初陣
軍議が終わった後、天幕の中はヒルデとラルフだけ残っていた。
ラルフが指を折りながら皮肉な口を利いた。
「夜、戦場、男女二人。さてはて、これから何があるのだろうか?」
ヒルデは薄い笑みとともに切り捨てた。
「戯言はいい。話しとはなんだ?」
ヒルデを呼び止めたのはラルフである。そのラルフは何気ない口調でさっぱりと訊ねた。
「記念すべき初陣だ。緊張していないか?」
思わぬ心配を掛けられヒルデは目を瞬かせた。
ヒルデは精神的に成熟し、大人びてはいるが、それでも十五歳の少女だ。狂気渦巻く戦場、上に立つ者の重圧、自分が死ぬかもしれないという恐怖。表面上平然としているように見えても、精神的な負担は小さくないはずだった。
何のことはない。単にラルフは心配だったのである。
「初陣ではないさ。昔、父とともに何度か戦場に立ったこともある。無論、直接剣を振るったわけではないが」
「ほう」とラルフが驚いた顔をした。
「というと十歳でか?それがシューマッハ家の教育方針なのかね」
いくら武門の家系と言っても年端もいかない少女を戦場に連れて行くのは常識から外れている。だが、シューマッハは名門と言っていい。可能性がないわけではない。
すると、ヒルデは苦笑をして首を振った。
「いや。私がだだをこねて無理矢理潜り込んだのだ。弟の名を借りてな」
「借りた?」
「ああ。当時荷馬車に隠れてついてきたのがばれてな。父は困った顔をしていた。護衛を付けて返すよりはこのまま連れて行った方がましだ、ということで男装して、弟に扮したのだ。今思うと随分と無茶を言ったものだ」
「なるほど。そいつは目に浮かぶようだ」
「それはどういう意味だ?」
いや、なにも、とラルフは薄い笑みを浮かべて肩を竦めた。どうやら勇ましいのは生来の気質であるらしい。だとしても、この場においても自然体であるのは容易なことではない。
――いや、それだけ覚悟が決まっているということか。
何とも言えない気持ちになりながらラルフは胸の内に呟いた。怒りとはそれだけ人を変えうるということか。ただ、上に立つ者が冷静であるのはむしろ歓迎すべきことであるのも事実である。
話も済んだラルフは自分の部隊に戻ろうと席を立ち上がった。ちょうどその時、クララが天幕に入ってきた。
「あー、帰りが遅いから何しているんだと思ったらまだここにいたんですか、姫様!」
そう言うのもクララは王都から引き続いてヒルデの護衛の任についているからである。ヒルデ自身、剣の腕は並外れているとはいえ、単独でいていい立場ではない。昼間は護衛の兵士を何人もつけているが、夜となると簡単にはいかない。女性であるヒルデを憚って、男の兵士は距離を置かざるを得ない。そこで、白羽の矢が立ったのが、クララである。
ラルフは内心クララが真面目に任務をこなしているか気にはしていたが、深くは考えないことにしていた。王都の護衛もこなしたことだ。完璧ではないにしろ、それなりにはやってくれているだろう。
そのクララはラルフの存在に気付いて、ニマニマとした笑みを浮かべた。
「ラルフも一緒?何?もしかして口説いていたの?なんなら振られた?」
ラルフは芝居がかった身振りをしながら答えた。
「ああ。実はそうなんだ。今度の勝利の願掛けに一戦を試みたが、戦いにすらならず一敗地にまみれてしまった。我が主の守りは難攻不落の鉄壁そのものだ」
ただ、それを聞いたクララは内容の半分も理解できなかったが、ラルフが失敗したということだけなんとなく感じて腹を抱えて笑った。
「ははっ!こんな時に最低!当然じゃん!なんたって姫様は姫様だからね!簡単には靡かないって!残念でした!まあ、でも元気出して頑張んなよ!応援してるからさ!」
妙な誤解をされてしまったかもしれない、と内心苦笑しながら、ラルフは「ああ、分かった」と真面目な顔で返した。
ヒルデは呆れたように笑った。
「本当に気が抜けるな、お前たちといると」