寡兵の戦術②
さて、ガラック王国軍から数々の侮蔑と嘲笑を受けていたシューマッハ軍ではあったが、当事者たちは至極大真面目に勝つための準備を整えていた。
その鍵を握るラルフはシューマッハ軍から騎兵を選別して二百余りの騎兵隊を作ると、迂回するような形で西に陣取る左翼軍後方に接近した。
「さて、遠路はるばる来てもらったにもかかわらず挨拶なしとは寂しいものだ!ここは気前よく土産物を贈ってやろうではないか!」
ラルフは騎兵たちに命じて弓を撃たせた。その矢がガラック王国軍の最後方の部隊に届いた。ガラック王国軍からすれば大きな被害は出なかったものの、いい気分ではないのは間違いない。
兵士たちは不快ではあったが、一度無視することにした。騎兵隊の射かける矢であれば、すぐに尽きるだろう。しばらく好きに打ち込ませてやれば奴らも逃げ帰るはずだ。
そうガラック王国軍の兵士たちは思っていたが、降り注ぐ矢はいつまでたってもなくなる気配はなかった。
そこには仕掛けがあった。ラルフは二百の内百の兵に弓を放たせ、残りの百には大量の矢筒を運ばせていたのである。騎兵隊の腕が上がらなくなるまでは矢に余裕があった。
それを知らないガラック王国軍は、ちらほらと我慢しきれず射返そうと試みる者が現れた。しかし、王国軍の矢は全く届かなかった。というのも、シューマッハ軍が風上にいるからである。風の勢いを借りてシューマッハ軍の矢は遠くまで届く。一方のガラック王国軍は逆風で勢いを殺されて、地に落ちるばかりであった。
早朝から続いて後方部隊から報告を受けたシモンズ少将は煩わしそうに命令を出した。
「奴らを追い払え。騎兵と身軽な歩兵、五百ばかりあれば十分だろう」
その命令を受けて、ガラック王国軍の左翼陣営から五百の兵士が飛び出してきた。
「おおー、いっぱい出てきたよ、ラルフ!」
クララが白い歯を煌めかせて声を上げた。この娘も大概ヒルデに負けず劣らず、肝の座り方がおかしい。
「そのようだ。なにやら随分と鼻息荒くしておられる。よし、もう少しひきつけろ!」
相手騎兵三百が先行する形でラルフ達に突撃してくる。その後ろから遅れる形で軽装の歩兵が走ってきている。
余裕たっぷりに眺めていたラルフは少しだけ距離が近づくよう待ってから、騎兵隊に矢を浴びせかけた。先頭を走るガラック王国軍の騎兵が何人か地面に転がるものの、それでも勢いを落とすことなく突っ込んでくる。
「さあ、撤退だ!あんまり急いで引き離すんじゃないぞ!いきなりお別れなんてもったいないからな!」
ラルフ達は馬首をめぐらせて、撤退を始めた。ガラック王国軍の騎兵隊隊長は一瞬悩んだ。シモンズ少将からの指示は追い払うこと。目的は達したとみて、陣に戻るべきか。しかし、傍に控える仲間の額が射抜かれて考えを改めた。
前を見るとクララが笑顔で手を振っていた。
「お散歩ご苦労さん!走る的を撃つ練習ができてよかったよ!また、一緒に遊ぼうね!」
隊長は怒声を発した。
「このまま奴らを逃がしてなるものか!我らを虚仮にしてくれたこと、必ず後悔させてやるのだ!」
歩兵たちが追いつけない勢いでガラック王国軍の騎兵はラルフ達の後を追った。歩兵たちは取り残される形になったが、ラルフ達との距離は少しずつではあるが縮まっている。ラルフ達は追っ手から逃れようと林の中に入っていった。
「追え!追うのだ!」
それが隊長の最期の言葉となった。ラルフたちに続いて林に入った隊長の喉元に矢が突き刺さり、苦しみの声を上げる間もなく、こと切れる。
続いて林全体に響くほどの喚声がガラック王国軍の左右から沸き起こった。予めラルフが兵を伏せておいたのである。追撃部隊はまんまとラルフ達に誘導されたのだ。
それから、追撃部隊に起こったのは悲劇でしかない。木々の隙間から一斉に矢を撃たれて、馬がいななき、次々に王国軍兵士たちが馬から振り落とされる。
「馬を狙え!帰る足をなくして、後はじっくりともてなしてやればいい!」
王国軍の追撃部隊は大混乱に陥った。隊長に指示を仰ごうにも、その隊長は初撃でもうこの世にはいない。逃げようとするも、来た道にはすでにシューマッハ軍の兵士が槍衾を作って待ち構えている。追撃部隊は逃げることも大した抵抗もできず、あっという間に壊滅した。
そして後ろから追ってきた歩兵部隊も同じ運命をたどった。林の中で何が起こっているか分からない兵士たちは追いつこうとする一心で林に入ったものの、ラルフ達シューマッハ軍の好餌となった。
結局、陣営に戻ることができた兵士は数えるばかりだった。そして追撃部隊壊滅の報告はシモンズ少将の顔を怒りで青ざめさせた。
怒りのあまり声を失ったシモンズ少将は報告した兵士を帰らせて、手近にあった椅子を蹴り飛ばした。シモンズ少将の面目丸つぶれである。五百の兵を一瞬のうちに失ったのだ。
しかしシモンズ少将を怒らせる報告はまだ続いた。
「何?奴ら我らの鼻先で野営を始めた、だと⁈」
「奴ら歌を歌いながら、食事を始めています!」
報告を受けたシモンズ少将が直に後方を見ると確かに、ラルフ達シューマッハ軍二百ばかりの兵士たちが耳を塞ぎたくなるような酷い音程で即興の勝利の歌を歌っている。目前に敵がいるにも拘らず、そんな存在などいないかのように自由に振舞い、ちょっとした宴会をしているようにすら見える。
一方、小部隊の騎兵は相も変わらずガラック王国軍に矢を射かけている。時にはガラック王国軍の矢が届きそうな距離に近づいては火矢を放つ始末。燃え広がりそうな細工もしなければ、狙いも付けていないため、起こるのはせいぜい小火騒ぎ程度だ。完全な嫌がらせ以外の何物でもない。
しかし、その命令を実行するラルフの部隊はガラック王国側で見ているほど楽しいものではなかった。
「くっそ、ラルフの野郎!忙しいったらありゃしねえぜ!」
馬を走らせ、適当に火矢を放ちながらトーマスは大声で文句を言った。
「ああ!挑発のためにこれだけ俺たちをこき使うとはな!俺たちはさっき戦った後だぞ⁉」
一通り矢を射かけ、他の隊と役目を交代してトーマスたちはラルフ達の野営地に戻る。不平不満だらけで戻ってきた仲間たちをラルフは笑顔で迎えた。
「まあ、そう言うな。あくせく働いたお前たちの分まで昼飯は作っておいた。少しは酒もある。手抜かりはない」
調子はずれなことを言うラルフに対しトーマスは半ば自棄になりながら言った。
「こんなところでゆっくり飯なんて正気じゃねえな、ラルフ。まあ、いいけどよ。飯はいいから、酒をくれ!飲まなきゃやってらんねえよ!」
ラルフは酒瓶を放り投げた。受け止めたトーマスは栓を乱暴に抜いてラッパ飲みする。
「さてさて、敵さんの反応はどうなるか。怒り心頭と思うが、一体どんな顔をしていることやら」
ラルフは人の悪い笑みを浮かべた。