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満月の契約①

 満月の光が太陽に代わって優しく照らす夜。人も動物も寝静まる時分、山奥にひっそりとたたずむヒルデの住まう山荘に一人の男が訪れた。

 黒い外套に黒い帽子。何から何まで黒一色の装いでラルフは誰もいない門をくぐる。恐れ入る様子もなくラルフはまっすぐ屋敷に向かって歩みを進めた。

「お待ちしておりました」

 玄関の扉の前で一人の女性使用人が深々と頭を下げる。使用人がまだ少女と言うべき年頃であることに気付いたラルフは歩みを緩やかにした。ラルフは少女に緊張されないように優しく微笑んで見せる。

 だが、その気遣いは無用なものであったようだ。少女は落ち着きを払って、珍客ともいえる男を迎え入れる。ラルフの後ろに従者がいないことに気付いて、怪訝そうに尋ねた。

「お供の方は?」

「いない。俺一人だ。何か問題でも?」

「いえ、とんでもございません」

 ラルフの回答に一瞬目を丸くした少女はかしこまって扉に手をかけた。

「ご案内いたしますので、どうぞこちらへ」

 屋敷内は最低限の灯りしかなかった。外に灯りが漏れるのを嫌うかのように、窓すべてにカーテンがかかっている。他の使用人は出払っているのか、それとも寝入っているのか、人の気配はほとんどない。使用人に導かれるままに薄暗い廊下を通りながら、ラルフは応接間に通された。

 応接間には男を招待した屋敷の主――これまたうら若き少女が待っていた。窓の外に浮かぶ月を眺めていた少女は男が入って来るやよく通る声で切り出した。

「お会いできて光栄だ、ラルフ・ランドルフ。黎明の狼の棟梁がわざわざ足を運んで訪ねてくれたこと嬉しく思う」

 黎明の狼の棟梁ラルフは少女の第一声に、ほう、という感心の息を漏らした。

 まず声がいい。決して大きな声ではないが、すっと胸に入る良い声だった。女性にしては落ち着いたやや低いトーンだが、それは聞く者に奇妙な確信と安心感を与えるカリスマともいえる魅力のようにも感じた。それを意図してかどうかは分からないが、声だけで言えば並の貴族とは違い上に立つ人間に相応しい。

 窓から差す月明りが少女の姿を現す。真っ赤に燃えるようなドレス。波打つ赤髪は淡い月光を反射して紅玉のような輝きを放つ。気品ある華やかさを備えた美貌は余人には触れ難いある種芸術的な美しさがあった。

 彼女があのヒルデ・シューマッハ。今回の依頼主。

 彼女の神秘的にも見える美しさは男女問わず心を奪うに十分なものだった。だが、ラルフは彼女の美しさ以上にその底光りする瞳に目を奪われた。瞳の奥にある美しさと相反する荒々しい野心の輝き。それを垣間見た見たラルフは楽しみを見出した思いで返した。

「それはこちらの台詞だ、ヒルデ嬢。こうして一度お目にかかることができただけでも、来た甲斐があったというものだ。今宵は楽しいお話ができることを願う」

「私もそのように思う。今日の話の結果がどうであれ、退屈しない夜となるのは間違いないはずだ」

 ヒルデとラルフが互いを見定めるように見合うことしばらく、先に動いたのはラルフだった。

ラルフはふっと笑みを漏らすと被っていた帽子を脱いで手近な机に置いた。そして、「初めに言っておくが」と前置きをして、どっかりと椅子に腰を下ろした。

 貴族を相手にまるでこの屋敷の主は自分の方だと言わんばかりのふるまいで、放胆に言い放つ。

「俺は悪ふざけが好きだ。博打も好きだし、ぶっ飛んだ奴は大好きだ。だが、貴族は嫌いだ。この意味が分かるか?」

「分かっている。貴族である私の招待に応じたのは、貴族嫌いよりも好奇心が勝った、ということだろう?」

 年配の、それも法に従わぬ悪党を前に臆した様子もなく、それどころか面白がるようヒルデが返すと「その通りだ」と、ラルフは満足そうに頷いた。一声交わして感じていたことだが、線の細い容姿とは別にその肝はかなり太いようだった。

 面白い。改めてそう感じたラルフはおもむろに懐から手紙を取り出した。それは今回の招待状であるヒルデからの手紙だった。それをひらひらと見せながら言った。

「貴族が盗賊に手紙を送る。使用人や誰かを使ってではなく、直接だ。ヒルデ嬢にはことの重要性がまだ分かっていないかもしれないが、これは大きな問題だ。天下の尊き血を引く貴族が、どこの馬の骨とも知らぬ薄汚い盗賊を使って悪だくみをしている。これが周囲に広まれば、平民落ちは免れないだろうな」

 ラルフは軽く脅しを入れた。何かあればこの手紙を使ってやるぞと言っているのだ。

 対するヒルデはおかしそうにくくっと笑う。

「違いない。いくら十五の少女とはいえ、子供の遊びで許されるものでもないだろうな。かの悪名高い黎明の狼を相手ともなれば、私の立場はもちろん、我が家も最悪取り潰されかねない。だが――」

 ヒルデは人の悪い微笑を浮かべて言った。

「黎明の狼はそのあたりの野盗とは違う筋の通った義賊と聞く。この上はあなたの良心にお任せしよう。誇り高いあなたの判断ならば私も文句は言うまい」

 ラルフはお手上げと小さく両手を上げた。

「ふっ。良心を問われて、敢えてやれば俺の名が廃る。分かった。今後これでお前を揺すろうとはしないさ」

 そう言うラルフの口ぶりは元よりその気はなかったようであった。

「しかし、直接会って思ったが、ペーターがお前を追い出したのも頷けるな。さぞあの男にとってお前はやり辛いだろう。この人里離れた場所に住まわせているのも、お前を領主の座から遠ざけるため。お前をどこかの田舎貴族にさっさと嫁がせようとペーターが動いている噂もあるが、あながち嘘ではないか」

「ほう。そこまで知っているか。さすがは黎明の狼。よくご存じだ」

 互いに驚いた様子もなくむしろ当たり前のように話が進んでいく。ラルフは手紙をしまい、当然だとつまらなさそうに言った。

「ヒルデ嬢。失礼だが、こちらも仕事だ。あらかた調べさせてもらった。それで驚いた。ヒルデ・シューマッハ。手紙をもらった時まさかとは思ったが、本当にあのローベルト・シューマッハの娘だったとはな」

 ヒルデは何も答えない。ただその目がラルフに続きを促していた。

「ローベルトは言わずと知れたこのラーザイル連邦の英雄だ。兵も弱く、指揮統率も難しいラーザイル連邦の軍を率い、最近勢力を伸ばしてきた隣国のガラック王国、北方の雄ギストーヴ帝国を相手に戦い続け、何度も撃退した力量は名将と言ってもいいだろう。だが、ちょうど五年前。ガラック王国の撃退に成功し、その戦勝パーティーに参加する途上でヴェルナー男爵に襲われ、殺された。同行していた妻のアネットと長男のカールと一緒に。留守として領内にいたヒルデ嬢は難を逃れたものの、ローベルトの弟、お前の叔父ペーターが後継人となったがために、父の居城から追い出され、こんな田舎で不自由な日々を送っている」

 淡々と事実だけを述べ、ラルフは目だけを動かしてヒルデの顔色を窺った。家族の死や不仲な叔父のことで激情するかと見てのことだったが、ヒルデは相も変わらず余裕の表情で、静かに続きを待っている。

「シューマッハ家を切り盛りするようになった奴の評判ははっきり言って良くない。一言で言えば、強欲だ。両親と跡継ぎを失った家の財産をほしいままに使い、かつ領民には払いきれないような重税を課している。なお悪いことに払いきれないと見るや、高額な利子で借金を強要し、これ以上ないほどに領民から金を搾り上げている。領民に死者が出ても知らぬ顔で、己は贅を尽くしている。異見する家臣は皆追い出し、あるいは刑に処した。俺から言わせれば奴のような貴族こそ悪党そのものだ」

 嫌悪を露わにラルフは吐き捨てる。だがすぐに感情の色を消すと、

「ただ、今俺が言いたいのは奴の下劣さではない。回りくどい話をしたが、この状況から俺が理解したのは、どんな依頼であろうと今のお前が対価として払えるものは何もない、ということだ。仮にだ。お前の女としての器量であれば、幾分かはその体で払えるだろう。が、それで動く俺ではない」

 そのように断じたラルフは相手の返事を待つように椅子の背もたれにゆったりと身を預けた。断り文句というよりはこの問答そのものを楽しむような姿勢だ。さて、少女はどのように返すのか。

 その期待に応えてか、ヒルデの返事もまたあっさりとしたものだった。

「あるとも。なければあなたを呼びはしない」

「ほう。大した自信だ。それがでまかせでないのならば、実に楽しみだ」

「無論、でまかせでもない。約束しよう。あなたを失望させるような真似はしない」

 ヒルデが年齢不相応の感情の読めない笑みを浮かべて気負い一つなく言い切る。少しの沈黙を経て、ラルフは声もなく笑い、上機嫌に頷いて見せた。

「ならば、まずはそれを信じるとしよう。報酬の話からなどと、無作法をしてすまない。ではその依頼について具体的な話を聞かせてもらおうか」

「ああ。だが、その前にあなたの説明してくれた内容について一つ補足するところから始めよう」

「補足……というと、何か間違いがあったのかな?」

「なに、公としての事実はあなたの説明の通りだ。ただあなたも知っての通り、事実とは時に歪むもの。意図的に表に出ない情報は、表に出ぬままなかったことにされ、都合のいいように完結される。それについて付け加えるだけだ」

 十代半ばの少女にしては含蓄のある口ぶりだった。背伸びした言葉選びではなく、その声の落ち着きは中々に様になっている。ラルフは頷いた。

「確かにな。往々にしてあることだ。で、その内容とは?」

「父は、私の家族は確かにヴェルナー男爵に殺された。が、それで終わりはない。彼を使う者が別にいたのだ」

 ふむ、と納得の表情とともにラルフは己の推察を口にする。

「なるほど。ありうる話だな。当時のヴェルナー男爵による暗殺から処刑まで不自然な点が多かった。黒幕がいる。裏で手を引き、最も利益を得た黒幕が。そしてこの場合、今の状況を見ると一番可能性が高いのは――ペーター・シューマッハ。お前の叔父だ」

 ラルフは鼻で笑う。

「悲しい話だ。当主の座がいかにほしいとはいえ、実の兄である英雄をその手にかけるとは。いやはや、貴族の欲とは恐ろしいものだ」

「残念だが半分当たり、というところか。奴が関係しているのは間違いない。だが、本当の仇は他にいる」

「ほう?それは?」

「ラーザイル連邦宗主国ミランダ王シルヴェスター」

 一段と声を低くしてヒルダはその名を口にした。同時に浮かんだ険のある目は、初めて現れた感情らしい表情で、内心の激情を沸々と煮えたぎらせたような憎悪がそこにあった。

「己は安全な場所にいて父を勝ち目の薄い戦場に何度も送りながら、その度に勝利して帰ってくる父に対して碌な褒賞もなく、ただ戦功と名声を妬み、高まる輿望を王は恐れた。それどころか、このままでは王位を簒奪される――そう思った奴の仕業だ。そのためにペーターを唆し、ヴェルナー男爵に暗殺を実行させ、すべての罪を男爵に被せてこの悲劇を終息させた。この一連の流れをあの叔父ができるものか。奴こそが事の首謀者であり、最も利益を得た人間だ」

「……敢えて問おう。王が黒幕である証拠は?」

「あるわけがない。あれば王こそが火炙りだ」

「なるほど。それはそうだ」

 ラルフは鼻を鳴らした。黒幕の正体が誰の目にも明らかなものであれば、もはや失敗している。だが、ヒルデの言う通り状況的には王は恐らく黒だろう。ラルフにとって問題はその次にあった。

 少しの間考え込むように口に手を当てたラルフはふいにそうか、と呟き、

「復讐か」

 と冷めた顔でつまらなさそうに言った。何も持たぬ少女一人の復讐と言えば、考えられるのは暗殺といったところか。しかし、ラルフとしてはその気持ちを否定する訳ではないが、暗殺といった陰湿なやり方はラルフの嫌うところだった。可能か不可能かに限らず、その復讐に加担するのは気に染まぬものであり、その思いがそのまま口調に現れる。

「王を殺せ、とそう言うのか?」

「いや」

 とヒルデは不敵に笑い、短く否定した。そしてその後途方もないことを口にした。

「ラーザイル連邦を滅ぼしたいのだ」

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