悪政の景色
粗末な荷馬車がとある村の中を走っている。馬車には男が一人。ラルフが退屈したように荷物の一つを背もたれに身を預ける。その周囲には書類が乱雑に散らかっていた。
ラルフがふいに外を見る。村人が今日の家業を終え、家路についている。疲れ切った足取り、痩せこけ生気のない暗い顔。そしてラルフと目が合うと怯えたように首を竦め、視線を逸らすのだ。
ラルフは顔に忌々しさを滲ませて呟く。
「つくづく嫌な光景だ」
腹立たしいことにこれはラーザイルにあって珍しくない光景だった。ラーザイルにあれば変わらぬ日常で、希望もなく使い潰されていく地獄。地獄を作っている貴族は農民がどんな思いで野垂れ死にしようと無関心で、ただ搾り取ることしか考えない。
「おっと」
御者が慌てた声を上げ、馬車を急停止させた。
「どうした?」
「いえ、少し……」
御者が指さした先で痩せた男が倒れている。傍に大量の薪が散らばっている。運ぶ途中で力尽きた、といったところのようだ。
御者のどうしましょう、という無言の問いかけに、ラルフは迷わず馬車から降りた。無論、男を助けるのである。不機嫌そうな顔でラルフは男を涼しい木陰に移動させた。
少しして男が目を覚ました。ぼーっとした顔の男に、ラルフは水筒を突き出し、水を飲ませた。徐々に意識がはっきりした男は舌を縺れさせながらぎこちなく感謝を言う。
「あ、ありがとうございます。どうやら助けていただいたようで……」
「構わん」
ぶっきらぼうにラルフが答える。やや突き放した言い方になったと自省したのか、ラルフが少し苦い顔で言う。
「ここまでくればついでだ。乗るといい」
そういって、ラルフは男を馬車に乗せ、男の家まで運んだ。
辿り着いたのは今にも潰れそうな傷んだ家だった。生活感も何もない。男の顔色と同様、半ば死んだかのような在り様だった。
恐縮しきって頭を上げられない男に対しラルフは気にするなの一点張りで、それどころかいくらかの貨幣を握らせた。
「奥に家族がいるのだろう。僅かばかりだが、これで何か腹を満たしてこい」
感激しきった男の感謝をおざなりに返し、ラルフは再び馬車に乗る。男の家が見えなくなってからラルフは舌打ちと共に同行者の御者に問う。
「噂以上にひどい状態だ。いつからだ?」
「領主様が変わってからでさあ。ローベルト様が亡くなってから、ペーターの野郎が出しゃばってきたのは頭もご存知でしょう。そいつがバカみたいに高え税を取り立てやがる」
ちらりと村の方に御者が目配せをした。さっきの男だけじゃない。村人たちの顔を見れば、村全体が疲弊していることは明白だった。
「で、払えなけりゃあ、こうです」
そう言って御者は首筋から素肌を見せた。鞭で打たれた鋭い裂傷の跡が無数にできていた。
「お前……」
今初めて知ったとラルフが眉根を寄せると、御者は片頬で笑う。
「ちょいと生意気な態度を取りましてね。その時にやっちまいました。まあ、俺なんてましなほうでさあ。拷問を受けて死んだり、奴隷にされた奴に比べりゃ、五体満足なだけありがたいもんです」
それに、と言って御者は付け足した。
「ここだけじゃねえ。シューマッハ領はどこもそうです。酷いもんですよ。逃げ場なんてどこにもねえ。あの豚を養うために俺たちは死ぬんですよ」
「とことん不快な話だな」
ラルフは舌打ちをした。
「しかし、他にいなかったのか。シューマッハほどなら、領主として奴よりましな男くらいいそうなもんだが」
「奴しかいなかったからこうなったんですよ。だいたい戦か病で早死にです。んでもってローベルト様やそのご子息もお亡くなりになられたもんだから、他に候補がなく奴のところに家督が転がり込んできたってわけです」
「はっ!奴にとっては望外の喜びだろうが、飛んだ迷惑な話だ」
「全くです」
「奴に気兼ねすることは何もないということが嫌と言うほど分かった。なら、遠慮はいらない。徹底的に、俺たちらしく奪い尽くしてやらなくてはな」
ラルフの不穏な響きに御者は嬉しそうに食いついた。
「お?するってえとやっぱり今度の狙いはここですかい?わざわざ頭がここに来てどうしたんだと思ってたんですよ」
「そんなところだ。こんな状況を放置ってのも面白くない。かの英雄ローベルトも天国で泣いている。そうは思わないか?」
御者がひゅーっと口笛を吹いた。
「最っ高だ!くーっ!ずっとそういう日を待ってたんでさあ!ペーターの野郎を憎んでいる奴は数えられないほどいます。そいつらのためにも俺たちでとことんやっちまいましょう!」
その意気ごみに対し、ラルフは含み笑いで返した。