寡兵の戦術③
そしてラルフの予想通り、シモンズ少将の顔は完全に朱に染まっていた。
「完全に舐められている!あのような少数の兵にいいように遊ばれて、これほどの屈辱を受けるとは!もう我慢ならん!」
激怒したシモンズ少将はディクソン中将に出撃許可を求めた。あの丘に構えるシューマッハ軍を撃滅したい。奴らを完膚なきまでに叩けばこれ以上の嫌がらせはなく、落ち着いて城攻めに集中ができる。むしろこのまま野放しすればそれだけ攻略に時間を要することになるだろう。
軍団長はそのように理由を付けて進言したが、それは建前に過ぎず、単に小競り合いとはいえ敗北し、舐められ切った屈辱を晴らしたいことは明白だった。
頭に血が上っている左翼軍団長の様子にディクソン中将は危機感を覚えたが、しかし出撃を許可した。
実際のところは、今回の失敗要因は単に警戒の薄い左翼軍が狙われて、小競り合いにしては大きな敗北をしただけで、軍全体から見れば大きな損害ではない。二百の兵の嫌がらせは無視し、さっさと城を落とす方が建設的だ。だが、軍団長の意見もまるきり間違いではなかったし、ここで無理に跳ね除けては、ロットシュタット攻略後以降の戦いの連携に支障をきたす可能性がある。そう考えてのことだった。
許可を与える一方で、ディクソン中将はただし、と条件を付けた。夜に動くとなると混乱が広がる。動くのは翌日からだと念を押した。軍団長は当然と頷いたが、ディクソン中将から言わせればその当然すらできない危うさが今の軍団長にあった。
しかしながら、それほどディクソン中将は心配していなかった。五百の兵がほぼ壊滅したとはいえ、それでも数は六千ある。三千の兵を対処するのに十分な数である。出鼻で後れを取っただろうが、大きな問題にはならないだろう。
ディクソン中将の許可を得て、シモンズ少将はこれであの生意気な愚か者どもに鉄槌を下すことができる、と荒々しい気炎を吐いた。
翌朝、西門を攻めていたガラック王国軍は城に対して最低限の備えを残して、シューマッハ軍を目指して動き出した。
昨日、目の前で挑発していたラルフたち騎兵部隊はいつの間にか姿をくらましている。恐らく東南の丘に築いている陣地に戻ったのだろう。やるだけのことはやって帰るとはなんと腹立たしいことか。
シューマッハ軍をいかに撃滅するかだけが頭を占め、やや視野狭窄となっているシモンズ少将に幕僚の一人が冷静に敵陣の地形を見て言った。
「少々厄介な地形のようですね。敵の陣が高所にある、というのもそうですが、木々が多くこちらから把握できない見通しの悪い場所もいくつか見られます。兵力差的には問題ないでしょうが、侮ると骨が折れるかもしれません」
用心を喚起してのことだったが、シモンズ少将の意気込みは多少攻め難かろうと変わるものではない。シモンズ少将は憮然と答えた。
「私は侮っていない。だからこそここにいる。全力で奴らを攻め潰す。それだけだ」
「……」
それはその通りなのだが、幕僚たちから見ても、シモンズ少将の怒りのあまりむきになっている様子に危機感を抱いた。
「……包囲しますか?」
まさか、しませんよね。そんな期待を籠めての問いだった。幕僚の心の内を知ってのことではないが、シモンズ少将は首を振った。
「そうしたいのは山々だが、こちらの兵力が二倍程度であれば難しい。もし無理をして包囲を押し進めれば我が軍の陣形が薄くなる。まずは相手に一撃を加え、そののちに逃げる敵の背を討つのだ!」
「承知いたしました」
幕僚たちはシモンズ少将にまだ冷静さが残っていると知り、胸をなでおろした。
ガラック王国軍は丘に陣取るシューマッハ軍と相対した。しかし、幕僚たちは訝しんだ。
「静かすぎるのではありませんか?」
戦いは目前に迫っている。だというのに、シューマッハ軍に大きな動きはない。無論、まったく兵がいないわけではない。王国軍の前にはシューマッハ軍が確かに存在する。しかしながら、今すぐ戦いが起こるような戦意がまるで見られないのだ。
「気にすることはない。大方、我らの軍勢を前に居すくまっているのだろう。ふん。所詮はラーザイルの弱卒と言ったところか。生意気な態度をとる割には、いざ正面切って戦うとなると及び腰になるとは情けない奴らだ」
シモンズ少将は鼻で笑うと、攻撃の号令を出した。
「突撃せよっ!」
「「「「おおおおおおおおおおおおおっ‼」」」」
草木が震えるほどの喚声を上げてガラック王国軍はシューマッハ軍の陣営に攻めかかった。対するシューマッハ軍は散発的に矢を放つものの、恐れをなしたのかすぐに後方に逃げて行った。
シモンズ少将は大笑いした。
「見たことか!奴らろくに戦いもせず逃げだすとは!追え!逃げる奴らの背中に剣を突き刺してやるのだ!」
ここまで腰抜けとは思わなかった。これならば包囲陣を展開すればよかったと僅かに後悔したが、シモンズ少将はすぐに頭を切り替え、軍を前へ、前へと進めさせた。
そして異変は起こった。
丘を登りきり、シューマッハ軍の陣営に一番乗りした兵士が驚きの声を上げた。
「……誰もいない?」
完全にもぬけの殻となっていた。続々と後続の兵士がやってきては、荒々しく、天幕を踏み荒らしシューマッハ軍がいないか捜したが、どこにも見当たらなかった。
不思議なことに兵士たちは周囲を見渡すが、見つからなかった。シューマッハ軍は忽然といなくなってしまった。
「そんなわけはあるか!さっきまでいたではないか!奴らが煙のような存在だとでもいうのか⁉捜せ、捜すのだ!」
先陣からの報告を受けたシモンズ少将は怒鳴り、報告した兵士は慌てて所属の部隊に戻っていった。
そんな時、どよめきが起こった。兵士たちが後ろを指し示し、驚愕で目を大きく見開いている。
「どうした⁈何が起こった⁉」
兵士の一人の肩を掴んでシモンズ少将が問うと兵士は動揺を抑えきれない声で答えた。
「我らの陣営が……燃えています……!」
ありえない。なんでそのようなことが。シモンズ少将は信じられない思いで、自分たちの出た西門付近の陣営を振り返ったがそれは事実だった。
「バカな……!」
派手な炎を上げ、攻城兵器が形を失い、崩れていく。炎と黒煙が奇妙に絡み合い、不吉な色で青い空を染め上げようとしていた。
その実行犯であるラルフはほとんど出払って誰もいないガラック王国軍左翼の宿営跡で哄笑していた。
「空き巣こそが我らの本分だ。これほど楽で楽しい瞬間は中々ない。さあ、燃やせ燃やせ!ここにいる者、皆が目を見張るほど燃やしてくれよう!」
僅かな見張りの兵を一瞬で蹴散らしたラルフたちは縦横無尽に陣営内を駆け巡り、手当たり次第に油をぶちまけ、火を放っていく。
その光景に城の兵士は歓声を上げた。自然、戦う気力が湧き上がり、城の防衛にも一層の力が入った。
「よし!いい頃合いだ!ここを済ませれば撤収だ!次の行動に移る!」
いつまでも留まっているわけにはいかない。火に囲まれ、身動きできなくなった後、応援に駆け付けたガラック王国軍に囲まれれば、待っているのは死だ。
しかしラルフの命令にトーマスが騒ぎ出した。
「ラルフ!こう何でも燃やして終わりってのはもったいなくないか⁈そろそろ少しくらいくすねてもいいような気はするんだが⁈」
盗賊の性がつい働くトーマスにラルフは一笑した。
「バカを言うな!そんな小銭放っておけ!戦いが終わればいくらでもくれてやる!」
「言ったな、ラルフ!その言葉覚えていろよ!この戦いが終わった後の飲み代はお前持ちだ!」
「当然だ!お前だけのようなけちな真似するものか!勝てば、ここにいる皆に振舞ってやる。我が主ヒルデ・シューマッハがな!」
シモンズ少将は歯噛みした。考えられるのは昨日挑発を繰り返していた騎兵部隊のせいだろう。どこに消えたかと思えば近くに潜んでいたようだ。というより、シモンズ少将を誘い出し、その隙を狙ったということか。
動揺がガラック王国軍に広がる中、畳みかけるように「申し上げます!」と慌てて兵士が報告に現れた。
「今度はなんだ⁉」
感情の抑制を完全に失ったシモンズ少将が怒声を放った。だが、シモンズ少将の怒りすら気にならなくなるほどの一大事に兵士は大声で返した。
「シューマッハ軍が火を放ったようです!奴らの陣営に火の手があがり、先頭を進む我が軍は混乱状態にあります!」
シモンズ少将は驚きで声を失った。