序章
後日、ヒルデは王宮に招かれた。玉座の間を通され、ヒルデは王の許へ続く絨毯を踏んで歩み寄っていく。以前通された時とはまるで状況が違う。前は不信と疑念、軽蔑と嘲笑があったが、今は賛美と警戒、驚きと嫌悪があった。もう一つ違うことと言えば、最初は喪服だったが、今は晴れやかな赤を基調とした男装であった。宮中で仕える女性としてではなく、有事の際には武人として戦うということを示すための装いではあるが、言うまでもなく、それが貴族たちの嫌悪の対象であることをヒルデは理解していた。
ヒルデが王の前で恭しく片膝をつくと、シルヴェスターが口を開いた。
「ヒルデ・シューマッハこの度の武勲、見事であった」
驚くほど感情を感じさせない形式的な言葉だった。それに返すヒルデは美しい声を響かせながらもしかし、その言葉の奥底に敬意は全くなかった。
「もったいなきお言葉。ですが、これも王のご威光のたまものでございます」
シルヴェスターはヒルデの言葉などどうでもいいかのように機械的に頷き、
「汝、ヒルデ・シューマッハの公爵位継承を認める。シューマッハ公爵として今後とも忠義に励め」
居合わせた貴族たちからまばらな拍手が送られる。多くの賛同が得られたわけではないが、形式的に言えば無事叙爵がなったといえた。
式の後、ヒルデを出迎えたラルフが言った。
「無事公爵となれたようで何より。何かと喧嘩を売る在り方は嫌いではないが仕える臣下としては中々に苦労しそうだ」
「喧嘩を売っているなんて言い方はよせ。私はただ自分の在り方を示しているに過ぎない。誰の目でも分かるようにな」
ヒルデは皮肉気に答えた後、ラルフと顔を見合わせて屈託なく笑いあった。
笑いを収めたラルフが何気ない調子で言った。
「そういえば我が主に二つ名が付いたようだ。知っているか?」
「いや?知らないが、なんだろうか」
「鮮血公女というらしい」
ラルフが人の悪い笑みを見せた。
「何でも先の戦いで多くの血を流させたことからそう呼ぶようになったらしい。シューマッハ公爵の若き女当主は血を見るのが好きだから軍を率いているのだということだそうだ。さてはて一体誰が流した噂なのやら」
「なるほど。まあ、間違いではないな」
ヒルデは適当に答えた。そして少し間を置いて、不敵な笑みを浮かべた。
「いい名だ。下手に飾り立てられるよりよっぽどいい。折角だ。その名を世界に知らしめるくらいにはなりたいものだな」
「悪名は無名に勝る、か。そう思い切れる感性は流石だな。仮に俺が鮮血騎士、なんて呼ばれたら、そいつの頭をぶっ叩きたくなるところだ」
「いいじゃないか。強そうだぞ?」
「勘弁してくれ。黒鎧に鮮血なんて似合わないだろう?見栄えが悪いじゃないか」
「そういう問題か。本当に変な奴だな、お前は」
と、ヒルデは可笑しそうに笑った。
そして、王都からゲールバラに向かう道中、ヒルデは郊外の墓所に立ち寄った。
俗世から隔離されたかのような静寂の中、春の終わりを感じさせるさわやかな風が吹いている。雲一つない澄み渡る青空の下、一人ヒルデは家族の眠る墓に向かう。
やがて目的の場所――父と母、弟の墓の前に辿り着く。
そこに家族が眠っている。そう思っただけでヒルデの胸の奥が熱くなった。
「父上、母上、カール……。ただ今、戻りました」
ヒルデ以外にも訪れる人はいるのだろう。墓の前に供えられたいくつもの花束はどれも新しい。ヒルデもその花束と並べるように丁寧に花を供える。
ヒルデは指を組んで祈りを捧げる。祈りの後、万感の思いとともに彼女は告げた。
「この度、シューマッハ家の家督を継ぎました。――叔父上をこの手で殺して、私が」
それを父は、母は、弟はどう思うだろうか。例え仇の一人であったとしてもこの骨肉の争いを、復讐心に囚われた血に濡れた戦いをどう感じるのだろうか。あの美しく高潔な愛すべきヒルデの家族は、あの世でどんな顔をしているだろうか。
誇らしさはなく、罪悪感に似た思いがヒルデの胸の内を占める。
どれほど大義を掲げ、自分を飾り立てようが、死者の前には無意味だ。多くの大衆に訴えかけてきた言葉の数々は失われ、隠しようもない事実と彼女の本心しか残らない。逆に言えば、この消えない後味の悪さこそが生真面目で心根の優しい彼女の本心だと言えた。
だが、後悔はない。人事を尽くした彼女にあるのは、彼女の行動の過程で犠牲となった人々に対する自責の念ばかりだ。そして、これからずっと残り、大きくなっていくのだろう。戦いが続く限り。
誰にも語れないその思い。しかし、誰もいないこの場に限っては、ただの十五歳の少女、ヒルデとして、彼女は思いを余すことなく語る。
そして、これまでのことを語り尽くした後、そよ風が心地よく吹く静かな時間がしばらく過ぎた。
ただ墓で眠る家族の前で静かに相対する。自分の身体が空間に同化して、消えてしまったような感覚をヒルデは覚えた。しかし、いつまでもそうしているわけにはいかない。
「……では、また。失礼いたします」
このまま音のない世界に沈んでいきそうな体を、決意だけで立ち上がる。死者に対する言葉にならない思いは無限にあっても、しかしヒルデは生者であり、生者としてこの世で為さねばならないこともまた数えきれないほどあるのだ。
ヒルデが墓所から出ると、帰りを待っていたラルフが静かに尋ねた。
「……もういいのか?」
「ああ」
墓所での余韻が身体に残っているせいか、どうしても言葉少なになってしまう。後ろ髪を引かれるような気持ちが、足取りを僅かに重くした。
すると、いきなりヒルデは強い力で背中を叩かれた。
「っ⁈な、どうした⁉」
驚いて振り向くとぬけぬけとラルフが答えた。
「気付けが必要そうな顔をしていたからな」
「はあ⁈どんな顔だ!」
ヒルデが珍しく素直な顔で怒るとラルフは朗らかに笑い、
「胸を張れ。お前の気質から、その気持ちも分からんではないが、誰にも任せられぬ大事を成し遂げたのだ。あの状況で思う限り、多くの人間にとっての喜ぶべき慶事の中、そんな不景気そうな顔があるか」
そう励まされ、一瞬、目が点になったヒルデだったが、
「全く、お前ときたら」
思わず笑みが漏れた。
「それでこそ我が主だ。もう一度、墓前に戻るか?」
「いや、いい。また今度で十分だ」
「そうか」
気持ちを切り替えたヒルデが、遠い空を見上げて手を伸ばす。
「遠からず必ずや成し遂げて見せる。私の復讐はまだ始まったばかりだ」
ヒルデたちはゲールバラに向かって馬を駆けた。
ペーターの支配から立ち上がり、一か月にもわたり続いた戦いがようやく一つの節目を迎えた。しかしこれはまだ序章に過ぎない。ヒルデたちの目標は近いようで遠くにある。簡単に成し遂げられるような目標ではなかった。
だが、シューマッハ公の地位を継げたことはヒルデたちにとって大きな一歩だった。この先、多くの困難が待ち受けていることは確実だったが、二人の胸の内に不安の雲は全くなかった。
ただ目標に向けて走るのみである。
これで第一章が終わりです。
ここまで読んでくださった方ありがとうございました。
物語は序章と括りましたようにまだまだ話は続く予定です。おおよそ話の流れは考えていますが、速筆でもないので書き切れるかどうか。未来の自分に聞いてみながら頑張りたいと思います。(実際の書く時間は休日の不定期)
ストックが切れたら報告します(もうしばらくは大丈夫です)。切れたら多分音信不通レベルでできなくなります。お許しください。
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