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茶畑の軍師①

 アルネスタ歴一二四三年。それはこれまで無名だったヒルデ・シューマッハの名が華々しく歴史に刻まれた一年の始まりだった。一つはシューマッハ公爵家のお家騒動で。もう一つはガラック王国軍の侵攻を若干十五歳の少女がほとんどの被害なく撃退したことであった。

 前者はともかく、後者は世界に衝撃を与えた。僅か三千の兵で二万五千もの大軍を翻弄し、勝利を収めた。ラーザイルの亡き名将であるヒルデの父ローベルト・シューマッハの後継者に相応しい初陣の戦果。ラーザイル内外問わず世界は彗星の如く現れた少女に驚き、そして注目した。

 戦勝国であるラーザイル連邦の貴族たちはどこか野心の見え隠れする新たなシューマッハ公爵に警戒は感じつつも、一方で安堵の息を吐いた。ローベルト亡き後、ラーザイル西部の防衛面に不安があっただけに、年若いヒルデの優れた将才は安心感を与えた。

 しかし、敗北したガラック王国と言えばそうもいかない。綿密に練ったはずのラーザイルへの侵攻計画が失敗に終わっただけでなく、恐るべき敵がすぐ隣に現れた。攻め入る困難さはもちろん、逆にガラック王国が攻められる恐れすらある。八倍近くの敵を撃退できる鬼才を相手取るなど考えただけでも恐ろしいものだった。

 首を項垂れて戻ってきた将兵を迎え入れたガラック王国首都ラーダ。常であれば活気に満ち溢れているが、兵士たちの心情を慮って自粛ムードの空気が漂っていた。周辺の諸国よりも先んじた文明国である自負があり、先の戦いでは大きな戦果を期待されていただけに落胆も大きかった。

「好戦的な我らが王国軍には珍しく沈んだ空気だ。これまでなら多少の敗戦程度次の戦いに向けてむしろ意気込むものだけど、今回ばかりは堪えたらしい。まあ、下手な勝利で戦線が拡大するよりはまし、と考えるべきかな」

 不謹慎に皮肉を言う男の名はエリック・リッカーズ大佐。兵舎の一室で書類に目を走らせた後、気分転換と言わんばかりに窓の外を眺めた感想がこれだった。

 エリックは中肉中背。さして珍しくもないブラウンの髪に黒い瞳の二十七歳の青年だ。身体的特徴だけ言えば、ガラック王国の一般的な男性そのものだ。だが、王国軍にあってこれほど目立つ男はいなかった。

 紺を基調としたガラック王国軍の軍服。誰が着てもそれなりに規律の正しい印象と清潔感を与えるはずのものが、エリックが身に着けると、どことなくだらしなく映るのだ。というのも、抜けきった肩の力。覇気のない斜に構えた態度。軍人らしからぬそれらがエリックを悪目立ちさせていた。特に何らかの行事や式典となると、エリックの態度は本人にその気がなくとも否応なしに目を引いた。

 実際、多くの上官から度々指摘されるものの、エリックは面倒くさがって改めようとはしなかった。規律を守る真面目な軍人は顰蹙を覚える一方、一部の下士官からは風変りな男だ、として評判だった。

 そんなおよそ模範的な軍人とは程遠い男であるエリックだったが、襟に付けられた大佐の階級章は軍でも有数のエリートであることを示している。強力なコネや後ろ盾がなければ、二十七歳で容易に到達できる階級ではないのは確かである。実際、多くの戦歴を経て実力で昇ってきたエリックがただの凡人ではないことは周囲の目にも明らかだった。

「その発言はいかがなものかと思いますが……しかし、あなたの予言通りとなりましたね、リッカーズ大佐」

 眉を顰めつつそう応じたのは、アイスブルーの怜悧な瞳の美しく若い女性だった。艶のある青みがかった髪は機能性を重視して端正なショートに切り揃えている。エリックとは対照的にその居住まいは隙がなく、実直で優秀な軍人然として見える。実際、彼女は文武ともに優れた軍人として将来を嘱望されていた。

 彼女の名はカレン・ブリック。こちらの階級は大尉であった。金縁の眼鏡を細い指で軽く押し上げながら、一か月前エリックが口にしたその予言を言葉にする。

「ペーター・シューマッハの裏切りを前提とした作戦には無理がある。実力も人望もない公爵の裏切りが成功する可能性は高くない。裏切りが失敗すれば敗北はほぼ避けられないだろう――話しを聞いた多くの人が非難した予言でしたが、みごと的中されましたね」

 エリックは首を横に振って訂正した。

「予言ではなく予想だよ、大尉。そしてこれは結果だけはあっていたが、過程がまるで違う。ようはたまたまだ」

 そうエリックが言った後、再び窓の外に目をやり、「自国の敗北が予想通りなんて、嫌なものだ」と気落ちしたかのように呟いた。

 カレンは僅かに目を見開いた。

「意外です。大佐にも愛国心のようなものがあったとは」

 エリックはほろ苦い笑みを返した。普段から自国の批判じみた発言を聞き続けていればそう思うのも仕方のないことであった。

「君たちほどではないけどそれなりにね。敗北したということは、それ相応に犠牲が出たということでもある。自国民の死を喜ぶほど私は落ちぶれていないさ」

 カレンはさっと真面目な顔で謝った。

「すみません、そんなつもりで言った訳では……」

「ああ、ごめん。君を責めた訳ではないんだ。単に少し自己嫌悪に陥っただけのことだよ」

 エリックは頭を掻くと、話題を転じて尋ねた。

「そういえば、先の戦いについてまとめられたその報告書には目を通したかい?」

 カレンは手元にある紙束に視線を落とした。そこにはロットシュタット城攻防を巡っての内容が事細かに記載されている。

「一通りは。信じがたいことですが、この報告書を見ればやはり我が国は敗れたのだと再認識しました。しかし、これは――」

「負けるはずのない戦いだったと?」

 カレンは頷いた。

「はい。先代のシューマッハ公が亡くなった後のディクソン中将の方針や指揮ですが、自然で妥当なものだと思いました。左翼軍が一敗を喫した後も立て直しに尽力し、あともう一息で城を落とせたはずです」

「その通りだ。この攻城戦に関して言えば、ディクソン中将には目立った落ち度はないね」

 どこか含みのあるようにエリックは言った。カレンはすぐにその意味を問おうとしたが、エリックの目がカレンの続きを待っていると察して、カレンはひとまずその問いを後にすることにした。

「ですが、結果は敗北です。強いて敗因があるとすれば、直接戦火を交え、大きな損害を受けた左翼軍のシモンズ少将になるでしょうが……」

 シモンズ少将はラーザイルの挑発に乗り、援軍であるシューマッハ公爵家の陣地を攻めて返り討ちにあった軍団長である。敗戦の責任が最も重い人間の一人として、降格がほぼ確実視されていた。

 カレンは難しそうに眉根を寄せた。

「ただ、その時の兵力は六千。敵兵力の二倍です。にもかかわらず、大した戦果も挙げられず一方的に三千の兵を喪うほどのことがそうあるでしょうか。その後の結果を見れば事実に疑いはないのですが、にわかに信じられません。多少攻撃が直接的ではあったにしろ、一度補足したはずの敵軍から奇襲を受けるような状況が……私には想像できません」

 報告書には待ち伏せによる奇襲に遭い、部隊の指揮統制は乱れ潰走状態となった、とだけある。混乱が大きく自分たちが何に敗れたかも分からないまま敗北したのだろうと予想は付くが、カレンには不可解な話だった。

「まあ、ラーザイル側の戦術の妙というやつだろうね」

 元も子もないことを一言で言ってエリックはにやりと笑った。

「地形をうまく利用されて意表を突かれたと言えば、一言で済むんだろうけど、その過程はそこまで単純じゃないだろう。実際の戦場では刹那の瞬間に状況が変化する。その変化を全て捉えきることは不可能だ。――それに私はその戦場にいなかったから、シモンズ少将の戦いの善悪を評することは難しいと言わざるを得ない。とりあえず、君の疑問は置いとくとしてだ」

 と前置きして、エリックは人好きな教師のように説明を始めた。

「そもそも戦略的には大きな過ちがなくとも戦術一つで勝敗が一気に覆ることはままある話だ。逆を言えば、どれほど戦術が上手くとも戦略がまるでなってなければ、勝利を手に入れられない。今回の戦いを振り返るにあたって、私たちはガラック王国軍だからつい王国軍目線で見がちだ。――ここは一つ視点を変えてみよう。つまり、相手のラーザイルの目線に立つんだ。すると見えてくるところがある。注目すべきところがね。華々しい結果に目が行きがちだが、重要な点はそこじゃない。他にあるんだ」

「というと?」

「戦略ではなく、戦術の土俵に引き込んだことだよ。二万五千対三千の戦いから、六千対三千に持ち込んだ。それで勝ち目のない戦いから、工夫次第で何とかなる戦いにすることができたんだ。その発想、その構想こそがラーザイルの上手かったところだろう」

 カレンはなるほどと頷いた。例えば一人が八人に囲まれれば、よほどの達人でもない限り袋叩きに遭うが、相手が二人であれば、機先を制すなりうまく立ち回れば勝つ可能性はあるということだ。戦史上、二倍の敵を打ち破る例は全くないという訳ではない。それでもかなり困難なことには違いないが。

「つまり……各個撃破の類に持ち込めた、ということですか」

「その通り!それこそがラーザイルの戦略だったわけだ」

 エリックは楽しそうに頷いた。軍人であるにもかかわらず戦争嫌いで軍内部では名は通っているが、業が深いと言うべきか。戦争についての考察は誰よりも好むところであった。

「下手に城内への合流を計らずに、リスクを取って我が軍の損耗と牽制を狙った――攻撃の手段を確保したわけだ。戦う前に自分が同じ立場だったらどれほどのことができたかな。少なくともこの戦いのまとめ方を見るに、敵は戦争全体の流れを最初から意識していただろうな。なかなかの戦巧者だ」

「それほどですか」

 カレンは目を丸くした。ここまで手放しでエリックが褒めるのは珍しかった。

「ですがしかし、それは狙ってできるようなものでしょうか?ディクソン中将が無視する可能性や、あるいは本格的に撃退する可能性もあったのでは?」

「その判断を難しくさせるのが三千という兵力なんだよ。まともに対応するには兵が少なく、かといって無視するには大きな存在だ。まず、無視するという前者を考えてみようか。今回の攻城戦だと我が軍は配置だけ見ると城の兵士五千と援軍の兵士三千に挟撃されている。数の上では有利だが、戦っている背中に敵がいるという心理的な効果は小さくない。そして、戦っている兵士の目線で立つと、もっと違って見える」

 エリックは戸棚から簡易的なラーザイルの地図を取り出した。いくつか束になっている中からロットシュタット城付近の見取り図を机に広げ、近くにあったチェスを無造作に取り出し、白を自軍に、黒を敵軍に見立てて並べていく。

「我が軍はロットシュタットを城門のある三方から攻めた。部隊を三つに分けたんだ。するとある方面では七、八千程度の兵力が五千と三千の兵士に挟撃されていることになる。他はともかく、その軍は戦うどころじゃないだろうさ。実際、左翼軍を撃退した後、敵はそのような戦い方をしている。攻撃拠点が城の近くで見失い辛く明確だから、夜襲する手も全然考えられる」

「では城を無視して一戦するべきだったと?」

「それも難しい話だね。城の包囲を解く困難はさておき、もしその方針を採ろうものならば、これまでの戦闘を無にする行為に等しい。籠城戦の目的は時間を稼ぐこと。戦闘が中断し、一息付けるともなると言うことない。そして敵に時間を与えるということはそれだけ敵の増援が来る可能性が高くなるということだ。まあ、それを承知の上で、ラーザイル三千の兵を全力で潰そうとしたと仮定しようか。さて、ラーザイルはどうするだろう」

「……戦う?」

 首を傾げながら自信なさそうにカレンが答えるとエリックは心から呆れた顔をした。

「負けると分かっていて戦うのかい?国を守る美談とするにはあまりにも無謀であっけない結果しかなさそうだ。意味もなく兵士に死ねと言っているようなものだよ?」

「そんなつもりはありません。じゃあ、何ですか?それ以外に何があるって言うんですか?」

 散々な言いようにカレンはむっと言い返すと、エリックはひらひらと手を振って笑みを浮かべながらからかうような言い方をした。

「分かったよ、大尉。君はガラック王国軍の勝利を願って敢えてその解答をしたのだろう?失礼した。察しが悪い私をどうか許してほしい」

「せ、い、か、い、は。なんですか?」

 意地悪いエリックにカレンが半目で睨むと、エリックは少し反省したようにごほん、と咳払いをした。そして、軽快な身振りとともに答えを言う。

「無論退くんだ。戦いを避け、距離を取る。敵が包囲を解き、向かおうとすると同時にね。二万五千の行軍速度と三千の行軍速度。兵数が少なければ少ないほど身軽だ。撤退の準備の程度にもよるけど、地理にも長じているラーザイルが王国軍に追いつかれることはまずないだろう」

 少なくともガラック王国軍は二万五千もの兵の食料を持ったまま行軍しなくてはならない。場当たり的な現地調達には限界がある以上、仕方のないハンデだ。荷物が増えればそれだけ行軍も遅くなる。また二万五千が遅滞なく通れるほど広い道がないことを想うとさらに困難を極めるだろう。

 騎兵だけを先行させる手はあるかもしれない。が、ラーザイルの将が優秀ならば、先行した騎兵をそれこそ待ち伏せで罠にかける可能性も捨てきれない。ホームグラウンドの地の利は目に見えないところで前提条件そのものを容易に変えてしまう。

 それ以前にそもそもガラック王国軍が包囲を解くなんてことはまずあり得ない。合理的な判断云々もあるが、たった三千の兵を本気で対応しようなんてことは兵を率いる者の心理的にも難しい。

 カレンは感心したように息を吐いた後、再び考え込むような仕草を見せた。では、ガラック王国軍の何がまずかったのか。

「実際あの場にあってはディクソン中将の判断、行動に大きな間違いはなかった。少ない援軍を手っ取り早く撃破し、無力化する考え方自体はある話だ。三千の兵が六千の兵を打ち破ることは中々あるものじゃないからね。ただ、それを意図して引きずり出し、勝利を勝ち取った敵は見事と言う外ないだろう。ある意味、今回の結果はディクソン中将からすれば不幸な事故だよ」

 そう言ってエリックはふと醒めた顔になった。実際に戦った兵士たちからすれば事故と笑って済ませられるような話ではない。命がかかっているのだ。だからこそ、軍を率いる者は細心の注意を払う必要がある。

「……では、大佐ならどうされましたか?」

 カレンの問いにエリックは笑みを戻し、チェスの駒を再び動かした。

「これは後出しじゃんけんのような言い方で卑怯かもしれないけどとりあえず三つ。あの場の勝利――つまり、城を落とすことだけを考えて言えば、二千から三千の兵を使って敵部隊を牽制するような配置においてもよかった。あるいは城攻めに使えない騎兵部隊を組織して、援軍が攻めてくれば素早く対応できるように準備することも悪くはない。もう一つは城の周囲に自分たちを守るための防御をより固めること――この場合は柵と乱杭くらいかな。時間もないし、ありあわせの簡易的なものがせいぜいだ。それでも、何もないよりは全然いいだろうね。少しは攻撃に専念できるはずだ」

 言われてみればどれも当たり前ともいえる自然な案だった。だが、言われるまでは思いつかなかったカレンは何とも言えない気持ちになった。

「……いくつもあるものですね」

 エリックは何でもないことのように返した。

「あるものだよ。方法はいつだって無数にある。結果が伴うかどうかは別の話だ。さっきも言ったけどディクソン中将の手は最善ではなかったにしろ、一つの手であったのは確かだ。ただ――」

「ただ?」

「私ならそもそもロットシュタット城を攻めたりはしない。少なくともペーター・シューマッハが死んだ時点ではまず選ばない方針だね」

 カレンが目を瞬かせた。

「ロットシュタット城を落とすことは我がガラック王国の基本戦略だったはずです。規模の大きいロットシュタットに王国の兵を駐屯させ、防衛においてはラーザイルの反抗を抑える一方、攻略においてはそこを中心に残るラーザイル西部を制圧。それのどこに問題が?」

「疑問はもっともだ。だが前提が違う、大尉。その戦略はシューマッハ公爵がこちら側についていた時の話だ。地図を見てごらん。ロットシュタット城はラーザイル西部でも東の方に位置し、こちらからはやや奥まったところにあるだろう?」

 カレンはエリックの思考を追うように言葉の意味を考えながら頷いた。

「……はい」

「つまり、兵を籠めるにしても孤立しやすい場所になるということだ。シューマッハ公爵が中立であれば、問題ないだろうが、敵方に回れば、半包囲されている形になる。遠くに離れているため我が軍の主力となる援軍や補給が送り辛く、城自体の防衛機能もさして高くないことを見ると、手に入れたとしても将来の負担になる」

「……そして結局支えきれずロットシュタット城を失うことになる、と」

 カレンは腹に落ちたように言った。エリックは勝利の先にあるものについて話をしていたのだ。

「端的に言えばそうだ。少なくとも被害は増えるだろうね。勝利に見合わない程度には。その場の戦場における勝利だけを見ていれば、そもそもの戦争の意義を見失ってしまう。今回の戦いはいわば陣取りゲームだ。すぐ失うもの、泥沼になる戦場を手に入れても意味がない。一時の名誉が残るだけだ」

 もう一つ方法がある。ラーザイル西部を全て奪取すればロットシュタット城の心配もなくなる。だが、その作戦はあまりにも規模が大きく非現実的だ。あらゆる要因がその成功を阻むだろう。それらを跳ね除けるほどガラック王国軍の器は大きくない。戦場が広がった分、自分たちの流れる血の量が増えるだけである。

 エリックは地図をなぞるように説明を続けた。

「では私ならどうするか。まずはザストール川沿岸の町を二、三――渡河ポイントを抑えるために征圧するのがいい。この際、効率化のため多少の軍を分散してもいいだろう。無論、敵が来ればいつでも集結できるように、情報収集と連絡は密にした上でね。それで橋頭保と補給路の安全が確立される。正直戦果としてこれで十分な気もするけど、もう少し頑張るなら、可能な限り支配領域を増やすために周辺の城や都市を攻略することになると思うな」

「なるほど……」

 無難で手堅い方針だ。逆に言えば、長年準備をした割には面白味のない方針だとも言えた。

「で、ここからさらに欲張るとするならばだ」

 エリックは身を乗り出して、笑みを深くして言った。

「思い切ってシューマッハ公爵領を奪取する」

 カレンは目を大きく見開いた。攻略対象であるジンドルフ辺境伯の領土をはるかに凌ぐシューマッハ公爵家を攻略するなど想像すらしていなかったのだ。

「それは……可能なのですか?」

「お家騒動があったごたごたを考えれば不可能ではないと思うけどね。実際、今回の援軍もこの状況で三千程度だったから、掌握しきっている状態では到底ないだろうし、動員兵力は限られていると見た。十分勝算はあるんじゃないかな。ペーター・シューマッハの派閥や後継者を適当に見つけ出して、擁立できればシューマッハを簡単に二分できるし言うことなしだろう。勝ち取った後のインパクトは段違いに最高だ」

 カレンは息をのんだ。

 普段の砕けた態度で忘れそうになるが、さすがはガラック王国の智者。サムエル・ビンガート大将の懐刀にして、西方の騎馬民族オルティアを大いに打ち破った希代の軍師。さらりと言っているが、その発想が容易く出る人間はそう多くはいない。

 あまりの構想力にカレンは一声も発せずにいると、その静寂を突き破るかのようにエリックは破顔一笑した。

「ただ――これは机上の空論、空想だよ。考える分には楽しいだろうけど、実行に苦労しそうだ。占領後の気苦労なんて考えたくもない。私なら欲張らず川沿岸を征圧して、適度に拠点確保した後に帰国。ごうごうたる非難をくらって、当たり前のように左遷。でもまあ、食っていく分には問題ないからよし、ってところだ」

 カレンは緊張から解放されたように大きなため息をついた。

「左遷なんて……しっかりしてください。一緒に辺境で退屈な哨戒任務なんて私は嫌ですからね」

 エリックは少し目を丸くした後、ないないと手を横に振って言う。

「一緒にって。大丈夫だよ、大尉。君は優秀だ。それに私なんかとは違って、やる気も愛国心も軍人としての心構えも十分だ。私と一緒になんてことにはならないさ。まあ、私は田舎任務の方が性にあっている。のんびりと一人怠惰で無駄な時間を楽しむのも悪くない」

「……」

 カレンが不機嫌に睨むとエリックは戸惑いを見せた。

「あれ?どうかした?変なこと言ったっけ?」

 カレンはそっぽを向いて言った。

「いえ、何も?大佐のその性格は今に始まったことではありませんしね」

 鈍いエリックは訝しげに首を傾げたが、深く考えることをすぐに諦めて、椅子の背もたれに身を預けて言った。

「とりあえず、無事帰還したイアンの見舞いにでも行こうかな。怪我もなく五体満足とはいえ、大変だったろうし、それなりにいいワインでも振舞ってあげよう」

 イアン・サザーランドは今回少佐として従軍したエリックの友人であった。また先の戦いでエリックの忠告を気に留めていた数少ない理解者でもあった。

 カレンが疑わし気な目をした。

「……本音は?」

「生で体験した人の声が聞きたくてね」

 頭痛がしたかのようにカレンがこめかみを抑え、くすりとエリックが笑う。一歩間違えれば死んでいたかもしれない敗戦など思い出したくもないだろうが、個人的な興味がどうしても勝ってしまうのである。無論、エリックとて無理強いするつもりはない。彼なりに友人の心配はしているのである。少なくとも半分を少し割るくらいには。

 その時、ドアのノックと同時に一人の兵士が部屋に入ってきた。

「リッカーズ大佐、ご歓談中のところすみませんが、ビンガート大将がお呼びです」

 やれやれとエリックは肩を竦めた。敗戦直後のこの忙しい時期に上官からの呼び出しなど面倒ごと以外想像できなかった。

第2章の始まりです。

別視点で第1章の戦いの総括を書きたくて、こういった形式で表現させてもらいました。もっともらしくは書いていますが、人によっていろいろな見方があると思います。フィクションであることをいいことに、作者の都合のいいように説明がされていますが、正解とは限らないので、鵜呑みしない程度に読んでいただければと思います。

この先も戦いは続いていくのでよろしくお願いします。

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