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智将の悩み

「来たか、リッカーズ准将」

「お待たせしました、ラッセル中将閣下」

 カレンの言葉に素直に従うことにしたエリックは今回ガラック王国軍の司令官を務めるラッセル中将の宿舎を訪れ、簡単な挨拶を済ませた。二、三の会話をした後、実はドールト公と先だって少し話があったのだが、とラッセル中将は世間話をするように切り出した。

「ガラック王国軍にはとても頼りにしているとドールト公が言っていたよ。屈強なガラック王国の力でどうかギストーヴ帝国軍を追い払ってほしいとな。ドールト公の話しぶりから感じた印象だが、どうも今回の戦いでは援軍の我らが主力と捉えているようだ。どう思う、准将?」

 ある種試しているともとれる問いにエリックは僅かに眉を上げたが、思ったままを答えることにした。

「我が軍の一万五千の兵数はドールト公の擁する兵力を超えます。まあ、練度も含め兵力だけを見るとこちらを持ち上げる意味もあって主力と呼ぶのは不思議ではないでしょうね。もっとも、ドールト公としてはやはり自国の兵で正面切ってギストーヴ帝国と戦いたくはないのでしょう。この戦争が終わっても、経済的な交流関係は残るのです。例え勝ったとしても可能な限り恨みは買いたくない――そう考えているのではないかと思います」

 ラッセル中将は頷いた。どうやらラッセル中将もまた同じ見解だったようだ。

「自国を守るのに援軍頼みなのはまだ分からないでもないが、その勝敗の責任を全て我ら王国軍に押し付けられるのかと思うと気分は良くないな。下手に前に出れば、犠牲も出るし、万が一敗戦したとなれば責任問題も出るだろう。それに今後アルネスタ教の大司教から何かと難癖を付けられかねない。――我々は援軍だ。であれば、援軍としての範囲で自分の役割を全うするのみだ。そう思わないか、准将?君の智将としての意見を参考にしたいものだが」

 エリックは内心渋い顔をした。気持ちは分からないでもないが、神経質というかあまりに消去的にすぎないだろうか。いや、異常に戦意を燃やして猪突猛進するよりはよっぽどいいか。

 ――それにしても智将か。智将ね。

 エリックは冷ややかな思いでその言葉を受け取った。世間から必要以上に持ち上げられている思いのエリックからすれば、それが仮に他意のない称賛を意図してのものだったとしても褒められている気が全くしない。実際、使われるパターンとしては、エリックを揶揄するときか、都合のいいように仕事を押し付けるときの前振りがほとんどだろう。とにかくエリックはその単語を聞くたびにうんざりするのである。

「意見、とおっしゃられてもどう言ったものか……。一応、現時点の私見になりますが、あまりドールト公に期待しない方がよろしいかと。状況次第ですが」

「なぜだね?」

「そもそも今回の戦いで援軍は我らだけではありません。アルネスタ教の名の下に集まった聖戦、と言えば聞こえはいいですが、実情はまとめ役に欠く寄せ集めです。戦争において、指揮系統が一本化されているか否かで軍のまとまりや働きがまるで違うのは自明の理。ドールト公がまとめ役を果たさない場合は、目下最大兵力の我らがその役目を担わなければならないでしょう。でなければ、戦いに負ける可能性が高くなりますから」

 そもそもラッセル中将の問い自体、智将の出る幕はない。というより、そもそもガラック王国が主導する可能性を見越してのこの兵力だったはずである。

 一万五千もの兵数は、世界が注目するこの戦いでガラック王国の存在感と威光を示すためにガラック王国の行政権のトップである内閣が用意したもの。先のラーザイル侵攻の失敗で落ち込んだ空気をこの勝利で払拭してほしいという内閣の思いがあったはずだ。それをラッセル中将が知らぬはずはない。

 ただ、エリックの答えはラッセル中将の望むものではなかったらしい。ラッセル中将のやや不満げな様子を感じたエリックが一応のフォローを入れた。

「ただ、おっしゃられる意味もよく分かります。軽はずみな発言や行動が不和の元になるかもしれません。より慎重な行動が必要になることは間違いないでしょう」

 エリックがそう言うとラッセル中将は最後の言葉だけを都合よく受け取り、安心したように笑みを返した。

「よかった。君もそう思うか。私も同じ意見だ。――うむ。とりあえず了解した。ありがとう、リッカーズ准将。この調子で頼む。私はオルティア戦役で発揮した君の知略をとても期待しているのだから」

「……光栄です」

 ラッセル中将がドールト公と面会する支度を整える間、先に宿舎を出たエリックは空を見上げた。

 ジェームズ・ラッセル。特段目立つような経歴はないが、堅実に戦果を築き上げた将軍だ。やや堅物ではあるが、その実績から兵士からも軍上層部からも一定の信頼がある。恐らくガラック王国の内閣は彼の堅実な戦い方に期待して、総司令の任を命じたのだろう。

 しかし、その願いとは裏腹にエリックの心の中では暗雲の気配を感じざるを得なかった。

 戦いに勝利する算段よりも、保身の方向性に悩む姿。ドールト公に責任を押し付けられるのは気分が悪い、と言っていたラッセル中将だったが、その実、同じようなことをエリックに求めている風であるのは気のせいだろうか。

 自分の失敗を最小限にしようとするその性質をよく言えば慎重、となるだろう。だが、戦争において、その思考一辺倒であることは後手に回ることが多くなる。戦争では相手のことが全て分かるわけではなく、またその相手は常に動いているのである。天気等環境はその日、その時間ごとに移ろい、兵士たちの士気も状況によってまちまちだ。戦争に確実を求めるのは幻想と言っていい。そんな不確実だらけの戦いでは慎重さと同じくらい大胆さもまた必要なのである。

「……こいつは苦労しそうだな」

 エリックが大きなため息とともに空に向かってぼやいた。

 思えばラッセル中将は誰かの指揮下で軍功を立てたことはあっても、戦争の全責任を背負う総司令官の立場になるのは初ではないだろうか。あったとしても、今回ほど規模は大きくないだろう。

 とりあえずのところ帰国後、ビンガート大将に文句でも言ってやろうとエリックは誓った。


 エリックとラッセル中将がドールト公の下を訪れると、当代のドールト公アンドレアは待っていましたとばかりに顔を明るくした。

「おお、ラッセル殿。ようこそ来られました」

 若々しい金髪の貴人が数年来の友が現れたかのように大仰に両手を広げて迎え入れた。やや媚の強い愛想を見せて、ドールト公はラッセル中将と握手を交わす。その際、ドールト公の目がラッセル中将の後ろで視界に入らぬよう控えていたエリックを捉えた。

「――おや?もしや、お隣の方はかのオルティア戦役で活躍されたというリッカーズ殿ですか?」

「ええ、そうです。よく分かりましたね」

「それはもう。リッカーズ殿のご活躍はここアレッシアにも届いていましたから。一目で分かりましたとも」

 ラッセル中将が頷くとドールト公は嬉しそうに揉み手をしながらエリックの前にすり寄ってきた。その様は貴族というよりも商人を思わせた。容貌や服装はいかにも高貴な貴族然としているだけに何とも言えないギャップが出てしまっていた。

「初めまして、リッカーズ殿。お噂はかねがね。草原の悪魔と恐れられるあのオルティアを手玉に取ったその手腕。実に見事なものでした。ガラック王国随一の策略家にこうしてお会いできたこと嬉しく思います」

 どうにも忙しない方だ、と会って早々にエリックは失礼な感想を抱いた。

「お初にお目にかかります、ドールト公。過分な評価恐縮の限りです。正直なところを申し上げますとただ運がよかっただけです」

 すると、おおげさにドールト公は目を見張って見せた。

「ほう。運とはまた……実に謙虚であられる。智将たるもの過去の勝利に驕らず、常に冷静であれ、ということですか。いやはや素晴らしいお心構えです。感服いたしました」

「……ありがとうございます」

 ラッセル中将といいさっきから変に持ち上げられてばかりだ。天邪鬼な気質のあるエリックは生理的に渋い顔をしそうになったが、何とか堪えて言葉短く返す。ここで下手に悪い印象を見せても、何の得もない。否定したい思いもあるが、もしそう言ったとして、同じことが繰り返されるだけ。不快さが増すばかりだろう。

 挨拶もそこそこにエリックたちは客室に案内される。いくつかの挨拶と事務的な話の後に、ドールト公は本題を切り出した。

「それで、今回はギストーヴ帝国が相手ですが、何か策はおありでしょうか?神算鬼謀のあなたにかかれば勝利は疑いようのない話だとは思うのですが、どのように勝利が得られるか私は気になって仕方なくてですね。いかがでしょうか?教えていただけますか?」

 なるほど、確かにこれはひどい。

 エリックはここにきてラッセル中将に少しばかり同情した。ドールト公は戦争の当事者だというのに、こうも無責任に人任せの態度で出てこられると、構えずにはいられないだろう。

「私はまだ来たばかりです。今の時点ではなんとも言えません。ですが、我々も全力を尽くしたいと思います」

「それは心強い。精鋭揃いのガラック王国軍にあなたの智謀が組み合わさればどんな相手でも恐るるに足らず、ですね」

「……」

 エリックは特に返事をしなかった。というより、自国の防衛を相手に任せきるあまりの身勝手さに返すべき言葉が見つからなかった、というのが正しかった。

「ドールト公」

 口を挟んだのは同席していたドメニコ・デ・スピネッリ大司教だった。ドールト公の治める領内を教区に統括するこの大司教は教会側から派遣されたドールト公のお目付け役でもあった。

 気難しそうに眉間に皺を寄せたスピネッリ大司教が尋ねる。

「私から確認したいことがあります。ラッセル殿、よろしいでしょうか?」

 面倒ごとの確認には違いないが、ラッセル中将は嫌そうな顔を見せず尋ねた。

「もちろん。どうかされましたか、スピネッリ大司教?」

「では、率直に。ガラック王国軍の中にいるあの野卑た異民族ども、あれは何です?」

「リッカーズ准将」

 ラッセル中将はエリックに説明を委ねた。その示すところは遊牧騎馬民族オルティアの騎兵隊であることは明白だった。何を隠そうオルティアの騎兵隊は、エリックの強い意向があって存在する部隊であった。

「さて、思い当たるとすれば、オルティアの騎兵隊ですね。何かありましたか?」

「な……⁉あのオルティア⁈それは本当ですか⁉」

 ドールト公が驚いたように声を上げた。

 驚くのも無理はない。定住地を持たず広大な草原を移動しながら生きる彼らは、時として隣国の町や村を襲う略奪者として有名だった。かつてガラック王国、ラーザイル連邦、リンド地方等をまとめて治めていたキースタル帝国という大国があったが、その帝国が滅んだ決定打がオルティアの侵攻によるものであった。

疾風のように大地を駆け、帝国兵の多くを屠ったオルティアは帝国領土になだれ込み略奪をほしいままにした。奪い破壊し尽くした彼らは後に草原に帰ったが、以来『草原の悪魔』としての悪名が世に広まり、オルティアの隣国は彼らの影に恐怖した。

 今もなおその脅威は健在で、草原に接するギストーヴ帝国やガラック王国の国境付近を荒して回っている。近年、ガラック王国がオルティアを打ち破り鎮静化されたが、それだけで安心できるようなものではなかった。

「ええ、そうです。オルティア戦役以降、我が国では騎兵の価値が見直されましてね。オルティア人で組織した騎兵隊を新設することにしたのです。何分できたばかりなので、色々と至らぬところはありますが、その実力は保証しますよ。この戦いでも必ずお役に立てるでしょう」

 スピネッリ大司教は非好意的な目をエリックに向ける。

「オルティアの蛮族を使う……?正気ですか?」

「帝国軍は強敵です。その強敵が恐れるオルティアの騎兵は得難いものだと思いませんか?」

 そうエリックは答えたものの、大司教の反発はもっともなことだと理解していた。だが一方で、オルティアの騎兵隊はどうしても戦力として持っておきたいという思いがあった。ゆえにエリックは努めて平然と返す。

 少しの間を置いてスピネッリ大司教は言った。その顔には不快さがありありと現れていた。

「……事情は理解しました。ですが、困りますな。ここは聖地アレッシアです。神の奇跡があったこの聖地に異民族のしかも異教徒が土足で入っていい場所ではないのです。お分かりですかな?」

 騎兵の有用性を認めるだけでもスピネッリ大司教にしては最大限の譲歩だった。相手がガラック王国軍でなければ、容赦なくしっ声の雷を落としていただろう。厳しい顔をしているスピネッリ大司教にドールト公がおずおずと訊ねた。

「つまり、彼らには都市に入ることは許されず、都市郊外で野営するべき、ということでしょうか?」

「なにを……!それくらい当たり前ではないですか!決してこの地には近づかないでもらいたい!せめて五キロメートルは離れてもらわなければ!」

「それはそう、です……いえ、でも……しかし……」

 それではわざわざ遠くから援軍に来た相手に対してあんまりな扱いではないだろうか?恐る恐るドールト公がエリックたちの顔色を窺う。どうかへそを曲げないでくれ、そんな思いが可哀想なほど表情に出ていた。

 だが、それは間違った配慮であると言えた。こと外交において、過分な配慮は侮りを生み、下手をすれば不当な要求を招く要因になりうる。その際、間違いを正してくれる第三者はよほどのことがない限り存在しないのだ。

 ――いや、案外スピネッリ大司教があってこそのこの対応なのかもしれない。国としての主張はスピネッリ大司教に任せ、自分は宥め役に回るというドールト公なりの処世術の一環と考えた方が自然か。

 何にせよエリックに異論はない。エリックは快諾と言ってもいい軽やかさで頷いた。

「承知いたしました。確かにもっともなことです。――ドールト公、お気になさらず。彼らには私から伝えましょう。ラッセル中将、よろしいでしょうか?」

「もちろんだ、リッカーズ准将。君に任せよう」

「ありがとうございます。では私はこれにて。失礼いたします」

 この場を出るよい口実を得たことを幸いにエリックは珍しくてきぱきとした機敏な動きで退室したのだった。

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