予想できた最悪の事態①
ウバルド城攻略が再開された。ギストーヴ帝国の援軍がないと信じた連合軍はウバルド城の攻撃に全力を投じているようだった。
「聞け、お前たち!あの城壁に一番乗りを果たした者には望みの褒美をくれてやる!突撃せよ!」
「何をもたついている!臆することなく、前に突き進め!他の将に後れを取ることは決して許さんぞ!」
「「「「おおおおおおおおおおおおおおおっ‼」」」」
ゼーゲブレヒト公やその他諸将は兵をしっ咤し、絶え間ない猛攻を続けたが、ウバルド城の守備兵は驚異的な粘りで抵抗を貫いた。ただ、いくらウバルド城が堅城であると言っても、連合軍の圧倒的な物量による全力攻撃を受けて、無傷という訳にはいかなかった。堅牢を誇っていた城門の一部は度々の攻撃によって破壊され、大軍を相手に戦い続けた守備兵にも拭い難い疲労が滲み始めていた。その様子が連合軍の戦闘意欲を駆り立てる。傷ついた獲物を前に舌なめずりするように、将軍たちは目をギラギラと輝かせた。
連合軍の攻撃が過熱する中、それらの攻防戦とは無縁の地でシューマッハ軍は危機感を募らせていた。
「ギストーヴ帝国軍が見つからない?」
「……はい。偵察隊が馬を走らせて探していますが、見かけたという報告はありません。ギストーヴ帝国領までの道筋にはいなかったようです」
ヒルデはエミールの報告を受け、険しい顔になった。
「やはりか……」
ボリスが厳しい顔で唸った。
「ヒルデ様の懸念があたりましたな。ここでギストーヴ帝国軍が姿を晦ますその意味は――」
「我が軍を狙っていること以外にあり得ない。安全圏からの撤退で身を隠す必要はどこにもないからな」
ヒルデが至急主だった面々に伝令を飛ばした。
『未だギストーヴ帝国軍の帝国領への撤退は確認できず、先の撤退の知らせは陽動である可能性が高い。急襲に備えて警戒すべし。対策のため至急軍議を開くことを請う』
ヒルデの送った伝令はそれぞれの対応を受けた。
スピネッリ大司教とドールト公はその伝令に対し、反応は鈍かった。連合軍の半数であるギストーヴ帝国の動向が掴めぬからといって何の脅威になる。その思いが警戒心を薄くした。
ドールト公たちは、気にし過ぎではないか、と懐疑的に答え、対策については曖昧なまま濁して帰らせた。ウバルド城の攻略ができそうな目途が立ちつつある今、水を差すようなことはしたくない気持ちがあったのも理由の一つだった。
ゼーゲブレヒト公に至っては、最後まで聞かず伝令に罵倒を浴びせた。
「今は城の攻略に忙しいのだ!邪魔をするな!大方、貴公の斥候が寝ぼけてギストーヴ帝国軍を見過ごしたのだろうよ!来るなら来てみるがよい!返り討ちにしてくれるわ!本当に来るというのならばな!」
唯一ガラック王国軍だけが丁寧で誠意のある返事を返してきた。
「シューマッハ公のご厚情痛み入る。こちらも同じくギストーヴ帝国の動きは掴めぬまま。貴公が懸念されている通り、ギストーヴ帝国軍が来るのは時間の問題でしょう。ただ、対策を立てる話になるかというと、我ら連合軍は目の前の城をどう陥すかばかりで他に気が回らない様子。軍議を開くことは難しいかと。一応我らからも同じ懸念を伝えはしますが、それとは別に我々だけでもできる手を打っておくしかないと思われます」
それぞれの対応にエミールが頭を掻いて、何とも言えない顔をヒルデたちに向けた。
「当初、最も警戒していたはずのガラック王国軍が一番誠実とは皮肉なものですね」
「全くだ。これまでの様子から予想通りと言えば予想通りなのだが……にしても酷いものだ」
ヒルデはうんざりしたように言った。彼女としても前向きな回答が来るとは期待していなかった。だが、実際問題、状況は何ら好転しておらず、背後から危機が刻一刻と忍び寄っていることは間違いなかった。
「しかし、本当にギストーヴ帝国軍は来るのでしょうか?こう言っては何ですが、二倍の我ら連合軍に挑むのは無謀に思えますが……」
エミールの疑問にボリスが答えた。
「普通ならそうだ。だが、このウバルド城を包囲しているこの状態は迎え撃てる態勢ではないんだ」
「態勢?」
「通常敵と向かい合う場合一塊の陣となることが多いが、包囲という形式をとる以上円を描くように陣は薄く広げなくてはならないだろう?また軍全体の矛先は当然城に向けられている。もしギストーヴ帝国軍の援軍が来た時、ある意味では無防備な状態で背後を取られている形になるのだ」
「なるほど……」
「状況で言えばロットシュタット城でガラック王国軍を撃退したときと似ているな。あの時我らの兵は三千だったが、今度の相手は二万。条件はかなり悪い」
「確かにそれはまずいですね……」
「ああ。だからこそ、ヒルデ様は城の包囲を解き、敵の主力が来た時の準備を整えてはとご提案されたのだ。今の様子では無理そうだが……」
「そうですか……ありがとうございます。なんとなくですが、分かりました」
ヒルデは誰にも見られぬよう小さく唇を噛み、何かを飲み下すように少し俯いた後、短い考慮で判断を下した。
「こうなっては仕方ない。悔しいが、ガラック王国軍の言う通りだ。我々は我々のできることを準備しておくとしよう」
現状を踏まえた冷静沈着な判断にボリスを始めヒルデ麾下の部隊長たちは頷いた。
ヒルデは各部隊に指示を送った。ギストーヴ帝国軍が来るだろう方角には見当をつけてある。いくつも斥候を送ると同時に防御の備えを進めさせた。
「近くの木々を切り倒し、柵や杭を作るのだ!いつ敵が来るかわからない!急ぎ進めよ!」
「はっ!」
命令を出しながらふと思う。ゼーゲブレヒト公あたりが、何をとち狂って木こりの真似事をしているのだ、と嫌味を言いそうな気がした。
「……この期に及んでどうでもいい話だな」
「?何がでしょうか?」
ヒルデの独り言をたまたま横で拾ったボリスが眉を上げる。ヒルデはいや、と首を振った。
「何でもない」
そう言って、ヒルデは彼女の指示に従って防衛準備にあたっている兵士たちを眺める。それが、ある意味負け戦の準備のようにヒルデには思えて、険しい顔になる。
……なんという体たらくだ。
その内心忸怩たる思いをぎりぎりのところで呑み込む。連合軍はギストーヴ帝国軍の二倍もの兵力だ。数の上では圧倒的に優勢。だというのに、すでに敗北の兆しが見え始めていた。そしてその危険に味方の多くは気付いていない。その油断の対価は果たしていかばかりか。少なくとも数の少ないヒルデの部隊がいくら手を尽くしたところで、限界がある。このまま戦えばどうなるか。その想像は決して明るくはない。
ヒルデにはもう一つ不満があった。それはガラック王国軍の言動だ。連合軍の最大戦力にも関わらず、その行動は常に消極的で、軍議においてもほとんど発言しない。先のギストーヴ帝国軍の怪しい行動にしても、ガラック王国軍自身状況を理解しているのであれば、前に出て強く訴えるべきではないだろうか。
その翌朝のことだった。
「ご、ご報告します‼」
斥候に送った兵が顔を真っ青にして戻ってきた。その帰りの速さを見て、「想像以上に早いな」と、ヒルデは最悪の覚悟を決めた。
「ギストーヴ帝国軍が目前に迫っております‼」
そう告げる兵士の声はほとんど絶叫に近かった。グラドビッチ将軍率いるギストーヴ帝国軍の牙が今まさに連合軍の喉元に食らいつこうとしていた。