

「今やこちらの兵力は五万を超えます。カマラが落ちるのも時間の問題。後から皇帝が来たとしても、何を躊躇うことがあるでしょうか?帝国が一戦を望むならこちらも応じればいい。有利なのは我らです」

「…………」

「講和は構いません。が、この条件で飲む必要はないと考えます」

 強硬な意見だが、ヒルデとて無理を言っているつもりではない。勝者として至極当然のことを言っただけのことである。

 それに――。

 その条件では戦った者が、死した者があまりに報われないではないか。

「シューマッハ公」

 スピネッリ大司教が口を開いた。

「私からもお願いします。確かに異教徒である帝国の不遜さは目に余ります。が、この講和には受け入れる意義が十分にあります」

「……意義、ですか?」

 気乗り薄いヒルデを励ますつもりか、スピネッリ大司教は、

「その通りです!」

 と力強い言葉で言った。

 ドールト公が説明を引き継いだ。

「大司教のおっしゃられる意義というのは聖遺物のことです。シューマッハ公たちには伝えていませんでしたが、聖遺物というのは父の代に帝国軍に奪われていたものでして、一つはオルティアを相手に奇跡の勝利をもたらした聖女クラウディアの剣。そしてもう一つは我らが主、アルネスタの聖杖になります」

「それが戻ってくるのです。特に聖地アレッシアで奇跡を起こした主の聖杖は、この地に住まう信徒の希望そのものです。それが返ってくるとなればこれ以上の戦果はありません」

 スピネッリ大司教が強く言い切る。ただの骨董品ではないか、というヒルデの反論はぎりぎりのところで言葉にならずに済んだ。

 「それはそれは」とエリックが興味深そうに声を上げた。

「主、アルネスタは各地を渡り歩く際、必ずその地で作られた杖を携えられたと聞いたことがあります。杖そのものの数は決して少なくはなかったですが、保管が行き届かず、また戦乱によって散逸され、現存するものは確か僅か五本。そのうちの一本ということですか」

「……はい、その通りです」

 変な横やりを入れられスピネッリ大司教は眉を顰める。駄目押しのつもりだろう。そこでドールト公が言った。

「シューマッハ公。誤解なきように申し上げますが、この講和は私や大司教だけの判断ではありません。ラッセル殿にもご快諾いただいております」

沈黙を保っていたラッセル中将は静かに頷いた。

「……」

 ヒルデは机の下で拳を握り締めながら俯いた。

 となると、この場での反対らしい立場はヒルデだけとなる。ドールト公、スピネッリ大司教、それにラッセル中将という主要人物が認めた上での講和ともなればヒルデ一人反対したとしてもどうにもならない。

 それが理屈だ。しかし、感情が首を縦に振ることを拒んだ。

 葛藤の結果、ヒルデは沈黙した。誰も口を挟まない。彼らとて、ヒルデの功績は認めているし、何よりヒルデの放つ怒りとも哀しみともつかぬ尋常ならざる空気が発声を躊躇わせた。

 しかし、一人エリックは違った。彼は場にそぐわない気楽な調子で「休憩にしませんか?」と提案した。

 その提案に一同は顔を上げる。

「何も今すぐ答えを出す必要はないはず。ここはひとまず解散して考えをまとめるのがいいと思いますが、いかがでしょうか?」

「――ああ、そう!そうですね!そうしましょう!急ぐ必要はありませんしね!続きは明日、というのはどうでしょうか?」

 乗っかかるようにドールト公が確認を取り、続きは翌日に持ち越されることとなった。

 そして、疲れた顔で陣営に戻ろうとするヒルデをエリックが呼び止めた。

「シューマッハ公、少しお話よろしいでしょうか?」

 立ち話もなんですし、と言ったエリックは解散後のその足でヒルデと共にラーザイル軍の陣営に同行した。

「護衛の方はいいのですか?」

 その身一つでラーザイル陣営に入ろうとするエリックにヒルデが目を丸くして問うと、

「そうですね。まあ、私の部下が少し小言を言うかもしれませんが、問題ないのではないでしょうか?」

 と、エリックはとぼけたように返した。数か月前には矛を交えた相手に何とも危機感のない意識だったが、彼自身は昨日の敵は今日の友にも似た感覚でいた。

 それでいいのか?とヒルデは少し困った顔をしたが、特にそれ以上指摘はしなかった。ただ、彼女も同じ気質があるのだが、彼女自身、無自覚である。

 人払いをした天幕の内でヒルデは単刀直入に話を切り出した。

「先の講和について、リッカーズ殿はどうお思いですか?」

 「そうですね」とエリックは苦笑した。

「まあ、必死に戦った私たちをもう少し立ててほしかったですね。彼ら自身あまり悪気はないかもしれませんが、それはそれでひどいものです」

 「全くです」とヒルデは大きく頷いたが、どうやらエリックは腹を立てるほどではないようだった。そのゆとりのある態度にヒルデは訝しみつつ続けた。

「先の軍議でも言いました通り、私は講和に対して反対です。リッカーズ殿の意見はいかがでしょうか?」

 よもや賛成ではあるまい。そんな気持ちが漏れ出るような圧がその問いに入っていた。

 するとエリックは微笑みながら、

「シューマッハ公は不思議な方ですね」

 と言った。

 その言い回しこそ不思議そのものだったためにヒルデは目を瞬かせ、

「不思議、ですか?」

 と問い返す。

 「ええ」とエリックは頷いた。

「それに答える前にシューマッハ公。一つ私から質問です。この故国から遠く離れた地の聖戦で講和が決まったとしてです。ラーザイル連邦は、いやシューマッハ公としてはどのような問題があるでしょうか?」

「む……」

 その問いの意味するところをなんとなく察して、ヒルデは難しい顔をした。対するエリックは優しい言葉で続けた。

「あなたは真摯な方です。自国や自分のことしか考えないこの連合軍の集まりの中で誰よりも。連語軍全体の進退として見れば、あなたの言う通り戦いを続けるべきです。帝国軍に痛打を与えられる好機を逃すべきではない」

「……」

「しかし、個々の国益で考えれば別です。今後も経済的な繋がりが必須なドールト公は帝国軍に恨みを買いたくないし、スピネッリ大司教は聖遺物を目先の勝利よりも重視している。ガラック王国軍としてもこれ以上戦って得られるものは何もありません。シューマッハ公とて同じはずです。何の得にもならない異国の地でこれ以上兵と金を失うより、さっさと帰る方がいい。違いますか?」

 ヒルデは押し黙った後大きなため息をついて、「その通りです」と気を落としたように答えた。

 無意識に唇を噛むヒルデに「シューマッハ公」とエリックは声をかけた。

「喪ったものが大きければ大きいほど退き際が難しくなるのが戦争です。逆に戦うべき時に戦わねば、緩やかに何かを失い続ける愚を犯すことになる。戦争の進退とは難しいものです。だからこそ、軍を率いる者はどこまでも合理的であらねばなりません。利害も情も全てを呑み込んで、現実でもっとも最善を目指す必要があります」

 「ですが」と言ったエリックは真面目な雰囲気を吹き飛ばすように朗らかな笑みを見せて、

「私もあなたも人間です。どうしても予測できないものもあるし、情に迷う時もある。ですので、どうか後悔なきよう選択ください。講和するもしないも、他の方に遠慮する必要はありません。我らは同じ連合軍ではありますが、立場は対等ですから」

 エリックなりの気遣いにヒルデは笑みを見せた。答える声にもう迷いはなかった。

「ありがとうございます、リッカーズ殿。少し冷静さを欠いておりました。私も講和に賛成することにします」

ここまで読んで下さった方々ありがとうございます。

またリアクションやブックマーク追加、高評価等入れて下さった方々ありがとうございます。

とても嬉しいです。

あと数話で第二章が終わります。そして、ストックが切れます…

第三章も継続して書く予定ですが、かなり間が空くことになります。

気長にお待ちいただければ幸いです。

また、第二章の最後にご報告します。


また、もしよかったら、ブックマーク追加、高評価、リアクションいただければ幸いです。

励みになりますので、よろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ