寡兵の戦術⑤
ヒルデと合流したラルフは口笛を吹いて言った。
「どうも相手は本腰を入れたらしい。とはいえ、ここから先の展開はそう変わることはないだろう」
「なるほど。では、仕掛けの方は?」
ヒルデが確認すると、ラルフは心底楽しそうに答えた。
「上々だ。あと数日で効果が出るだろうさ」
ヒルデたちシューマッハ軍は丘の陣を引き払い、ガラック王国軍の近くまで姿を現した。たった三千とは思えない堂々とした動きに、ガラック王国軍は戸惑いを見せた。僅かに攻撃の手が緩んだ。
しかし、ディクソン中将から城攻めに集中するよう檄が発せられ、再び猛攻を始めた。ジンドルフ辺境伯の兵士たちはよく守った。お互いが正念場だということをよく理解していた。
シューマッハ軍はシモンズ少将が守る南の陣営に向かって騎兵隊の矢による攻撃を試みた。いわゆる挑発である。だが、先の手痛い敗北を知っているシモンズ少将は兵士に厳命させ、陣営から一歩も出ぬようにした。
「出ないか」
「そうだな」
挑発が効かないことを知ったシューマッハ軍は距離を取り、移動を開始した。右翼の背後を脅かすように東へと回り込むように行軍を行う。行軍中は最も隙が大きいが、邪魔をされないと踏んでのことだった。ただ用心を重ねていつでも戦える準備をしながらの行軍となった。そのため行軍はゆっくりとしたものだったが、大きな妨害もなく成功した。
さて、自らの背後に立った右翼軍としては身動きしづらい状況に立たされた。本来であれば、こうした事態に備えて、シモンズ少将が動きを見せるべきなのだが、シモンズ少将の軍は陣営を堅守するばかりで積極的な動きはない。
「伝令を送れ!シューマッハ軍の対処を願うと!挟撃でも何でもよいから、陣営から出るのだ!」
伝令を受けたシモンズ少将は同輩に命令された不快さに、激しく言い返した。
「そちらの兵力は七千!一方、本隊は西門と南門に別れ数は四千ずつと少ない!当然我らが守るのは本隊であり、右翼の軍は自分で守るのが筋であろう!」
「なんだと⁉」
右翼の軍団長は伝令の言葉に目を怒らせた。無論伝令の兵は言葉を選んだのだが、それでも、左翼の軍団長の感情は伝わったのである。
何を偉そうに!このような苦境は、元はと言えばお前のせいではないか!右翼の軍団長は憤然としたが、言い返しても無駄なことを悟り諦めた。
右翼の軍は背後の防備に兵を回した。自然城の攻略に回す兵数は減った。
その状態でガラック王国軍は総攻撃を開始した。
「なんとしてでも落とせ!一番乗りを果たした兵には一生食うに困らぬ褒賞を約束する‼」
シューマッハ軍はガラック王国軍の動きに呼応するように攻撃を開始した。
「さあ、ガラック王国軍が攻撃を開始したぞ!奴らの背を存分に食い破れ‼」
ヒルデが檄を飛ばし、シューマッハ軍は士気高く突撃する。その威力はガラック王国軍の右翼軍の備えが揺らぐほどで、右翼軍は慌てて攻撃の手を止め、隊の綻びを必死に埋める。
右翼軍の攻撃の手が緩んだことで、城内の軍も守りに余裕ができた。このまま行けば勝てるかもしれない。その希望が城の兵士の力となった。
「ぐぬぬ……!」
結局、総攻撃が失敗に終わりディクソン中将は臍を噛んだ。
シューマッハ軍は積極的に右翼の軍に小競り合いを仕掛けている。右翼の軍団は本格的に反撃するには城の攻撃を止めねばならず、城から反撃の可能性がある以上、自由には動けなかった。
ディクソン中将率いる本隊は兵数を半分に割ったため、攻撃力が不足している。頼みの綱だった右翼軍は背後を警戒して本格的な攻撃ができない。だが、それでも攻撃を続けねば、時間が過ぎるばかりで敵地にいるガラック王国軍は不利に近づいていく。
総攻撃は何度も再開された。だが、その度に失敗に終わる。戦いは膠着状態に入った。
そして数日が経ったある日、変化が起きた。
「南に敵の増援が!約五千です!」
偵察兵の報告にディクソン中将はほとんど怒声で応じた。
「無視しろ!有象無象の兵に過ぎん!」
「総司令官!」
城攻めがうまくいかない以上、これ以上の攻防を続ければ敵の援軍に包囲されてしまう。そうなる前に撤退すべきではないか。
幕僚たちは悲鳴じみた声にディクソン中将は一喝した。
「五千もの兵がそう簡単に出るものか!少しは頭を働かせろ!その五千がどこの兵か確認したか⁉」
「それは……いえ……」
敵軍であるとしか知らない幕僚たちは口ごもらせた。
実際のところその五千の援軍はシューマッハ軍によるものだった。ただし、その実態はラルフに命じられたエミールが急いでかき集めた急造の軍隊で、適当な武器を持たせただけの農民の寄せ集めに過ぎず、戦う能力はほとんどと言っていいほどなかった。
ただその実態を知らないガラック王国軍からすれば、敵の増援が着実に増えている不安が煽られる形となる。
「総司令官!」
「今度はなんだ⁉」
再び慌ただしく現れた偵察兵は動揺抑えらぬ声で報告した。
「ミランダ王の軍がこちらに向かって進軍中です……!その数約二万……!」
「……!」
ディクソン中将を始め幕僚たちは言葉を失った。
時間切れを知らせる決定的な報告だった。城攻めを続けてはいるが、すぐに落とせる気配はない。五千の兵がすぐそこに迫っているとなると今よりもさらに苦しい状況に追い込まれるだろう。その上、ミランダ王の軍二万が現れるとなると数の上で逆転する。なお悪いことにガラック王国軍は長引く攻城戦で疲弊している。形勢不利は誰の目にも明らかだった。
ディクソン中将は苦しそうに顔を歪ませた。
勝機は完全に去った。良くて左遷。悪ければ軍法会議で処分される可能性すらある。だが、このまま勝てぬ戦いに身を投じれば、ますます兵は命を喪うこととなる。将軍一人の意地のために兵士の命を無駄に散らすことはない。
ディクソン中将は苦渋の決断を下した。
「……全軍団に通達せよ。撤退だ。ガラック王国まで帰還する」
「……は!」
幕僚たちはその命令を実行すべく各部隊に散って指示を出していく。
一人になってディクソン中将は肩を落とした。十中八九勝てるはずの戦いだった。実際、勝利は目前に迫っていたこともあった。完璧ではなかったかもしれないが、油断したつもりはない。しかし、シューマッハ軍が現れてからすべてが狂ってしまった。
「ヒルデ・シューマッハ……!」
シューマッハ軍の若き女当主。報告によれば燃え上がるような赤い髪の女騎士がいたという。優秀な指揮官は払底し、過去の栄光のなれ果てに等しいシューマッハ軍を意のままに操ったのが彼女であるならば、この先ガラック王国は苦労することになるだろう。あるいは優秀な臣下でもできたか。いずれにせよ容易ならざる敵が生まれてしまった。
ディクソン中将は大きなため息をついた。
この先に自分の未来はない。しかし、せめて敗北した将軍の務めを果たさなければならない。
自身の暗い気持ちはさておき、ディクソン中将は撤退の指揮を執った。
ガラック王国軍の左翼部隊に本隊の兵の一部を貸し与え、シューマッハ軍の側面を脅かすように兵を動かした。シューマッハ軍も分かったもので、その呼吸に合わせるように、東に兵を少しばかり後退させた。その隙にガラック王国軍の右翼を撤収させ、他部隊と一緒に一団となって西の砦へ兵を引き上げさせたのだった。