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とある義賊

 時が経って五年後――アルネスタ歴一二四三年。夕暮れ時、とある酒場の扉が開いた。軋む扉の音とともに入ってきたのは地味な村人の身なりをした若い青年だった。自然体でありながらその実、油断なく視線を走らせている。酒飲みたちの喧騒の中、青年はまっすぐ奥に入ってカウンターの一席に腰を掛けた。

「聞いているか?また『黎明の狼』が暴れたってよ」

 カウンターに座った青年の背後。少し離れたところで、赤ら顔の大男が同席する飲み仲間に話を振っている。

「ああ、あれだろ?ローズ子爵家を潰したっていうじゃねえか。金目のものを全部盗って、あの悪徳貴族も素寒貧だと。全くいい気味だぜ」

 飲み仲間の一人が心底愉快そうに応じた。頬傷のあるその男は一気に酒を呷ると、気持ちよさそうにぷはぁ、と息を吐いて陽気に笑う。

「クハハハッ!ざまあみやがれっていうんだ!酒がうめえぇーっ!」

「まったくだ。あくどい商人や貴族を専ら狙う義賊とは聞いているが、こうも毎度相手の選ばねえとはな!」

 相席していた頭にバンダナを巻いた男が酒の肴をつまみながら尋ねた。

「ああ。このラーザイルで貴族を狙うなんて国を敵に回すようなもんだぜ。イカレてやがる」

「実際、国中で指名手配されているぜ。ただ、まったく尻尾をみせねえから、どうにもできないんだとよ」

「ははっ!そいつは傑作だ!腐ったラーザイル貴族どもの悔しがる顔が目に浮かぶようでいい!」

 そこで、バンダナの男が僅かに声を潜めて尋ねた。

「しっかし、実際黎明の狼って分からねえことだらけだよな。頭の名前、アジト、人数、何一つ俺は知らねえ。有名な割には、こうも何も分からねえって言うのも変な話だ。お前らは何か知っていることあるか?」

 「なるほどな」と頬傷の男は頷いて顎を撫でた。

「確かに首領の名前は俺も知らねえ。が、いくつかの噂なら聞いたことがある」

「へえ、例えば?」

「まず奴らのアジトだが、特定の根城は持ってないらしい。ていうより、寄り合いかギルドに近い、ってところか。ラーザイル中どこにでもいるって噂だぜ」

「どこにでも?」

 初めて聞く話に飲み仲間たちが一緒になって目を見張る。頬傷の男が気をよくしたように口の端を歪めて続けた。

「ああ。普段は俺らと変わんねえ生活をしているが、いざ召集がかかれば、黎明の狼の一員として動くって聞いたな。人数もそれ相応にいると思うぜ。ラーザイル中っていうだけでどれだけいることやら。百や二百では利かないだろうな」

「やけに詳しいな。なんでそんなこと知っているんだ?」

「いやな。実際、俺も昔気になってよお。俺なりに探ってみたんだ。色々町を回って聞いたもんさ」

「へえー」

 「いやあ、怪しいもんだぜ?」と、大男が頬傷の男の肩に手を回した。

「案外お前がその黎明の狼っておちはあったりしねえか?いいんだぜ、俺にも一枚嚙ませてくれても。なあ⁉」

「違えよ!ったく、この酔っ払いが!もし俺がそうだったら、こんなところでお前らと一緒に安酒を呑んだくれてねえよ!」

「それもそうか!あいつらが金に困っているとは思えねえ」

 と言って、大男たちはガハハ、と大声で笑いあった。

「で、他に何か知っていることは?」

「いや?これで最後だ」

 きょとんとする頬傷の男にバンダナの男はこれ見よがしに大きなため息を付いた。

「なんだ、それだけかよ。つまんねえな」

「はあ⁉それだけとはなんだ。こいつを知るだけでも随分と手間がかかったんだぜ⁉」

「どうせ適当に寄ったどっかの酒場でたまたま耳に入っただけだろ。それもどこまでほんとか怪しいと来たもんだ。期待して損したぜ」

 大男たちの話を聞いていた別のテーブルの客がその話題につられて話しに混ざってきた。

「そういや今度その黎明の狼が狙うとしたら次はどこだと思う?」

「どこ、か。そうだな。奴らが狙うとしたらあの公爵家あたりか……?あそこも中々にひでえらしいぜ」

「あの、ってまさか、あそこか?五年前だったか、領主が代わってから酷くなったっていう……」

「いやいや、さすがに公爵家は無理があんだろう。俺は手堅くだな――」

 酒場の話題が黎明の狼一色なっていく一方、それまで男たちの話に聞き耳を立てていたカウンターの青年は興味を失った顔になる。注文したエールに口を付け、店主の方に目を向ける。

 すると、店主が机の下に手を伸ばした。そして何気ない動作で手紙を青年の前に差し出した。

「手紙が来ている。依頼だ」

 この場末の酒場に全く似つかわしくない質の良い手紙に触れ、カウンターの青年が問うような目をした。しかし、店主は何事もなかったかのようにコップを磨いている。ちらりと目が合いはしたが、それ以上の反応はなかった。

 聞いてくれるなと言う無言の言葉に、カウンターの青年はため息をつきつつ、とりあえず従うことにした。青年は手紙を懐に収め、酒を飲み干すとお代を置いて酒場を後にした。

 大男の間の抜けた声が最後に残った。

「しかし、どんな奴なんだろうなあ、黎明の狼の頭っていうのは」


 人里離れた山奥の小屋で一人の青年がハンモックに身を委ね、空を見上げている。澄み切るような青空の下、温かな春の陽気にあてられて微睡みつつも、黒髪の青年はどこか遠くの方に思いを馳せているようだった。

「ラルフ」

 名を呼ばれた青年はゆっくりと身を起こし、ハンモックから飛び降りる。大きく背伸びをして、声のした方に向けた目は寝起きそのものの動作に反して驚くほど鋭い。眠気を完全に取り払ったのか、彼の動きに緩慢さは微塵もない。

 ラルフ・ランドルフ。それが青年の名前だ。擦り切れた町人の服を着ているが、不思議と貧相な印象を与えない。それも普通の平民には見えない佇まいのせいか。均整の取れた細身の肉体にすっと伸びた上背。鋭気に満ちた黒の瞳と精悍な顔立ちは、隙のない立ち居振る舞いもあって、どことなく一庶民とは異なる気品が漂っている。

 村人の身なりをした若い青年が近づいてきて、どこか困った顔で用件を話した。

「手紙が来ている。読んでおいてくれ」

「手紙?」

 手渡された手紙――正確にはその封を見てラルフは眉根を寄せた。

「貴族の手紙か?なぜうちにきた」

「さあ、俺には何とも……。とりあえず中身を見た方が早いと思うけどな」

 それもそうか、とラルフは頷いた。

 質のいい紙に赤い封蝋。宛先は確かにラルフ宛てのものだ。だが、封筒には送り主の名前はない。少なくとも一定の財を持つ者が送ったことは確かである。封蝋の型が剣であることを見れば商人よりも貴族の可能性が高い。

 妙には違いない。ラルフのあまりいいとは言えない職業柄、貴族に嫌われ、憎まれることはあっても手紙を受け取るようなことはまずありえない。とはいえ、どうでもいい嫌味の手紙を送るほど暇ではないだろう。

 ――であれば、汚れ仕事か。

 いずれにせよ、読んだ方が早いのは確かだった。

 ラルフは封を切って、訝しげに眉を顰める。

「……ヒルデ・シューマッハ」

 それが手紙の送り主の名前だった。ヒルデという女性の名前に覚えはない。だが、シューマッハの家は知っていた。というより、このラーザイルで知らぬ者はいないだろう。そのシューマッハ家がなぜ?

 疑問を置いて、手紙を読み進める。そのシューマッハ家のご令嬢、もしくはご婦人の手紙を一読して、ラルフはにやりと野性味の強い笑みを浮かべた。

「ほう、こいつは面白い」

 ラルフは手紙から目を放して、送り主がいるであろう方を向く。まだ見ぬ女性の顔を思い浮かべ、ラルフは旅支度を始めたのだった。

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