敗戦、そして反撃への共闘
戦いは日暮れまで続いた。連合軍をウバルド城の内側と外側から挟撃した帝国軍はそれこそ狩のように、連合軍の兵を大いに打ち取った。しかしながら、すべてが帝国軍の独壇場だったわけではない。主だった味方が潰走する中、ガラック王国軍は味方が逃げる時間を稼ぎ、単独で最後までギストーヴ帝国軍を抑えきった。
夜の帳がおり、ギストーヴ帝国軍は兵を引き上げさせた。ギストーヴ帝国軍からすれば、昨日の高速進軍に続いて、今日はほぼ一日中の戦いである。どんなに鍛え上げられた精鋭であっても、人間である以上休息が必要だった。
ギストーヴ帝国軍が戦場から去ったのを見て、エリックはようやく終わったかとばかりに大きな息を吐いて手近にあった椅子に座り込む。
「……終わったのでしょうか?」
そう尋ねるカレンの顔には疲労が色濃く見えていた。彼女も彼女で直接戦闘こそなかったものの、混乱しきった情報の整理やエリックの指令伝達など目まぐるしい一日を耐え抜いたのである。
「そのようだ。向こうもさぞやお疲れだろう。こちらに余力があれば、夜襲という手もあるが……」
「やるか?俺は構わんが」
ちょうど陣営に戻ってきたガラック王国軍の騎兵部隊隊長のボルドが確認する。こちらは騎兵部隊を率いて縦横無尽に駆け巡ったというのに、エリックたちとは対照的に疲れはほとんど残っていないようだった。
エリックは「いや、やめておこう」と言って、
「君たち騎兵部隊だけならまだしも、他がね。被害は大きくないけど、余力があるかと問われればちょっと心もとないかな。それにグラドビッチ将軍も用心はしているだろうし、ここは無理せず大人しくするのが賢明だろう」
「そうか。分かった」
とボルドはさしてこだわりもないように頷いた。
「言うのが遅くなったけど、ご苦労だったね、ボルド。ありがとう。君のお陰でシューマッハ公が助かったよ」
「別に。あれくらい大したことはない」
そう言って首を振った後、ボルドは今後の方針を問う。
「だが、これからどうする、エリック?明日は反撃に出るのか?」
「いや?無論撤退に如かずさ。少なくともこの場所は相手の城に近すぎるし、長期対陣には向いていないからね」
「撤退、しかないですか……」
カレンが沈んだ声で応じた。事実上の敗北に気落ちしているようだった。ラーザイル連邦への侵攻の失敗も合わせると二連敗である。反面エリックは他人事のようにさっぱりしていた。
「戦力を糾合して立ち向かうには、今日一日の被害が大きすぎる。一度立て直す時間が必要だ。もう一戦挑むにしても、どこかで防衛戦をするにしてもね」
「このまま国元に帰るのか?」
ボルドの問いに対し、エリックは口に手を当てて答える。
「……さあ、難しいところだね。状況次第と言っておこうか」
「……そうか」
「意味深な言い方ですね」
カレンが疑わしそうな視線を向けるとエリックは微笑んだ。
「考えすぎだよ。まあ、相手が休んでいる内に私たちもここを出るにしよう。残念だが事前の手配通りに――」
「リッカーズ准将!シューマッハ公がお見えです」
兵士の一人が天幕に入ってそう言った。どうしたのだろう、とエリックたちは互いに顔を見合わせた。
ガラック王国軍の天幕にヒルデが姿を現した。そしてボルドを除くガラック王国軍の面々は息をのんだ。
ヒルデの銀と紅蓮に輝いていた鎧は激しい戦闘によって血と土に汚れ、無数の傷跡がいたるところで刻まれていた。鎧にできたいくつものへこみは主の命を守ってきた証であり、逆に言えばそれだけ攻撃の的になったことは容易に想像ができた。
ヒルデの護衛としてついてきたボリスはそれ以上だった。ボリスの鈍色の鎧は乾いた返り血で乱暴に染められており、軽く洗い落とされてもなお残るさびた鉄のような血の匂いがあたりを漂う。長時間戦い抜いたボリスの大剣はいったいどれほどの兵士の命を奪ったのか。
まさに死線をくぐり抜けた二人の戦士にエリックは心持ち襟を正した。ガラック王国軍の援護があったとはいえ、あの敵中に孤立した状況の中から軍隊としての機能を損なうことなく味方の軍と合流できたことは紛れもなく二人の並々ならぬ奮闘あっての奇跡だと理解したからである。
ヒルデが激しい戦の疲れを感じさせぬ声で口火を切った。
「まずは突然訪れたことを詫びさせてください。そして感謝します。先の援軍は大変助けられた。あれがなければ危うく全滅するところでした。遠く離れた異国の地で亡霊にならずに済んだのは、あなた方のおかげだ。ありがとう」
「お気になさらず、シューマッハ公。国は違えど、我らは味方ですから。当然のことをしたまでですよ。こう言っては何ですが、よくご無事で。正直、先の突撃には肝が冷えました」
当時、シューマッハ軍の捨て身特攻を目の当たりにしたエリックは驚いたものだった。意表を突かれたものの、すぐにガラック王国軍の援助を期待してのものだということに察して、その豪胆さに内心唸った。
ガラック王国軍が助ける保証はどこにもなければ、そもそも助けられるかどうかも分からない状況だった。敵に完全に包囲されつつあったあの状況では、ドールト公のように一も二もなく、敵に背を向け戦場の離脱に走るのが人の心理である。
そこを敵中突破でガラック王国軍との合流を計る選択は普通ならまず躊躇する博打のはずだった。結果助かったとはいえ、一歩間違えれば文字通り一人残らず全滅だっただろう。
ヒルデは誇るでもなく、肩を竦めて見せた。
「実のところ、私もです。おかげでうまくいったとはいえ、二度とはしたくはありません。未だに信じられない思いです」
やはり尋常ならざる方だ、とエリックは感心した。当時の状況や判断の根拠等を根掘り葉掘り聞きだし、ヒルデの将としての性質を知りたいというエリックの学者肌的性分が出かけたが、今は戦時。時間は有限である。
エリックも微笑で応じ、本題に入るべく切り出した。
「それで、シューマッハ公。早速で申し訳ありませんが、ご用件の方を伺いましょう。今は部隊の再編、明日の準備等忙しい状況ですからね」
「その通りです。我々には時間がない」
ヒルデは笑みを消して、「リッカーズ殿」と改まってガラック王国軍の智将の名を口にする。
「我々は敗北した。手ひどくやられたと言ってもいい。兵士は傷つき、大敗のせいで士気も低い。もとより軍としてのまとまりはなく、目下明日の指針さえ見えぬ状況です。今も軍全体の方針もなく、各々の判断で撤退の方へ向かっている」
エリックは頷いた。まさに惨憺たる状況だった。一度崩れれば脆い――その典型が今である。
「――だが、最悪ではない。その認識はあっているでしょうか?」
強い戦意を灯した瞳でヒルデが試すように問う。その意味することを察して、エリックはにやりと笑った。
「ええ。まず私たちのガラック王国軍をはじめ余力があること。次に、まだ敵より数で上回っていること。地理的にもドールト軍の味方である私たちの方が有利です。この後なし崩し的に瓦解する可能性はあるかもしれませんが、現状だけで見ればまだ立て直すことは可能でしょう」
「ええ。ですが、付け加えるべき要素がもう一つあります」
なにか、とエリックが目で問うと、ヒルデは当たり前のように豪語する。
「貴殿と私が健在であることです」
エリックは目を瞬かせた後、気恥ずかしくなって頭を掻く。黙って聞いていたボルドが小さく鼻を鳴らす。
ヒルデは不敵に続けた。炯々と光るその瞳はルビーのように輝いていた。
「それらを鑑みればまだ巻き返しは可能と私は見る。さて、ここで問いたい。あなたはどう思う」
言葉自体に魔力が籠められているのでは。そう思うほどのカリスマに満ちた力強い台詞にエリックは面白そうに答える。
「難しいでしょう。しかし、可能性がないではない」
「ならば十分」
ヒルデは口元を緩め、握手を求めて手を差し出した。
「改めて協力をお願いしたい。この戦争で勝つために。あなたのことです。まさか断ったりはしますまい?」