氷雪の狩人
日の光も上がりきらない早朝。牧草地で氷の狼を表す軍旗がリンド地方北部の風に吹かれてはためいている。ギストーヴ帝国軍の野営陣地は音一つない静けさにあった。
その中心。とある天幕の内に二万の将兵の束ねる一人の老将軍がいた。
セルゲイ・グラドビッチ――『氷雪の狩人』と呼ばれるギストーヴ帝国の歴戦の大将軍が腕を組んで何かを待つように瞑目していた。
身長はさほど高くもないが、軍人らしく骨太でたくましい体つきをしている。短く刈り上げた髪はいくつもの戦いの過程で色素を完全に失って、十年以上前から雪のような白髪となっていた。額から頬にかけて残る深い刀傷の跡は彼の人相をより無骨に、もっと言えば人としての温かな柔らかさを損なう役割を果たしていた。
ギストーヴ帝国軍は異様な空気の中にいた。軍が活発に動き始める朝食時というのに、いつでも戦闘態勢に入れるような緊迫感を保っていた。それは一切の気の弛みを許さぬグラドビッチ将軍の意志が絶対の規律として二万もの将兵に浸透している証左であった。
少しして、部隊長の一人がグラドビッチ将軍の下に現れた。彼の発する声はグラドビッチ将軍の纏う峻厳な空気に当てられて幾分固くならざるを得なかった。
「アルネスタ教の連合軍は依然ウバルド城の攻略を行っているようです。しかし、かねてより備えていたこともあって兵士の士気は高く、未だ守りは健在とのことです」
「……そうか」
報告を受けたグラドビッチ将軍がゆっくりと瞼を開けた。体温を忘れそうになるほど鋭く凍てついた目をしていた。
「出る」
これ以上ない短い命令を受けてギストーヴ帝国軍が粛然と、かつ迅速に動き始めた。それは獲物を見定めた狩人の動きに他ならなかった。