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仮面

 窓の外に広がる春麗らかな景色を眺めて、ヒルデは気だるげにため息を付いた。

 外はかくも色鮮やかなのに、自身の心はどこまでも味気ないモノトーンの毎日。極めつけに呼びもしていないのに、面倒な相手もしなければならないと思うと気分は最悪であった。

 少女にその最悪な気分を齎した相手は眉を顰める。少女の付いたため息に気を悪くしたのか、窘める声に苛立ちがあった。

「聞いているのか、ヒルデ。私は今大切な話をしているつもりなのだがね」

 敢えて屋敷中に聞かせようとでもしているかのようなわざとらしい大きな声に少女ことヒルデ・シューマッハは内心目くじらを立てた。

 ヒルデの目の前にいる彼女の叔父、ペーター・シューマッハの意図は明白だ。大人げなくも力関係を誇示したいのだろう。強者には媚び諂うのに弱者と見るやこれ見よがしに付け上がる。そうした小心者が行う小賢しいやり口に彼女は何度も辟易とした気分を味わわされてきた。

 だが、それを抑え込みヒルデはにっこりと愛想よい笑みを浮かべる。

「もちろん聞いておりますわ、叔父様。亡き父、母に代わってシューマッハ家の運営だけでなく、私のことでお気遣いいただけるなんて感謝の言葉もございません」

「おお、そうだとも。分かっているのであればいいのだ」

 気をよくしたペーターは脂肪で膨らんだ大きな腹を揺すって機嫌よさそうに笑った。ヒルデを見下す気持ちの強いペーターとしては姪のしおらしい態度は期待通りである。対するヒルデは最悪の気分だった。

 その感情をヒルデは巧妙に隠していた。例え過去にどれほどの仕打ちがあったとしても、笑顔で健気な仮面を被って、厚顔無恥をそのまま地で行くような叔父の顔を立てる。最初、用心していた叔父だったが、いつしかヒルデの従順な姿勢に疑いの目を向けなくなっていた。

「ならば、どうだ。縁談の話を受けてくれるか。お前さえよければ今すぐにでも話を進めたいのだが」

「折角ですが……」

 と、遠慮がちにヒルデは目を伏せた。

 ペーターは心外だ、と言わんばかりに目に険しさを現した。

「なにを躊躇うことがある。縁談の相手はあのハンスだ。少しばかり気が小さいところもあるがいい青年だ。きっと良縁になると私は確信している。――それにな。お前がもし独り身のまま生涯を終えるようなことがあっては、私は亡き兄上、お前の両親に顔向けできない。私はお前の幸せを思って言っているのだ」

 お前が両親のことを口にするのか。ほかならぬお前が。

 ヒルデの瞳の奥で黒い炎が一瞬揺れた。だが、それ以上の感情をさっと抑えて、ヒルデはあくまで冷静に年頃の少女らしそうな理由を建前に答えた。

「叔父様。叔父様のお気持ちは私も十分に理解しております。ですが、私はまだ十五。しかもこの五年間ろくに外へ出たことのない世間知らずの田舎娘でございます。そのような私がいきなり結婚などと……とてもできません」

「まだそのようなことを言うのか……」

 そう言うと忌々しげに大きな息を吐いた。肝心なところで言うことを聞かない姪を相手に突き放すような物言いをした。

「心配せずともそれくらいどうとでもなる。第一にハンスはそのようなことを気にせぬわ」

 そう言ってからペーターは改めてヒルデの容姿を観察した。

 艶やかに伸ばした赤髪にすらりと伸びた手足。貴族にふさわしい優雅な立ち居振る舞いと母親似の白く透き通った美貌。年相応に若々しい可憐な美しさには誰もが一度は振り返るだろう。

 強いて欠点を挙げるとするならば、年齢にしては万事冷静でありすぎること。それと勝気、と評するにはあまりに強い意志を感じさせる瞳が貴族たちの求める可憐でしとやかな女性像とかけ離れていることくらいだ。

 しかし、その欠点はその美しさを前にすれば些細なことである。何がしかのパーティーといった表舞台に出れば注目を浴びること間違いない。それにシューマッハは公爵家だ。家柄も悪くないともなれば、それこそ縁組には困らない。

 ――だが、この娘を表に出すのは危険だ。

 そう思わせる何かをヒルデからペーターは感じていた。今でこそ大人しいがしかし、下手に放置すれば、あっという間に今の自分の地位を脅かすような立場になりそうな気がしてならないのだ。己の危機感に素直なペーターはゆえに、わざわざヒルデを人里離れた城外の屋敷に押し込め、誰とも接点を持たぬようにしてきたのである。

 だが、それはあくまで暫定的な対応に過ぎない。完全に公爵家を自分のものにするならば、できる限り早く自分の派閥内で縁談を組む必要があった。

「それとも何か。お前の方に好きな相手でもいるのか」

 ペーターが疑り深い目で探りを入れると、ヒルデはいいえと否定した。

 それもそうかと納得したペーターはそれ以上の追及をやめた。ヒルデの許に誰か訪れたという話は聞いていないし、本人も特段誰かと連絡を取り合っているようには見えない。

「分かった。しかし、お前も年頃の娘だ。いつまでもこのままというわけにもいかないことだけは理解しなさい。お前もシューマッハ家の娘ならばいつかは結婚せねばならん。今は早いにしても……そうだな。十七、いや十六だな。その時は反対しても受け付けはせんからな」

「叔父様。私は来月には十六になります」

「む、そうか。そうだな。そろそろ誕生日か」

 一瞬、ペーターは虚を突かれたような顔をした。保護者失格ではあるが、しかし二人とも意に介した様子はない。実際、ペーターはヒルデの誕生日を祝ったことは一度もないのだ。

 ペーターは思案気に顎を撫でた後、良いことを思いついたと指を鳴らした。

「そうだな。せっかくだ。その誕生日にハンスを招待しようじゃないか。実際に会ってみれば考えも変わるかもしれない。縁談についてはそれからとしよう」

「それはもう。ぜひお会いしたいものです。私の我儘を聞き入れて下さりありがとうございます、叔父様。これからもよろしくお願いしますね」

 ふん、と鼻を鳴らして、ペーターは立ち上がった。そこでふと思い出したという様子で、ペーターは何とはなしに尋ねた。

「ああ、それとだ。最近、このあたりを奴らが狙っているという噂があるようだが……知らぬか」

「奴ら?」

「黎明の狼と名乗る質の悪い盗人連中のことだ」

 口にするのも忌々し気にペーターは言った。

「黎明の狼……」

 ヒルデはその単語に思い当たるものがないか、考え込むような仕草を見せた後、小さく手を打った。

「聞いたことがあります。なんでも最近ラーザイルで騒ぎを起こしている盗賊集団だとか。ただ、狙う相手は専ら貴族や裕福な商人ばかりで、その盗んだ金品にしてもその多くは民衆に配っている変わり者の集まりのようですね。義賊として呼び、慕う者も多いと聞いています」

「義賊なものか。あれはただの盗人にすぎん。下等な分際で恐れ多くも貴族の屋敷に入り込み盗みを行うなど万死に値する。盗んだ金を民衆に配ったからと言って何ほどのことはある。我ら貴族に盗みを働いた時点で、罪が雪がれるものか」

 吐き捨てるような辛辣な言葉にヒルデは静かに笑顔で返した。

「まあ知らぬならよい」とペーターは関心をなくしたようだ。特段何かを期待してのことではない。ペーターは帰り支度をするとすぐに帰って行った。

 ペーターを見送った後、ヒルデは作った笑顔の仮面を脱ぎ捨てた。感情を感じさせぬ冷ややかな目で自室に戻りながら、傍に控える自身より年下の女性使用人に「ペトラ」と呼びかけた。

「今日は満月だったな」

「はい」

 言葉少なに返すペトラの返事に「そうか」と答える。

「準備は?」

「問題ありません」

「ならばよい――ありがとう」

 ヒルデはそう告げると、己の部屋に戻っていった。瞳の奥に底知れぬ激情を宿して。


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