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事後処理

 ハサキール攻略。

 その知らせを聞いたシューマッハ軍を始めとするラーザイル貴族連合軍は軍議の席で思わず腰を浮かした。

「ほ、本当か⁉」

「はい。間違いありません。それとこちらをヒルデ様にと」

 伝令の兵士がヒルデの傍に近づいて、その預かり物を捧げた。

「これは?」

「ガラック王国産のワインでございます」

「なるほど」

 受け取ったヒルデは愉快そうに肩を揺らした。ハサキール攻略の前、ジンドルフ辺境伯に話した冗談が返ってきたのである。いかにも皮肉好きなラルフのやり方であった。

「さすがは私の騎士。よくやってくれた」

「他にも言伝が」

「なんだ?」

「『くれぐれも飲み過ぎには注意されたし。酔った勢いで不始末をすれば、後で赤っ恥をかくことになる』とのことです」

 その言葉に諸将は面白そうに笑語を交わした。

「目の覚めるような勝利の後に何を言うかと思えば、酒の注意とは。己の功を誇るのが普通だろうに」

「そうだな。ランドルフ卿は随分と愉快な性分の男であるようだ」

 侮蔑の感情ではない。単におかしな男だと思っただけのことである。

「あっはっはっは!」

 何事かと周囲は驚いた顔をした。珍しく周囲を憚らず声を上げてヒルデは笑っているのである。常に冷静沈着な姿勢を崩さなかった彼女が解き放たれたかのように心から笑っていた。

 ――そんなに面白かっただろうか?

 ――いや、よくは分からないが、シューマッハ公のツボに入ったようだ。

 諸将たちの目語はそのような意味で交わされているようだった。

 ヒルデは笑いを収めた後、上機嫌で伝令の兵士に言った。

「確かにその通りだ。分かった。そのあたりの弁えはあるつもりだが、気を付けるとしよう。しかし、ラルフの方こそ飲み過ぎには注意するようにも言っておいてくれ」

 伝令の兵士を下がらせたヒルデは満足そうにワインの瓶を撫でた。

 ラルフの言伝の意味。それは一言で言えば、目の前の戦勝に驕ることなかれ、であった。ワインをガラック王国、飲むことを勝利とかけている。勝てば勝つほど、歯止めが利かなくなり、己を失う。しくじって素面に戻ったときに後悔する、という意味だ。

 ――まったく、あの男は。

 心配性であるとも言えたが、そういったユーモア交じりの細かな忠言がヒルデには心地よかったのである。

 ジンドルフ辺境伯が冗談めかして言った。

「愚直な正攻法と聞いていたのだがな」

「ええ。ただ我が騎士にかかれば退屈だったようです」

 ヒルデは微笑で返した。ジンドルフ辺境伯もおかしそうに肩を揺すった。

「なに。たった三千の兵を送らせた時点で、愚直も何もないと思っていた。だがこうも鮮やかな勝利を飾るとはな。先の軍議でランドルフ卿が豪語したときはいかがなものかと思ったが、この結果ともなれば、いやはや。何とも見事、と言う外ない」

「まさにその通り。あのハサキールを三千で落とすなど無茶をと思いましたが、驚きましたな」

 他の諸将もジンドルフ辺境伯に追従するようにそれぞれがヒルデに賛辞を送った。

「して、この後は?」

 ジンドルフ辺境伯が尋ねるとヒルデはよどみなく答えた。

「ええ。あそこを落とせば、後は容易です」

「ほう?」

 ガラック王国軍はハサキールにおける重要性を見誤った。ガラック王国軍は何が何でもこの城を守りぬかなければならなかった。重要度を思えば、数千の兵士は常駐させねばならなかったはずだ。ガラック王国軍がこの勝利の意味に気付くころにはすべてが終わった後だろう。

「このまま進軍しましょう。それでこの戦いは終わりです」


 ヒルデの言う通り、そこから先の城の攻略にはさして時間を要しなかった。

 ハサキール攻略の知らせは瞬く間に伝播し、たちまちガラック王国側に寝返った貴族たちの知るところとなった。

 あのハサキールが一日足らずで攻略されたとなれば、自分の城はガラック王国軍の援軍が来るまで耐えられるはずもない。寝返った貴族たちは自分たちの財をまとめ、自領を棄てガラック王国内に逃亡を計った。一部の貴族はラーザイル側にいるそれぞれの伝を利用して降伏を申し出た。

 ヒルデは仲介した貴族の顔を立てて、その降伏を僅かな対価――この場合は軍への食糧と金銭の供出で認めた。ヒルデ率いるシューマッハ軍は一か所に留まることなく、奪われた領土を取り戻しに進軍を続けた。

 たった一つの知らせでガラック王国に奪われた地は一気に塗り替えられた。駐屯していたガラック王国軍は最初一戦を交えることを検討したものの、あまりの速さで占領地が奪われていく様に戦うことを諦めた。

 占領地のいずれもシューマッハ軍への人気はすさまじく、反転してガラック王国軍へのあたりは厳しかった。これでは守れるものも守れない。それはガラック王国軍にとって大きな誤算だった。ガラック王国軍はラーザイル内に孤立を恐れ、結局撤退することとなった。

 城から城へ行き来するような移動するばかりで何もできず撤退していくガラック王国軍に一人の貴族が提案した。

「好機です。奴らの背を襲ってみてはどうでしょう」

「確かにそれも戦の常道。一理あります」

 ならば、と意気込みかける貴族にヒルデは首を横に振った。

「が、やめておきましょう。ここから先は完全にガラック王国の領内。地の利は向こうにある上に、奴らの背を追って深追いすれば、今度は敵の援軍が私たちの背を狙うでしょう」

 本音のところを言えば、追撃それ自体ヒルデは反対ではない。だが、統制の利かない貴族を連れてとなると話は別である。

 ヒルデにその気がなくとも、浮かれた貴族たちが目の前の更なる勝利を追い求めて終わりのない無謀な進軍を続行。それに引きずられてヒルデ諸共ラーザイル軍がいつの間にか敵軍に包囲され全滅の憂き目にあう――そんな図式が容易に想像ついた。

 やんわりとであるが提案を却下されやや不満そうな貴族にヒルデはにこやかに言った。

「当初の目的は達したのです。我らの勝利は曇り一つない。それよりも勝利を得た後のことが重要だと思いますが」

 そんなことがあるのか、と貴族は怪訝そうな面持ちになった。

 ヒルデは振り返って、奪い返したラーザイルの都市を見た。

「ガラック王国への裏切り者は誅殺しました。しかし、それで終わりではありません。そこに住まう民がまだ残されています。主を失った民はさぞ不安でしょう。それを放置するなんて、とてもできません。早く仕えるべき主を決めなければならない。そうは思いませんか?」

 貴族は納得したように頷いた。今回手に入れた領土をどう分配するかが今の優先事項だと言っているのである。

「なるほど。そうですな。誰がその民を導くか。敵を追うよりもはるかに重大事です。シューマッハ公の言う通りでした。なにとぞよろしくお願いします」


 ガラック王国軍をラーザイルから完全に追い払ったヒルデたちは戦後処理の方に移った。諸将たちの最大の関心は論功行賞にあった。これは長年の慣習によるものだが、ラーザイル西部について、ミランダ王はほとんど関与しないことになっていた。シューマッハ公爵の裁量の大きさの一つである。ただ、ヒルデは若輩であるとして遠慮し、論功行賞は諸将との協議という形式をとった。

 新たに奪い返した土地の支配権は誰に移るのか。多くの都市や城は城主不在の状態である。誰がその位置に付くかで今後の家の繁栄に係わってくる。

 最大の戦功を挙げたのは言うまでもなく、シューマッハ軍だった。なにせあのハサキールをあっさり奪還し、その結果、戦いらしい戦いがないままガラック王国軍を追い払ってしまったのである。

 しかし、ヒルデは開口一番こう言って周囲を驚かせた。

「私はハサキールをいただきましょう。他は各々方で分けあっていただければと思います」

 ジンドルフ辺境伯は目を丸くした。

「それはあまりに欲がなさすぎるのではないか?此度の首功は誰がどう見てもシューマッハ公にある。全てとはならないだろうが、あと二、三の都市や城を要求しても誰も異論はないはずだ」

 ヒルデは拘泥する訳でもなく辞退する。

「いえ、直に落としたハサキールはともかく、他のものまで功を独占できません。皆様の参加があってこそです。此度の戦は私のような若輩を立ててくれただけでもありがたいというもの。であれば、これは私の感謝として受け取っていただきたい」

 思いもかけない無欲そのものの言葉に一瞬諸将は顔を見合わせたが、彼らとしてももらえるものが増えることに悪い気はしない。

「そうですか。シューマッハ公がそこまで言うのならば、我らとしても異論はありません。ではそのように」

 こうしてジンドルフ辺境伯や他貴族と協議の上、ハサキールを除く奪取した都市や城についてはそれぞれの所領に組み込まれた。

 華々しい勝利の裏で今回ガラック王国軍に寝返った者たちがヒルデの名の下に処罰された。少数の手勢で立ち向かい返り討ちに遭った者、自らの家臣に裏切られた者、逃げ遅れた者。皆例外なく処刑された。

 シューマッハ領に組み込んだハサキールではヴィンター子爵の旧臣たちには追放の命が下された。彼らの過去の汚職や非行を見かねてのことであった。面従腹背でかつ今後の領地経営に支障をきたすような悪性は排除されてしかるべきだった。

 だが、収まらなかったのはヴィンター子爵の旧臣たちである。彼らはヴィンター子爵の統治下でそれなりの地位を手に入れていた。ヴィンター子爵亡き後とはいえ、その影響力は未だ健在。だが、ハサキール内で確たる力を持つ自分たちがこうも簡単に蔑ろにされるとは思わなかったのである。彼らからすれば今後の統治に必要とされ、ヴィンター子爵の分まで甘い汁を吸えるのではないかと期待していた節があった。

 ヴィンター子爵の旧臣たちは自分たちの利権を奪われてはなるものかと息巻き、ガラック王国軍へ内通を約束する使者を送った。だが、それはたちまちシューマッハ軍の知るところとなった。

 シューマッハ軍に気取られぬよう旧臣たちは注意を払っていたが、黎明の狼の情報力の凄まじさであった。旧臣たちの不満を察していたラルフは、その知らせに皮肉な笑みを浮かべた。彼らは自ら滅びようとしている。大人しく従っていれば、食うに困らぬ程度の生活は送れていただろうに。

 ハサキールに二千の兵士を常駐させ行政管理を行っていたラルフは知らせを聞いてただちに軍をもって旧臣たちの屋敷を囲んだ。抗弁の機会を全く与えず、あっさりと討ち果たした。旧臣たちは不本意ながら亡き主君の後を追う結果となった。

 その後、ヒルデはハサキールを直轄地としてシューマッハから官僚を送り込んだ。その手際はまるで最初からそうするつもりであったかのような早さであった。

 ハサキールを名実ともに支配するに至ったヒルデはラルフと談笑した。

「ガラック王国には感謝しなければな。シューマッハ公爵の地位だけでなく、要衝であるハサキールもいただけるとは思わなかった」

「我が主への祝儀を兼ねているのだろう。ふふ、いいではないか。もらえるものはありがたくもらっておけ」

 公爵位を継ぎ一か月、少なからぬ流血をもってペーターの残党とガラック王国軍を一掃し、シューマッハ領はようやく安定を迎えた。

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