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茶畑の軍師②

 サムエル・ビンガート大将は一言で言えば知的な熊を思わせるような壮年の男だ。上背のある恵まれた体格は軍人として鍛え抜かれているが、彼の秘める肉体の暴力性を落ち着いた物腰と穏やかな瞳がそれらを優しくくるんでいる。

 階級は大将。ガラック王国軍を統べる元帥に次ぐ地位であり、肩を並べる同輩は五人しかいない。内一人はほとんど名誉職として授与されている王族ではあるが、残る四人はそれぞれの職務の範囲で辣腕を振るっている。

 ビンガート大将は四十三歳の若さでその高い地位に就いた一人だ。一年前のアルネスタ歴一二四二年、長年ガラック王国を苦しめてきた草原の覇者たる遊牧騎馬民族であるオルティアの侵攻を完膚なきまでに打ち破り、西方の国境を安定させた功を評された結果である。

 大将の中でも比較的早い昇進だったが、当人はまったく偉ぶることなく、今までの重厚な性格の人格者としてのあり方は変わらなかった。多少の嫉妬はあったにせよ、多くの者には好感を持って迎え入れられた人事だった。

 エリックが執務室に入ると、ビンガート大将が親しげに迎え入れた。

「よく来てくれた。まずはそこにかけてくれ」

 エリックは眉を顰め、小さくため息を付いた。勧められたソファーに座ると、階級では遥か格上の大将を相手にはなはだ非好意的な態度で早速本題を促した。

「で?用件というのは?」

 それは上官に対する態度としては礼を欠いたものだったが、ビンガート大将は口元をほころばすだけだった。年齢は離れていてもオルティア戦役以前からの長い付き合いである二人からすれば、これは軽い挨拶のようなものだった。

「さて、なにから話をしたものか。いい話と少し面倒な話。どちらからした方がいいかな?」

「どちらでも、と言いたいところですが、折角なのでいい話からでお願いしましょうか。ある程度気分を前向きにしないと頭も回らない」

「では、いい話から。おめでとう、今日をもって准将に昇進だ。リッカーズ大佐。いや、リッカーズ准将」

 佐官から将官への昇進。つまり、単なる一部隊ではなく、より大きな規模である一つの軍を率いる地位に立ったということである。軍人であれば誰もが憧れ、我こそはと奮起する目標だった。普通なら拳を握り締めて大喜びするところだ。が、エリックは心底嫌そうな渋面で迷いなく答えた。

「折角ですが、謹んで辞退させていただきます」

 言葉とは真逆の謹みも何もない拒絶。だが、その返事をある程度予期していたビンガート大将は肩を揺らして可笑しそうに笑って言った。

「理由を聞こうか」

「逆に訊きますが、今私を昇進させる理由をお伺いしても?」

「昨年のオルティア戦役の功績だ。君の戦略や戦術でオルティアを打ち破ったことはもちろん評価の対象としてあったが、今回君の占領政策も再評価されてね。おかげで西方の安定度は格段に増した。国力を大いに高めた立役者には相応に報いなければならない。でなければ、我が国は信賞必罰を知らない非常識な国となってしまう。周辺諸国に笑われ、我らが女王陛下に恥をかかせるなんてことはあってはならないことだ」

 何を言っているんだ、この男は。エリックが無遠慮に呆れた顔を見せた。

「それは建前上でしょう。我が国は敵を打ち破った数を評価こそしますが、それ以外はほとんど興味がないはずです。占領政策の結果が昇進の決め手になるなんてことはあり得ない。大体一年しかたっていないのに何を評価するのやら」

 痛いところをついてくる、とビンガート大将は苦笑した。無礼極まりないが、実際のところ全くもってして正鵠を射ていた。

「相変わらず辛辣だな、君は」

「私はただ事実を言ったまでです。他に事情があるんでしょう?私を准将に昇進させなければならない理由が」

 ビンガート大将はお手上げと言わんばかりに「その通りだ」と頷いた。

「言っておきますが、私は平民出身です。今でさえ悪目立ちしているというのに、それが将官になって偉そうに指図すれば、どうなることやら。私の部下となった貴族が素直に言うことを聞くと思いますか?」

 ガラック王国にも周辺諸国と同様貴族の身分制度は存在する。だが、他の国家と大きく異なる点があった。

 ――ガラック王国に家柄による特権階級は存在しない。

 正確には国王や女王といった国家元首については例外である。が、周辺諸国にあるような貴族が平民に対して特別に権利を振りかざすようなことはなく、貴族とはあくまで伝統的な肩書を示す程度でしかない。

 この在り方は、他国から見れば奇妙であり、一方でそれはガラック王国では誇りだった。国王の下に皆平等であるという思想が他の国になく、ガラック王国の国力も大きく伸びていることから、『文明国だからこその常識』として多くの平民たちは胸を張った。

 ただ実際のところ貴族は領主としてもともと資産や権力の基盤があることもあり、未だ政治や軍の中枢は貴族が大半を占めているのが現状だった。ガラック王国の貴族からすれば平民の常識や誇りは『思い込み』の類であり、形式はどうであれ貴族が優位であるのは間違いない、と口にはしないが思っている者が大半であった。

 その善悪はともかく、エリックが気にしている背景にはこうした事情があったのである。

 ビンガート大将は意外そうに目を丸くした。

「ほう。君がそんなことを気にするとは。我が軍は平民も貴族も関係ない。出自が何であれ、我が国と女王陛下に仕える軍人に変わりない」

「そうは言いますがね。それもまた建前じゃないですか。実際、そううまくいかないのが人間というものでして……」

「それに、君の話は今に始まったことではないだろう。大佐であった君の下にも貴族出自の者がいたはずだ」

 エリックはピクリと眉を動かして認めた。

「いますね。正直、オルティアでは痛感しましたよ。私のような人間の指揮にはいつも半信半疑、ことあるごとに不平を垂れるのです。やり辛いったらありゃしない。皆があなたのような道理の分かる貴族であれば私も苦労はしません」

 実際、ビンガート大将は国内トップの名門でこそなかったが、それなりに格式のある貴族出身である。嫌味なく平民と自然体で接しているが、そういう貴族は当然少数派であった。

 だが、そこには触れず、ビンガート大将は微笑とともに返した。

「部下の不満をうまくコントロールするのも上官の任務の内だ。誰もが苦労することなのに、君だけを特別扱いする訳にはいかないな」

 エリックは嫌な顔をした。都合のいいように論点をずらされているような気がした。だが、それに対する反論が見つからず、エリックは更なる否定の材料を探そうと少し黙り込んだ。そして、言葉に迷うように目を泳がせて、エリックは弱々しく反撃を試みた。

「平民が将官になることは前例がないはずですが……」

「何を言う。前例なら君がなればいい」

 ビンガート大将は一蹴した。今度はエリックが負けを認める番だった。

「なりたくないから言っているのに……」

 エリックは恨みがましく負け惜しみのように言って、それ以上の反論を諦めた。どうにもビンガート大将の昇進の意志は固いようだ。是が非でもエリックを准将としたいらしい。ビンガート大将の笑顔は選択の余地のない決定事項だと告げている。

 エリックは肩を落として大きなため息を付いた。やれ戦略家だ、智将だと人から褒めそやされても、この手のこととなると勝ったことがほとんどなかった。

「なに、それほど心配することはないだろう。先の戦いでできた『茶畑の軍師』という君の異名も広まっているはずだ。これまでと違って、実績のある君の言葉が軽んじられるような可能性は低いと思うがね」

「……そのあだ名、本当に嫌なんですがね。そもそもその名の由来も私が紅茶屋の息子で、戦場では茶を飲むくらいしかできない、という意味の言葉だったはずです」

「そうだな。しかも、君はほとんど紅茶に興味もないドラ息子だった」

 ふふ、とビンガート大将は笑い、

「それがいつの間にか、紅茶を啜りながら、勝利の絵図を書き上げる魔術師の称号になった。感慨深くもあるが、見事なものだな」

「本当に悪い冗談です。だいたい私は紅茶を飲みませんし」

「飲めばいいじゃないか。イメージは大切だと思うがね」

 現実が嫌すぎて、いつの間にかどうでもいい話になってしまった。エリックは頭を乱暴に掻いて、嫌々話を本筋に戻した。

「……分かりました。もうその話はいいです。では、面倒な話の方を聞きましょうか」

 すでに面倒ごとは十分聞かされた気分だがそうもいかない。エリックはなけなしの覚悟を決めて、ビンガート大将の言葉を待つ。

 ビンガート大将は表情を引き締めて言った。

「これはまだ確定ではないのだが、近くまた戦が起こりそうなのだ」

 さもありなん、とうんざりしつつエリックは頷いた。

「なるほど。敗北したところを一気に畳みかけて、いくつか我が国の辺境の町や城を掠め取ろうといったところですか。確かに面倒な話です」

 だが、だからといってガラック王国が一方的にやられることはないともエリックは思っていた。敗れたとはいえ、ケヴィン・ディクソン中将は撤退戦を無事成功させたのだ。名に傷はついても、軍全体で見れば大きな損耗はしていない。

 ビンガート大将は首を振った。

「違う。侵略されるのはわが国ではない」

「違う?では何なのです?」

 エリックが訝しげに尋ねると、ビンガート大将は微笑みながらその国の名前を口にした。

「――」

 それを聞いたエリックは深い息を吐いて億劫そうに頭を掻いた。予想の外にあった答えとはいえ、納得であった。ただ自分を使おうとする人事だけが腑に落ちないだけで。

「私はね、准将。君の臨機応変の柔軟な発想にはかなり評価しているつもりだ。次の戦いでは、通り一遍の戦いになるかもしれないし、そうでないかもしれない。しかし、確実に言えるのは、その戦場では多くの者の思惑が絡むことになる。だが、君ならばなんとかしてくれるとも思うのだ。期待しているよ」

 普通の兵士には滅多に預かれないような大将の賛辞と期待の言葉にエリックはただただ迷惑そうだった。しかし観念したのか、短く息を吐くと微苦笑とともに答えた。

「仕方がありません。自分が期待に沿えるような有能な人間とは全く思いませんが、微力を尽くしましょう」

「そうか。では、頼んだ」

 ビンガート大将は口元を緩め満足そうに頷いた。

 過大評価に違いないが、それでも拒否権のない決定である以上何とかするしかなかった。せめて自分なりの最善を尽くすばかりである。エリックは「それでは」と言って席を立ち、背を向けた。が、退室際にふと思い出して、振り返って尋ねた。

「ちなみに、ビンガート大将は?」

 自分だけ難事に対処させてあなたはどうするのだ、というエリックの問いだった。

 その返事は白々しいほどに芝居がかっていた。

「私はここで居残りだ。君と勝利を分かち合うことができず残念だが、これ以上私が功績を立ててしまえば軍内のバランスが危うくなる。王都で陰ながら応援させてもらおう」

「……」

 やや腹立たしくもあったが、一方でエリックは大変なことだ、と内心呟いた。冗談めかしてはいるが、実際ビンガート大将は日頃からかなり気を遣わなければならない立場にある。

 ただでさえディクソン中将が敗北した今、敗北の責がディクソン中将の上官にあたる大将の一人に帰せられている。そんな中、ビンガート大将が大将として出征を行い、大きな功績を挙げれば、他の大将たちから功績では頭一つ抜き出た存在になる。ビンガート大将は貴族としての格も低くなく、軍部でも人望があるとはいえ、これ以上早い栄達は周囲からの強い嫉みを招く可能性が高い。

 軍を率いるのは別の派閥。その派閥に全てを任せるのもいいが、これ以上下手に敗北するようなことがあれば、今度はガラック王国やその民のためにならない。そこでビンガート大将はエリックを使うという考えに至ったのだろう。

 要は他派閥の客将としてうまく補佐してくれ、ということだった。エリックのやり辛さは増すばかりであった。

「改めてよろしく頼む。リッカーズ准将――『茶畑の軍師』よ」

 そう最後にビンガート大将が締めくくった。彼が最も信頼する部下の二つ名を使って。

次の話から2日に1回投稿にします。

よろしくお願いします。

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