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奇襲作戦

 そして、ヒルデたちは作戦の実行に移った。

「直接向かえば気付かれます。ですから、最初は他の連合軍に同行して、迂回してください。期日は明後日。夜明けとともにセレーナを攻略できれば、状況は大きく好転します」

 そのようにエリックが指針を示した。具体的な進路としては先行したラッセル中将を追うような形であった。

 もし無理だったら、とは問わない。それは作戦の失敗を意味することであり、そこから先は現場で判断する問題だ。目まぐるしく変わる状況下で全てを精査することは不可能だ。それに時間がたてばたつほど不確定要素が多くなる。セレーナの攻略は時間との勝負だった。

 ボルド率いるオルティアの騎兵隊二千強とヒルデ率いる騎兵二百。約三千の騎兵隊が撤退する連合軍に同行する形で南下した。ほどなくして、ヒルデたちは進路を変え、迂回するようにディオルシル川上流の浅瀬に向かった。

 浅瀬といっても水深は腰の深さほどある。歩兵なら苦労しそうなところだが、騎兵であればさほどの障害にもならなかった。問題なくディオルシル川を渡り切り、一路セレーナへと駆けた。

 ボリスは並走する主を横目で歎息する。

 ――本当に大したものだ。

 多くの犠牲を出し、ヒルデ自身も危うく死にかけた敗戦翌朝。ヒルデは微塵も疲れを感じさせぬ様子で傷ついた味方を労い、励まして、オルティアの騎兵隊とともに進軍を開始した。

 毅然とした態度を一切崩さず気丈に鼓舞していたが、泣きはらしたような赤い瞳だけが彼女の心境を雄弁に語っているようだった。多くの兵士は気付いていたが、それを指摘しなかった。

 そして極めて理知的に、静かに燃える意志を胸に彼女は反撃の決断を下した。負けた直後の反転攻勢。敵奥地にある拠点の奪取なんて正気の沙汰ではない。しかし、兵士たちは力強く応じた。ある者は彼女の決意の強さに感化されて。ある者はその心意気に応えたくて。

「ボリス」

 ふいにヒルデが声をかけた。

「なんでしょう?」

「お互い無事に生き延びたな。不思議な気持ちだ」

 それが戦前の緊張を解きほぐそうとする話題作りの類だということは知りつつも、ボリスは生真面目に答えた。

「……明日があります、ヒルデ様。それまでは気が抜けません」

「そうだな。その通りだ」

 と、ヒルデは自分に言い聞かせるように頷き、

「一歩間違えれば、死ぬ。頭では理解していたつもりだったが、まだ本当に分かっていなかったようだ。挑み、勝つばかりが戦争ではない。負けることだってありうる。そして、その失敗の代償は兵の命だ。そんな当たり前を改めて気付かされた」

 そして、僅かの間目を瞑り、短く息を吐く。

「よく理解した。この痛み、この恐怖を私は決して忘れない」

「……!」

 ボリスの背に言いようのない戦慄が走った。死と敗北の恐怖を知ってなお戦いに挑むその精神力はどこから来るのか。

「行くぞ!都市セレーナまであともう少しだ!」

 三千の騎兵隊は矢のように草原を駆けて行った。


 そして、次の日の未明。予定通り都市セレーナの門前にヒルデたちは到着した。

 精鋭の兵百余りを門前の物陰に配置し、残る兵はより目立たぬよう少し離れた位置で後詰として控えさせる。

 音を殺し待つこと数時間。先立っての帝国軍の勝利に気の緩みがあった門を守る帝国軍兵士は、門前の異常にも気付かない。警戒心薄く、夜明けとともに兵士たちは門を開いた。

 ――そして、それは彼らが最も後悔する瞬間でもあった。

「突撃せよ!」

 ヒルデの号令で都市内に騎兵部隊が勢いよくなだれ込んだ。愕然とした門番はすぐに敵襲を告げるも時すでに遅し。その時には都市奥深くまで騎兵部隊が入り込んでいた。それが草原の騎馬民族だと気付いて、絶望は一層深くなった。

「オルティアだ‼草原の悪魔が攻めてきたぞぉおおおおおっ‼」

 帝国兵の一人が絶叫した。

 疾風のように大地を駆け、全てを根こそぎ奪いつくすオルティアの威名は周囲に広く轟いている。帝国兵の絶叫は味方の戦意を大いに削ぎ、都市住民を恐慌状態に陥らせる結果に繋がった。

 僅かに残っていた帝国兵の多くは逃げることすら間に合わず降伏した。混乱する都市住民の多くは褐色肌のオルティア人を目にして恐怖で固まり、あるいは我を失って身一つで逃げようとした。

「旗を掲げよ!」

 ヒルデの命でオルティアの騎兵たちが、三つの旗を天高く掲げた。つられるように住民たちが注目する。

そのうちの一つがアルネスタ教を示す旗だと分かると、住民たちの騒ぎが小さくなった。ついで、ガラック王国とシューマッハ家の旗が並んでいるのを見て、初めてこれがオルティアによる略奪行為でないことに気付き始める。

 馬から降りて、壇上に上ったヒルデが高らかに声を上げる。

「安心してください、セレーナの民よ!オルティアの彼らは味方です!アルネスタ教の友として戦う同志です!」

 不思議なことにその声は混乱の中でもよく通った。半信半疑でどよめく住民だったが、ヒルデは被せるように名乗りを上げる。

「私の名はヒルデ・シューマッハ。この隊の指揮を預かる者です。オルティアがあなた方に暴力を振るうことは決してありません。その時には厳罰をもってことにあたります。ご安心ください」

 力強くヒルデは言い切る。事実、オルティアの騎兵たちはその悪名に反して、非常に統制が取れていた。下手な傭兵よりよっぽど安心できる集団、というのがヒルデの認識だった。

 ヒルデは「ボルド殿、どうぞこちらに」と、ボルドを壇上へと誘った。

 いきなりのことで面喰いながら登壇するボルドにヒルデは誇らしげに紹介する。

「オルティアの彼がこの勝利における最大の功労者です。そして、私もまた先の戦いで命を救われました。――ありがとう、ボルド殿。あなたと共に戦えることを誇りに思う」

「……ああ」とボルドは戸惑いながら握手に応じる。自分はいったい何をさせられているのか。

 一神教であるアルネスタ教徒にとって他宗派は異教徒であり、よそ者には厳しい。そしてそれがオルティアともなれば、話も通じない恐ろしい蛮族でしかない。

 その意識で見れば、手を取り合う二人の姿は目を疑うような異常な光景だった。オルティアの恐怖より先にその違和感が頭を占め、言葉を失わせる。

 ヒルデ・シューマッハは悪魔に魂を売ったのか、それとも本当に悪魔をうまく手懐けたのか。

 その疑念を肌で感じたヒルデは、やはり難しいか、と内心呟いた。オルティアに対する意識は一朝一夕では変わらない。下手に駐留が長引けば、住民との摩擦が起きかねない。

 静まり返った住民にヒルデはトーンを落とし、住民に静かに語り掛ける。

「セレーナの民よ。我々アルネスタの戦いはまだ続いています。我らはすぐにここを発たねばなりません。ですが、ご安心ください。後から続く友軍がこの都市の防衛にあたります」

 オルティアが去る。そのことに住民が胸をなでおろしたのを見て取って、ヒルデは続けた。

「どうか我らの勝利を共に神にお祈りください。その祈りこそが、我らの力となります。揺るがぬ結束を生みます。この戦に神の祝福があらんことを」

 ヒルデは手を組み、祈りを捧げた。その祈る様があまりに真摯で美しかったためか、住民もそれに倣った。気が付けば、都市内の混乱は完全に収まる形となっていた。

「おい」

 と、ヒルデの演説の後、ボルドは複雑な面持ちで控えているボリスに呼びかける。

「お前の主はいつもああなのか?」

 住民に気を配り、声をかけ、そして異民族であるオルティアにも分け隔てなく接する。

 ボルドは彼女と握手を交わした右手を見つめる。その時感じた心の衝撃がまだ残っているようだった。

「それがヒルデ様だ。誰よりも他を思い、よくあろうと努めておられる。民に言葉を投げかけ、貴殿と手を取ったのもその思いゆえだ」

「だが、誰もそれを望んでいたわけではない」

 そう返すとボリスは嫌なことを突かれたと眉を寄せ、「そうだ」と苦さをかみしめるように呟いた。

「しかし、それがあの方の信じる正しさであり、信念でもあるのだ」

「……そうか」

 とボルドは背を向けて、

「物好きなことだ」

 そう言い残して、立ち去った。ぶっきらぼうながらその頬は僅かに吊り上がっていたように見えた。

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