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敵中突破

 近衛兵を中心に騎兵を前に置いたシューマッハ軍はギストーヴ帝国軍に突撃を敢行した。騎兵部隊の中にはヒルデも含まれている。その前を行くボリスは決死の形相で、馬を走らせ、身の丈ほどの大剣を目の前のギストーヴ兵に叩きつける。

 ボリスの一振り、一振りが命を刈り取る死神の鎌のような恐ろしさであった。一度剣を振るえば、血煙が舞い、遅れて悲鳴が飛んでくる。首を失った胴体が地面に倒れ、馬蹄の餌食となった。ボリスの進撃を止めようと立ちはだかる者は皆例外なく同じ運命をたどった。

「おおおおおおおおおおおおおおっ‼」

 鬼人の如き気迫にギストーヴ兵の間に動揺が生じた。ボリスの前に立てば死と同義。そんな不文律が生まれたように、ギストーヴ兵たちの攻撃に鈍りが生じた。

「進め進めええええええっ!足を止めた者は死ぬものと思え‼」

 続いてヒルデは視界の奥で見えたガラック王国軍の旗を指し示して声を上げる。

「見ろ!あそこにガラック王国軍がいるぞ!あともう少しだ!」

 ヒルデの鼓舞に兵たちが歓声で応じた。ボリスをはじめ全兵士の奮闘があって、シューマッハ軍は奇跡的な前進を見せている。

「……今のところ順調だ。このまま何事もなければよいが……」

「密集して盾を構えよ‼」

 ギストーヴ兵が指揮官の命令に従って小隊が集まって、密集隊形となった。ヒルデたちの攻撃から身を護るために盾を掲げ、防御に徹し、その上で盾と盾の間から鋭利な刃物を覗かせていた。

「そうもいかんか……!」

 ギストーヴ軍の狙いは簡単だ。無理に突破しようとシューマッハ軍が攻撃すれば、盾で防ぎ衝突の勢いを殺しにかかる。そうやってシューマッハ軍の足が止まった後を狙って、その白刃で切りつけるのだ。狙いは単純だが、堅実。先を急ぎたいシューマッハ軍にとっては厄介な対応だった。

 だが、ギストーヴ兵の陣形の動きは一方で、部隊間の隙間を生んだ。三千人が一気に通れるほどではないが、それでも障害のない道がそこかしこにできている。ヒルデたちの目的はガラック王国軍との合流だ。守りを固めた相手に正面から戦う必要はどこにもない。ギストーヴ兵を打ち破ることではない以上、出すべき命令は一つだった。

「構わん!隊の隙間を通って突き進め‼」

 しかし、シューマッハ軍の動きは敵も予想していたようだった。ギストーヴ兵たちは待っていましたとばかりに、間を抜けようとするシューマッハ兵の脇を斬りつけた。

 傷ついた兵士が悲鳴を上げる。痛みで足を縺れさせ倒れる兵士が現れ始めた。

「全く……!嫌な真似をしてくれる……!」

「脇から攻撃が来るぞ!ギストーヴ兵たちの傍を通る奴は注意しろ!」

 エミールが注意を呼びかけ叫んだ。

「くそっ!」

 ヒルデは唇を噛んだ。シューマッハ軍の兵が道半ばで倒れていく。だが、どうすることもできない。立ち止まればその瞬間、ヒルデたちは包囲され、身動きできなくなってしまう。走れなくなった兵士を助けることはもちろん、反撃することも許されなかった。

 胸の痛みを抑え、ヒルデは馬を走らせた。後ろを振り向きたい気持ちはあったが、そうすれば二度と前に向けなさそうな気がした。ただ怒りをぶつけるように時折襲い掛かる騎兵を力任せに薙ぎ払った。

「……くっ⁉」

 ヒルデが乗る馬の首筋に矢が深々と突き刺さっていた。無論、無事であろうはずもなく、致命傷を負ったヒルデの軍馬は最期のいななきを上げて、横転した。

 疾走していた馬がいきなり止まり、ヒルデの身体は勢いよく地上に投げ出された。受け身を取ろうとするも、失敗し、背中をしたたかに打ち付け、呻き声を漏らす。

「ヒルデ様っ⁉」

「姫様ああああああっ⁉」

 これまで凄まじい勢いで進撃を続けていたシューマッハ軍の足が止まる。ヒルデは苦痛で顔を歪めながら立ち上がる。しかし、その顔は血の気が失せ、足元はふらついていた。

「来るな!来てはならん!私は後から行く!」

 だが、その声は打ち付けた痛みのあまり細く、力ないものだった。むせ返ってヒルデは片膝を付いた。なお運が悪いことに投げ出された場所はシューマッハ兵が通り過ぎた後の空白地帯だった。

 シューマッハ軍にとっては最悪の悲劇だったが、一方でギストーヴ帝国軍にとってはまたとない好機だった。

 目の前に転がってきた手柄を前にギストーヴの兵士の一人が飛びつくように剣を振り下ろす。クララが悲鳴をあげた。ヒルデは気迫だけで立ち上がる。

「っあああああああああああああああっ‼」

 渾身の力を振り絞ってヒルデはその剣を払いのける。予想外の反撃とその威力にギストーヴ兵の身体が仰け反り、ヒルデが喉元を浅く切った。ギストーヴ兵の喉から鮮血が勢いよく飛び、兵士は呻き声を上げて喉を抑える。続いて迫るもう一人のギストーヴ兵の胸を勢いよく貫いて、思いっきり抜き放つ。胸に穴の開いたギストーヴ兵は呆然とした顔を見せた後地面に崩れ落ちた。

 二人を倒したヒルデだったが、余韻に浸る暇はなかった。密集隊形だったギストーヴ兵が陣形を崩して殺到する。

 ――私はここで死ぬというのか……!

 さしものヒルデも死を覚悟した。四方から数え切れない凶刃がヒルデの身体を切り刻まんとする。その全てを防ぐ術も避ける術もなかった。

「ヒルデ様あああああああああああああああっ‼」

 ボリスが来た道を戻り、ギストーヴ兵の包囲を突き崩す。クララの矢がヒルデの背後から迫るギストーヴ兵の急所を貫き、近衛兵が道を作った。そこをシューマッハの兵たちが通り、ヒルデを庇うように素早く円陣を作りあげた。

 ボリスが素早く馬から降りてヒルデの前に立ち、肩を掴んだ。

「ご無事ですか、ヒルデ様!」

「無事だ、ボリス。ありがとう。助かった」

「お怪我は――ないようですな……!」

 ボリスはようやく安心したとばかりに大きな息を吐く。

 クララが矢を放ちながら、ヒルデの傍に馬を寄せた。

「姫様!」

「クララもありがとう。心配をかけたな」

 その声に救われたかのようにクララはぎこちない笑みを見せた。そしてすぐに顔を曇らせた。

「姫様……このままじゃまずいよ。もう逃げ場がどこにもない……」

 ヒルデたちは完全に包囲されていた。シューマッハ軍は剣や槍で即席の防壁を作っているものの、それはギストーヴ軍からすれば動かぬ格好の的でしかなく、また突破しようにも、勢いをつけるための距離もない。シューマッハ軍は懸命に応戦しているが、このままではじりじりと削られ、全滅するのは時間の問題だった。

「すまない。私がぬかったばかりに迷惑をかけた。だが――」

 謝るヒルデの声は失意の感情は微塵もない。それどころか絶体絶命と思われる最中にあってなお彼女の瞳には力強い生気が残っていた。

「何とか首の皮一枚繋がったようだぞ、クララ」

「?どういうこと?」

 ヒルデは近衛兵に譲られた馬に跨り、目指していた先を遠望して笑った。

 ヒルデの視線の先を追うようにクララも首を回した。ギストーヴ兵たちの包囲の外。人馬の轟が徐々に大きくなる。巻き上げた土煙のから姿を現したのは、二千を超す騎馬の群れだった。

 ギストーヴ兵たちの動きが戸惑ったように止まる。シューマッハ軍も同様だった。互いに向けあった刃が下を向き、その騎馬部隊の動向を注視した。

 敵か味方か。その答えは数秒と経たず判明した。

 騎兵の掲げていた旗はガラック王国軍のものだった。ギストーヴ兵たちはどよめき、シューマッハ兵は歓声を上げ、その喜びを全身で表すかのように手にしていた武器を天高く揚げた。

 日に焼けた褐色の肌の騎兵が独特な雄叫びを上げた。一部のギストーヴ兵たちは恐怖した。その奇声は草原の覇者オルティアの部族が戦いの前に上げる鬨の声だった。オルティアの剽悍さを肌で知る彼らはその声を聞くや否や及び腰になった。

 そんなギストーヴ兵たちの恐怖をより煽るようにオルティアの騎兵の勢いは増したようだった。そして、ガラック王国軍と思わしきオルティアの騎兵たちは矢頃に入ると、特に誰が言い出すわけでもなく、馬を走らせながら弓を引き絞り、鋭い矢を一斉に放った。

 反応が身体に追いつかなかったギストーヴ兵たちは矢の餌食となった。少なくないギストーヴ兵たちが地面に斃れる。そして、その勢いのままオルティアの騎兵たちはギストーヴ兵たちの包囲網を深々と抉った。シューマッハ軍も同調するように攻勢に転じる。

 有利から一転、前後に敵を相手にすることになってしまったギストーヴ兵たちに抵抗はできなかった。できたのは最も近くにある味方の陣営に逃げ込むことくらい。あれほどいたギストーヴ兵たちの姿がまるで魔法のように一掃された。

 シューマッハ軍を助けたオルティアの騎兵部隊はギストーヴ兵を追い払うに止めた。実直で生真面目そうな顔をした一人の青年が隊長なのか、騎兵隊に帰投の合図を送る。

 その青年は大きな反りのある湾刀を鞘に納めると、元来た陣営に戻る騎兵隊と別れてさっと馬首を巡らせた。そして、青年は数人の部下を連れてヒルデの傍に馬を並べた。

「シューマッハ……、公――で間違いないか?」

 近くで見ると野生の豹を思わせるしなやかで引き締まった体をしている。実力もまたその肉体に恥じず、かなりのものだろうというのは想像ができた。

 しかし一方、ただ戦場で見せた機敏な動きとは反対にヒルデへの態度はどこかぎこちない。

「ああ、私がヒルデ・シューマッハだ。先ほどは助かった。ありがとう」

 青年は感謝に慣れていないのか気恥ずかしそうに小さく頷き、

「いずれ反撃が来る。早く移動するぞ……しましょう」

 と、やはり言い辛そうに丁寧語に直した。ヒルデは緊張を解きほぐすように笑いかけて尋ねた。

「その通りだ。すぐに動くとしよう。それはそれとして名を聞いてもよいだろうか?」

「ボルド・カサルだ。――では、先に行く」

 そう言うとボルドはやることは済ませたとばかりに、仲間の騎兵隊に戻って行ったのだった。

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